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2006年8月31日 (木)

モーツァルトだけじゃイヤー(寒!):声楽篇

ホントにお寒いお題で申し訳ございません。m(_ _)m

モーツァルト・イヤーだからって、モーツァルトだけ注目されるのはどうか、と、いちばん対抗意識を燃やしているのはショスタコファンだと思いますが、記念年という意味ではシューマンなどもそうですのに、いっこうに騒がれません。・・・でも、「傍系」には走りません! シューマン君、許せ!

記念年向けに出されたCDには、モーツァルトと同時代の作曲家の曲を併録したものも出ていましたが、大変いいことだと思います。録音技術の発展は音楽にとって最大の福音です。モーツァルトの陰に埋もれた人たちにも、少しずつですが、光が当たるようになってきました。
そうした中から、私が聴くことの出来たものを採り上げてみます。ご興味を持って頂けたり、
「こういうのもあるよ」
という情報を頂けたら幸いです。

今回は声楽作品、それもモーツァルトに影響を与えた人たちのものをピック・アップしました。
サリエリについては機会を見て別途採り上げます。

1)ハッセ
CANTATE "L'ARMONICA" - SYMPHONIE(sol mineur) - CANTATE "LA GELOSIA"
メタスタジオのテキストに基づくカンタータ2作と、小さなト短調のシンフォニーです。
カンタータ2作は1769年の作。ハッセがモーツァルトの「アルバのアスカーニョ」と競作し、オペラの筆を断つことになる2年前の作品です。2作ともレシタティーヴォとアリアが2セットずつの25分ほどのものですが、メタスタジオの詞に音楽を付けたもので聴くにたえるのはこの長さまでかな、という感じです。歌詞内容に即した起伏の付け方は見事で、信仰圏は異なりますが、大バッハの世俗カンタータを彷彿とさせる作風です。とくに最初の「アルモニア」はグラスハーモニカの早い作例のひとつでもあり、タイトルにふさわしい、響きの美しいカンタータです。
ト短調のシンフォニアはコレルリを10分の1軽くし、ヴィバルディのトゲを抜いた、という風情のものです。ハッセが、ドイツ人でありながらイタリア・バロックの正統的後継者だったことを明確に示す作品であり、同時に、18世紀後半には彼の音楽が「古い」といわれてしまったこともうなずけます。

2)クリスチャン・バッハ
ENDIMIONE
1772年作の、2幕のセレナータ。やはりメタスタジオの台本に基づくものですが、改変してあるそうです。クリスチャンを尊敬していたモーツァルトが「アルバのアスカーニョ」を作った、その翌年の作品。先輩としての貫禄を示した、まとまりのよいセレナータです。レシタティーヴォはアコンパニャートを主とし、アリアも長めのものは2つだけ。合唱も豊富に挟み込んで、神話の世界を非常に美しく響かせます。

La CLemenza di Scipione
シピオーネの慈悲。モーツァルトの「シピオーネの夢」は小スキピオが主人公でしたが、こちらは大スキピオのスペイン遠征を舞台にした作品です。ただし、内容は史実には遠いものです。当時の典型的なオペラ・セリアで、拘留されても反抗するイベリアの王が死刑となるはずの土壇場でスキピオの慈悲に救われる、という筋です。モーツァルトが最後の年に曲を付けた、メタスタジオの「ティト帝の慈悲」も同じようなストーリーですね。この時代の人たちが、似たようなストーリーによくも飽きなかったものだ、と思います。音楽は大団円を序曲のテーマで締めくくるという、当時としては斬新なもので、4年後に死を迎えたクリスチャンの才能を惜しませるに足るものです。

3)グルック
IPHIGENIE IN AULIS(Wagner編曲版)
ワーグナーはオペラ改革者としてのグルックを過大評価したと言われていますが、なかなかどうして、聴かずにグルックの悪口を言うわけにはいかないと思いました。それと知らずに買ってしまったワーグナー編曲版で聴きましたが、グルックの原型は充分とどめているはずです。重厚な序曲は、ちょっと前まではジュニアオーケストラ等でよく演奏されたものでしたが、最近は聴かなくなりました。序曲だけでも再評価されていいのではないでしょうか?

Orfeo ed Euridice
グルックの作品の中では最もCD・DVDが多く出ており、上演機会も多い作品ですね。
オペラは新演出が多数を占めるようになり、私の見た映像もそうした中のひとつです。ジーンズ姿でエレキギターを持ったオルフェオには仰天しましたが、地獄へ迎えに来られたエウリディーチェが「何故私を見ないの?」とオルフェオを疑うクライマックスの場面などは一見に値します。ただ、最初の場面は客席をコンサート会場に見立てるという現代劇の代表的な演出技法によっています。この演出は大変難しいのですが、この映像でも成功しているとは言いがたいと思います。オルフェオを歌っているコヴァルスキーはテノールからソプラノの音域までこなす人だそうで、映像中ではアルトないしソプラノの音域を歌っていますが、往年のカストラートもさぞや、と思わせる素晴らしい歌唱力です。

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2006年8月30日 (水)

Schostakovich第5CD(8):ロジェストヴェンスキー

旧ソ連の指揮者たち、恐るべし!

