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2006年9月30日 (土)

Shostakovich :3万4千人の黙せる声の為の怒りの音楽

上演前の記事はこちら

Yevtushenkoreading

本文記載の前にお断りしておきます。本記事はいかなる政治的意図や思想に偏するものでもなく、「詩そのもの・音楽そのもの」による「平和の訴え」だと感じております。記事の最後の皮肉な文面が、記者の姿勢を明確に物語っています。この点ご留意下さいますよう、心からお願い申し上げます。(前記事に引き続き、語学音痴による俄か訳です。誤訳ご容赦頂きますとともに、疑わしい点はオリジナル記事を参照下さるようお勧め致します。)
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NewYorkTimes Web 2006年9月29日掲載

3万4千人の黙せる声の為の怒りの音楽
(リンク先はオリジナル記事)

2001年9月11日テロ攻撃に対して示された音楽界の反応は、クラシック音楽はもはや同時代の悲劇に対して影響力も表現力も無くしてしまった、という印象を残したままです。しかしこれは、こんにちの作曲家が実利と癒しを指向しているせいなのでしょう。

1962年に作曲されたショスタコーヴィチ交響曲第13番(「バービイ・ヤール」)は、異なったケースを示しています。その総譜は、暗くて辛辣で、イェフトゥシェンコの激しい怒りをうたった詩の上に築かれていますが、詩の内容はナチが1941年9月29日から30日にかけ、キエフ近郊の谷間で約三万四千人のユダヤ人を銃弾にさらした虐殺をテーマとしたものです。而して、音楽はいまも(ショスタコーヴィチの作品の大部分がそうであるように)狂気と痛みの昇華をしっかり握りしめ続けているのです。

ユダヤ伝承博物館はバビ・ヤール虐殺65周年を「バービイ・ヤール回想:イェフトゥシェンコとショスタコーヴィチの詩と音楽」を催して追悼しました。イェフトゥシェンコ氏は自作のいくつもの詩の朗読で出演し、「バービイ・ヤール」を、ロシア語版と英語版を切れ目無く行き来しながら、熱をこめて活き活きと読み上げることから始めました。氏はさらに「I would like」を朗読しましたが、これはパスポートや人為的な境界のない世界についてのインターナショナリスト的ヴィジョンをうたったものです。さらに2つの詩がアンコールされましたが、そのうち「バビ(バービイ)・ヤールと名付けられた少年」は理想を描きながら力強くもある、夢への言及です。(註:「バビ・ヤールと名付けられた少年」については上演前の記事を参照)

夜の音楽の部はオール・ショスタコーヴィチプログラムでしたが、MishaとCipaのDichter夫妻の、リズムに厳格で激烈な奏法による「2台のピアノのための協奏曲作品94」演奏で幕を開けました。夫君の方は、明るくしなやかな声のバス歌手Valentin Peytchnovが「プーシキンの詩によるモノローグ作品91」を歌うのを伴奏しました。プーシキンの詩は、慎重で、沈みがちで、落ち着かないユダヤ人世帯を描いたものです。

メインの音楽は、バービイ・ヤール交響曲第1楽章の2台ピアノ版でした。これはショスタコーヴィチがフルスコアでの初演に先立ちソヴィエト当局の検閲に供するために準備したものです。この版は、当然のことながら、ピアノでの演奏にむけて作品の色彩が減らされていますし、管弦楽版に代えて聴かれなければならない理由はまったくありません。それでも、Patrick Gardnerは、Dichter夫妻の逞しくてときに火を吹くような演奏と、Riverside Choral SocietyならびにKirkpatrick ChoirおよびRutgers大学グリークラブの支えをガッチリと受け、輝くような上演を指揮し遂げました。

この記念祭はバービイ・ヤール記念碑とはかけはなれた場所でなされたからでしょうか、ショスタコーヴィチ生誕百年祭関係のニュースにはなりませんでした。そのうえ、プログラム冊子にリンカーンセンターのチラシを挟み込んでいましたが、これは来月のヴァレリー・ゲルギエフのショスタコーヴィチ交響曲チクルスの宣伝でした。チラシの文句は遺憾で不適切で、こんな具合です。
「『バービイ・ヤール』体験の再チャンスですヨ!」
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記事中言及されているプーシキンの詩をご紹介しようかと思ったところ、楽譜とテキストが出せないところにしまい込んであることに気づき断念しました。。。
「馬鹿者めが!」
「Hey Maido, don't let me down...」

10月1日付記:
ふるたこさんから「バビ・ヤール」の「バビ」は「バービイ」とした方が原発音に近い旨、ご教示頂きましたので、本記事の該当箇所を修正をしたことをご報告しますとともに、心から御礼申し上げます。

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2006年9月29日 (金)

いのちの「モルダウ」〜フリッチャイ

TMFの皆さま、次回の分奏に行けず申し訳ございません。
お詫びを兼ね、以前メーリングリストで紹介した、フリッチャイによる「モルダウ(ヴルタヴァ)」の練習風景を、ムダな部分を削って掲載しておきます。掲載にあたり、外部サイトへのリンクを貼りました(同じ語彙へのリンクでも、原則として一つ一つリンク先が違います)本文共々ご参考になさって頂ければ幸いです。

・・・と、掲載の理由は身内向けですが、「モルダウ」とフリッチャイという人の素晴らしさを知っていただくため、長くて恐縮ですが、どなたもフリッチャイの言葉を味わって頂ければ・・・ひいては、音楽そのものの味わいそのものを楽しんで頂ければ、いっそう嬉しく存じます。

以下は、PIONEER CLASSICSのDVD「フリッチャイのスメタナ:交響詩<モルダウ>」(PIBC-1076)でのフェレンツ・フリッチャイのコメントを拾って字にしたものです。この映像の収録時、フリッチャイはすでに白血病に冒され、痛み止めを打って収録に臨んだとのことです。収録は1960年6月、逝去は1963年2月。48歳でした。

演奏のための練習に当たって、もしCD等を参考になさるのなら、
・まずスメタナ自身が示したガイドをみて頂き、
・次にフリッチャイがどの部分にどういうコメントをしているか
読んで頂き、
その上で、出来れば実際の「モルダウ」の演奏(リンク先にあるのはMIDI編曲のもの。アマちゃんでも演奏する立場では「ちょっと違うんじゃない」という印象が拭えないのですが、しかし、このMIDI版は相当頑張ってお作りになったと推察される優れモノです)を聴いてみて頂きたい、という趣旨です。
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スメタナが示したモルダウの構成を、曲にしたがって段落わけすると、次のようになります。

1)この河は二つの水源から発し(Fl、Cl):チェコ南西部に水源があるそうです。
2)次第にその幅を増してゆく。(モルダウのテーマ):スウェーデンの民謡に基づく?
3)両岸には狩の角笛と(ホルンを中心とした部分):以下、5まで展開部に相当
4)田舎の踊りの音楽がこだまする。(2拍子)
5)・・・月の光、妖精の踊り・・・(4拍子の静かな部分)
6)やがて流れは(モルダウのテーマの再現):この部分のみ再現部に相当
7)聖ヨハネの急流にさしかかり、波しぶきをあげて飛び散る。(荒れ狂う部分)
  :ここは「再展開部」とでも言うべきかも知れません。
8)ここから河はプラハ市に流れ込み(長調に転じたモルダウのテーマ):以下、コーダ
9)ここで河は、古く尊いヴィシェフラト(高い城)に敬意を表する。(終結部)
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この各部分に、フリッチャイはオーケストラに対し、実に丁寧な指示を行なっています。
スメタナのコメントを段落した上記の番号に沿って、それを列挙します。
ただ、残念ながら、5)〜7)の練習風景は収録されていません。
それでもかなりの分量であることがお分かり頂けると思います。
注目に値する発言ばかりですので、是非お読み頂けると、嬉しいです。
なお、()内は私が補足したものです。
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1)「この河は二つの水源から発し」

・始まりは遊び心を感じ、何もないところから小さな流れがわき出します。(Fl2本)

・「モルダウ」最初の小さな流れの誕生は、とても陽気で、生きる喜びにみちています。初めて太陽を浴びるのです。ここは小さな水滴(ハープ、ピチカート)と流れ(FL)の表現を、弦は1拍目のハープに応えて、水滴を色彩感で表して下さい。

・(復習の際に)ハープでヴィブラートが可能なら、最初のE音に使いたいですね(Joke!)

・(同じく)フルートの掛け合いのイメージをひとつ思いつきました・・・大嵐の後に、太陽が輝きはじめると、ミミズが一匹地面から顔を出して日光浴を始めました。今度は2,3センチ横でもう一匹顔を出しては日光浴を始めます。彼が先客に気づき、媚び始めると、一匹目が「マヌケさん、分からないの?私があなたの尻尾だって事」

・バイオリン(のピチカート)は、いまのようにフルートのブレスが必要なら、私(指揮者)ではなくフルートに合せて下さい。そして、流れ毎の差に注意して、よく聴くように。

・1番奏者だけでクラリネットとフルートの掛け合いをはっきりと。必要なところはフォルテにして下さい。(Clが、二つ目の水源)

・いまの一つの細い流れに、今度は二つ目が加わります。2本の流れが交差して、絡まりながら楽しげに進むのを聞かせて、主役を奪いあうかのように。

・(まとめ)音を間違えてもいいから、表現を確実に。

・(木管を誉めて)いまのは室内楽でした。4つの声部が微妙な起伏まで聞き分けられました。


2)「次第にその幅を増してゆく。」

・(復習の際に)「A」のトライアングルの指示は絶妙だと思いませんか?「エレガントに」。「エレガント」な音の奏法を尋ねる奏者は本物ではありません・・・尋ねませんよね。(Joke!)

・(弦のかけあい)そこのイメージは、まだ幼い存在に過ぎなかったものが初めて川になり流れ始める。一つの生命が河に成長したのです。幸福に、楽しげに、弦はクレッシェンドし、最高音をフォルテでしっかり弾いて下さい。(2nd、Vla、Vc)

・もっと響きを揃えて、階段状にならないで。この河は深刻になるには若すぎます。

・第1バイオリンは、スフォルツァートとマルカートではスフォルツァートを優先して。

・この曲でいちばん美しいのは祖国愛を感じさせる瞬間で、この旋律で始まります。

・ホルンはその旋律(モルダウのテーマ)から数えて3小節目をみずみずしい響きで。

・「繰り返し記号(原稿スコアにあるかな?旋律が2回目に繰り返されるところ、の意)」の3小節前のディミヌエンドは第1ヴァイオリンと一緒に弱めて、音量変化を揃えます。ピアニッシモに落ちてもかまわないので、強くはしないで下さい。

・(ホルンは)鐘の音を想像して、柔らかくひろがる音で。ヴァイオリンもホルンと同じ響きを。

・第2ヴァイオリンは16分音符の動きをよく聞いて。室内楽だと思って!

・「B」の6小節目のホルンはこう吹いてもらえますか? 伴奏にならず、アタックを強く、1番奏者の音が強く聞こえますが、1つのグループとして、まとまって4人の音を同じバランスで。音を短く。

・第1ヴァイオリン、木管、ホルンで8分の6拍子を意識して(受け渡しあう)。

・「B」で頂点に達します。ティンパニのトレモロは・・・「B」をもっと急激に強めて頂点まで達して下さい。突然岩にぶつかり轟くような響きで。もっと表現出来ます。

 
3)「両岸には狩の角笛と・・・」

・「C」の4小節前、ホルン・・・そこは、フォルテピアノですね。8分音符が聞き取れなければ。ただし、強くせず、ほかを抑えて実現します。・・・伸ばす音を抑えると、全方向からの返答が分かります・・・4番の動きを浮き立たせるため、他は長い音をすぐ弱めて、強い瞬間は短く、動きを聞かせ、かたまらず4方向から吹くのです。・・・8分音符でお互いに返事をすれば、どんなに楽しいか分かるでしょう。(ゆったりした音型になるところは)ディミヌエンドと書いてありますが、弱くせず強いままで。

・音楽の主導権はホルンにあります。必要なら弦楽器はフォルテをピアニシモで。

・トロンボーンは最後は消える。トランペットは狩の合図のつもりで。ファゴットはホルンをサポートして下さい。

・「狩の音楽」の8小節から12小節の間は、他が強すぎるとホルンとの音量関係が崩れます。・・・9小節目のホルン・・・ここはもっと歓喜が欲しい。ただし狩人ではなく、猟犬の喜びです。・・・トロンボーンは強すぎました。

・ホルンが1本呼びかけると、姿は見えずに答えが返ってきます。それを徹底すればソロらしくなります。ホルンの掛け合いは4本ともソロらしい音で。弦は抑えて。

 
4)「田舎の踊りの音楽がこだまする。」

・こう考えてもらいたい。テレビカメラがなくても、大勢の聴衆の前での演奏だと思い、音楽を視覚的に表現しましょう。農村の結婚式の場面です。いまより弓を長く使い、力強さと武骨さを表現したいのです・・・拳で机を叩くように地団太を踏む感じで。これは東欧的ですが、私も東出身です。どこからともなく強さが現れ、すぐに愛らしさが続きます・・・その強さを爆発させて、4分の2拍子の5小節目から弓使いを長く、弓の元まで使って、そうして力強く。

・とんだ弓を捕まえ再び弾き始めるように・・・飛ばすくらい!楽しい瞬間を組み込んで、そしてメゾフォルテを、その後のクレッシェンドの準備段階のつもりで。もっと田舎の響きで。

・トライアングルはエレガントな音からワイングラスを叩く音に変わります。ティンパニは長靴を踏みならすように。

・弓を長く使うにつれテンポが遅くなる(ので、注意して下さい)。

・どれほど素敵な気分なのか、分かっていないようですね。色鮮やかな衣装で活発に踊る人々が、突然身をかがめてしまう。そんな感じでしょう? かわいらしく・・・これを考慮してもらえたら感謝します・・・和音も気をつけて。

・最後の部分は・・・もっとかわいらしく。河だけが流れ去り、結婚式は続いています。私たちは農村を後にするのです。フルートの1番はEの14小節前でD音のシンコペーションを2番と一緒に吹き始めますね。そこから9小節は、村から響く小さな鐘の音のように。少し堅いタンギングで鐘の音を表して。

・低弦を聞いて。だんだんと暗くなっていきます。

ここまでで休憩に入り、
5)「・・・月の光、妖精の踊り・・・」
6)「やがて流れは」
7)「聖ヨハネの急流にさしかかり、波しぶきをあげて飛び散る。」
の部分は映像に収録されていません。返す返す残念です。
 
8)「ここから河はプラハ市に流れ込み」
9)「ここで河は、古く尊いヴィシェフラト(高い城)に敬意を表する。」
 ここはひと繋がりですので、最初のコメントは交錯しています。

・8)ピウ・モッソでは合流を続け、今や我等が(字幕では「ここで」とのみ)若き河は青年となり、このように流れていきます。急流となり、
・9)大砲火の洗礼を受け、この部分で彼の旅は終わりを告げます。「ヴィシェフラト」と書かれています。これはチェコの歴史上最も重要な地点です。「モルダウ」が何世紀もの間その前を流れつづけている場所で(注:プラハ城ではなく、プラハ市街図では通常南南東にこの地名が見られます。ついでながら、プラハ城のほうは作家カフカの住んでいた対岸のユダヤ人街からよく見えるようです。「ヴィシェフラト」のほうは、プラハ草創の女王リブシェ[スメタナには彼女を主人公としたオペラ作品もあります]が住んでいたと言われる7世紀の城塞跡とのこと。「モルダウ」を第2曲とする連作「我が祖国」はこの「ヴィシェフラト」を象徴する曲で幕を開くことは、どなたもご存知のとおりです)、この国の神聖な地点です。音楽ではこの部分です。(ヴィシェフラトの主題[ソ・ドーーシ|ソ・ラーーソ|ミ・]は)気高いフレーズです。


