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2006年9月12日 (火)

曲解音楽史1:音という手段

動物にとって、音は大事な道具のひとつです。
ひとつには声を出すことで求愛したり威嚇したり居場所を知らせたり、感情・・・とくに恐怖や危機感を表したりするのは、鳥をはじめとして猿にも猫にも、また鹿などにもよく見られることです。
魚類や爬虫類、哺乳類でも兎などは声帯を持ちませんが、彼らにしても音を利用しないわけではありません。例えば金魚鉢に向かって手を叩くと、中にいる金魚は、こちらが逆に驚かされてしまうほど、大慌てで逃げ回ったりします。コブラが "Shh..."と音をたてて敵をおどす様子も、よく知られています。
小柄な蛙が頬を膨らませて出すコロコロという声、秋の虫が羽をすりあわせて出す様々な音色も、それぞれ求愛の合図でしたかね。
様々並べ立てましたが、何と言ってもいちばん多様なのは、鳥の鳴き声でしょう。あまりにビルの立て込んだ場所では別ですが、住宅街ではふつう、少なくとも五種程度の声は聴くことが出来ます。分かりやすい順では、カラス、スズメ、ハト、椋鳥あるいはモズ、シジュウカラ、というところでしょうか。他にも我が家の辺りには鴨やセキレイなどがいます。季節によってはウグイス、里山ではカッコウ・・・その気になれば身近でもたくさんの鳥の歌声や会話が聴き取れることでしょう。



音楽というものの起こりは、ことさら[楽器の発見]や[宗教の創始]と結びつきがあると唱えられがちですが、(1)のような動物の生業を見ていくと、もっと単純に、人間独特の社会が築かれ、安定していく過程で、音という手段の用い方が生存の為だけから共同体の暗号へと変貌していったもの、と考えても良いのではないでしょうか。
人間が音楽にしたものに打撃や摩擦によって生じる音もありますが、まずは息を使って発する音の中の、「声」について一つの例を見ておこうと思います。
現在「原始的」とされている民族音楽の多くが、声の取り扱いに関しては、「文明人」を自負する人種や民族と比較しても決して単純だと言えません。
西欧音楽との対比でしばしば注目されるのは、ピグミー族のポリフォニーバリ島のケチャ(ただし、ケチャの成立は20世紀)などです。しかしいま傾聴したいのは、パプア・ニューギニアの音楽です。
八百を超える民族からなっているといわれるこの島の音楽は、西欧の発想に収まらない狭い短三度や広い二度を正確に歌う音程感、単音だけの笛と打楽器による鳥の羽音の模倣、ヘテロフォニーとホモフォニーの中間的性質を持った合唱など、高い水準にある構成要素をいくつも持っています。
以下は、私的な思い込みです。
歌ということに限ると、人間はこれを主に鳥から学んだのではないかと感じられてなりません。パプア・ニューギニア祭礼歌なども勿論ですが、先程上げたピグミー族のポリフォニーやバリ島のケチャ・・・どれも、一人が歌い出し、それからたくさんの人が唱和します。これはグレゴリオ聖歌を初めとする儀礼的な歌や、日本の雅楽木遣りなどとも共通していますね。
そして、ひとりから大勢へ、という形式は、明け方早く、鳥の声がまず一羽から始まり、瞬く間にさえずりの渦になっていくのと、全く良く似ています。


ここでお聞かせしたいのが、メシアン(1908-1992)の「鳥のカタログ " Catalogue d'oiseaux"」(1959年完成)です。
約60年前に完成したばかりの作品でありながら、この曲集は音楽の原初的形態を良く現していると思います。
7巻13曲から成るこの「カタログ」は、ピアノ独奏曲ながら全てを演奏するのに2時間半かかる大作で、1曲あたりの長さも最短4分半、最長30分弱、平均11分強もあります。1曲1曲の中で、メシアンは鳥の鳴き声(さえずりと地鳴き)だけでなく、その飛び跳ねたり滑空したりする姿、鳥を巡る自然の厳しい風景をも音で描いています。
引用した箇所では、分かりやすくする為に行動的・風景的要素は省略します。
に当たります(ノスリはタカ科の鳥で、日本ではその声を「ピーエー」と聞きなしているそうです)。
ピアノ演奏はウゴルスキドイツグラモフォン POCG-1751/3から。断片をモノラル化してアップしています。)

この部分では私たち日本人に身近な鳥、ツバメとハシボソガラスの声も聞こえます。
鳥の登場順はめまぐるしいですが、
ツバメ黄アオジヒワアトリセアカモズハシボソガラス(1)
〜セアカモズ〜ハシボソガラス(2)〜ノスリ〜セアカモズ〜ハシボソガラス(3)
〜ノスリ〜セアカモズ〜ハシボソガラス(4)〜ノスリ〜ハシボソガラス(5)
〜ノスリ〜セアカモズ〜ハシボソガラス(6)〜ノスリ〜セアカモズ
という具合。
(音楽ではなく、実際の鳴き声は「ことりのさえずり」で聞けます。一部類似品種。(1)にもリンク有り。)
和音で演奏されていますが、和音としてではなく、音の色彩として聴くのが、この作品を理解するコツかと思います。・・・クラシック好きより、ジャズピアノが好きな人の方が、「なるほど!」とうなずいて下さるかもしれません。

ナクソスで安いものも出ていますが、ウゴルスキ盤には日本語による丁寧な解説と小さな鳥図鑑(曲名に成っている鳥のイラスト)が付いていて、楽しむにはこちらをお薦めします。

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コメント

はじめまして。インド音楽についての情報を探しているうちにこちらのHPにたどり着きました。
「曲解音楽史」の非常に充実したコンテンツを今日一日たのしんで読ませていただきました。ありがとうございます。
kenさんの記事は民族音楽の専門家とは異なった、広く音楽を愛する方らしい興味の視点が魅力的で、読むうちに何度も同じようにうなずかずにはいられない表現があったりと、とても読み応えがありました。
これからもちょくちょく寄らせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

投稿: ooioo | 2009年12月22日 (火) 02時57分

ooiooさま

つたない記事群をご覧いただき汗顔の至りです。(^^;
専門の方がおまとめになったものをそのまま受け入れてもいいのでしょうが、ちくと斜めから考えるのが素人に与えられた特権であると思っております。

だた、時代が新しくなるほど、取り組むのが難儀です!
いいお知恵、記載の奇妙なところ等、アドヴァイスいただけましたら幸いに存じます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿: ken | 2009年12月22日 (火) 21時38分

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