それまでも小さな仕事ではショスタコーヴィチとの直接関係は皆無ではなかったものの、ロジェストヴェンスキーの最大の業績は、オペラ「鼻」を、そのロシアで復活上演したことでしょう。
ロシアでは創作当初(1930年)にしか上演されず、その後ヨーロッパでは何度か採り上げられているものの、母国では実質上葬り去られていたオペラを、1774年9月12日、彼は2年前に出来たモスクワ室内音楽劇場を指揮して「鼻」の上演に携わり、大成功をおさめました。作曲者の死に先立つこと、わずか11ヶ月でした。

そういう耳で聴いてはいけない、と思いつつ、ムラヴィンスキーコンドラシンバルシャイスヴェトラーノフと同じように、ロジェストヴェンスキー
「ショスタコーヴィチとは劇作品で大きく関わった」
ということなしに、その演奏の特徴を捉えることは不可能のように思われてなりません。
私が手に出来たロジェストヴェンスキー盤「ショスタコーヴィチ交響曲全集(1983〜86録音)」は、昨年ヴェネツィアレーベルから出たものです。どの作品についてもドラマチックさが特徴で、しかもそれがたとえばコンドラシン的なドラマチックとは異なっているのです。聴いただけの印象とは異なり、
「シナリオに忠実に、しかし最大限に作品の劇的構造を活かす」
演奏だと感じるのです。75年の「鼻」の大変優れた録音と比べても、ロジェストヴェンスキーは同じ路線の延長線上に交響曲に取り組んでいる気がします。数曲しか検討していませんが、どの交響曲についても、スコアへの忠実度は(ムラヴィンスキーをも通り過ぎて)最も高い指揮者です。なお、ロジェストヴェンスキーは、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの2度目の訪英時に若手指揮者として同行しています。

ロジェストヴェンスキーの交響曲全集は、エンジニアが大きく3代に渡って変わっており、それぞれのエンジニアの癖が大きく出ているようにも思われました。
1983年、6番と11番のエンジニアを務めた人の録音による演奏が一番自然ですが、この人は2曲で降りています。
2代目の人は84年に12番と7番、それからもう一人のエンジニアとともに5番を担当していますが、大きな癖があります。特に7番では、使用したマイクの、エコーを出すためのスプリングに起因する不自然な「ワオンワオン」という残響が数カ所はっきりと聴き取れます。
残りはすべて3代目のエンジニアが担当し、録音状態はおおむね良好ですが、83年よりも良い機材を使ったのか、声部のチャンネルをしばしば移動させています。
そのような条件を超えて、しかしロジェストヴェンスキーの演奏は全般に冴えている、と言えるでしょう。

第5は、エンジニアを2人も投入し、気合いを入れて(?)録音されたもののようです。
しかし、それが災いしている面も少なからずあるかな・・・
おそらく、全交響曲中、使用したマイクの本数が最も多いのではないでしょうか? 各パートにずいぶんと密着して音声を拾っていることが伺われ、全体が生演奏では有り得ないバランスです。
もともとロジェストヴェンスキーは、「鼻」のごく普通な録音でも打楽器の扱いに「ドラマと色彩」の重点を置いていることが分かりますが、そして、それ故に極めて20世紀後半から今世紀にかけての音楽センスを持ち合わせた人だということも言えるのですが、録音の問題は打楽器以外、とくに弦楽器に大きく現れています。第3楽章のチェロの響きは、ロジェストヴェンスキー自身のスコアの読みにかなり不忠実な「大きすぎる音」がし、しばしば弦楽合奏の和声と融合のバランスを崩す結果になっています。管楽器のソロ部分の録音上の誇張も、第5本来の味を崩す箇所があるように感じました。かつ、まるでライブ録音か、と疑わせるほど、管楽器がミスしてもそのまま突っ走る勢いがあって、爽快に思う人は爽快でしょうが、気にしだすと
「何故こんな録音を!?」
と、エンジニアが正気かどうか疑いたくなります。こんな録音は、全集中、この第5だけです。・・・こうした点が、2代目のエンジニアの降板が早まった一因なのではなかろうか、と勘ぐっております。
そうした録音上の難点は感じるものの、先に述べた通り、演奏としては「スコアへの読みの忠実度が最も高い」優れた演奏であることまでは覆い隠されません。傾聴すべき指揮者であり、演奏です。

ひとつだけ、解釈上で気になるのは、アクセント音を部分的にスタカートと混同しているように思われる点で、第1楽章冒頭の弦は聞き慣れればたいして苦にならないものの、終楽章大詰め前のトランペットは吹くなり唇を露骨に閉じているために音がまるでクルマのフロントガラスにに衝突してベチャッと張り付いてしまった虫のようで、ちと体がムズムズします。

色々言っても、第5の「演劇的効果」を読み取るには好適であることに変わりはなく、これからショスタコーヴィチの全交響曲を聴く方にはお薦めしたい全集です。

なお、ショスタコーヴィチ交響曲の様々な演奏録音比較(とくにムラヴィンスキーとロジェストヴェンスキーについて)には、ふるたこさんのページをお薦め致します。

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Schostakovich:ブログ内記事リンク

諸般の事情で、交響曲第5番CD聴き比べが主になっています。ご了承下さい。

1)交響曲第5番
  ムラヴィンスキー映像73年来日盤
  コンドラシンバルシャイスヴェトラーノフテミルカーノフ
  ロジェストヴェンスキーヤンソンスヤンソンス父子とムラヴィンスキー
  テンシュテット
  バーンスタイン・ハイティンク・プレヴィン・インバル

2)その他の作品
  自作自演:Schostakovich & Friends
  楽譜等 :第7自筆譜
  ムラヴィンスキー:第8(1982)交響曲集
  「鼻」 :ロジェストヴェンスキー

3)新聞等記事から
  MDR記事から:「時代の鏡としての交響曲?」
  NYT記事から:2台のピアノ版「バビ・ヤール」上演前上演後

4)外部リンク
  ふるたこさんのページ(イチオシ!!)
  工藤さんのページ(ショスタコーヴィチの大先生です。)
  ダスビのページ

生誕百年(読まないで下さいナ・・・なら出すな!)