8)「ここから河はプラハ市に流れ込み」

・「K」の7小節目からは、ただのピアニッシモにはせず、激しさのあと、ヒョウが飛びかかる瞬間を待っています・・・爆発させて下さい。(ピアニッシモで)飛びかかる準備をして下さい。

・ピウ・モッソからの響きを私と一緒に楽しむなら、管楽器は抑えて。弦が無理に弾く必要がなくなり、この表現が出来ます。
・・・生きるとは素晴らしい、と歌っています。・・・そう、生きることは本当に素晴らしい。

 
9)「ここで河は、古く尊いヴィシェフラト(高い城)に敬意を表する。」

・クレッシェンドがまだ額面通りでした。こうです・・・盛り上がりのあと、トランペットで最後の王冠をかぶせます・・・それから後は、最後の情景的な表現をお願いします。(弦を見て)私たちは河の視点で旅をしてきましたが、河を離れ、山の上に立っています。この愛すべき河は流れ去っていきます。ここです・・・どんどん遠くへ流れていき、最後は細い流れになります・・・急いで通り過ぎて行くのです。そこで現れるクレッシェンドの波は別れの挨拶と思って(下さい)。・・・一筋の流れが残ります。最後の瞬間まで歌います。我慢して。

・(最後の小節の)前の拍でイン・テンポになります。

・(オーケストラが重く締めくくったので)最後の響きを今のタイミングで欲しかったらこう振ったでしょう(と、振りをして見せて)・・・重さは要りません。そのかわり、私の動きに合わせて音を出して下さい。

(フリッチャイのコメント、以上。)

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2006年9月28日 (木)

Schostakovich:2台のピアノによる「バビ・ヤール」

Yevtushenko
エフゲニ・エフトゥシェンコ(イェフトシェンコ)

27日付NweYorkTimesWeb記事から(オリジナル記事にリンク)。半分のみ訳します。語学力もないくせに、さっき思い付きでとりかかった俄かの訳でもあり、用語や一部文脈に読み取りきれていないところがありますが、いつものとおり、誤りはご容赦下さい。
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(以下、本文)
44年を経て、このコンサートに出かける人は、ドミトリ・ショスタコーヴィチの交響曲第13番を、ソヴィエトの検閲官が聞いたのとおなじように聴くことができるでしょう。

1962年12月の初演の数週間前には、検閲官らはその後いつも演奏されるようになった管弦楽、バス独唱と合唱のものではなく、2台のピアノによるものを聴いたのでした。ショスタコーヴィチは管弦楽の総譜を(註:ピアノスコアに)縮約しましたが、それは、作品を是認すべきかどうかの決定を迫られる検閲官らにはフル編成の管弦楽もしくは合唱を聴く必要がなかったからでした。

検閲官らは交響曲第13番を是認しました。しかし、2台のピアノ用のスコアは初演を巡る大騒動に紛れて忘れられ、出版されることはありませんでした。

批評家の示唆にあるように交響曲というよりはカンタータに近いこの作品は、イェフトゥシェンコ(エフトゥシェンコ)の詩「バビ・ヤール」を配して始まりますが、この詩はキエフ近郊の悪名高い集団墓地を詠んだものです。65年前の金曜日・・・1941年9月29日が明けて36時間のあいだに、ナチスは3万3千人以上のユダヤ人を、そこで殺したのです。第2次世界大戦が拡大していくと、10万以上のロシア人とウクライナ人も、そこで殺されました。

Lower Manhattanのユダヤ伝承博物館(The Museum of Jewish Heritage)は、この虐殺を記念する行事で、MishaとCipaのディヒター(Dichter)夫妻のピアノによるこの交響曲の第1楽章の演奏を呼び物にすることにしました。バスはValentin Peychinovで、合唱指揮はPatrick Gardenerです。(Dichter夫妻はさらに、ショスタコーヴィチの2台のピアノのための協奏曲を演奏する予定で、夫君の方はPeytchnov氏と「プーシキンの詩によるモノローグ」作品91の最初の4曲をも演奏します。)

エフトゥシェンコの詩の冒頭はこううたっています。
「バビ・ヤールには何の記念碑も建っていない。」
先週電話したところ、現在オクラホマのトゥルサ大学の客員教授であるエフトゥシェンコ氏は、ショスタコーヴィチが「バビ・ヤールに最初の偉大な記念碑を建てたのです。音でね。」とおっしゃっていました。

いまではそこに石の彫像が建っています。エフトゥシェンコ氏は、この演奏会に出席する予定ですが、彼が「バビ・ヤール」の詩を書いてから世の中がいかに変ったか、という問いに答えるベく、先月「バビ・ヤールと名付けられた少年」という詩を書きました。

この詩はエフトゥシェンコ氏が数年前にイスラエル人の夫妻から受け取った手紙から着想されました。夫妻は息子に「バビ・ヤール」という名前をつけたのです。バビ・ヤールと名付けられた少年」は、(少年)バビ・ヤールとアラブの十代が「共にショスタコーヴィチの元へ、力強くも優しいその音楽へと赴き、交響曲第13番から母のごとく抱擁される」ことへの祈りで結ばれています。

(以下略。記事そのものをご覧頂ければ幸いです。Dichter氏の思い、博物館スタッフの思い、についても言及されています。アメリカは必ずしも好きではないけれど・・・文化面、精神面の層の厚さではかなわないなあ、とシャッポを脱ぐしかありません。)

なお、「バビ・ヤール」の「バビ」は、「バービイ」という方が原発音に近いそうです。

この演奏会の後の記事を全文訳しました。併せてご覧頂ければ幸いです。

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2006年9月27日 (水)

Mozart:C.バッハのソナタ編曲K.107-1772年

ヴォルフガングが自分自身の協奏曲を作るのは翌1773年からです。他のジャンルに比べるとだいぶ遅い感じがしますけれど、彼らしいソナタの作曲がもっと後、1775年(19歳のとき)からであることも視野に入れると、決して遅いわけではないことが分かります。
いったい、協奏曲やソナタは音楽家が自らの技巧を華麗に披露するためのジャンルであり、その伝統は19世紀に入ってもパガニーニやヴィニャエフスキーのヴァイオリン協奏曲、リストショパンのピアノソナタに受け継がれていくのです。
ヴォルフガングが16歳になるまで、レオポルドはその手の作品を息子に書かせませんでした。息子の自立を考える親として、期が充分に熟し、技巧も精神も自立に必要なだけの準備が整うまで待つ、というのは当然ではなかったかと思います。

K.107は、ヴォルフガングが敬愛してやまなかったクリスチャン・バッハのクラヴィアソナタ3曲(作品5の2,3,4)を協奏曲に仕立て直したものです。単なる編曲ではなく、協奏曲らしい体裁を整えるために様々な工夫をしています。
工夫の基本は次の3点かと思います。

1)第1楽章第1主題呈示部を序奏として、独奏呈示部の前に付加する
2)楽章中間部・緩徐楽章は独奏と合奏の「会話」をこころがける
3)各楽章には原則として独自に創作したコーダを加える

以上をこなすだけでも・・・とくに独自の創作部分がオリジナルとごく自然に接続するためには・・・原曲に対する相当な理解が必要です(和声、主題構造)。ヴォルフガングはこの課題を、クリスチャン・バッハの音楽世界にきちんと入り込んだ上で、そつなくやり遂げています。
上記3点を除いた主な工夫は、各曲で以下の通りです(、第1番第1楽章[たまたま事例がありませんが]を除き、耳での確認です)。
なお、オーケストラはヴィオラを除く弦楽器です。

第1番ニ長調(3楽章)
(第2楽章)
*平板さを避けるため55・56小節に2小節を付加
*対話強調のため57-60小節をオクターヴ上に

第2番ト長調(2楽章)
(第2楽章)
*原曲の第1,第2変奏を順番変更(逆転)
*原曲の第5変奏を省略(冗長さ回避)

第3番変ホ長調(2楽章)
(第1楽章)
*103-106、右手声部をヴァイオリンに移動〜会話

スコアはNMAペーパーバック版には収録されていません。
Baerenreiterのピアノ協奏曲全曲(3冊)の第3分冊にあります。

CDは、BRILLANT "Mozart Piano Concertos"(11枚組)の1枚目に、クリスチャン・バッハのソナタ原曲と共に収録されていますが、協奏曲はチェンバロに各パート1人という、トリオソナタにヴァイオリン1本を加えたような演奏です。また、オリジナルのソナタはクラヴィコードで演奏されています。
1枚ものでも出ています。ピアノで弾いていますから、こちらのほうがいいかもしれません。ただし、クリスチャンの原曲は入っていません。

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2006年9月26日 (火)

ワーグナー歌手スチュワート逝去

Thomasstewart
Thomas Stewart

アメリカのバリトンでワーグナー歌手として高い評価を受けていたトーマス・スチュワート氏が9月24日に78歳で逝去した由。本日のNew York Times webに出ていました(オレンジの部分で記事にリンク)。

日本ではなじみの薄い存在かも知れませんが、大歌手の一人だったと言っていいと思います。
彼はテキサスの貧しい生まれで、New York Times webの記事によれば
「太っていて、面倒いっぱいの子供だった」
ということですが、10歳の時、歌で人の注目を浴びることに目覚め、ジュリアードで勉強の後、1954年にR.シュトラウス「カプリッチョ」のアメリカ初演でオペラデヴュー、翌年に2歳年下の同窓生であるソプラノ歌手イヴリン・リアと結婚したそうです。
以降、彼はヨーロッパでも脚光を浴び、1993年の引退まで歌い続けた由。

クナッパーツブッシュ1964年の「パルジファル」でアンフォルタスを歌っており、またベーム「神々の黄昏」の歌手メンバーにも名を連ねていますから、
「ああ、あの声か!」
と思い当たって下さる方も多いかと思います。最近ではアンナ・モッフォの来日に合わせて発売されたグルック「アウリスのイフィゲニア」(表に明記されていませんがワーグナー版なのでご注意を)にも出演しています。

ご冥福をお祈り致します。


付記:産経ウェブに28日に載った訃報・・・シュワルツコップのときの日本紙も、こんな程度でしたが。。。外国の人だから、ではなく、日本人でも、音楽関係者の訃報は(流行歌手や歌謡曲の大!作曲家でもないかぎり)こんなものです。スチュワートさんの場合、この記事を読むと、「人生、ゴルフで終りヨ」ってな感じで、軽くていけません。まあ、載っただけ奇跡的です。

(以下、本文)
訃報
トーマス・スチュワート氏(米バリトン歌手)

ニューヨーク・タイムズ紙によると、24日、メリーランド州の自宅近くでゴルフをプレー中、心臓発作のため死去、78歳。
テキサス州生まれ。ワーグナーのオペラを中心に活躍し、パーセルの「ディドとエネアス」のエネアス役やR・シュトラウスの「サロメ」のヨカナーン役なども演じた。(共同)
(09/28 07:49)

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2006年9月25日 (月)

ショスタコーヴィチ百歳

<海外の記事から>
時代の鏡としての交響曲?
2台のピアノによる「バビ・ヤール」

生きていれば、今日(2006年9月25日)百歳でした。

彼の肉体が滅んでから36年経ちました。ですが、先日ドイツの記事での対談でも見たとおり、その作品は生前の彼を苦しめた世俗の束縛を越え、国境をも軽々と越えて、今日も世界のあちらこちらに音の空襲を続けています。日本の怨霊・・・『雨月物語』で凄まじい形相を見せる崇徳上皇も顔負けの怨念なのでしょうか?

非ポピュラー音楽の分野では、彼は作曲者と演奏者が分離してしまった20世紀の、最初の世代に属します。次世代の代表的人物はバーンスタインでしょうが、自作自演の音楽家としてのバーンスタインは晩年には存在が霞んでしまいました。

ショスタコーヴィチは、管弦楽については作品の演奏を指揮者に委ね、自身はいつも客席で苦りきった顔をしていました。演奏の出来が悪いから? そういうときもあったでしょう。ですが、多くの場合はニコチンが切れたからだったのではないかと思われます。
それでも、第1回ショパンコンクールに入賞しただけ腕に覚えのあったピアノでは自作をよく弾き、室内楽に参加し、協奏曲のソリストを務めました。
自分を隠すかと思えば、変わった性格で女弟子を困らせたりもしました。
サッカーについては浦和レッズのファンよりも分析が得意でした(あ、怒られるかな!)。

とはいえ、世間は彼がオープンであるより内省的人物であることを望み、彼はそれに応えました。・・・応えたフリだったのかも知れません。

彼の作品はほんとうに、戦争の苦しみを謳ったものなのでしょうか?人生の痛みを叫んだものなのでしょうか?
それにしては、たとえば第5以降の交響曲は、聴けば聴くほど、ドン=キホーテのように生真面目な道化を感じさせてはくれないでしょうか?
ドン=キホーテ」の文学世界が、作者セルバンテスのレパント海戦での経験を自分自身で戯画化した力強いものであるように、ショスタコーヴィチが、彼の交響曲やスターリン賛美映画(「ベルリン陥落」)につけた音楽にまでも仕掛けている「道化」た爆弾は、現世の利害や悲喜をあざ笑うたくましい威力をもって、毎日毎夜、私たちの頭上で炸裂しています。
これは果たして本当に、「怨念」といえる類いのものなのでしょうか?

まあ、屁理屈はこれくらいにして、もう肉体を持っていない彼の代わりに、バースデイケーキは我々で頂いてしまいましょう!(こ、これ以上太れない・・・)

Happy birthday, Mr.AgainstWars !
これが正しい呼びかけではないことを重々承知しつつ。
違う呼びかけを思いつく知恵もないままに。
(おお、自分に酔ってる! おめでとう! 乾杯!)
・・・また百年後、彼にはどう呼びかければ良いんでしょうね?

