« Mozart:「救われたベトゥーリア」K.118(74c) | トップページ | Schostakovich第5CD(6):テミルカーノフ »

2006年8月21日 (月)

Schostakovich第5CD(6):スヴェトラーノフ

この夏はロシア・東欧系の指揮者による演奏に限って取り上げる結果となりましたが、西側の指揮者でショスタコーヴィチと関係が深かった人たちについては冬にとって置こうと思います。・・・もっとも、「東側」・「西側」という言葉は政治的にはソ連崩壊後は死語となっていますから、20代以前の方には縁がないでしょうね。ショスタコーヴィチと西側の音楽家との関係には第1交響曲以後興味深いものがあり、「第5」だけ採り上げたのではそのあたりが浮き彫りに出来ないのが残念です。・・・そうした人々の顔触れのみあげて置きますと、ベルク、ワルター、クレンペラー、トスカニーニ、ブリテン、バーンスタイン、オーマンディ、カラヤン、クリュイタンス等々、淙々たるものです。

最近のロシアの指揮者としては、一時期ゲルギエフがショスタコーヴィチの交響曲録音で脚光を浴びました。が、彼の演奏は過剰にロマン的か、もしくは逆に乾いて聞こえるという受け手が多く、旬は過ぎたのかなあ、と思います。少なくとも当面は観賞の対象外としておきます。
ムラヴィンスキー没後レニングラードフィル(現サンクトペテルスブルクフィル)団員の「総意」でその指揮者となったテミルカーノフもショスタコーヴィチの録音を多く行っていますが、彼の就任と同時にムラヴィンスキー夫人アレクサンドラさんが同オーケストラを解雇された、という事件もあり、興味がつきない存在です。彼の最近の「第5」録音は別途採り上げる予定です。

交響曲初演を通じてショスタコーヴィチと接点を持った指揮者は、すでに採り上げたムラヴィンスキー、コンドラシン、バルシャイ(他に第11を初演したラーフリンもいますが、録音未発見です。かつ、彼は同曲のレニングラード初演を行ったムラヴィンスキーに比して重要性は低いかと思います)ですが、協奏曲や室内楽の上でもロストロポーヴィチ、オイストラフ、ベートーヴェン四重奏団、ピアノ五重奏曲の初演で共演し、ショスタコーヴィチに感銘を与え続けたボロディン四重奏団と、これまたソ連当時の高名な演奏家たちが彼と密接にかかわり続けました。同様の例で声楽家で代表的なのは、ロストロポーヴィチ夫人のヴィシネフスカヤですね。
交響曲に限らなければ、ロジェストヴェンスキーやスヴェトラーノフも、ショスタコーヴィチ生前に彼と関わった重要な指揮者です。打楽器奏者に愛好家の多いロジェストヴェンスキーの演奏をも聴かなければなりませんが、現在の私の環境下では少しあとになる見込みです。

前置きが長くなりました。
今回はスヴェトラーノフ1977年録音の演奏を採り上げます。

ショスタコーヴィチとの直接関係の点では、確認出来た限り、スヴェトラーノフは少なくとも2つ、大きな仕事をしています(ファーイ「ショスタコーヴィチ ある生涯」訳書)。
ひとつめはショスタコーヴィチの編曲によるムソルグスキー「ホヴァンシチナ」の1959年映画版での演奏。これはDVDで出たため現在でも見る事が出来ます(新品入手の可不可は未確認)。
ふたつめは1966年、ロストロポーヴィチをソリストとしての「チェロ協奏曲第2番」の初演。これはロストロポーヴィチとムラヴィンスキーのあいだのトラブルによりスヴェトラーノフにお鉢が回ってきたもので、「第13」でのコンドラシン抜擢と事情が似通っているあたり、伝記的には今後興味が持たれるエピソードの一つになるでしょう。

彼の生前は「かなり情熱的な指揮をし、オーケストラを盛り上げる人」というイメージで見ていましたが、私の浅薄な誤解だったかも知れません。今回あらためて「第5」の録音を耳にし、スヴェトラーノフという人は実際には「計算上手」な冷静な音楽家だ、という印象を強く受けました。「計算上手」はイヤミのつもりではありません。言葉が悪いのであれば、「テンポ設計が非常に巧みである」と言い換えなければなりません。
他の例でも明らかになった通り、実際にショスタコーヴィチと接した指揮者たちは、それぞれの出会い方、出会ったときの目でショスタコーヴィチを記憶し続け、演奏し続けていたのです。スヴェトラーノフも例外ではなかったようです。
彼のショスタコーヴィチとの出会いは、「映画の背景に流す音楽」・「協奏曲」という、間の見計らいの妥当性を厳しく問われる局面においてでした。したがって、ショスタコーヴィチの持つロマン的な側面にも目を配ろうと試みたムラヴィンスキーコンドラシンとはとくに対照的な客観的演奏を、スヴェトラーノフは「第5」上でも残しています。でありながら、絶対にそうした客観的計算を表面に出さないところが、この指揮者の「名人芸」です。