随時追加して行きます。  

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Mozart:アリアとディヴェルティメント(K.74b,K.113)


1771年のモーツァルトは、ソプラノ用アリア1曲、ディヴェルティメント1曲をも、いずれもイタリアで作っています。とくにディヴェルティメント(第1番)は、彼が初めてクラリネットを使った作品として注目されます。これらの作品は、いずれも佳品と言ってよいでしょう。
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K74bのアリア「私は気にとめない(Non curo L'affetto、ホ長調)」はメタスタジオの「デモフォオンテ」I,7に基づく2連のテキストの1連目だけを用いたというコンパクトなもので、演奏時間も4分ほどです。1771年の初めにパヴィアかミラノで作曲されたと考えられていますが、作曲の目的は分かっていません。時期的には『ポントの王ミトリダーテ』が成功裡に終わった直後にあたります。ダ=カーポアリアの、最初に戻る部分を短縮してあるのは、<ベトゥーリア><アスカーニョ>を含む一連の劇作品と共通するところです。美しいアリアですが、録音は少ないそうです。
伴奏オーケストラは2本ずつのオーボエとホルンに弦楽器、使用した歌詞は次に示す通りです。

Non curo L'affetto d'un timido amante
che serbanel petto si poco valor,

この2行を、ホ短調に転じる中間部でも使用しています。旋律は前古典派的な、しかし若々しいもので、前半部は4度上昇しなだらかに加工する音型で始まり、中間部は4度、3度の上昇から7度下降、と切り落とすような音型をpで歌う「耐える嘆き節」になっているところが興味深く思われます。
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K.113のディヴェルティメント変ホ長調は、冒頭に述べた通り、彼が初めてクラリネットを用いた作品で、第1、第2(おそらく翌々1773年初の改変)稿が存在します。クラリネットを用いることが出来た事自体、この作品がイタリアで生まれたことを現わしており、オーボエ、イングリッシュホルン、ファゴットを追加した第2稿も、とくにイングリッシュホルンの使用が、やはりイタリアでの上演を反映しています。第2稿の演奏は耳にしていませんが、オーボエはクラリネットを、イングリッシュホルンはホルンを、ファゴットは弦楽器の低音部をなぞるのが主な使用法となっており、第2稿の方が幾分部厚めで透明度の低い響きがするものと推測されます。それを反映してか、録音で第2稿のものは今のところ私には見いだすことが出来ません。第1稿は11月22日か23日に手掛けられたかと推定され(ウィゼワ、サンフォア)ます。曲は
1.Allegro(70小節)
2.Andante(36小節)
3.MENUETTO(16+16小節)
4.Allegro(128小節、速度記号はレオポルドによる付加)
から成っており、作品の雰囲気は第1稿は特に少し大人びたかげりを見せ、すくなくとも翌1772年の「ザルツブルク・シンフォニーK.136〜138」を予見させます。
こちらは名物コンサートマスターだったヘッツェルさんを含めたウィーン・フィル団員たちによる名演奏も廉価なCDで聴くことが出来ます。

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2006年8月28日 (月)

Mozart:シピオーネの夢 K.126


1幕のセレナータ、「シピオーネの夢」は、結局私にはピンとこない作品でした。

「シピオーネ」は古代ローマの英雄スキピオのイタリア語読み。スキピオは大アフリカーヌスと小アフリカーヌスと言われた2人が有名ですが、この作品の主人公は小アフリカーヌスの方です。もっとも、彼の夢の中に、(義理の)祖父、大アフリカーヌスも「プブリオ」の名で登場します。

台本はキケロの『国家について』第6巻9章以下(スキピオの夢)をメタスタジオが翻案したものですが、読み比べると、メタスタジオの翻案はキケロの意図が分かりにくくなるほど冗長です。原作に示されているキケロの意図は、前掲書第19章にある言葉に尽きます。
「そのとき(大)アフリカーヌスは言った。『わたしはおまえがいまもなお人間の住居と家(訳書通り)を眺めているのを見る。もしそれが事実のとおり小さくおまえに見えるなら、つねにこの天界の夜景を眺めるように。そして、あの人間のもの(=住居、財産、名声)を軽蔑するように。じじつ、おまえは人間の噂からどのような名声を、あるいは追求に値するどのような栄光を得ることが出来るのか。(以下略)』」(「キケロー選集8』岡道男訳、岩波書店)
メタスタージオは、この大アフリカーヌスの暗喩のうち、「財産、名声」をフォルトゥナータ(ソプラノ)、上記には語られていない部分の「事実の通り小さく見える人界への誠実な奉仕」をコンスタンツァ(ソプラノ)という2人の女神に集約し、2人の女神が小アフリカーヌスに
「どちらを伴侶に選ぶか」
を選択させる、という筋立てを取っています。

ヴォルフガングはメタスタジオの台本を全部そのまま作曲したものか、たった1幕の劇作品であるにもかかわらず、「シピオーネの夢」は演奏に100分を要します。しかも、メタスタジオ流の旧式な台本構成は前半3分の2ほどがほとんど単調なレシタティーヴォとアリアの反復で、ヴォルフガングは間に1曲、素晴らしい合唱曲を挟んでいるものの、仕上がりとしては大詰に至るまで起伏を欠いており、筋をたどりながら聴いていても退屈です。