ふるたこさんのページ
工藤さんのページ(凄すぎる!)
 工藤さんの「ショスタコーヴィチ全作品解読」は売り切れ状態!
 予約すればよかった(T_T)
ダスビのページ

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2006年9月24日 (日)

曲解音楽史3:音程から音階へ

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立

2)リズムの成立(1)で挙げた2命題のうちの、Aの方をみてみましょう。

声の(音楽的な)利用では、
「音の高さ、二つ以上の音の相互関係(音程)が、相対的に固定されている」。

面白いのは、発声においてだけでなく、聴くという行為の上でも、人間の耳は身近な動物の鳴き声を抽象化して聴いているふしがあることです。例を拾ってみましょう。
*山羊〜「メエーー、メエーー、森の仔山羊・・・」
     のメエーー、メエーー」はソミ〜〜、ソミ〜〜〜。
*郭公〜カッコウワルツ、おもちゃのシンフォニー、マーラー「巨人」
    「カッコウ」は「ソミ」・「ドソ」、「ソド」等。
*猫 〜「猫踏んじゃった」の「ニャーゴ」は「ドーソ」
    フォーレ「ドリー」の猫は「ドソ〜・ラミ〜」等。
曲の例は知りませんが、犬が寂しいときに鳴く「クウーン」や、赤ん坊の泣き声は、日本人の場合は短三度(「ドラ〜」)で聴いているのではないでしょうか?
カラスなども、人間の耳はその声を「ミド」(短三度)から「ソド」(完全五度)の間で抽象化していると思われます。
・・・以上が、どれも五度の範囲に収まっていることを、とりあえず気に留めておいて下さい。



語りから歌への中間段階にある「朗詠」についても、少し見ておきます。
アイヌの「ユーカラ」は、一番基本となっている声の高さを「ド」とみますと、上に五度、下に四度(上下とも「ソ」に当たる)の範囲内で動いています。アラブ世界で「コーラン」を朗詠するのを聴いても、上は六度まで拡大することがありますが、大体同じ範囲に納まっているのが基本であるように感じます。
すなわち、「音階」が意識されない「朗詠」の段階、但し演劇世界等のように後年演出をたくさん加えられた可能性を持つものを除いた「語りと歌の中間世界」では、声は発する方でも聴く方でも、基本の高さからおおむね、上に五度、下に四度の範囲で動いていると思えます。
一般化してよいかどうか分かりませんが、西欧の教会8旋法のうち偶数番のもの(ヒポの付く名前を持つ旋法)のトニック(主音)は上から五度下、下から四度上に位置しています(例:第2旋法=ヒポリディア、「ド・レ・ミ・ファ(トニック)・ソ・ラ(ドミナント)・シ・ド」)。人間の耳の、音程感覚に対する上のような現象を視野に入れると、これらの旋法は「ド(トニック)・レ・ミ・ファ・ソ(ドミナント)・ラ・シ・ド」よりも自然に発生したもののように感じられるのですが・・・如何なものか。
かつ、主音から五度上、四度下が同じ「ソ」であったことは、偶然だったとしても、人間がオクターヴを発見する上で大きなポイントだったかも知れません。ただ、「オクターヴ」が発見されるのには、さらに楽器の発見、とくに管楽器の発見がモノをいった可能性も大きいと思います。


子供たちが小学生になると縦笛(リコーダー)を吹き始めますが、最初はとくに低い音が上手く出せず、指で穴を全部押さえても、高い方の「ド」が出てしまいますね。
だんだん上手くなると、穴を全部塞いでいれば、低い「ド」を出すことが出来るようになります。
そうなって初めて、
「あ、上手く出来ない時に出ていた高い音と、出来るようになって出た低い音は、同じ『ド』だ!」
そう気付きます。気付くと、吹き込む息をわざと強くして、穴を全部塞いだまま、高い方のドと低い方のドを、おもしろおかしく
「ど〜ド〜ど〜ドー、ヒュルヒュルヒュル」
なんて具合にふざけて吹いて面白がったりしています。
これは、実は息の強さではなく、息の速さが変わることによって起こる「フラジオレット」という現象です(管弦楽法関連の資料でないと、管楽器の用語としては普通使われません)。息のスピードがちょうど二倍になることにより、縦笛の管の中の気流が笛の長さの2分の1のところで上手くねじれてくれるため、それに伴って音の波長が2分の1になるので、オクターヴ上の音が出る、というしくみです(ホントかな?)。
原始のは、最も古いと思われる骨製のものには穴が一つだけあいていますから(リンク先にはもっと多くの穴があいている例について説明されています)、人間は、はじめ
「ど〜ド〜ど〜ドー」
の繰り返しを吹いて喜んでいたのかな。
これがラッパの類いになると、穴はあけずに、倍音だけでオクターヴからドレミファまで音を操りますから、
「1本の管でこれだけいろいろな音が出るのか」
ということが、もっと身近な驚きとして感じられます。ラッパも、獣の角を吹いたのが起こりですから、笛ともども起源の古い楽器です。

人間が管楽器を吹きはじめたとき、とりわけ
「同じドが高くも低くも出る」
ということの発見は、神を見いだすのに等しい驚異だったでしょう。
音楽の始まりが宗教と結びつけられて考えられることが多いのは、その驚きの大きさが、最初はそのまま人々の、目に見えないものに対する崇拝に繋がったからに他ならないと思います。
・・・次あたりから推測だけでなく、実例に則していきたいところですが、音は遺物を残さなかったために、まだまだ想像の世界に頼る期間が続きます。

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Mozart:教会ソナタ1772年

モーツァルトは生涯に17曲の教会ソナタ(書簡ソナタ)を書いています。
父のレオポルドは3楽章のものを残しているそうですが、ヴォルフガングの方は全て単一楽章。加えて、最初の1曲を除き、すべてアレグロの作品です。小節数も、K.224、K.225、K.244(以上1776年頃作)、K.278(1777年)、K.328、K.329(以上1779年頃)、K.336(1780年)を除くと100小節に達しません(この中でいちばん短いK.224は101小節)。編成は1779年と推定されている2曲だけに管楽器などが加わるものの、残り15曲はすべてヴァイオリン2、バス1にオルガンというトリオソナタの規模となっており、慣例としてはこれらをオルガン協奏曲のようにして演奏するようになっています。・・・というのも、これらのソナタは、ミサの最中、新約聖書にある使途の書簡を朗読するために司教が登壇する際、ミサの伴奏をしているオーケストラが演奏したと考えられているからです。

一連の「書簡ソナタ」は、こうした次第で17曲まとめて取り扱ってもいいくらいなのですが、79年頃の編成の一時的拡大のこともあり、作品が聴かせる響きはその年その年のヴォルフガングの感性・技術力と密接な関係があるので、曲そのものは年ごとに追いかけてみようかと思います。

教会(書簡)ソナタには面白い問題を見いだすことが出来ます。
「ミサの最中、新約聖書にある使途の書簡を朗読するために司教が登壇する際演奏されたと思われる」
といいながら、その実体が分かっていない、とされているのです。

1776年、ヴォルフガングは対位法の師マルティーニに、ザルツブルクのミサが短い理由を綴った有名な手紙を送っています。これは書簡全集を始め多くの書簡集に掲載されているもので、平易なイタリア語で書かれています。原文で引用します(文字は英語のものを用います)。

"...la nostra Musika di chiesa e assai differente di quella d'italiana, e semple piu , che una Messa con tutto ---Il Kyrie, Grolia, Credo, la Sonata all'Epistola, l'Offertorio o sia Motetto, Sanctus ed Agnus Dei..."(後略)
(私たち[ザルツブルク]の教会音楽はイタリアのものとはずいぶん違っており、それだけではなく、ミサではキリエ、グローリア、クレド、書簡ソナタ、連祷かモテト、サンクトゥスに次いでアニュス・デイ・・・)

この後、ヴォルフガングは、「荘厳ミサでも全体で45分を超えてはならない制約があることについて言及しており、上気した部分を含め彼のザルツブルクでのミサ曲が短い証左としてよく引用されます。

"la Sonata all'Epistola, l'Offertorio o sia Motetto,"
とある部分以外はミサ曲の順番通りに記されていることが素人目にも明白であるにもかかわらず、カルル・ド・ニ『モーツァルトの宗教音楽』(白水社 文庫クセジュ700)ではあっさりと
「福音書の朗読の前に演奏された」(!)
と綴っています。当時のローマカトリックの典礼に従えば、この場合、「書簡ソナタ」はクレドの前に演奏されたことになります。書簡朗読の前、だったとしても同じことです。・・・新モーツァルト全集(NMA、第17冊)の解説にはミサの中で演奏された順番についての記述がありませんし、他に目にした書籍では書簡ソナタへの言及そのものがないため、学者さんたちがどのように考えているのかは分かりません。が、私の持っているCDの解説では
「いったいミサのどの部分に置かれたものかは、正確には分かっていない」
と記されていて、そのあとに
「マルティーニ師宛ての手紙では、クレードの次に挙げられているが、これはそうした順序を示すものとは思われず」
云々と続いています。
しかし、ヴォルフガングの書簡は、「書簡ソナタ(=教会ソナタ)」以外の場所は(連祷の位置を含めて)順番を典礼通りに記しています。ですから、「書簡ソナタ」についてもヴォルフガングは順番を守って書いているかも知れず、この場合、ザルツブルクでのミサはローマ典礼の順番とは違って、書簡朗読ないし福音書朗読はクレドの後に置かれていた可能性が示唆されていると考えられなくもないはずです。

アインシュタインはケッヘル第6版で、最初の教会ソナタ3曲(K.67〜69)の置き所に迷い、これらを1767年作であると考えました。
これはモーツァルト親子に寛容だったシュラッテンバッハ大司教生存中に書かれたレオポルドの教会ソナタが3楽章であったのに対し、ヴォルフガングのソナタ群は最初から1楽章だけであることをもって、先のカルル・ド・ニの著作では、コロレド大司教着任後の1772年作であり、アインシュタインの考えが正しい可能性は極めて薄いとされています。
さらに、NMAの解説はまた、エーリヒ・シェンクがこれら3曲を検討した結果、K.68に見られる対位法的な書き方、K.69での流れるような3和音の取り扱い方はマルティーニ神父の指導を受けた後であると結論したことを述べ、編者としてもド・ニと同じか彼に近い考え方であることを示唆しています。
ただ、これら最初の3曲のソナタは、明らかに1772年の作品だとされている2曲(K.144、K.145)と違い、低音に数字がついていません。新全集への校訂譜掲載時(1957年)には最初の3曲の自筆譜は発見されていなかったことが全集のあとがきから分かりますので、数字の有無は伝承に従ったものだったと思われます。
サンプルで掲載されている後年の自筆譜で数字付低音になっている作品は校訂譜も数字を付してあり、自筆譜上数字がないものは校訂譜も数字がありませんから、最初の3曲の伝承は数字なしだったのかと推測されますし、この点、1986年までには自筆譜が発見されているにもかかわらず訂正を受けていませんから、伝承には間違いがなかったもの、と私は受け止めております。
であれば、数字のない最初の3曲と、数字付の後の2曲は、それぞれ別の時期に手掛けられたことは明白だと考えるのが妥当でしょう。

1772年作の各ソナタの概要は以下の通りです。
K.67:変ホ長調(3/4拍子)、44小節。この作品だけがAndante。
K.68:変ロ長調(4/4拍子)、26小節+36小節
K.69:ニ長調(4/4拍子)、28小節+32小節
K.144:ニ長調(4/4拍子)、27小節+47小節
K.145:ヘ長調(3/4拍子)、37小節+55小節

1964-65年にマリー=クレール・アランがパイヤール管弦楽団と残した録音(Erato WPCS-22110)はケッヘル番号順ではない配列での全曲演奏で、変えられている順番は聴きやすさに配慮したのだと分かる、楽しいCDです。
彼女は最初の3曲をオリジナルの譜面より自由に、後の2曲も前半部の繰り返し前、後半部(繰り返し記号がありますが、演奏ではK.144以外は繰り返していません)は譜面通りであるものの、繰り返した際には著しい変化をつけて、即興的に弾いています。それがまたモーツァルトの精神に叶った響きとセンスであると感じられる、よい演奏です。

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2006年9月22日 (金)

今度は仙台クラシック! 他

1)<森麻季、モーツァルトを歌う>inさいたま
 (リンク先は「ぶらあぼ」でのインタヴュー記事)
 11月10日(金)大宮ソニックシティ:日本フィル定期
      指揮:外山雄三 曲目:”Exsultate jubilae" 他
 12月16日(土)彩の国さいたま芸術劇場:バッハ・コレギウム・ジャパン
      指揮:鈴木雅明 曲目:"Requiem K.626" 他

2)「バビ・ヤール(ショスタコーヴィチ 交響曲第13番)」
 11月24日(金)サントリーホール
      テミルカーノフ/サンクトペテルブルク・フィル!
      *学生さんは公開リハーサルに応募できます
       ・・・いまからどっかのニワカ学生になろうかな。。。無理?

3)若杉弘、岩城宏之の遺志を振る
 10月5日(木)、10月8日(日)Bunkamuraオーチャードホール
 若杉氏の抱負は「ぶらあぼ」誌29頁を参照。
 こっちでも読めます。
 チケットは、残念ながら完売だそうです。。。

4)仙台クラシックフェスティバル:10月7・8・9日
 ・・・生まれ故郷だし、
    謳い文句が「アナタには宣伝する”義務”がある」なので宣伝。
    でもでも、、、
    「これは仙台、東北ではもちろんのこと
     全国的に見ても珍しい種類のフェスティヴァルと思われます。」
    とおっしゃるにしては、「大阪クラシック」より値段がお高い!
    仙台は地下鉄料金もバス料金も高いしナ。
    料金はもっと考えてもよかったんじゃないでしょうか?
    成功は祈りたいですけれど。

 仙台でもう一つ、
 合唱曲がメインなのでメジャーではないようですが、
 仙台在住の素晴らしい作曲家、岡崎光治先生(恩師!)が出演する
 「本間雅夫の世界---戦争・原爆と対峙して」10月22日(日)
 が15:00から常盤木学園シュトラウスホールであります。
 仙台にご縁のある方、ぜひお聴きになって下さい。

以上は「ぶらあぼ」誌10月号から私好みで拾ったニュースです。
ぶらあぼ」誌は大きいCD屋さんで(タダで)手に入ります!
・・・って、みんなもう知っているか。。。

5)A Lively Opener, With the Spotlight on a Young Violinist
  NewyorkTimes Web September 20, 2006
Janine

20代のオランダ人女流ヴァイオリニスト、Janine JansenがOrpheus Chamber Orchestra と共演した記事ですが、ヤンセン女史はiTunesショップにヴィヴァルディの「四季」を演奏したのが大当たりをとった由。ネット配信がクラシックでも常識化していくのか!?
あたしゃCDとDVDでいいんだがなあ。。。

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2006年9月21日 (木)

森麻季さん賛美に思う

10月28日付記)
恐縮ですが、まだこちらを初めてご覧になって下さっている方にお願いです。森麻季さん関係は、そろそろ下記駄文よりも、こちらをお読み頂ければ幸いです。
駄文に変わりはないけれど。

下記に追加:印象に残った、森さん関係のブログ記事
涙のアリア /6*6
ソプラノ歌手森麻季さんってすごい
森麻季さん

森麻季さんが素晴らしい、というブログの記事を何度も拝見しました。綴った方の素直な感嘆振りが伝わってきて好感を持ち、とうとうCDも聴いて、彼女の技術力と声の美しさに打たれもしました・・・これだけ努力を実らせた優秀な歌姫がどんどん熟成していくのであれば、声の質と歌いぶりからみて間違いなく、たとえばグルヴェローヴァのような超一流の域に達することが出来るでしょう(ちなみに、不調のときのグルヴェローヴァより、おそらく疲れをうまくカヴァーして歌っているカーネギーホールでの森さんの方が、はるかに音程も声の当たりも良いです)。

一方で、「待てヨ」という気にもさせられました。
森さんは幾多の国際コンクールで入賞したから凄いのか? 世界的な名歌手に認められたから凄いのか? はたまたカーネギーホールでコンサートを開き、それがCD化されたから凄いのか?
記事を綴られたJIROさんは、もちろん「感心した本当の理由はそんなことではない」ことによく留意されて綴っておられるのですから、あれこれ考える必要もないのでしょう。

しかしとにかく、私も愛好家の一人として、名声への予感だけに気をとられて「素晴らしい」などと単純に思い込むのは、侘しくてなりませんでした。

海外の有名オペラ劇場に出られるということや、それなりのレーベルからCDが出るということは、コマーシャリズムに乗って安心した活動が出来る第一歩かもしれません。とはいえ、そこでコケた人も決して少なくありません(クラシックに限りませんネ)。
なおかつ、<クラシック>と括られる音楽ジャンルは、日本で、あるいは日本人演奏家にとって、充分に一般の人々の支持を集めているとは考えられません。ふだん民間会社で接する人たちの多くが、<クラシック>音楽というだけで、
「しゃれていてあこがれるけれど、首を突っ込む度胸はない」
等々、熱愛とは程遠い心理で接しているのが現実です。

職業で<クラシック>をやる人たちには、「市場をひろげる」ことに懸命な人もいれば、「足場固めのために質を追求する」人も大勢います。いずれにも、それなりに支援者が沢山いる。
ただ、<クラシック>に携わる人、それを支援する人に欠けがちなのは、
「聴衆の心の底を掴む」
ことへの積極的な試行錯誤ではないか、という気がしてなりません。
間違っているでしょうか?

