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2006年8月10日 (木)

Schostakovich第5CD(3):もうひとりの「初演者」

Mozartは1771年の作品を追っかけ中です。
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Schostakovich第5CD、ムラヴィンスキーこちらヤンソンスこちら
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「5番」ではありませんが、ショスタコーヴィチの交響曲の初演者には、ムラヴィンスキーの他に、あと二人の重要な初演者がいますネ。
ひとりは14番を初演したバルシャイですが、このとき初演時に独唱者として予定されていたロストロポーヴィチ夫人が、多忙で楽譜の覚えが良くなく、ショスタコーヴィチの意思ではずされました。それが原因かどうか、逆恨みされているのかどうか、以後、バルシャイはロストロポーヴィチとは犬猿の仲のようです。かつ、彼の初演した14番は作曲者が「交響曲」と名付けて良いかどうか迷った作品で、他の交響曲とはこの点一線を画しています。

もう一人、「4番」と「13番」の初演者であったのが、キリル・コンドラシンでした。
4番は諸般の事情からずっと眠っていた問題作だったものを発掘上演(もしくは改作上演?)したもので、13番はホロスコート問題を前面に打ち出したがために当局から睨まれ、かつ、当時夫人が不治の病に侵されていたムラヴィンスキーが指揮を拒否したためショスタコーヴィチと仲違いするもとともなった、これまた曰くつきの作品です。
コンドラシンが初演したこの2曲はマーラーの技法的影響下に書かれており、反面、ロマン的なマーラーとは異なって強烈な現実認識と自己意識から成り立っています。この2曲を身をもって体験したコンドラシンには、そうではなかったムラヴィンスキーとは、かなり異なったショスタコーヴィチ認識があったのでしょう。
同じ作曲者の「第8交響曲」を巡る解釈の相違が、そのままムラヴィンスキーとコンドラシンの認識相違を明瞭にしているといって良かろうと思います。
被献呈者ムラヴィンスキーの「第8」解釈が、端的に言えば静粛の内に篭められた激情であるのに対し、コンドラシンが残した日本でのライヴ録音は、蓄積された情感の破裂、とでも言うべきものです。

この解釈の相違は、二者の「第5」における解釈の相違と、全くの相似形を成しています。

私の手持ちはAulosレーベルの全集盤ですが、調べても残念ながら、コンドラシン指揮による「第5」単体のCDは見当たらず、今も全集盤(ヴェネツィアレーベル)でしか耳に出来ないのかも知れません(もし単体発売をご存知の方がいたら、どうぞご教示下さい)。
演奏時間についても、第1楽章はムラヴィンスキーより1分ほど短く、第2楽章は73年のものと比べれば逆に20秒ほど長く、まずは物理的なこの相違が状況を象徴的に物語っています。コンドラシンは、ムラヴィンスキーよりもテンポの起伏が激しく、かつアクセルのふかしが強烈なドライヴィングを見せているのです。演奏時間の似ている第3・第4楽章についても同様のことが言えますが、演奏時間に相違が生じないのは、後半楽章においてはコンドラシンは風景の美しい箇所ではアクセルを極度に緩め、たっぷりと脇見運転をするからです。

ムラヴィンスキーが初演者として接したショスタコーヴィチの交響曲は、5番の他には6,8,9,10,11,12番であり、これらは9番を唯一の例外として「静」の陰鬱な内面を描いた作品群だと言ってもいいかと思います。かつ、例外としての9番は、ムラヴィンスキーは録音を残していません。そうしたことに関連するのかどうか、ムラヴィンスキーによる「第5」演奏では、
「第1楽章、第3楽章はこんなに静けさに包まれた音楽だったのか!」
という感慨を抱かざるを得ません。
現実路線の第4,第13をあつかったコンドラシンは、そういう演奏はしていません。そうすることを拒んでいるかのようです。

「第5」コースの激しいドライヴィングの元祖、とも言えてしまうコンドラシンですが、しかし、運転テクニックは確かです。金管は鳴らしたいだけ鳴らさせているように聞こえますが、その実、限度はわきまえさせています。テンポの変化の緩急も「人間的に」自然で、制御を表面に出さないのが彼の腕の見せ所ですけれど、ムラヴィンスキーが執拗に追及していたリズムの正確さなどは、コンドラシンも確実に保っています。1968年3月27日録音ということになっていますが、当時の手兵モスクワフィルが、音から伺うところでは技術的にはレニングラードフィルより優秀だったという点も、コンドラシンの
「思いのまま運転」
に資しているのではないかと思います。

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