音楽そのものは、それでも1曲ずつ見れば、1772年以後充実していくヴォルフガングの個性を予見させる、素晴らしいものだけに、全体の「つまらなさ」は、この作品に私たちが興味を抱く上で最も大きな障壁となってしまい、返す返す残念だなあ、と思います。単独盤CDは古楽式の演奏ですが、序曲の演奏に難がある気がします。本来あるべき演奏より間が抜けた感じです。惜しい。

この作品は、1772年、ザルツブルクの大司教シュラッテンバッハが死去したことにより後任となったコロレドを迎え入れるために作曲されたもの、と思われてきました。しかし、その後の自筆譜などの研究で、実は1771年のうち(おそらく第2回イタリア旅行中)にシュラッテンバッハの大司教就任50周年祝賀の為に作られたものであることが判明しました。スキャナ不調で、その証拠となった部分の図版が添付出来ず、残念です。
シュラッテンバッハは、皮肉なことにモーツァルト父子がイタリアから帰郷した翌日、1772年1月16日に亡くなったのでした。後任のコロレドは3月までには赴任しましたが、その歓迎の宴で「シピオーネの夢』が演奏された形跡はありません。シュラッテンバッハ時代の財政破綻を立て直すことを急務としたコロレドは、上演されたとしても喜ばなかったでしょう。
したがって、「シピオーネの夢』は1979年にザルツブルク<モーツァルト週間>で録音されたものが初演となる、ということだそうです(海老沢敏「超越の響き モーツァルトの作品世界』479〜480頁)。
なお、平凡社新書「モーツァルト オペラのすべて」108頁の記述
「すべてが終わり、リチェンツァ=献辞がシピオーネの徳を讃える。」
は誤りで、リチェンツァは「シピオーネに喩えたザルツブルク大司教(もともとはシュラッテンバッハ、あわてて直したあとにはコロレド)というのが正です。ご注意下さい。
二人のスキピオの事蹟は、塩野七生「ローマ人の物語」ハンニバル戦記(文庫では4〜6巻)を参照。
ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上) 新潮文庫
ローマ人の物語 (4) ― ハンニバル戦記(中) 新潮文庫
ローマ人の物語 (5) ― ハンニバル戦記(下) 新潮文庫

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2006年8月27日 (日)

組曲「矮惑星」?

前の記事:さらば! 冥王星
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・・・というわけで、さっそく、ラトルの<「冥王星付」惑星>を聴いてしまいました。
娘の吹奏楽の参考用に<パイレーツ・オブ・カリビアン>のサウンドトラック盤だけ買うはずだったのですが(^^; 。。。

ラトルの「惑星」には、冥王星の他に、ケレス(セレス)など4つの天体をイメージして作られた曲がついています。「冥王星」とケレスは、このたびは日本語では「矮惑星」と名付けられたようですが・・・今後、どうなりますことか。
他の天体は、「オシリス(太陽系外惑星)」を除けば、「トゥータリス(4179)」・「コマロフ」と名付けられた太陽系内の小惑星で、「コマロフ(1836)」は、ソ連の有人宇宙船に乗り込んで殉職した飛行士の名前です。ケレスもその仲間だったのですが、格上げになるのでしょうか? 先行きは(我々シロウトには)不透明ですネ。。。

なお、「コマロフ」に付けられた曲は「コマロフの失墜」と訳されているようですが、コマロフ氏は別に権力や名誉を失ったわけではなく、事故死したわけですから、日本語としてはヘンではないかしら?・・・細かいですか? あ、すみません。値段の安い方の輸入盤を買いましたし。この"Komarov's Fall"は、中々の名曲で、コマロフ氏のエピソード(上記リンク参照)を思い合わせると感動しました。
そういえば、何年のことだったか、東の夕空に、赤い尾を長く引きながら落ちて行く複数の奇妙な天体を見ました。翌朝のニュースで、ソ連(当時)の老朽化した人工衛星がアラスカ方面に落下したものだったことが分かったのですけれど。ご記憶の方、いらっしゃいますか?

曲の話。「冥王星」を含め、「オシリス」を除いた4曲で、30分以上の組曲が悠々作れますが、これを複数作曲家の合作組曲にしたら、何と言う名前にしたらいいんでしょうね? 組曲「矮惑星」でも組曲「小惑星」でも、どっちにも決めかねる情勢。そのうち組曲「衛星」とか「月のクレーター」とか「火星の渓谷」、出てくるんでしょうか? 興味津々、でもないか。。。(ああ、われながら、思い付きがチッチェーー!)

なお、ラトル盤<惑星>2006は、英語の解説の内容はホルストの「惑星」が第1次大戦前夜に構想が始まったことを含め、ピュタゴラスやケプラーのことにも言及している丁寧な解説で、他に収めた天体に関する音楽作品がホルストに比べ悲劇的イメージを持っている点にもラトル氏自身が「われわれにできるのはこれだけなのか!(ちょっと違うんですけど)」とコメントしており、非常に好感が持てました。日本語版の解説も、もちろんその訳だと思いますが、読んだら、きのう
「さらば! 冥王星」
と浅はかに叫んでしまった自分がちょっと恥ずかしくなりました。

なお、9月1日に、ホルスト自作自演の「惑星」録音が復活します。。。思わず予約してしまいました。かあちゃん、ゴメン。

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2006年8月26日 (土)