この点、最近嬉しかったのは<大阪クラシック>の試みです。
タダ、あるいはタダに近い報酬で、街角のあちこちで誰にでもクラシックを聴いてみてくださいヨと訴えた
「浪速の心意気」
的発想は、見事に大きな果実を手にして幕を閉じたようです。
それでも、ブログを漁って幾つもの反応を読んでみると、お客の立場で接した人の感想は
「なんてったってクラシックだからな」
調の表現が、まだまだ半数以上を占めるのです。では、聴いた音楽に対してはどのように心を打たれたのか・・・そこまで言及した文には殆ど出会えませんでした。

20年程前、『寄席芸人傳』という漫画がありました。どこまでがフィクションでどこからがノンフィクションなのか分かりかねましたが、とても惹きつけられて、よく読んだものです。何故か? それは、この漫画の背景に
「芸は客が育てるもの」
との精神が貫かれていたからです。・・・素人は、せめてそうした客でありたい。

ブログは井戸端会議の延長なのでしょう。誰かが
「あのコンサートは良かった」
とか
「この演奏家、よく分かんないけど素敵なんだよね」
とか、あるいは
「いやあ、こんないい曲をあんな演奏でやられたんじゃなあ!(例:当ブログのSound-sumples)」
と、(中傷になってはいけませんが)活発に紹介されたり、それを読んで興味をひかれたりすることで、私たち素人が、たとえわずかでも、日本の音楽家を支える力の担い手になる・・・特に、素敵だと思った音楽家から目を離さず、ひたすら純朴な気持ちで「追っかけ」を続けることが、ひいては<クラシック>に限らず、また音楽家のためだけでもなく、音楽そのものがこの国の人たちの心にいっそう染み込んで行く下地になれば素晴らしいなあ、と、そんなことを思っている次第です。

長々、屁理屈ですみません。

最後に。
森さん(国内演奏会情報:個人ファンが作成)が海外でしか成長、活躍出来ない事態になったら、これは優秀な日本の野球選手が大リーグにばかり行ってしまうようになるのと、きっと同じです!
諏訪内晶子さん、五嶋また然り!
かたや国内には、茂木大輔さんのように、日々の思いをブログに素直に綴り続けている方もいらっしゃいます。
いい音楽を、それだけで素直に「いい」と言い切れば、後は何もいらない、そんな土壌が出来上がることを、心から楽しみにしたいと存じます。

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2006年9月20日 (水)

切抜き:天平時代の伎楽面を発見

Gigakumen
天平時代に作られたとみられる仮面音楽劇「伎楽」の面
=19日、奈良県天理市の天理大学付属天理参考館

伎楽はもう絶えてしまっているのですけれど、正倉院の伎楽面には、いつも様々に想像を膨らまさせてくれる魅力がありますね。それが、今回大発見があり、ニュースに出ていました。

天平時代の伎楽面を発見 奈良・東大寺から流出か
(サンケイウェブ09/19 21:37)

 奈良県天理市の天理大学付属天理参考館が所蔵する古代の面が、奈良時代に東大寺などで盛んに行われた仮面音楽劇「伎楽(ぎがく)」の面だったことが分かり、同参考館が19日、発表した。リアルな面の表情や作り方の特徴などから、天平時代に日本で作られたとみられる。

 江戸時代後期に松平定信が編集した「集古十種(しゅうこじっしゅ)」に、東大寺所蔵として損傷個所や特徴が全く同じ伎楽面を描いた図があり、明治時代以降、何らかの理由で東大寺から流出した可能性が高いという。約40年前に民間の収集家が同参考館に寄贈、これまで埋もれたままになっていた。

 面は麻布と漆を交互に塗り重ねた乾漆製で、縦30センチ、幅18センチ、奥行き28センチ。鼻や耳、あごの一部が欠け、彩色もはげているが、ぽってりとした唇や口ひげ、つり上がったまゆと目など怒ったような表情が生き生きと見て取れる。

 表情や馬の毛を髪の毛として張りつける特徴などから、酔っぱらって登場する胡(中国の西域)人の家臣「酔胡従(すいこじゅう)」の面だったらしい。

 同参考館の近江昌司副館長は「視界を確保するため目の部分を大きくくりぬいてあり、実際に使われていたのは間違いない」と推測している。

 伎楽は大陸から伝わった寺院祭祀(さいし)の一種。東大寺の大仏開眼供養(752年)でも演じられた記録がある。鎌倉時代以降は日本独自の雅楽や舞楽に押されて衰退、東大寺や正倉院(奈良市)、法隆寺(奈良県斑鳩町)などに面が残っている。

 伎楽面は20日から同参考館で開かれる特別展「正倉院宝物のルーツと展開」(12月4日まで)で公開される。入館料は大人400円。
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残念ながら私は見に行けそうにありません。
お近くの方、可能な方はご覧になってみては如何でしょうか?

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2006年9月19日 (火)

Schostakovich:時代の鏡としての交響曲?

MDRのサイトに昨日付けで載った、ブルーメンシュタインという人と指揮者のスティアーという人(すみません、どちらも知らない人ですが)の対談記事(7段)から、興味深い2段を翻訳します(誤訳御免)。記事全文はこちらですので、正確には記事をご覧下さい(ドイツ語です)。

もうひとつ、別の記事

Shostakovich

・・・(前半略)・・・
「ショスタコーヴィチの生誕100年にあたって、あなたは15の交響曲から6つを近々指揮なさいますね。ちょっと伺いたいのですが、第10番は、スターリンとの音楽的な清算だ、とされていますけれども、それでよいのですね?」
「違うと思いますよ。私たちは第1、第4、第5、それから第9と第15を演奏することにしました。この選び方は珍しいのですけれど、これらの作品はどれもショスタコーヴィチの人生のターニングポイントで生み出されたものです。にもかかわらず、これらの作品と他の作品に音楽的な質の相違があるとは全く思えませんし(註:10番も同様でしょう、との意)。」

「あなたがおっしゃるのは、現代史との関わりがない音楽・・・ソ連的ムードがもはや拡大することもなく、ソ連的ムードがあってこそ生き延び得ていたそのショスタコーヴィチの音楽が、こんにちでも心を揺さぶり続ける役割を担っていると?」
「いかなる場合でも、です。注目すべきは、ショスタコーヴィチが変わらずに聴かれるのはヨーロッパに於いてばかりではない、アメリカであろうと、中国、日本、あるいはオーストラリアであろうと、ショスタコーヴィチは炸裂し続けていることです。ですから私は、こんなふうには言いたくありません。音楽は私たちを無難に高めていってくれるものだ、などとはね。こんにちではよく、脆くて洗練された音楽が好まれますが、一方でそんなものは私たちに何も訴えかけはしないのです。」

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2006年9月18日 (月)

Mozart:宗教音楽1772年

1772年に作曲された宗教曲は、前に触れた4つのキリエ(未完2・完成2)の他に大作2作品があります。

・リタニア変ロ長調K.125(3月)
・レジナ・チェリ変ロ長調K.127(5月)

作曲時期は自筆譜によって確認出来ています。

同じ調であることからも伺える通り、作風はよく似ており、この年5月以降に作られるシンフォニー、並びに翌年以降のザルツブルクでの諸作品の響きを予見させるものがあります。
音楽としてすわりが良いのは先に作られたリタニアの方です。
5月作曲のレジナ・チェリは、この頃対位法の学習に凝っていたためか、カノン的なものを含むポリフォニックな応答を頻繁に取り入れ、楽譜を見ている分には面白いものの、3楽章しかないにもかかわらず聴くには飽きがくる仕上がりだなあ、と、私は感じます。

リタニアK.125には、幾つかの面白い特徴があります。その構成を見ながら触れておこうと思います。
(編成はOb2[Fl2]、Hr2、Trmp2、ヴィオラを含む弦五部。
1.Kyrie-4/4拍子、Molt allegro(22小節):Adagio(6小節、ここから合唱):Molt allegro(88小節)
 〜おおむねホモフォニックな合唱で、祝祭的です。
2.Panis vivus-3/4拍子(OboeはFluteに持ち替えられる)、Andante、107小節
 〜ヘ長調のソプラノのソロ。97-98小節のヴァイオリンには
  有名なK.136の第2楽章に出てくるのと同じ動きがあります。

3.Verbum caro factum-4/4拍子、Adagio、9小節
 〜ニ短調(教会調のドリア、と言った方がいい)の、
  短いながら荘厳な合唱。
  レクイエムK.626の原型となるような、分散和音の伴奏です。
4.Hostia sancta-4/4拍子、Molto allegro、101小節、変ロ長調
 〜S,A,T,Bの独唱と合唱が交錯します。アタッカでTremendumに続きます。
5.Tremendum-4/4拍子、Adagio(9小節、ト短調)、Allegro(10小節、変ロ長調)
 〜ト短調部分はTremendumの言葉が割り当てられており、
  これもレクイエム、ないしはドン=ジョヴァンニの
  原型と見なすことが出来そうです

6.Panis omnipotentia-3/4拍子、Andante、112小節
 〜テノールのソロ。56小節を境として2部構成であると見ていいでしょう。
  2曲目とともに、技巧的な唱法を要する部分は限られています。
7.Viaticum-4/4拍子、Adagio、14小節
 〜変ロ短調という複雑な調は、Wolfgangの作品には非常に珍しいものです。
  歌詞の表す人間の複雑微妙な思いを調性で表現しようと
  したものでしょう。
8.Pignus-2/5拍子、速度表示なし。180小節
 〜この作品中、最も長い合唱曲。対位法的な応答処理が目立ちます。
  ここにクライマックスを配したと思われます。
  演劇理論、旋律論などが要求するクライマックスの位置に
  即しています

9.Agnus Dei-4/4拍子、Un poco adagio(ソプラノソロ)48小節、
 続いて変ロ長調の合唱が19小節。
 静かに終わるのではなく、フォルテでの"miserere nobis"
 で締めくくられます。
 〜ソプラノソロは当作品中最も華麗で技巧的です。
  合唱がフォルテで終わるのは、冒頭とのキリエの気分統一のため。
  しかし、テンポにより敬虔な祈りを表現しています。
  
レジナ・チェリK.127でも、第2楽章ではオーボエがフルートに持ち替えられます。
脇道にそれますけれど、先日「ヴェトナムの雅楽」の映像を見ていたら、管楽器を担当する人がオーボエ系の楽器(シャルマイか?)から横笛に持ち替えていました。西欧で見られるオーボエとフルートの持ち替えも、ヴェトナムのそれも、起源は同じなのかな? 面白く感じました。
1.Allegro maestoso、4/4拍子、84小節
 〜Allelujaをフォルテピアノで歌う工夫が面白い曲です。
2.Andante、3/4拍子(92小節):Adagio、4/4拍子、42小節
 〜ソプラノソロと合唱が交錯します。
  独唱部はミヒャエル・ハイドン夫人のマリア・マグダレーナが初演。
3.Allegro、3/8拍子。182小節。Wolfgangが前年までに作曲したイタリア風シンフォニアのロンドを踏襲しています。終結部が紋切り型なのは、やむを得ないのでしょうか?
 〜これもソプラノソロと合唱が交錯します。

スコアは新全集の他、Carus 40.055/07(K.125. ISMN M-007-08745-6)、同40.048/07(K.127他。ISMN M-007-08735-7)が新しく出版されています。
CDは相変わらず、全集盤に収録されたものしか見当たりません。

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2006年9月17日 (日)

すばらしかったN響の「春」

ごめんなさい、シューマンおじさん。
もう、『傍系』だなんて、言いません!
(今年没後150年なのです。)

思い出したように綴ってしまってすみません。

もう先週のことですが、子供の風呂を済ませた後で「N響アワー」をつけたら、何やら彩り豊かな音楽。
「あれ、悪魔ベルリオーズ君にこんな曲があったっけ?」
・・・いや、とんでもない勘違い。途中で
「あ、シューマンおじさんの1番だ!」
気がついて飛び上がりました。
若いながら手堅い指揮者。準・メルクル氏でした。映像で拝見したのは初めてでしたが、人気にとらわれない、かなりの努力家とお見受けしました。脱帽です。

シューマンおじさんの交響曲が、スコアから香ってくる『あるべき色彩』で演奏されたのは、初めて聴きました。

私たちがこの色を出せないのは、ひとえに作品への理解の浅さによるもの、と、深く反省しました。

後日知りましたが、このライヴではなく、別にシューマンおじさんの交響曲4曲をレコーディングしたそうです。
シューマンおじさん、日本のオーケストラが成し遂げた名演が聴ける日を楽しみにして下さい!

演奏への褒め言葉はお世辞ヌキです!
喜んで頂けると確信しています!

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2006年9月16日 (土)

曲解音楽史2:リズムの成立

「声」と来れば、人間にとって次に連想されるのは「歌」と「言葉」です。が、「歌が先か、言葉が先か」は、「ニワトリが先か、卵が先か」と同じようなもので、答えを出せる材料が全くありません。
で、自然の例を見ます。いろいろな動物の声の利用には二つの重要な方法がありますネ。
たくさんは知りませんので、やはり鳥の例で、ウグイスの「ホー、ホケキョ」を口ずさんでみて下さい・・・自然の、素晴らしい音楽の一つですもの。
気がつくこと。
A.音の高さ、二つ以上の音の相互関係(音程)が、相対的に固定されている。
B.音の並び方に一定の規則がある。
ウグイスの歌を音符にしてみると(不正確かもしれませんが)、
Uguisu
階名(移動ド)で読むと、シーー|ド・ラ・ラb  です。
(うん、やっぱり正しくないです! 歌い終わりの音の方が歌い始めより高いはず!)
歌いだしの音程には個体差があるようですが、体の大きさで決まるのでしょうか、最高音は個体を問わずほぼ同じピッチのようです。それはともかく、ウグイスの歌は、歌われる音の高さは一羽一羽で違っていますが、音程関係の描く図形は位相が同じである、と言えます。
チンパンジーなどの類人猿が、個体ごとに決まった一定音で「ホーーーッ、ホッホッホッホッ!」と互いに呼び交している映像もしばしば見たことがあります。こちらもA,B二つの条件を満たしています。
こうしたことから考えると、
「歌が先なんじゃなかったのかなー」
というのが正直な印象です。



発声だけでは、しかし、「歌」はそのときそのときで全く同じ歌われ方がされる保証はありません。
前項の2条件のうち、Aについては後日見ていくこととし、とりあえずBを検討しましょう。

B.音の並び方に一定の規則がある。

これは、歌が歌であるためには「リズム」の確立が必要であることを現わしていると思えます。
人間は集団で狩猟や農業、お互いの縄張り争いをする生活スタイルをとることになり、個々で餌と縄張りを確保する動物たちとは違う、連帯行動が必要になりました。連帯のためには、「敵」に立ち向かう動作を味方同士で揃えることが、当然のごとく大前提となったはずです。
動作を揃えるためには合図がいりますが、合図のための最も手軽な手段が、音を発することだったと思われます。それも、単に並び方だけでなく、音から音への速度も一定にさだまっていなければ用をなしません。
また動物に戻ります。戯画的な話ですが、闘牛の場面でウシが足でトン、トン、トンと、一定の速さで地面を蹴る仕草がよく描かれます。狩猟であれ農業であれ、「敵」に向かう気合いを充分蓄えるには、蹴る、叩くなど、手近なものを決まったリズムで打撃するのが生理的に自然な行為なのでしょう。
ゴリラならば胸を叩きます(かなり大きな音がするようです)。
人間は手が自由になっていました。ですから、手のひら同士を叩き合わせます。あるいは、漫画に出てくる闘牛のように、地面を蹴ります。たくさんの人数でやればやるほど、けっこう大きな音がします。集団がまとまって暗示にかかるには、効果抜群です。
手拍子、足拍子のリズムに乗って、これも決まったメロディをみんなで歌えば、効果はさらに増すわけです。
現在でも狩猟生活をしているアフリカやパプア・ニューギニアの集団儀礼(悔しいですが実際を見たことがなく、映像のみからの印象です)には、激しい手拍子足拍子を打ちながら歌っている光景が豊富に見られるようです。