スヴェトラーノフのスコアの読み込み方は、これまで見てきた中ではテンシュテットに近い、
「あくまで音符と記号のみに即した読解」
です。しかも、テンシュテットはそこからスコアの指示以上のテンポ・表情の振幅を造型しようと試みていたかに思われるのに対し、スヴェトラーノフは、メトロノーム記号の指示する速度に関しても、事前の読みでは相当正直に作曲者(あるいは楽譜出版者)に従っていたかのようです。
冷徹すぎるかとも思えるそうした読みを徹底的に行った上で、彼は現場(ソヴィエト国立交響楽団)との調整を行ない、仕上げにかかっているのではないかと感じられました。
各ポイントの速度はメトロノーム記号の指示速度と大きく異ならないよう配慮している事が良く伺われ、かつ、音楽の流れによってメトロノーム記号速度では不適切だと考えられる箇所は、次に速度指示があるポイントが指示通りに近いスピードになるよう、演奏者とうまく協力し合いながら、なだらかな線でのアチェランド、あるいはリテヌートを成し遂げているのです。
端的な例は
・テンポの画一的な遵守=第2楽章
・終楽章前半のクライマックスへ向けての、無理のないアチェランド
(この部分、スコア記譜の速度まで上げるのは至難の業です)
他にも随所にあります。

テンポ遵守とはいっても、決してそれに拘泥しているわけではないので、非常にヒューマンな、のびのびした音の世界が拡がります。ただ、単純に聞いた印象ほどには、スヴェトラーノフは大げさなテンポ・表情の起伏は付けていません。それでいて結構面白い音楽に仕上がっているところ、この人の才能の奥深さを思い知らされずにはいられませんでした。
聴いていて抵抗があったのは第1楽章で、アクセントやクレッシェンドを「デフォルメ」したかったのか、トランペットはやたらと「後膨らまし」に吹かせていますし、コントラバスのピチカートも「第7」終楽章の一部でショスタコーヴィチが弦楽器のピチカートに指示している「ネックを叩くほど強く演奏」を援用したものか、弦をバチンバチンと指板に当てさせています。・・・これは彼の「お遊び」なんでしょうか? それとも、彼の使った楽譜上にそうするように書いてあったのでしょうか?・・・まあ、後者ではないでしょう。

バルシャイ盤の次に各声部の線がクリアに聞こえるのは、録音方法のせいかと思います。
ただし、他の演奏者では感じられなかった、作曲者の「グリッサンド指示」等の効果、第2ヴァイオリンやヴィオラの動きの強調などは、彼独自の「読み」の結果でしょう。

この演奏は、そういう特色から、弦内声部の奏者の方にお勧めします。




ムソルグスキー:歌劇「ホヴァーンシチナ」映画版


ムソルグスキー:歌劇「ホヴァーンシチナ」映画版


販売元:ニホンモニター・ドリームライフ

発売日:2003/03/26

Amazon.co.jpで詳細を確認する

映像も出ているようです(私は見ていません。1976年の演奏)



ショスタコーヴィチ:交響曲第5番&第6番


ショスタコーヴィチ:交響曲第5番&第6番


販売元:ニホンモニター・ドリームライフ

発売日:2005/08/24

Amazon.co.jpで詳細を確認する

こちらは1992年、オーケストラがソ連国立ではなくロシア国立になってからのもの。未聴。



ショスタコーヴィチ:交響曲第5番


Music

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番


アーティスト:スヴェトラーノフ(エフゲニ)

販売元:ポニーキャニオン

発売日:2003/01/16

Amazon.co.jpで詳細を確認する

ショスタコーヴィチの伝記は音楽之友社からも良いのが出ましたが、定番はこれ。



ショスタコーヴィチ―ある生涯


Book

ショスタコーヴィチ―ある生涯


著者:ローレル・E. ファーイ

販売元:アルファベータ

Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« Mozart:「救われたベトゥーリア」K.118(74c) | トップページ | Schostakovich第5CD(6):テミルカーノフ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95716/3162796

この記事へのトラックバック一覧です: Schostakovich第5CD(6):スヴェトラーノフ:

« Mozart:「救われたベトゥーリア」K.118(74c) | トップページ | Schostakovich第5CD(6):テミルカーノフ »