さらば! 冥王星

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この記事の続き:組曲「矮惑星」?
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尊敬する指揮者でオーボエ奏者の茂木大輔さんのブログに記事がありましたが、
天体の話題でこれほどニュースになったことは近年あまりなかったでしょう。
冥王星が、とうとう正式に「惑星」から外れましたね

私はもともと、ホルストの<惑星>に「冥王星」を付け足したヤツは、違和感があって聴いたことがありませんでした。でも、CDなどが無くなる前に、聴いておかなくっちゃ、と思っております。ラトルによる「冥王星付き惑星」を出したEMIの日本法人の方も、ニュースを見ると、感慨深げでした。

子供の頃にはまだ、天体図鑑に「ボーデの法則」というのが載っていて、
「惑星の太陽からの距離は、一定の数列に近似的に沿って規則性がある」
とのことでしたが、海王星から先はあてはまらないので、あくまで経験則だ、ということでした。近年は宇宙関係の図鑑や入門書にはほとんど採り上げられていない法則です。この法則を重んじれば、逆に「ケレス(セレス)」も惑星、で、惑星は増える方で決議されたはずなんですが、そうはいきませんでした。

ヨーロッパにおいては、ピュタゴラス以来
「惑星間の距離には音程に似た調和性がある」
と考えられており、地動説が正しいという決定的な観測データを提供したケプラーでさえ、太陽との関係において、
「土星=長3度、木星=短3度、火星=完全5度、地球=半音、水星=8度」
(金星は特殊扱い。白水社「図解音楽辞典」268頁による)
と、惑星軌道の調和を音程として捉えていました。音楽が数学・天文学と密接に関わる学問として考えられていた名残の最たるものでしょう。
ちなみに、ケプラーは天体観測で有名だっただけでなく、良く当たる占星術師として知られていました。彼の見つけた惑星軌道の3法則ニュートンの著書<プリンキピア>における「万有引力法則」発見にも繋がり、積分学の発展にも寄与したのですが、当のニュートンも占星術大好き人間だったのでした。

冥王星の発見者の奥様はご存命で、天体そのものは無くなるわけではないですけれど、
私は傷ついてはいないが、動揺しています
とおっしゃっているそうです。
冥王星をめざすロケットが目的の星へたどり着くのは9年後。そこに添えられているメッセージを冥王星人が読んだら、どんな返事を地球に送ってくるのでしょう?
その返事が着いたとき、地球人はどう振る舞ったらいいか困ってしまうんじゃないでしょうか?



ホルスト:惑星(冥王星付き)


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ホルスト:惑星(冥王星付き)


アーティスト:ラトル(サイモン)

販売元:東芝EMI

発売日:2006/08/23

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2006年8月25日 (金)

Schostakovich:「鼻」1775年録音

ショスタコーヴィチ続きです。ロジェストヴェンスキーが、彼の最初のオペラ「鼻」を、1974年、なんと44年ぶりでロシア再演したメンバーにより、翌75年に録音したCDが、ヴェネツィアレーベルから発売されていますが、驚きの990円(!)で手に入ります(ただし、タワーレコード新宿店店頭にて)。
外国語に弱い私は、タイトル"HOC"を「ホック」と読んでしまいました(T_T)。苦手意識から常々「オペラはDVDで字幕を読みつつ」派なのですけれど、これは思い切ってCDで聴きました。21世紀に入っても斬新な作品だと感じられるほどで、アジア音楽を採り入れた形跡も多々あり、とくに打楽器ファンは必聴です。簡単な筋の解説が英語で付いていますし、ゴーゴリの原作は岩波文庫で出ていますから、その二つさえ手元にあれば面白く聴けますヨ!



外套・鼻


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外套・鼻


著者:ゴーゴリ

販売元:岩波書店

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2006年8月24日 (木)

ショスタコーヴィチ第7自筆譜ファクシミリ

画像はこちら

自分で自分の誕生日プレゼントに、ショスタコーヴィチ:交響曲第7番の自筆譜ファクシミリを入手しました。1992年に価格72,100円で出版されたものですが、今では52,500円で入手出来ます(ファンの方は既にお持ちでしょうね)。日本語の解説もついています。今回は図版を添付しませんが、いずれ一番の見所をアップすべく読んでいるところです。一瞥して興味深い点は、1)楽器は構想時に既に決定しているらしく、五線紙を節約し、小編成の部分は1枚中に2,3段書いている(印刷スコアのよう!)、2)筆跡は緻密かつ粘着質だが早書きされたらしい、3)イスタンブール製の五線紙を使用している! というあたりです。ご興味のある方は全音のサイトから購入出来ますヨ。ショスタコーヴィチの天才が充分に伺え、素晴らしい史料である割に安価なのが魅力です・・・この値段ではなかなか買えません!(私が儲かるわけではありませんので、念のため申し添えます。)

http://www.zen-on.co.jp/form/fm/info/icc_piano2006/cat

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2006年8月23日 (水)

Mozart:アルバのアスカーニョK.111

Mozart:アルバのアスカーニョK.111

昨日の「ショスタコ第5CD」の話同様、たった一つのことでだいぶ長い文になってしまいました。そのうえ、言葉の方は多分に不足しています。すみません。この作品につききちんとお知りになりたい方は、どうか、文中にあげた書籍などをご参照下さいますよう、あらかじめお願い申し上げます。
・・・病休がもうすぐ明けると思うと、ついいろいろ考えてしまいます。

「アルバのアスカーニョ」にたどりついて、はたと困ってしまった事があります。
この作品が、
・なんでハッセに以後のオペラ創作を断念させるほど成功したと言われているのか
・この作品の成功が、むしろ依頼主マリア=テレジアに嫌悪されたと見えるのはなぜか
が、音楽を読み聴きしても、文献を読んでも、理解できなかったのです。