一方で、声だけでリズムを示す例もあります。
バリ島のケチャは1935年頃ドイツ人の指導で成立したそうですが、その元となったサンヒャン(呪術的な音楽)のうちの激しいものは、ケチャにも取り入れられた「チャッチャッ、チャチャチャチャ」という活発なリズムが、声だけで刻まれます。手拍子足拍子を伴わないサンヒャンのようなもののほうが、手拍子足拍子によってリズムを刻む行為よりも高度なのかどうか、その前後関係は必ずしも明確だとは言えないでしょう。
あいまいな言い方ですみませんが、ここまでで、息を利用する音(声)、打撃を利用する音が音楽に取り入れられたいきさつを推測してきました。



さて、リズムですが、「変拍子」という言葉があります。3拍子系、4拍子系以外の拍子を指す言葉です。
アイヌの人々が唱える「ユーカラ」を聴きますと、囲炉裏の縁を叩いているのだそうですが、叩く音がずっと2拍子を刻んで崩れません。4拍子の中に急に2拍子が入る場合は厳密には変拍子を含むことになりますが、「ユーカラ」をはじめ、アイヌの語り(単純なメロディは持っています)や歌には、基本的には変拍子はないと捉えて差し支えないと思います。
ところが、ずっと「2拍子・3拍子」で続けられる歌や語り物、というのは、世界的には珍しいようです。
前節の狩猟民族もですが、遊牧民族であるユーラシアの人々の音楽などは、「変拍子」、しかも五線譜に書いた場合には小節が変わると拍も変わる、という事例の方が多く見られるように感じます(日本の青森民謡などもそういう楽譜で採譜されているのを見かけましたが、これは誤りです。じょんから節は2拍子ですし、津軽山歌は・・・変拍子で緩急もありますけれど・・・7拍子で全曲採譜できます)。
バルトークコダーイが、まるで珍しい昆虫を採集するように地道に集めたルーマニア及び周辺の民謡にも、変拍子の譜例が豊富にあります。
若林忠宏「世界の民族音楽辞典」(東京堂出版2005)によりますと、「変拍子」というのは
「おそらく日本だけの言い方。アジア諸国(主にインド以西)では『変と感じないのか』と聞いたら『変だからよい』という答えが多かった。」
とのことです。
変拍子の「自然さ」に気付いたバルトークが、「リズム」を強調して作った例を、バルトーク本人も加わった演奏でお聴き下さい。1940年の録音ですので、お聴きになりづらい点はご了承下さいませ。


Bela Bartok, Ditta Psztry-Bartok(Pianos)/ H.J.Baker, E.J.Rubsan(Percussion)
"Bartok plays Bartok" Pearl GEM 0179から

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2006年9月15日 (金)

切貼り:「忘れられた音楽」祭 in Goerlitz

切貼りばかりですみません.。美少女に弱いので、つい・・・しかも、ドイツ語(抜粋)。

Alma_rose
    Alma Rosé

ブラウザの文字コードを調整してお読みになるか、「元の記事」にリンクしていますので、こちらをクリック下さい。

Gegen das Vergessen
Ein grenzüberschreitendes Festival der vergessenen Musik soll sich in Görlitz und der polnischen Nachbarstadt Zgorzelec etablieren. Mit dem Festival will die Stadt an Musik und Musiker erinnern, die im 20. Jahrhundert Opfer von Diktaturen wurden und dann in Vergessenheit gerieten.

Die erste Ausgabe des "Festivals der vergessenen Musik", das vom 15. bis zum 17. September in Görlitz stattfindet, will den Blick auf die Zeit von 1933 bis 1945 lenken. Nach dem dreitägigen Pilotprojekt für ein internationales Musikfestival in diesem Jahr soll es ab 2008 alle zwei Jahre stattfinden. Das Konzept für die Internationalen
Musiktage Görlitz-Zgorzelec wurde als Teil der inzwischen gescheiterten Kulturhauptstadt-Bewerbung von Görlitz-Zgorzelec entwickelt.

Opfer des Holocaust im Zentrum

Im Mittelpunkt des ersten Festivals stehen drei Künstler, die Opfer des Holocaust wurden. Zum Festivalauftakt werden Klavierlieder des Komponisten Viktor Ullmann (1898-1944), der im Vernichtungslager Auschwitz ums Leben kam, aufgeführt. Fritz Löhner-Beda (1883-1944), einem der Librettisten von Franz Lehár, sowie der Geigerin Alma Rosé (1906-1944), die das Frauenorchester von Auschwitz leitete, wird ein Operettenkonzert im Görlitzer Theater gewidmet.

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Shostakovich:第5Mravinsky1973ご回答頂きました

ショスタコーヴィチの交響曲第5番につき、以前掲載したムラヴィンスキーによる1973年の映像およびセッション録音が同じ日のものではないかという件、ディスコグラフィ編纂者のお一人である天羽さんが、ご多忙にも関わらずご回答を下さいました。
参考の為に掲載致します。
ご謙遜なさった文面ですが、私のような素人とは別の観点で総合的にチェックをなさっていらっしゃいます。

--------------------------------------------------------------------
ご連絡ありがとうございます。
返事が遅くなりました。
(中略)
DVDの年月日は以前に発売されたTritonのビデオから
採ったものと記憶しております。Dreamlifeと同じ
出所と考えてそうしました。
記録によるとムラヴィンスキーは1973年の初来日帰国後の
6月に1回だけレニングラードでこの曲を演奏しています。
いずれにしても、CDやDVDに記載されている音源データは必ずしも
正しいとは限りません。
バイオリンを弾く方が専門家の耳で聞いたのが正しいかも
しれません。(註:「いえいえ、わたしはシロウトですから!」)
私自身は(中略)
楽章のタイミング相対比で同一か異なるものかを
判定しています。
満足のいく回答になっていませんが、ご容赦ください。
--------------------------------------------------------------------
・・・いえいえ、私はとても有り難かったです!

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2006年9月14日 (木)

切貼り:ヘンデル・ハッセ!(英文)

13vivi_ca11600
Vivica Genaux, standing, with Elizabeth Futral in Handel’s “Semele.”

ヘンデルロッシーニのオペラは20世紀にだいぶ復活しました。
21世紀はハッセかな!?
(昨日のニューヨークタイムズWebから)

Critic’s Notebook
Learning to Love Handel, Just in Time for ‘Semele’
By ANNE MIDGETTE
Published: September 13, 2006

元の記事はこちら。下記は前半だけの引用です。

“I didn’t like Handel,” said the mezzo-soprano Vivica Genaux, her large dark eyes widening to share a scurrilous secret.

13vivi_ca01190
Sara Krulwich/The New York Times
The mezzo-soprano Vivica Genaux,
who makes her City Opera debut tonight.

The mezzo-soprano Vivica Genaux, who makes her City Opera debut tonight.
Talk about bucking a trend. In today’s opera world, where Handel productions are sprouting up right and left, such a statement verges on the politically incorrect. It is all the more incongruous coming from a singer who has built her reputation on the foundation of early music; who has sung and recorded a good number of Handel operas; whose new Virgin Classics CD features Handel and Johann Adolf Hasse; and who is to make her New York City Opera debut tonight in “Semele,” a dramatic oratorio-cum-opera by, of course, Handel.

“I used to accept Handel operas because I knew I was missing something,” Ms. Genaux said, half laughing at herself. “Handel has a lot of virtuosity, but it always strikes me as being a little more instrumental than vocal. I always have to keep myself on a short leash when I’m singing Handel. I’ve never yet done a Handel where I can just let it all out. But I finally had my little raptus when I was doing Handel concerts in the spring. I finally like Handel. It’s so cool.”

And not a moment too soon. This season she is scheduled to do three new Handel roles.

Ms. Genaux, 37, exudes an exotic fascination. Her small face is dominated by wide eyes and a Julia Roberts smile that give her a distinctive, elfin beauty that she has parlayed into androgyny in stage portrayals of a couple of dozen men ? the trouser roles that are the bread and butter of a mezzo Baroque specialist.

Her voice is as striking as her looks: less striking, even, for the light, free upper notes or rich chocolaty lower ones than for the runs of coloratura that she releases with jackhammer speed, gunfire precision and the limpid continuity of spring raindrops.

She is also an international star, particularly in the early-music world. So it is notable that she has been away from New York for so long. In the late 1990’s she was practically a fixture in this city, staking out the bel canto terrain with annual appearances at the nearby Caramoor International Music Festival; a production of Rossini’s “Cenerentola” with the Opera Orchestra of New York; and an acclaimed debut at the Metropolitan Opera in 1997, substituting for Vesselina Kasarova in Rossini’s “Barbiere di Siviglia,” on a week’s notice.

Ms. Genaux subsequently went off to Europe and made her first solo album, “Arias for Farinelli,” featuring music written for the 18th century’s most famous castrato and winning accolades from every corner ? except, evidently, the Met, which thanked her with a couple more appearances in “Barbiere” and then silence. She did give New York recitals in 2002 and 2005, but she hasn’t appeared in New York opera for some time.

Ms. Genaux is philosophical about her absence from the Met. “There’s probably a bit of incompatibility involved,” she said. “I don’t have a huge voice. The productions that I have done in larger houses have not been the highest on my list in terms of personal enjoyment. I’m lucky in the Baroque that you usually get to do a new production, because it’s never been done before.” Like Hasse’s “Solimano.” Or Vivaldi’s “Bajazet.” Or even “Semele,” which City Opera is doing for the first time.

ヘンデルのオペラに関しては下記をご一読下さい。



ヘンデル オペラ・セリアの世界


Book

ヘンデル オペラ・セリアの世界


著者:ウィントン ディーン

販売元:春秋社

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ファリネッリをモデルにした有名な映画「カストラート」! 新品はなさそうです。

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2006年9月13日 (水)

切貼り:NYで9.11追悼レクイエム(英文)

朝にアップした「カーネギーホールでモツレク(英文)」の標題を変えたものです。

ニューヨークタイムズサイトから(9月11日犠牲者追悼の一環行事)

Gathering at Carnegie Hall to Find Solace and Catharsis in the Music of Mozart
600_requiem
Sara Krulwich/The New York Times
実際の記事はこちら

By DANIEL J. WAKIN
Published: September 12, 2006

About 2,500 people attended a free community sing arranged by the Juilliard School. The New York Mets sponsored the event.

The conductor took the podium at Carnegie Hall yesterday, facing members of the orchestra and chorus onstage. But then, she turned to the audience, gave a sweeping beat and for 45 minutes led New Yorkers and visitors in a musical expression of 9/11 remembrance.

Carnegie played host to a communal sing arranged by the Juilliard School to commemorate the fifth anniversary of the terror attacks. The orchestra was made up, mostly, of Juilliard School students. The Juilliard Choral Union, a community and conservatorywide choir, provided the vocal backbone. The soloists were members, current and past, of the Juilliard Opera Center, a training program.

And the audience? Anyone who picked up a free ticket at the Carnegie box office yesterday morning. People started lining up four and a half hours before the 12:30 performance, with the queue snaking from 57th Street around the corner along Seventh Avenue and halfway down 56th Street toward the Avenue of the Americas. About 2,500 people came, not quite filling the hall.

“I felt the need to experience community,” said Lorna Sass, a freelance writer from the Upper West Side. “Art heals. Sharing art has even a larger capacity to heal.”

The musical fare for this 21st-century tragedy was a meditation on death by an 18th-century Austrian subject of the Hapsburg Empire: the Mozart Requiem. The work begins with the words of the Latin Mass, “Grant them eternal rest, O Lord,(註:Requiem aeternam dona eis Domine,)” then proceeds through the consoling, the terrifying and the sublimely tranquil.

“It is the Mass for the dead, and I feel it brings peace to our lives,” said Barbara Kullen of Shoreham, N.Y., who was waiting in line with two chorister friends from Long Island. They, like many others in the audience, brought their own scores; copies were also available at the door.

Judith Clurman, Juilliard’s director of choral activities, was the conductor. Onstage, with the soloists dressed in black, Ms. Clurman asked for a show of hands of sopranos, altos and basses. “Is there a tenor in the house?” she asked jokingly. With few other preliminaries, she jumped into the music.

A healthy smattering of audience members sang. Some tapped their feet. Others peered at their scores through reading glasses. One soprano moved her head and shoulders in sympathy with the music, coming in a bit early out of enthusiasm.

The orchestra held a few ringers. Joseph W. Polisi, Juilliard’s president, played second bassoon. Clive Gillinson, Carnegie’s executive and artistic director and a former member of the London Symphony Orchestra, sat in the cello section. The soloists were Erin Morley, soprano; Faith Sherman, mezzo-soprano; Jeffrey Behrens, tenor; and Matt Boehler, bass.

Mozart’s Requiem has often been summoned in solace-demanding moments, including services for Haydn, Beethoven, Chopin and even Napoleon. The first sections were also played at a memorial service for Mozart days after he died while writing the piece. His student Franz Xaver Su¨ssmayr completed the work.

“We all need something to make us feel that we want to remember and keep going,” Ms. Clurman said in an interview. “I think the Mozart Requiem hits the spot.”

Indeed, the piece has done noble duty for 9/11. It was sung often on the first anniversary, when the Juilliard forces and Ms. Clurman also held an open performance at the Juilliard Theater. Hundreds of people that day could not squeeze inside.

Last spring, in a casual conversation with Mr. Polisi about the event, Mr. Gillinson offered Carnegie Hall’s Stern Auditorium, which seats 2,800. Donors had to be found to cover about $50,000 in costs. Mr. Gillinson said he approached Sanford I. Weill, Carnegie’s chairman. Mr. Weill, in turn, tapped Fred Wilpon, the principal owner of the New York Mets and an acquaintance, Mr. Gillinson said, and the team ended up sponsoring yesterday’s event.

About 100 tickets were set aside for officials of the Mets organization, although the players were on a road trip to Miami to play the Marlins.

Carnegie has long been a New York gathering place for momentous events. President Woodrow Wilson reported on the Treaty of Versailles there in 1919, the hall said. The Rev. Dr. Martin Luther King Jr. made one of his last public appearances there, in February 1968. On Sept. 30, 2001, James Levine, Leontyne Price and Yo-Yo Ma, among others, performed in a concert of remembrance for those who died 19 days earlier.

