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2006年9月24日 (日)

曲解音楽史3:音程から音階へ

前の回:1)音という手段  2)リズムの成立

2)リズムの成立(1)で挙げた2命題のうちの、Aの方をみてみましょう。

声の(音楽的な)利用では、
「音の高さ、二つ以上の音の相互関係(音程)が、相対的に固定されている」。

面白いのは、発声においてだけでなく、聴くという行為の上でも、人間の耳は身近な動物の鳴き声を抽象化して聴いているふしがあることです。例を拾ってみましょう。
*山羊〜「メエーー、メエーー、森の仔山羊・・・」
     のメエーー、メエーー」はソミ〜〜、ソミ〜〜〜。
*郭公〜カッコウワルツ、おもちゃのシンフォニー、マーラー「巨人」
    「カッコウ」は「ソミ」・「ドソ」、「ソド」等。
*猫 〜「猫踏んじゃった」の「ニャーゴ」は「ドーソ」
    フォーレ「ドリー」の猫は「ドソ〜・ラミ〜」等。
曲の例は知りませんが、犬が寂しいときに鳴く「クウーン」や、赤ん坊の泣き声は、日本人の場合は短三度(「ドラ〜」)で聴いているのではないでしょうか?
カラスなども、人間の耳はその声を「ミド」(短三度)から「ソド」(完全五度)の間で抽象化していると思われます。
・・・以上が、どれも五度の範囲に収まっていることを、とりあえず気に留めておいて下さい。



語りから歌への中間段階にある「朗詠」についても、少し見ておきます。
アイヌの「ユーカラ」は、一番基本となっている声の高さを「ド」とみますと、上に五度、下に四度(上下とも「ソ」に当たる)の範囲内で動いています。アラブ世界で「コーラン」を朗詠するのを聴いても、上は六度まで拡大することがありますが、大体同じ範囲に納まっているのが基本であるように感じます。
すなわち、「音階」が意識されない「朗詠」の段階、但し演劇世界等のように後年演出をたくさん加えられた可能性を持つものを除いた「語りと歌の中間世界」では、声は発する方でも聴く方でも、基本の高さからおおむね、上に五度、下に四度の範囲で動いていると思えます。
一般化してよいかどうか分かりませんが、西欧の教会8旋法のうち偶数番のもの(ヒポの付く名前を持つ旋法)のトニック(主音)は上から五度下、下から四度上に位置しています(例:第2旋法=ヒポリディア、「ド・レ・ミ・ファ(トニック)・ソ・ラ(ドミナント)・シ・ド」)。人間の耳の、音程感覚に対する上のような現象を視野に入れると、これらの旋法は「ド(トニック)・レ・ミ・ファ・ソ(ドミナント)・ラ・シ・ド」よりも自然に発生したもののように感じられるのですが・・・如何なものか。
かつ、主音から五度上、四度下が同じ「ソ」であったことは、偶然だったとしても、人間がオクターヴを発見する上で大きなポイントだったかも知れません。ただ、「オクターヴ」が発見されるのには、さらに楽器の発見、とくに管楽器の発見がモノをいった可能性も大きいと思います。


子供たちが小学生になると縦笛(リコーダー)を吹き始めますが、最初はとくに低い音が上手く出せず、指で穴を全部押さえても、高い方の「ド」が出てしまいますね。
だんだん上手くなると、穴を全部塞いでいれば、低い「ド」を出すことが出来るようになります。
そうなって初めて、
「あ、上手く出来ない時に出ていた高い音と、出来るようになって出た低い音は、同じ『ド』だ!」
そう気付きます。気付くと、吹き込む息をわざと強くして、穴を全部塞いだまま、高い方のドと低い方のドを、おもしろおかしく
「ど〜ド〜ど〜ドー、ヒュルヒュルヒュル」
なんて具合にふざけて吹いて面白がったりしています。
これは、実は息の強さではなく、息の速さが変わることによって起こる「フラジオレット」という現象です(管弦楽法関連の資料でないと、管楽器の用語としては普通使われません)。息のスピードがちょうど二倍になることにより、縦笛の管の中の気流が笛の長さの2分の1のところで上手くねじれてくれるため、それに伴って音の波長が2分の1になるので、オクターヴ上の音が出る、というしくみです(ホントかな?)。
原始のは、最も古いと思われる骨製のものには穴が一つだけあいていますから(リンク先にはもっと多くの穴があいている例について説明されています)、人間は、はじめ
「ど〜ド〜ど〜ドー」
の繰り返しを吹いて喜んでいたのかな。
これがラッパの類いになると、穴はあけずに、倍音だけでオクターヴからドレミファまで音を操りますから、
「1本の管でこれだけいろいろな音が出るのか」
ということが、もっと身近な驚きとして感じられます。ラッパも、獣の角を吹いたのが起こりですから、笛ともども起源の古い楽器です。

人間が管楽器を吹きはじめたとき、とりわけ
「同じドが高くも低くも出る」
ということの発見は、神を見いだすのに等しい驚異だったでしょう。
音楽の始まりが宗教と結びつけられて考えられることが多いのは、その驚きの大きさが、最初はそのまま人々の、目に見えないものに対する崇拝に繋がったからに他ならないと思います。
・・・次あたりから推測だけでなく、実例に則していきたいところですが、音は遺物を残さなかったために、まだまだ想像の世界に頼る期間が続きます。

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