ひとつめの問題は、この作品をサブとし、メインとして上演されたアドルフ・ハッセのオペラ「ルッジェーロ」が聴けなかった(音源がないし、楽譜もみつけられなかった)ためにしっくりいかないのです。
ふたつめには、この作品、諸伝記に「オーストリアの『女帝』マリア=テレジアの依頼を受けて書かれた」とあり、大成功したのであればモーツァルト父子は報酬だけでなく処遇も相応に報いられても良かったはずではないか、という疑問が晴れません。

疑問を先に綴ってしまっては突拍子もありませんので、ここで作品の成立から上演までについての事実を、分かる限り見ておきましょう。(一番大切に読んでいたはずの音楽之友社『モーツァルト』をどこかに置き忘れ、参照出来ません!ドジだなあ。。。)
オーストリアの皇子にしてミラーノ大公フェルディナントの婚儀のために祝典劇へ作曲することが正式に決まったのは、モーツァルト父子が第1回イタリア旅行からザルツブルクに帰った前後のことのようです。

依頼を受けた経緯については、
・オーストリア女帝マリーア・テレジアから(高橋英郎『モーツァルト366日』)

・おそらくミラノの推薦を受けたウィーンの宮廷から(堀内修『モーツァルト オペラのすべて』)

・ザルツブルクに帰郷した3月末に、ミラーノ大公フェルディナントの母マリーア・テレージアから祝典劇の作曲依頼を受けた(若松・町田『モーツァルト問』)

・ザルツブルクに帰郷したモーツァルトは、オーストリア女帝マリーア・テレージアより、オペラ作曲を依頼するという手紙を受け取るのであった(海老澤敏『モーツァルトの生涯』)

などとあります。新モーツァルト全集のこの作品のスコアの前書きでも(私の語学力で読み切れていないのかも知れませんが)、「マリア・テレジアから依頼された」程度にしか記述されていませんでした。
マリア=テレジアの名に触れていないのは『モーツァルト オペラのすべて』のみで、他はどう読んでもマリア=テレジアが「直接」モーツァルトに依頼したようにしか受け取れません。
まずは、こうした記述が、事後のマリア=テレジアの冷たい態度を誇大に感じさせる大きな要因になってしまっているものと思われます。

アインシュタイン(『モーツァルト その人間と作品』)は、この作品についてほんの短くしか触れていません。しかし、モーツァルトが注文を受けた経緯に関しては、
「女帝の依頼でフィルミアン伯爵が少年に注文したものである」
と、簡潔ながらより具体的に記しており、『アルバのアスカーニョ』の注文は「女帝(実際には皇太后)」が「直接」に成したものではないことが、これでやっと判明します。・・・些細なことのようですが、事実を把握したいとき、文献類というものはいかに注意深く読まなければならないか、私としては思い知らされた格好です。
日本人の本の中では唯一『モーツァルト オペラのすべて』が、本当の経緯は何かにつき考えて書かれていることになります。そこから一歩踏み出していないのは、この本が一般向けの新書であるためでしょうけれど、「ああ、惜しい!」と声を上げてしまいたい気持ちです。ついでに言えば、この本に参考文献表があれば、もっと有り難かった! 「おそらくミラノからの推薦で」は、的を得た視点だと思われるからです。この件に関して明確に触れた書籍には巡りあっていません(なにかでお読みになった方からの情報があれば有り難く存じます)。が、前年のヴォルフガングのオペラ・セリア『ポントの王ミトリダーテ』を、フェルディナント公が大変気に入ったという経緯もあったので、蓋然性はきわめて高いのです。

マリア=テレジアについてはまた後に置いておき、次に、ハッセとこの作品との関係を見ておかなければなりません。
その前に、『アルバのアスカーニョ』とはどんな作品か、内容と創作の経緯を把握しておきましょう。

台本自体は、劇としては他愛もないものです。主人公「アスカーニョ」はフェルディナント公を、その母で美の神「ウェヌス」はマリア・テレジアを、アスカーニョの妻となるニンフ「シルヴィア」はフェルディナント公に嫁ぐマリア・ベアトリーチェ(モデナ王エルコーレ三世の娘。ちなみに、エルコーレはヘルクレスのイタリア語読みで、作中の「シルヴィア」はヘルクレスの血脈を受けた女性ということになっています)を、それと分かるように喩えています。
筋立ては、劇を華やかにするため長く引き伸ばすのに台本作者パリーニが苦慮したと伝えられるほど、単純な少女マンガ風のもので、ヴェヌスの子息という身分を隠したアスカーニョがシルヴィアの心を射止めるまでの、少しばかりの紆余曲折を、牧歌劇仕立てで描いているに過ぎません。
ただし、アスカーニョは伝説上ローマの始祖ロムルスとレムスの父に当てられている人物です。この人物を主人公に据えることで、フェルディナント公の婚姻が新しい王土繁栄の礎となるよう、劇をもって嘉するという、じつにウマい狙いが、まことに露骨です。

ヴォルフガングの元に台本が届いたのは1772年8月29日。9月までにはレシタティーヴォの作曲が進んだようです。ただし、これまで経験してきた劇作品とは違い、「アスカーニョ」には合唱やバレエが大きく取り込まれていたりすることなどがヴォルフガングには大きな負荷となったもののようで、
「僕はたくさんは書けません。第一に何を書いたらよいか分からないし、第二に書いてばかりいて指が痛むのです・・・」(海老澤敏訳)と、家族への手紙でぼやいています。