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2006年9月12日 (火)

曲解音楽史1:音という手段

動物にとって、音は大事な道具のひとつです。
ひとつには声を出すことで求愛したり威嚇したり居場所を知らせたり、感情・・・とくに恐怖や危機感を表したりするのは、鳥をはじめとして猿にも猫にも、また鹿などにもよく見られることです。
魚類や爬虫類、哺乳類でも兎などは声帯を持ちませんが、彼らにしても音を利用しないわけではありません。例えば金魚鉢に向かって手を叩くと、中にいる金魚は、こちらが逆に驚かされてしまうほど、大慌てで逃げ回ったりします。コブラが "Shh..."と音をたてて敵をおどす様子も、よく知られています。
小柄な蛙が頬を膨らませて出すコロコロという声、秋の虫が羽をすりあわせて出す様々な音色も、それぞれ求愛の合図でしたかね。
様々並べ立てましたが、何と言ってもいちばん多様なのは、鳥の鳴き声でしょう。あまりにビルの立て込んだ場所では別ですが、住宅街ではふつう、少なくとも五種程度の声は聴くことが出来ます。分かりやすい順では、カラス、スズメ、ハト、椋鳥あるいはモズ、シジュウカラ、というところでしょうか。他にも我が家の辺りには鴨やセキレイなどがいます。季節によってはウグイス、里山ではカッコウ・・・その気になれば身近でもたくさんの鳥の歌声や会話が聴き取れることでしょう。



音楽というものの起こりは、ことさら[楽器の発見]や[宗教の創始]と結びつきがあると唱えられがちですが、(1)のような動物の生業を見ていくと、もっと単純に、人間独特の社会が築かれ、安定していく過程で、音という手段の用い方が生存の為だけから共同体の暗号へと変貌していったもの、と考えても良いのではないでしょうか。
人間が音楽にしたものに打撃や摩擦によって生じる音もありますが、まずは息を使って発する音の中の、「声」について一つの例を見ておこうと思います。
現在「原始的」とされている民族音楽の多くが、声の取り扱いに関しては、「文明人」を自負する人種や民族と比較しても決して単純だと言えません。
西欧音楽との対比でしばしば注目されるのは、ピグミー族のポリフォニーバリ島のケチャ(ただし、ケチャの成立は20世紀)などです。しかしいま傾聴したいのは、パプア・ニューギニアの音楽です。
八百を超える民族からなっているといわれるこの島の音楽は、西欧の発想に収まらない狭い短三度や広い二度を正確に歌う音程感、単音だけの笛と打楽器による鳥の羽音の模倣、ヘテロフォニーとホモフォニーの中間的性質を持った合唱など、高い水準にある構成要素をいくつも持っています。
以下は、私的な思い込みです。
歌ということに限ると、人間はこれを主に鳥から学んだのではないかと感じられてなりません。パプア・ニューギニア祭礼歌なども勿論ですが、先程上げたピグミー族のポリフォニーやバリ島のケチャ・・・どれも、一人が歌い出し、それからたくさんの人が唱和します。これはグレゴリオ聖歌を初めとする儀礼的な歌や、日本の雅楽木遣りなどとも共通していますね。
そして、ひとりから大勢へ、という形式は、明け方早く、鳥の声がまず一羽から始まり、瞬く間にさえずりの渦になっていくのと、全く良く似ています。


ここでお聞かせしたいのが、メシアン(1908-1992)の「鳥のカタログ " Catalogue d'oiseaux"」(1959年完成)です。
約60年前に完成したばかりの作品でありながら、この曲集は音楽の原初的形態を良く現していると思います。
7巻13曲から成るこの「カタログ」は、ピアノ独奏曲ながら全てを演奏するのに2時間半かかる大作で、1曲あたりの長さも最短4分半、最長30分弱、平均11分強もあります。1曲1曲の中で、メシアンは鳥の鳴き声(さえずりと地鳴き)だけでなく、その飛び跳ねたり滑空したりする姿、鳥を巡る自然の厳しい風景をも音で描いています。
引用した箇所では、分かりやすくする為に行動的・風景的要素は省略します。
に当たります(ノスリはタカ科の鳥で、日本ではその声を「ピーエー」と聞きなしているそうです)。
ピアノ演奏はウゴルスキドイツグラモフォン POCG-1751/3から。断片をモノラル化してアップしています。)

この部分では私たち日本人に身近な鳥、ツバメとハシボソガラスの声も聞こえます。
鳥の登場順はめまぐるしいですが、
ツバメ黄アオジヒワアトリセアカモズハシボソガラス(1)
〜セアカモズ〜ハシボソガラス(2)〜ノスリ〜セアカモズ〜ハシボソガラス(3)
〜ノスリ〜セアカモズ〜ハシボソガラス(4)〜ノスリ〜ハシボソガラス(5)
〜ノスリ〜セアカモズ〜ハシボソガラス(6)〜ノスリ〜セアカモズ
という具合。
(音楽ではなく、実際の鳴き声は「ことりのさえずり」で聞けます。一部類似品種。(1)にもリンク有り。)
和音で演奏されていますが、和音としてではなく、音の色彩として聴くのが、この作品を理解するコツかと思います。・・・クラシック好きより、ジャズピアノが好きな人の方が、「なるほど!」とうなずいて下さるかもしれません。

ナクソスで安いものも出ていますが、ウゴルスキ盤には日本語による丁寧な解説と小さな鳥図鑑(曲名に成っている鳥のイラスト)が付いていて、楽しむにはこちらをお薦めします。

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2006年9月11日 (月)

Mozart:1772年のカノン

モーツァルトが死んでだいぶ後、ロッシーニがウィーンを訪問した際、妻に先立たれ、娘に冷たくあしらわれて寂しい老後を送っていたサリエリが、彼の滞在先を毎日のように訪ねてはカノンを作りまくって楽しんでいた、という話があります。
このときロッシーニ(参考リンク:日本ロッシーニ協会)はサリエリに質問しました。
「あなたは本当にモーツァルトを殺したんですか?」
しばらく黙って後、サリエリは答えたそうです。
「私の顔をしっかり見てくれ。人殺しに見えるかい?」
(水谷彰良「サリエーリ」256ページ参照)

それはともかく。

前回採り上げた「4つのキリエ」(ブログ内記事)のうちの1作もカノンでしたが、他にケッヘル番号を持つカノンが3セット、1772年に作られているようです。うち、第6版でK.73xを与えられている作品は、コンラートの表には出てくるものの、NMAには記載されていません。
4声のカノンK.73iと、4つのカノンK.73rは、NMA編纂時には、ヴォルフガングが対位法の師である1770年にマルティーニ神父へ課題として提出したもの、と考えられていました。どういう経緯で1772年の作とされたかについては、すみませんが、私には分かりませんでした。
以下、楽譜を掲げますので、それぞれ解読してみて下さい(楽譜が斜めになったり恥が切れていて済みません)。。。と言いつつ、私も最初からこんな楽譜だけ見せられても解答は出せません。ヒントを加えます。お手隙のときに五線譜に書いてみると、勉強になります!
(楽譜はそれぞれクリックすると拡大します。)

・K.73i(ソプラノ4声になります。「2.」とあるところから次の声部が始まります。)
Mozart_k73i

・K.73r
1)ソプラノ3声です。4小節目から2つ目の声部が入ります。
Mozart_k73r1

2)1小節ごとに次の声部が入ります。何声までいけるでしょう?
Mozart_k73r2

3)上2行のバスパートは次の小節の1拍半目からソプラノに5度移調して入ります。
  下2行はアルトパートだけが歌います。
Mozart_k73r3

4)3声のソプラノと3声のテノールのカノンとなります。
  上の1行のテーマはソプラノ声部のみ、
  下の1行のテーマはテノールのパートのみで歌われます。
  次の声部の入りは1小節後からです(ここまで言えば解けます!)
Mozart_k73r4

カノンは、m小節後に応答が始まる場合、N声部からなるときには、m×N小節先までを見越して作らなければなりませんから、以上のカノンを解いてみることによって、16歳のモーツァルトの技量がどの程度のものだったかを身を以て知ることが出来ます。
お試し下さい!



サリエーリ―モーツァルトに消された宮廷楽長


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著者:水谷 彰良

販売元:音楽之友社

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2006年9月10日 (日)

ラヴェルのヴェール

毎年、有志の方が集まって開いている室内楽のコンサートに、縁があって初めて参加させて頂きました。
ハープの美女Yさん(ご主人がまた、いいオトコ[このリンクでは分かりません]!)のご希望で、ラヴェルの
「ハープのための序奏とアレグロ」(自作自演盤? 有り! Web購入が無難ですヨ。)
にチャレンジ。
ハープはとにかく大変! こんなに大変だとは初めて知りました。
フルート、クラリネット、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、という編成ですが、私以外は猛者ばかりで・・・縮み上がってやっと弾きましたが。。。
絹のヴェールにつつまれたような響きを持つ、ステキな作品で、弾いていて夢のようでした。
こんな私も加えて頂き、本当に有り難うございました!

独奏、独唱とりまぜて、なかなか楽しい会でしたが、中でも愉快だったのはトロンボーンのM君が採り上げた
"Cadenza de la Mancha".
サンドストレムというスウェーデンの作曲家(1954年生まれ、こちらを参照下さい)の手になる、タイトルからも分かるようにドン=キホーテ(同素材の作品表)を素材にした作品です。
はじめは客席の意表をつく大声の叫び。セリフが入り、歌が入り、トロンボーンでの重音奏法という高度技術あり、スライドで床を叩く、奏者が飛び跳ねる、等の奇策有り、で、演劇と演奏を一緒に楽しめます。M君の熱演も見事でした。

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切貼り:「大阪クラシック」閉幕

(この切り貼りの前に、<「西側」のショスタコーヴィチ第5>CD情報を載せました。)

1週間で50回のコンサート 「大阪クラシック」閉幕
朝日新聞サイト2006年09月09日22時28分

 大阪・御堂筋の百貨店や料理店、カフェなどを舞台に、1週間で50回にわたり大阪フィルハーモニー交響楽団のメンバーらがコンサートを催した「大阪クラシック」が9日、幕を閉じた。「大阪を音楽の都に」と同フィルと大阪市が共催した初めての企画。予想していた入場者数の2倍を超える約2万2000人が訪れた。

 同日夜、大阪市役所であった最終公演では、立案した指揮者で同フィル音楽監督の大植英次さんが自らタクトを振り、チャイコフスキーの交響曲第4番(註:リンクは大植さんとは関係ありません)を演奏。会場を埋めた750人の観客から拍手が鳴りやまず、大植さんが感極まって涙を流す場面もあった。

 大植さんは「お客さんの大フィルを応援してくださる気持ちがひしひしと伝わってきた。来年以降も定着させるよう努力し、大阪の伝統にしていきたい」と話していた。

Osaka
大勢の観客の中で指揮をとる大植英次さん
=9日午後8時20分、大阪市役所で

以下勝手にリンクを貼らせて頂きました。熱気だけでも味わいたい関東住まいの東北人。
RUNCHERRYLANDの仲間たち
LOVING LIFE
ONE WAY 別館
ばやしこ(小林亜希子)の徒然日記
KANON's classica diary
Sound Solitaire

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Snostakovich:「西側」の第5

ロシアの演奏ばかり採り上げてきました。そちらも「完璧」ではありません。テミルカーノフは昔のライヴは一聴の価値がありそうですし。他は是非、ふるたこさんのページを参考になさって下さい。
ですが、TMFの方向けには一旦切り上げ、「エロイカ」・「モルダウ」・「白鳥の湖」に話題を変えなければなりません。

CDをお探しの方の参考に、ここで<第5>の1980年代までの「西側」演奏を概観しておきます。
合わせて、1973年来日時のムラヴィンスキーの録音についてもひと言触れておきましょう。

「西側」について、いまのところ確認してみたのは6つほどの演奏ですが、1000円程度で買えるもののみリストしますと、
バーンスタイン/ニューヨークフィル(1959年)SONY SRCR1625
プレヴィン/ロンドン交響楽団(1965年) RCA 82876 55493 2(輸入盤)
ハイティンク/ロイヤルコンセルトヘボウ(1979年) DECCA UCCD-7040
・インバル/フランクフルト放送響(1988年) DENON COCO-70407:在庫のみか?

この価格帯では、他にEMIから出ているムーティのものをよく見かけますが、私は未聴です。
(上記のバーンスタイン盤は、評判の日本公演ライヴではありませんので、ご注意下さい。)

いわゆる「西側」のショスタコーヴィチ演奏は、第5に関しては一般にロシア系の演奏に比べて
・透明度が高い
・メトロノーム記号への忠実度が高い
のが特徴で、バーンスタイン盤を除けば、オーケストラの個性の違い以外に大きな差はありません。

ロンドン響(歴史・HP)は、イギリスのオケらしく律儀な音です。プレヴィン(経歴)はラフマニノフの交響曲第2番をいちはやく省略なしで採り上げた人で、ロシア物のロマン的側面へ切り込むのが得意な人です。その分、ショスタコーヴィチ演奏では軽いかなあ、と感じる向きも多いかもしれません。

*フランクフルト放送響は、ときに弦のヴィブラートが過剰で、透き通った水面にいつもさざ波が立っているという印象です。しかし、インバル(経歴)は、彼がロマンは作品の指揮の際に時折見せてしまう奇矯さもなく、手堅い感得ぶりを示しており、悪くない演奏です。

*西ヨーロッパ陣で特筆すべきは、やはりハイティンク(経歴)だろうと感じました。ショスタコーヴィチの交響曲全集を「西側」としては最初に完成させただけのことはあり、スコアの読みの深さはダントツです。
「第1楽章をメトロノーム記号通りの速度でやるとこうなるんだ」
なんてことを確認したければ上の2つでもいいのですが、ハイティンクは遅めのところはさらに遅く、早めのところも丁寧に演奏させています。主観を控えて正確なアンサンブルを実現するコンセルトゲボウ(歴史)の特質がよく発揮されています。

バーンスタイン(公式サイト)だけは、全く独自の解釈です。1959年はショスタコーヴィチがバーンスタインの演奏を聴いて褒めちぎった年ですけれど、上記はその年のスタジオ録音です。ロシア陣やヨーロッパ陣とバーンスタイン(生涯)の大きな違いは、スコアの読み方です。記譜上の指示は、バーンスタインの場合、取り組み始めるときにまず、全て一旦「チャラ」にしてしまっているようです。その上で、音楽のフレーズを読みなおす。その結果、仕上がりは音楽の段落がスコアの指示とは一切関係なく浮かび上がる、巧妙なものとなっています。・・・これは、作曲者自身が仰天し、感激したとしてもおかしくないやり方です。作品の中の「眠っていた豊かな表情」を呼び起こすのに成功しているのですから。そういう意味では、日本ライヴよりこちらのスタジオ録音の方が面白い気がします。

さて、ムラヴィンスキー。
ふるたこさんや、その掲示板に寄せられるいろんな方のお話からすると、ベストは82年の演奏のようですが、探してもなかなか見つからないでしょう。製造元では今は再プレスしていないようです。
次善が73年日本公演盤ということになります。・・・これが、以前採り上げた、同年のリハーサル時の映像(11月再発行予定)・録音に比べても遥かに緊迫感が高く(この時と79年のライヴは他の録音でも非常に締まった雰囲気がよく伝わってくる名録音です)、かつ、
「どうしてこういう演奏が出来たか」
前に綴りました通りリハーサルの録音が残っているので、たどることも可能であり、作品を研究するには最適、聴いて損をしない演奏だと思います。大きめのCD屋さんでは千円以上安くなっていますからお買い時です。でも、未だに人気が高く、店に入荷しても即日売り切れる状況です。Webからの購入をお薦めします。

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2006年9月 9日 (土)

切り貼り:カンカン踊り出前公演

カンカン踊り出前公演 ムーランルージュがフォションに
2006年09月08日22時28分

 パリの高級食品店フォションで7日、本場の「フレンチカンカン」が披露された。同店の創業120周年を祝い、カンカン発祥の有名キャバレー、ムーランルージュがダンサーたちを「友情出演」させた。こちらも3年後に120周年で、パリの美食と娯楽を代表する老舗(しにせ)の豪華共演となった。

