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2006年8月12日 (土)

「音」という漢字

聴覚の実験には楽音よりも言葉を取り扱ったものが圧倒的に多く、一般的にも「言葉」を通じての音認識の研究成果の方がより多く発表されています。
裏を返せば、「音楽」の音には、それだけ人間の合理主義がメスを入れにくい側面がある、ということなのでしょう。
学生時代、私はよく「ピッチ」を感じ取る実験の被験者をさせられ、うんざりしたものでしたが、私を実験台にした先輩からデータを拝見したところ、
「物理的に一定のピッチでも、高めのピッチを挟んで聴くと高目よりに、低く聴くと低めよりに感じられる」
結果が一般的だとのことでしたが、私の結果は往々にして逆になるので
「困ったもんだ」
と怒られたものでした。・・・怒られても、どうしようもありませんが。。。
まあ、どっちの結果が「人間らしい」のか、先輩は確かに前述のように教えてくれたのか、とにかく自分の結果は人とは逆だった、ということだけを鮮明に覚えていて、実は、後の記憶はおぼろなのです。

かように、「音高」の話は単純なものでも測り難い。

そもそも、英語のSoundも、語源的には「感じ取れるが見えないもの」をさしているのではないかと思います。そこに「意味」があることを前提としている。ただ、英語の場合は楽音にはToneを充てており、こちらには音声の起伏を含意しているようです。いずれにしても、「音」はやはり、伝達手段としての何かだ、と考えられている。
漢字の「音」も、「言」という字と起源を同じくしているそうです。
「言」と言う字の最下部の「口」は神に誓う祝詞を入れた器を示し、この祝詞に欺いたときには人は刑罰を受ける、という意味で、罰として入れ墨を刷る針を示すために、最上部の縦棒が付いているのだそうです。
「音」はいまでは上半分は「立」というかたちになっていますが、金文や篆書時代の字形を見ると、たしかに「言」という字と全く同じかたちです。下半分が「口」ではなく「日」あるいは「曰」の字形になっているのは、「口」という器の祝詞に神が感応することで、器が揺れて音をたてることをあらわしているとのこと。
「音」の科学がどうしても「言葉」優先になってしまうのも、仕方のない事なのか。。。

それでも、
「神の感応して鳴らす響きは、言葉にならない意味を持っている」
のです。「音楽」の音、というものは、やはり、それなりに「意味」を持っているはずです。
それが「言葉」ではないだけに辞典化出来ない事は、人間にとってはなはだ残念なのではないでしょうか?
かつまた、これは「心霊現象」などというものよりも手っ取り早く、誰でも持っている能力でもって、「意味」の集成を成し遂げえる、未開の、大きな可能性をはらむ分野なのでもあるのではないでしょうか?



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