作品の特色は、なんといっても、単純な民謡風の合唱による音楽の分かりやすさです。合唱の効果的利用は「救われたベトゥーリア」ですでに試みていたことではあります。が、前作では敬虔さに終始していたのと異なり、「アスカーニョ」での合唱は、劇の幕開けと大詰めでは華やかに、中間ではほぼおなじメロディーと管楽器を生かした素朴な響きのオーケストレーションで繰り返し歌われることにより、聴衆に親しみやすい雰囲気を生み出しています。

この、「管楽器を生かした」オーケストレーションが、すくなくとも音楽上でヴォルフガングがハッセより大きな当たりをとることになった(らしい)原因ではないか、と思われます。

ハッセの「ルッジェーロ」に関しては通り一遍の情報しか得られませんでしたが、
「バロックオペラの域を出ず、最新の流行に遠かった」
と言われているところから推定すると、おそらくは技巧的なアリアに重点を置き、合唱はあったとしてもわずかだったのでしょう。また、台本はメタスタジオのものでした。ヴォルフガングの「ベトゥーリア」もメタスタジオの台本で、冗長な印象があることは、先に述べた通りです。ハッセがどの程度メタスタジオの台本に従ったのか分かりませんが、旧スタイルの曲をつけたとなると、時の聴衆にとっては退屈な代物になったであろうことが想像されます。

さらに、オーケストレーションの問題ですが、これは1769年にハッセが作曲したカンタータのCDは入手しましたので、もう少し妥当性の高い推測が出来そうです。こちらのカンタータはオーボエと弦楽のオーケストラにソプラノ独唱、加えてグラスハーモニカが加わる、大変美しい作品です。「おそらく、グラスハーモニカを取り入れた歴史上最初の作品ではないか」という説が、CDのパンフに書かれていました。
オーケストレーション上、グラスハーモニカを活かすことはもちろん忘れていませんが、一方で判明するのは、オーボエが独立で活躍することはまったくない、という点です。したがって、カンタータのオーケストラの色彩は、グラスハーモニカだけが、セピア色の背景に淡いピンクで浮き出てくるというに過ぎません。
オペラ中でグラスハーモニカを使った、などということは、まずありえませんから、「ルッジェーロ」のオーケストレーションは、ハッセの慣れ親しんできたセピア色でしかなかったのでしょう。ヴォルフガングのクレヨンを駆使した天才児童画の色彩の豊富さには敗北せざるを得ないのも当然だったと考えて差し支えなさそうです。・・・実際、「ルッジェーロ」を最後に、ハッセはオペラの筆を絶つことを決心し、長く彼を贔屓してくれたマリア・テレジアにはいちはやくその決意を告げたものと思われます。

ただ、ハッセの決意が
「大衆に受けなかった」
ことでなされたものだ、と受け止めてしまうと、注文を受けた経緯と同様、ヴォルフガングの「アスカーニョ」の成功を過大視することになるので、注意しなければなりません。
ハッセの「ルッジェーロ」は「アスカーニョ」に駆逐されたわけではなく、ミラーノの婚儀祝賀の期間中は上演され続けています。上演を打ちきらなければならないほどの失敗だった、とすればありえないことです。
以後、「ルッジェーロ」はたしかに再演されることはありませんでしたが、これは「大成功した」と言われる「アスカーニョ」についても全く同様です。
「アスカーニョ」の大成功、は、どうも、レオポルドの書簡中の言葉を過大に受け止めた伝記作者たちの幻想ではないか、と考えたくなります。問題の10月19日付のレオポルドの手紙にある言葉は次のようなものです。
「このセレナータ(「アスカーニョ」のこと)はビックリするほど人気があったので・・・(中略)・・・要するにです! お気の毒だが、ヴォルフガングのセレナータがハッセのオペラをまったく打ち負かしてしまったので、私はそれをどう説明したらよいか分からないほどです。」(海老澤敏訳)
この手紙のほか、「アスカーニョ」がハッセを「打ち負かした」という客観的な証拠は見当たりません。繰り返しになりますが、祝賀期間中はハッセの作品も「アスカーニョ」同様に演じ続けられ、「アスカーニョ」のほうも、ハッセのオペラ同様に後世から忘れ去られたのです。

ここに至って、最初の2つの疑問を顧みましょう。
「ハッセは本当に失敗からオペラの筆を絶ったのか?」
表面的な事象からは、どうもそうとは言い切れないようです。仮に本当にハッセの作品のほうが受けが悪かったとしても、上演は続いた。。。ハッセがオペラ創作をやめた理由は、あくまでハッセの内面に求めなければならないようです。それを明らかにする材料が、どこかにあれば良いのですが。ミラーノでの競演以前からハッセがヴォルフガングの才能を高く評価していたことは、前年の友人宛の書簡からもあきらかですし、そのことには以前触れました(K.87「ミトリダーテ」)。と同時に、もともとミラーノ用のオペラを依頼される以前から、彼はオペラ創作をやめる決心を固めていたと言われています。ミラーノの件は、ご贔屓にしてくれるマリア・テレジアのたっての頼みを断れなかったからだ、とのことなのです。
妙な例えですが、相撲で横綱が引退するときは、有望な後進に敗れるのがキッカケになることがよくあります。とはいえ、横綱はそこで俄に引退を決意するわけではありません。その前から、心のどこかで自分の限界を悟り、引き際を考え続けているのです。・・・ハッセの引退も似たようなもので、ヴォルフガングとの競演や、その際の大衆の目が新鮮な若者に向くのを確かに見届け、それまで心に秘めていた決意を実行したというだけのことだったのではないでしょうか?