 店2階の祝賀会場。招待客をかき分けて作った5メートル四方のスペースに踊り子12人が登場、「天国と地獄」の曲に乗って約5分、かけ声を発して踊った。全員が身長180センチ近く、天井にある非常口案内板をけり上げる場面もあった。

 ムーランルージュの広報担当は「パリのベルエポック(20世紀初頭の全盛期)のシンボルとして招きたいと誘われたので快諾した。総勢70人の踊り子は世界で公演しているが、お祝いへの飛び入りは珍しい」。

 フォションは1886年、屋台の青果商だった創業者が29歳でマドレーヌ広場に開いた。3年後の1889年、2キロ北で華々しく開業したのがムーランルージュ。足を高くはね上げるカンカン踊りは、創業時からの名物として知られている。
Kankan


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2006年9月 8日 (金)

切り貼り:メトロポリタン、欧米のシネコンにオペラ生中継


欧米のシネコンにオペラ生中継 NY歌劇場、史上初
朝日新聞サイト2006年09月08日09時32分

 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場は7日までに、同劇場で開催される6つのオペラ公演について、北米、欧州のシネマコンプレックス(複合映画館)で生中継する計画を発表した。同劇場によるとオペラの生中継は史上初めて。今後、アジア市場での放映も検討中という。映像はハイビジョン放送で生中継されるため、観客のマナー次第では、臨場感たっぷりの雰囲気が楽しめそうだ。(時事)

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2006年9月 7日 (木)

Shostakovich:ヤンソンス親子とムラヴィンスキー(第5をめぐって)

Shostakovich:ヤンソンス親子とムラヴィンスキー(第5をめぐって)

綴っているうちに、つい長くなってしまいました。毎度すみませんm(_ _)m

ムラヴィンスキーレニングラードフィルを率いるはずだった来日は、最初予定された1970年と、最後に予定された1986年、その5年前の1981年がキャンセルとなってしまっています。1981年については当時のソ連当局が許可をおろさなかったためであることが判明しています。他の2回は病気が理由となっていますが、私は真相は知りません(ムラヴィンスキー関係の本は3冊読みましたが、このあたりは忘れてしまい、本自体すぐには取り出せず、確認せぬままでつづり始めました。ゴメンナサイ)。

キャンセルされた最初と最後の公演では、いずれもショスタコーヴィチの第5が演奏される手はずでした。

14年を隔てたこの二つの公演で、ムラヴィンスキーに代わって第5を指揮したのが、奇しくもヤンソンス親子だった、と、先日知りました。ご好意で息子の方のマリス・ヤンソンスが86年に振っているレニングラードフィル日本公演の映像を見せて頂き、分かったことです。当時マリスはおそらく43歳でした。

最初のピンチヒッターである父アルヴィドの、70年来日時の演奏はCD化されています。
最後のピンチヒッターだった若いマリスの方は、商品になっていません。

以前、マリス・ヤンソンスがウィーンフィルと録音した第5の演奏が、演奏時間から見て父のものとは大きく違うらしい、ムラヴィンスキーっぽい、といったことを述べました(こちら)。
上の事実を知ったあと、父の方の演奏も確認し、ムラヴィンスキー73年来日時の録音も入手し得て、親子の違いのホントの理由をなんとなく感じることが出来ました。

父アルヴィドは、CDパンフに掲載されたディスコグラフィを見ると、古今の名曲よりはロシア現代音楽の録音に勢力を注いでいたことが分かります。ムラヴィンスキーとは仲の良い人物だったと言われていますが、指揮者としてはまったく違う個性の持ち主だったわけです。
70年、アルヴィドが指揮した演奏は、したがって、ムラヴィンスキーが行なったであろう方法とは異なる監督をしています。CD解説にも特筆されているのは<金管の強調>で、聴いた感触も解説と合致しています。この点、やはり「当時の現代物」指揮者、ロジェストヴェンスキーと似ています(とはいえ響きの色は別物です)。
ただ、常任ではない悲しさでしょうか、各楽章ともレニングラードフィルの立ち上がりにはキレが不足し、結果として緊迫感のない出だしになってしまっています。
それでもアルヴィドが素晴らしいのは、決してオーケストラを緩めっぱなしにはせず、中盤までには「高揚」を彼らから引き出している集中力でしょう・・・かなり大変だったと推察されます。結果として、全般的に、ショスタコーヴィチのこの作品の明るい面を浮き彫りにし、響きには厳しさよりも豊かさをもたらしています。
面白いことに、演奏時間だけは、第1楽章と第4楽章については3年後にムラヴィンスキーが日本で残したライヴ録音とまったく同じ、他の2つの楽章も極めて近いタイムになっています。ですが内容としては(第2楽章のグリッサンドやリタルダンドを度外視した点は共通ですけれども)全く異なる演奏です。

したがって、父アルヴィドの個性を活かした演奏と、息子マリスの「ムラヴィンスキー的な」演奏の差は、実は時間要因によるものではなかったわけです。

86年、マリスの指揮したレニングラードフィルの演奏は、父の場合とはだいぶ趣を異にしています。
このときは直前までムラヴィンスキーが第5の練習をしていた、と推測されます。終楽章の例の、印刷譜では「(移動ドで)ソ、ラシドシドミ」となっている個所を、マリスはムラヴィンスキーのメルクマールである「ソ、ラシドシラミ」と演奏しているからです。マリスがそうした、というよりは、オーケストラが
「ムラヴィンスキー用の楽譜を用意していた」
のが真相なのではないでしょうか。
後年のウィーンフィルとの録音の際(こちらではさっきの個所は「ソ、ラシドシドミ」です)、マリスは終楽章の最初をかなり遅めに始め、7小節目からはアチェランドではなく俄かに次のテンポへと速度を上げていますが、86年にはレニングラードフィルを前に同じことをしていたのを、今回見た映像で確認できました。
しかし、その部分を含め、マリスはレニングラードフィルの面々からは、決していい反応を返してもらっていません。若いマリス・ヤンソンスが、しばしばオーケストラの演奏に合致しない「空振り」をし、苦渋の表情を浮かべているのが、映像中の彼の必死の形相から伝わってくるのです。
しかも、84年のムラヴィンスキー指揮の録音でも感じた緩みを、レニングラード・フィルはこのときまったく同様に再現しており、当時ゴルバチョフ政権下にあったロシアが文化面でも何らかの大きな変動期を迎えていたことを伺わせます。
そんな緩みがあるとはいえ、さすがにレニングラードフィルにはショスタコーヴィチの第5を初演した誇りがあり、かつ、若手が振るときほど音楽を自律的にムラヴィンスキー流に修正して
「指揮者のいうことなんか聞くもんか」
と言わんばかりの勢いでアンサンブルをやってしまっているようでもあり、その音楽がまた、演奏が終わったとたんやんやの喝采を受けたのですから、マリスが良くも悪くもこのときの経験に大ショックを受けたことは想像に難くありません。なにせ、喝采のあいだ中、オーケストラの誰一人として、マリスに投げかけられた笑顔に応えないんですから。・・・多分、他の土地、他の国でも散々同じ目に合わされたのでしょうね。
父の厳しい訓練を受けた彼の性格からして(って、知り合いじゃありませんからホントは知りもしないんですヨ)、マリスはこの時、ムラヴィンスキーの音楽作りが如何に確固たるものかを思い知らされ、ムラヴィンスキー流の「ショスタコ5番」に謙虚な気持ちで敬意を抱いたのではないでしょうか? それが、マリスの5番を現在でもムラヴィンスキーに近い仕上がりにしているのではなかろうか、と、私は感じた次第です。

ロシア系の演奏で「ショスタコーヴィチ 交響曲第5番」のベスト盤は、噂にたがわず73年ムラヴィンスキー来日時のものだ、と、今では確信しています(このことは、またいずれ触れるつもりです)。それが手に入らない場合は、試しにヤンソンス:ウィーンフィル盤をお聴きになってみて下さい。先ほど触れた第4楽章冒頭部以外は殆ど自然に流れており、ムードもよく締まっていて、曲にふさわしい響きが感じられるはずです。

もちろん、別の指揮者、別のオーケストラでも素晴らしい録音は沢山なされています。たとえばコンドラシン(当ブログ内記事)の録音は、その音質にもかかわらず、やはり捨てがたく思います。ただし、5番の単独盤は現在は見当たりません。「西側(死語!)」指揮者とオーケストラについては、これから調査研究です! とりあえずはふるたこさんのページを頼って・・・そこにないものをひそかに狙って!物色中。こんなんじゃ、ハズレばっかり引くかもしれません。

余談ですが、映像を見せてくださった方は、昔ジュネスでアルヴィド・ヤンソンスの棒を経験なさったそうです。アルヴィドという人は東京交響楽団に縁が深く、日本で非常に印象的なエピソードを残しています。こちらにリンクを貼ったサイトを、ぜひご覧下さい。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page223.html

ロシアは政治的にはまだ日本と暗い過去を争点にしつづけ、国境ではトラブルも絶えませんけれど、そのことについての意見は差し控えます。(今後も、政治的なことは一切述べません。)
そうした上でアルヴィドさんの逸話、故ムラヴィンスキーやロジェストヴェンスキー氏、弦弾きとしてはまた、ボロディンクァルテットの価値観などを知ると、ロシアの人々は本来とても情に厚いのではないかと感じられてなりません・・・でもロシア語は難しい!

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2006年9月 6日 (水)

Mozart:4つのキリエ(1772)

第2回イタリア旅行から帰り、第3回目のそれに出発するまでの間、モーツァルトは2種の重要な習作を行なっています。
ひとつはクリスチャン・バッハのクラヴィアソナタ3曲をコンチェルトに編曲する試み。
もうひとつは、対位法のより深い習熟を目指した2つの"Kyrie"の創作です。

後者に触れてみましょう。

1772年、彼が作曲を試みた単独楽章の「キリエ」は、4つあります。
そのうちの2つは、おそらくミサ曲に仕上げるつもりで書き始められ、何らかの理由で継続を断念した、オーケストラ伴奏付きの断片(K.Anh.19ニ長調12小節およびK.Anh.18ハ長調49小節)。いずれもオーケストラにヴィオラを含むため、イタリアに向けての作品ななるはずだったと考えられています。とくにK.Anh.18はトランペットとティンパニも伴っており、完成していれば、この頃までにモーツァルトが作っていた「イタリア風シンフォニア」同様、明るい響きをもつものに仕上がっていたであろうことが、スコアの顔つきから伺われます(NMA Geistliche Gesangwerke II Band6 ペーパーバック版2/251〜30にかけて、この2断片を掲載)。

対位法深化のための習作となっているのは、他の、完成した2曲(K.89とK.90)です。

K.89ハ長調は71小節から成る、完璧な同度カノン(Canon ad unisonum)です。響きとしては単調さから脱することが出来ていません(と思われる)が、これほど大規模なカノンを仕上げたというだけでも、まず脱帽・敬服です。ソプラノ5声部で歌われるこの曲は大きく2部から構成されており、それぞれさらに2つのセクションで出来ています。ただし、前半部と後半部では創作に当たっての方針が明確に違います。
前半部は9小節からなるテーマを、ソプラノ1から5へと、次の声部に2小節遅れで渡していきます。これが2度繰り返されるのが基本です。ソプラノ2が模倣を終える10小節目で、再び同じテーマをソプラノ1が歌い始めますが、この2度目はソプラノ1はソプラノ4が模倣を終えるまで歌わずに待ちます。このことで声部が薄くなっていき、前半部と対照的な響きになることを狙ったものと思われます・・・が、残念ながら思ったほどの効果を上げていません。
後半部は第26小節から、アウフタクトを持つ16小節にもわたる新主題が採り上げられ、これは今度は3小節遅れで次の声部、次の声部へと受け継がれていきますが、ソプラノ1が主題を歌い終わる2小節後、ソプラノ2が模倣を終えるところ(この2小節間でソプラノ1は新テーマ8〜9小節目を補足的に歌う)で一旦切り上げます。第43小節から次のセクションに入ります。発想は後半部最初のセクションと同じく3小節遅れでの模倣で、ソプラノ2の模倣終了までで打ち切られることを念頭に置いています。ただしテーマは24小節もの長さを持つ新しいものとなり、曲の最後を締めくくるのに、さらに2小節が付加されています。

K.90ニ短調は、さらに二重カノン風の試みを取り入れていますが、カノンとすることに、ではなく、曲としてのまとまり・締まりを重視しているため、26小節とコンパクトに仕上がっています。最後の和音は3度音抜きの5度ですし、ニ短調という調性もあってか、成熟して後の彼の宗教音楽を彷彿とさせる重厚な響きがするものと思われます。

いずれもア・カペラの作品です。K.90のスコアには通奏低音部が補われているものもありますが、NMAでは数字だけを付し、通奏低音の演奏は任意との姿勢を示しています。
K.89、K.90とも、音は全集盤のCDにしか収録されていない秘曲(?)です。

・・・さて、以前作成した「簡単なカノンの作り方」のメモを添えてみます。
カノン作りが如何に大変か、しかしまた如何に面白いかを、是非ご自身でも体験なさってみて下さい。K.89の楽譜をご覧に成った際、その価値や考え方もよく分かってくると思います。
Canonsample_1
(もう流行っていないけれど)ナンクロ気分で楽しめますヨ。
(「手順」の数字は無視して下さい。)

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2006年9月 5日 (火)

しかたがないのでセミの話

ことしはやはり気候が変だったのでしょうか、ウシガエルはとうとう、ほとんど鳴きませんでした。
セミも、例年は後で鳴き始めるヒグラシが、先陣を切るはずのクマゼミより先に鳴き出し、最近はその声も殆どしないほどです。

ところが、残暑がやや厳しめのせいでしょうか、9月に入ってクマゼミが張り切りだしました。
今朝も6時頃に1匹、最初の2声ほどは遠慮がちだったのが、三声目には急に、ピアニッシモからフォルテシシシモまでクレッシェンドしやがって・・・もうちょっと寝たかったのに、こいつに起こされてしまった次第。

西日本や中部はひどい水害の繰り返しでしたが、秋の台風シーズン、日本のどこかでまたヒドい水災が起きないことを祈るばかりです。

敬具。

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2006年9月 4日 (月)

音楽史を聴く:簡単な叙説

音楽史を「聴く」というのは、我ながら変な表現だと思います。
とくに「クラシック」と呼ばれている音楽の「聴き方」は、だいたい17世紀以降に作られたヨーロッパの作品を、現代の演奏家がプレイしたり録音したものを耳にする、というのが一般的です。それにもかかわらず、作曲者の活躍した年代を想像しながら聴くことで、私たちは「歴史」に耳を傾けているのだ、という気になっている。
厳密に言えば、「音楽史」そのものが聴けるのは20世紀以降の作曲家たちが行なった「自作自演」録音だけであるはずです(私が聴くことの出来た最古の録音は、フランスの女流作曲家シャミナードが1901年に残した自作自演録音です)。ですが、ここで思いつくのは、たとえばリヒャルト・シュトラウス彼の指揮による自作演奏には多くの録音が残っているにも関わらず、むしろフルトヴェングラーが同時期または少し後に残したシュトラウス作品の録音の方が珍重されたりする。ビートルズなら有り得ない話です。

それでも私など、昨日パリ管ブラスクィンテット(当ブログ内記事)の組んだログラムの中にルネサンス期の舞曲からシャンソンまでが入っているのを耳にしつつ、どうしても、それらの音楽が連綿と積み重ねて来た「歴史」に感銘を受けざるを得ない。・・・とても妙な気持ちです。

「音楽史」の書籍に音声がついていることはありません。古代エジプトや中世フランスの楽器を描いた壁画を載せたり、解読された古代ギリシャの楽譜を載せたり、そうした補助手段をもって、音楽というものがいかにして人間に享受されて来たかを論じるのが「音楽史」の役目であって、「音楽」とはそもそも何ぞや、という問題は、そこでは据え置かれています。

そもそも、中世ヨーロッパ人は、「天上の音楽」という、人間の耳には聴き取れない崇高な音楽がある、との価値観を持っていました。こんにちでは、過去の人間が残した音楽も、私たちにとっては「天上の音楽」の仲間入りをしていると言っていいでしょう。
その、「天上の音楽」を、ヨーロッパに偏ること無く、民族音楽とひとかたまりに言われているものや、場合によっては私の苦手(流行や有名人を殆ど知らない、という意味で)な「ポピュラー」といわれる音楽まで視野に入れて、出来るだけ「聴覚的に」考えていく試みをすれば、何か得るところがあるのではないか・・・そんな獏とした考えから、「音楽史を聴く」という試みを、その場その場の思い付きで行なっていくことも有意義ではないか、と考えている次第です。

まだ、どんなふうにしていくか分かりませんが・・・

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2006年9月 3日 (日)

パリ管ブラス・クィンテット

本日(9月3日)、彩の国さいたま芸術劇場で、パリ管弦楽団金管セクション首席奏者たちによる中高生対象のグループレッスン、引き続き演奏会がありました。
娘がレッスンに参加しました。私は残念ながらレッスンは見学できず、息子の引率役で演奏会のみ聴きました。
オール・フレンチプログラム。・・・音もまさにフランスそのもの、「幻想」の国、ドビュッシーの国、金管の国の音でした! 感激!

レッスン(トロンボーン)では、
「みんな、マウスピースに口を固定し(押しつけ)過ぎです」
「高音と低音では唇の当たる角度が変わりますよ」
「リラックス、が大切です」
「自分に厳しく練習をして下さい」
といった主旨のお話だったとのこと。

演奏会は、レッスンの言葉通り、リラックスした良い姿勢で柔軟な響きを作り出していました。
オクターヴは狭めに、しかし五度は広く、上行導音は低めにとって、締まりを持ちながらもゆったりした音程。この音程感に優れた奏法が加わって、固い柱をふんわりとウールで覆ったような調べ。

昨日、素晴らしいアマチュア・ヴァイオリニストのTさんが
「いい演奏ってさ、演奏しているその場所からじゃなくって、その上の方に音がふうわり浮いているんだよね。あれは、すごいよ」
とおっしゃっていましたが、今日のパリ管の面々の演奏は、確かに彼らの頭上3メートルから音が聴衆の上にふうわりと垂れ込めてきました

音の高低を問わず均一な音質、しかもクラシックからシャンソンに変わればシャンソンにふさわしいニュアンスに瞬時にスイッチする。鐘のように減衰しながら糊のような粘着度を失わない。どんなフォルテでも顔は紅潮せず、どんなピアノでも表情がこわばることはありません。
日本の金管の人たちは、海外でクラシックと演歌を瞬時にスイッチしながら演奏を披露したりなさっているのでしょうか? 是非そうあって欲しいと思います。

オーボエの茂木さんの掲示板は、アマチュアや音大生予備軍からの質問と、それに対する回答もあって,日本語でもっとも参考になると感じております。ご一見下さい。

本日のメンバー:フレデリック・メラディ(トランペット)/ブルーノ・トンバ(トランペット)/アンドレ・カザレ(ホルン)/ギョーム・コテ=デュムラーン(トロンボーン)/ステファン・ラペリ(テューバ)

プログラム:ジュルベーズ「ルネサンスのフランス舞曲集」・ドビュッシー「亜麻色の髪の乙女&小さなニグロ」・フォーレ「パヴァーヌ」・ドルリュー 金管五重奏曲「ステンドグラス」・オッフェンバック「フレンチカンカン」・ビゼー「カルメン第1組曲」・トレネルグランのシャンソンから各五曲

アンコール:「ラ・クンパルシータ」・「枯れ葉」、本日の第1曲から「パヴァーヌ」を立奏で。

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Schostakovich:第7筆跡

これがショスタコーヴィチの筆跡だ!

交響曲第7番の第2楽章から。クリックすると拡大します。
Shostakovich72
練習番号95の前から96まで。
全音のスコアの122〜123頁に相当します。
練習番号96のヴァイオリンパートにスラーがついていることにご注目下さい。

ファクシミリの販売元は全音楽譜出版社でした。
こちらをご覧下さい。
(私は別にペイは貰えません!)

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2006年9月 2日 (土)

Mozart:1772年の作品概観

Mozart:1772年の作品概観

1772年、16歳になったモーツァルトの筆は、一気に進み始めます。
この年のものとされている作品は、3曲1セットの編曲と15の断片を除き、34ほどあります。
(コンラートの作品表から拾いだしました。不足等はご指摘下さい。)
概観だけしておきます。

宗教曲:K.90(Kyrie)、K.125(リタニア)、K.127(レジナ・チェリ)

カノン4曲:K3.73i、K.89、K3.73r、K6.73x

オペラ:「ルチオ・シッラ」K.135

交響曲:K.73(第9番)、K.124(第15番)、K.128(第16番)、K.129(第17番)、
    K.130(第18番)、K132(第19番)、K.133(第20番)、K.134(第21番)

ディヴェルティメント等:
    ザルツブルク・シンフォニー K.136、K.137、K.138
    K.131(ニ長調)、行進曲K.290(ニ長調)&205

舞曲:K.103(20のメヌエット)、K.61h(6つのメヌエット)、
   K.164(6つのメヌエット)

オルガンソナタ:K.67、K.68、K.69

弦楽四重奏:K.155、K.156、K.157、K.158、K.159、K.160

四手のソナタ:K.381

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藤原定家:ブログ内記事一覧

なかなか進みませんが、ぼちぼちやります。

千載和歌集:123456789
後白河法皇:1234
松浦宮物語:1234
六百番歌合:123
仁和寺宮五十首:123
(空白期):123
正治二年後鳥羽院初度百首:123

新聞記事切り貼り:1
書籍紹介:「定家百首・雪月花(抄)」

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2006年9月 1日 (金)

定家:九条良経の知遇〜『松浦宮物語』(1)

<定家関係記事>
千載和歌集:123456789
後白河法皇:1234
松浦宮物語:1234
六百番歌合:123
仁和寺宮五十首:123
(空白期):123
正治二年後鳥羽院初度百首:123
千五百番歌合:



定家が殿上で悪口を言われ、かっとして相手を紙燭で殴って謹慎となったこと、ほぼ三ヶ月後に、父の俊成が歌で宮中に取りなしてくれたことで、やっと謹慎が解けたこと、は、定家の伝記を扱う本には必ず出てくる話ですね。
謹慎が解かれた翌文治二年、定家は二十五歳。この時から彼は九条家へ出仕するようになります。当主兼実はこの年二月、摂政に任じられたばかり。九条家の家運は上昇の一途をたどります。
「定家は良い時期に、良い家に仕えた」
と言えるのでしょうか。西行の勧めで「二見浦百首」を詠んだのもこの年ですから。
翌文治四年が俊成の「千載和歌集」総覧、さらに文治五年、定家は西行の「宮河歌合」の判を終えています。

昇り坂の九条家に最初の陰が差すのが、定家の「宮河歌合」判の前年、文治四(1186)年です。
兼実の長子、内大臣良通が、二十二歳の若さで急死したのでした。次男良経はまだ十八歳で左大将。兼実には安堵の隙がなかなか訪れない日々でした。
単に仕える、というだけでなく、定家が歌の面で九条家の人々との交流を深め始めたのは、こんな時期のことでした。
とくに、和歌へ強い興味を示す良経には触発されるところも多かったようです。

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定家:九条良経の知遇〜『松浦宮物語』(2)

明月記に定家が作歌を命じられたという記事があらわれるのは、千載集成立から五年後の建久二(1191)年八月三日条が初めてです(もっとも、先の千載集の記事からこの条までのあいだ、明月記の記事は文治四年九月二十九日条のみです)。
「大将殿来十三日可有御作文管絃和歌等、光範被献題(分ち書き部分省略)松上鶴、(小字)和歌、」

定家の歌集「拾遺愚草」を見ますと、<十題百首 建久二年冬左大将家>というのがあり、これは上の漢詩も詠んだ会とは別に詠歌がなされたものですけれど、上記の記事やこのような百首の存在から、二十三歳になった良経が九条家のサロンの新しいあるじとして既に活躍盛んとなっていたこと、それに伴い、歌詠みとしての定家の出番も着実に増えて来ていることが伺われます。

同じ頃、定家は単に作歌だけでなく、
「物語にある歌同士を番えてみよ」
と、おそらく良経から言われ、源氏物語と狭衣物語それぞれに記載された歌で、見事な歌合せを編集しています。
単に<百番歌合>と題された、通称『源氏狭衣歌合』は、左に源氏物語からの、右に狭衣物語からの歌を、恋(四三番)、別れ(四番)、旅(六番)、哀傷(一五番)、雑(三二番)に配したものです。物語の何処にどの歌があるのか、どんな場面で歌われているのか、を熟知していないと到底組み合わせられない上に、それをオーソドックスな歌集の部立てに併せて配列しているとは、私のような上辺だけのシロウト読者にとってはほとんど信じられないことですが、厳然たる事実です(変な表現だな)。

たとえば、哀傷部、六十八番の組み合わせ。

    左 心からこの世を限りに思ひ捨てける夜  浮舟
鐘のおとの絶ゆるひびきに音を添へて我が世尽きぬと君に伝へよ
    右 常磐の山里にて、限りにおぼえければ
ながらへてあらば逢ふ世を待つべきに命は尽きぬ人は訪ひこず

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定家:九条良経の知遇〜『松浦宮物語』(3)

『源氏狭衣歌合』は、かなりの好評を得たのでしょうか、定家には続いて
「残る『源氏』の歌と、様々な物語の歌を、同じように合わせてみよ」
との注文を受けたようです。左方はまたも源氏物語から、右方は十の物語から歌を選び、右方に採った歌の数が多い物語から順に配列して行ったのが<後百番歌合>で、先の<百番歌合(源氏狭衣歌合)>と共に、定家自ら<物語二百番歌合>と名付けています。
<後百番歌合>の右方に歌を採った物語の中には、こんにちまで伝来していないものもあり、古典研究上たいへん重要な資料となっている、とのことです。
<物語二百番歌合>は、岩波文庫「王朝物語秀歌選」(2冊、黄37-1、2。)の最初に収録されています。

物語にある歌を重んじることは当時常識化しつつあったようですが、ここまで熟知していた人物は果たしてどれほどいたでしょう。現在残っている日本古典文学の多くが定家やその家司の筆写によるものであることを考え合わせると、<物語二百番歌合>は、やはり彼ならではなし得なかった快挙だと言ってよいと思います。

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定家:九条良経の知遇〜『松浦宮物語』(4)

ただし、定家筆写本の恩恵をつくづくと感じられるのは後世の私たちだからであって、そもそも何故、定家が「物語に詳しそうだ」と目をつけられたかは、この時期には筆写とは別の理由によると考えなければなりません。
その理由とは、定家自身が物語の書き手であった、ということだったと思われます。
俊成卿女(俊成の養女、実は孫。定家には姪に当たる)が綴ったとされる『無名草子』に
「定家少将のつくりたるとてあまたはべめるは、まして、ただ気色ばかりにて、むげにまことなきものどもにはべるなるべし」(小学館 日本古典文学全集40 257頁)
とけなされていますから、定家は少なからず物語を創作したものと想像されますが、現在読むことが出来るのはひとつだけです。
『無名草子』で上記引用に続く文で
「『松浦の宮』とかやこそ、ひとへに万葉集の風情にて、『うつほ(物語)』など見る心地して・・・」
とあることから定家が作者だと思われている<松浦宮物語>が、それです。

古い物語を筆写した、という想定で書かれている<松浦宮物語>の筋立ては、まるで昭和三十年代の子供向け時代劇のように壮大かつ荒唐無稽なものです。
橘氏忠という若者が唐に渡って皇帝に気に入られ、皇帝の死後は反乱軍を平定して皇后と怪しい仲になり、かつは正体の知れない美女と深い仲になり、帰国してまた、唐から連れ帰った絶世の美女と夫婦になり、云々。
書いていて、しまいには定家も照れくさくなったものか、末尾部分は原典が朽ち果てて分からなくなった、などとお茶を濁しています。この気分は、何となく分かるように感じます。
かつ、
「この奥も、本朽ち失せて離れ落ちにけり、と、本に」
などと下げにかかっているところなど、<松浦宮物語>作者の古典籍の状態への通ぶりが伺われ、この時期には定家は古典筆写にも既にかなり力を注いでいる(定家作で間違いない、としてですが)ことが分かって興味深くもあります。

物語熱は良経・定家主従に共通のものとなっていったかと思われ、数年後に行なわれたと思われる『六百番歌合』で、この熱は二人の絵画的な歌いぶりへと結晶していきます。

新編日本古典文学全集 (40) 松浦宮物語・無名草子

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クラシック音楽:ブログ内記事見出し

アマチュアオーケストラの演奏法にしょうもない所見も綴りましたが、あまりにお恥ずかしいので省きます(用済みですし)。

イタリア風シンフォニア:123456
メヌエット問題:12345678
スケルツォで踊れます?:123
モーツァルトだけじゃイヤー(寒!):声楽篇
大バッハ最古の自筆譜発見:記事

クリスチャン・バッハ略伝(ちょっと長過ぎ!)

パリ管ブラス・クィンテット

モーツァルトはこちら、ショスタコーヴィチはこちら

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切り貼り:バッハ少年時代の楽譜発見

バッハ少年時代の楽譜発見 直筆で最古
朝日新聞ネット:2006年08月31日23時01分

 ドイツの作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)が少年時代、勉強のため当時の音楽家の作品を書き写した楽譜がワイマールで見つかった。ワイマール・クラシック財団が31日、発表した。バッハ直筆の楽譜では最も古く、貴重な資料になりそうだ。

 財団が所有する世界遺産のアンナ・アマリア図書館(リンク先サイトはドイツ語、ニュース映像あり)が04年に火事にあい、焼け残った蔵書を調査するなかで二つの楽譜が見つかった。バッハ作品を総合的に研究するバッハ史料館(独ライプチヒ)が筆跡やインクなどから鑑定した。

 最古の楽譜はバッハが13歳ごろ、当時北ドイツ地方で活躍していたブクステフーデのオルガン曲を筆写したもの。もう一つは、ラインケン略伝)のオルガン曲で、15歳の時に写譜した。これまでは1704年の19歳ごろの作品が最も古い直筆楽譜とされていた。

 少年期のバッハは北部リューネブルクなどに住み、両親を亡くし雑役などで生計を立てていた。同史料館は「若きバッハの修業時代を知る上で貴重だ。丁寧な筆致で貧しくても熱心だった様子がうかがえる」としている。
Bachsheet
バッハが13歳ごろにブクステフーデの
曲を筆写した楽譜=独ワイマールで


gooニュース2006年 8月31日 (木) 20:51

【ワイマール(ドイツ東部)31日共同】ドイツの作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750年)が手書きで写譜したオルガン曲の楽譜がドイツ東部ワイマールで見つかり31日、ワイマールのアンナ・アマリア図書館で公開された。バッハの手書きの譜としては現存している中で最も古いという。

バッハが1698年ごろに書き残したもので、バッハは当時、13歳前後だった。音楽関係者は「修業時代のバッハがどのような勉強をしたかを知るための貴重な発見」としている。同時に1700年と記された別の写譜も見つかった。これまで自筆のものとして知られているのは1704年の自作曲が最古だった。

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