もうひとつ、「アスカーニョ」成功後の、マリア・テレジアの不快表明の問題については、どうでしょうか?
彼女はミラーノでの様子を耳にして「ハッセが可哀想です」と表明したそうですし、なおかつヴォルフガングを気に入って抱えようとした息子フェルディナントに対して次のように書き送ったのも有名です。
「あなたはザルツブルク出身の若い人を使いたいと私に頼んでこられました。私はあなたが作曲以下のような役立たずを何故必要となさるのか分かりませんし、信じられません。勿論それでもあなたがそれで満足なのでしたら否やは申しません。しかし私が言っているのはあなたが役立たずのことで苦情を言わなければということであって、そういう人達があなたに仕えているかのような肩書きのことまでは含めません。そういう人達がまるで乞食のように世界中をほっつき回るとしたらそれは職務を陵辱するものです。それに乞食には大家族がつきものです。」(1771年12月12日付。ドイッチュ・アイブル編、井本訳「ドキュメンタリー モーツァルトの生涯」)
ハッセの件と、この否定的な書簡を並列で見ることが果たして正しいかどうかが、問いに答える一つのポイントになるはずです。
並列で見ることから、「マリア・テレジアはハッセへの同情と、夫皇帝の死後の財政緊縮を絡めてモーツァルトを侮辱的に扱った」とされるのが一般的です。
しかし、手紙の文面をよく見ると、マリア・テレジアはモーツァルト父子についてきちんと情報把握していたことが分かります。
「そういう人達がまるで乞食のように世界中をほっつき回るとしたらそれは職務を陵辱するものです。」
というくだりに注目すべきです。
注文の経緯自体がまず、アインシュタインの証しているように、彼女の直接行なったものではないことを考え合わせると、彼女はもともとモーツァルト父子に好感を持っていなかったのではないか、と考えることも許されるでしょう。そのうえでレオポルドの先に引いた書簡のような言葉が風の噂で伝わっていたとしたら、なおさら嫌悪は助長されるというものです。
レオポルドという人格に、また、ザルツブルクに居着かないで息子の天才を売り歩くこの父の「職務陵辱」に、彼女は皇室の徳を守るべき者として、のちにコロレドがヴォルフガングに抱く思い同様、望ましくない家臣の姿を見ていたというのが本当のところなのではないでしょうか?

「アルバのアスカーニョ」のスコアはNMAペーパーバック版では第4冊目、1085頁からです。
CDの単独盤は見つけていません。全集盤では輸入盤第13巻に含まれています。

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Schostakovich第5CD(6):テミルカーノフ

「いつでも聴ける音楽なんて邪道だ!」
というのが、LP時代のレコード反対派の意見でした。いまは、どうなのでしょう?
いくら録音技術が発達しても、ライヴ録音の場合は特に、ホールやそこの録音可能環境の影響で、どうしても拾いきれない音がある事は、常々感じます。
テミルカーノフ/サンクトペテルスブルク・フィル(前レニングラードフィル)による、2005年11月25日バーミンガムでのライヴを収録したショスタコーヴィチ「第5」も、おそらくはホールで響いていたはずの「何か」を拾い漏らした録音なのではないかと思います。弦楽器の低音が異様に弱い。それが最大の理由ではないのですが、低音の拾いが小さいせいで、演奏がかなり軽めに聞こえます。それでいて、終楽章が終わると大歓声を交えたかなりの喝采・・・納得がいきかねました。
しかし、そんなこと以上に、テミルカーノフ指揮下のこの演奏には、様々な感慨を抱かざるを得ませんでした。
もうすぐ職場復帰しますし、すると、
「なんでこんなに複雑な思いなんだろう」
などと自問自答・試行錯誤するゆとりは確実になくなりますので、少し必死で、自分の感慨の究明に努めました。

その前に、一つはっきり言えるのは、たとえCDで音楽を聴くのであっても・・・それが既知の曲であればなおさら・・・努めて客観的な評価を加えるためには
「最初の一聴が大切」
だということです。
繰返し聴いていると、人間、その演奏の微細な特徴にも慣れてしまうため、演奏の独自性を捉えようと思っても、時間が経つほど感覚が記憶の「抹消作用」に影響されて純粋な鋭敏さを失ってしまいます。この点は肝に銘じなければなりません。

テミルカーノフという人について、私は、前回、スヴェトラーノフ盤の特徴を述べる際ついでに綴った程度の知識しか持ち合わせていません。それでも「彼の就任と同時にムラヴィンスキー夫人の解雇」という事実が、ムラヴィンスキーびいきの傾向がある私には、サンクト・ペテルスブルクフィルと彼の関係についてマイナスの先入観になる可能性は大いにありました。
「第5」の実況を聴いた第1印象は、正直言ってあまり好意を持てるものではなく、やっぱり自分の先入観を逃れえなかったのかな、と、少し悩んでしまいました(別に悩む事ではないのだけれど)。
で、二度三度と聴きましたが、やはり、どうしてもスッキリしません。
「何故だろう?」

スッキリしなかった原因は、続いて収録されている「第6」のライヴが非常な好演であることでした。
となると、「第5」の演奏に納得がいきかねる原因は、指揮者にだけ求めるべき問題ではない、との仮説を立てざるを得ません。

サンクト・ペテルスブルクフィルは、ムラヴィンスキー晩年の「第5」録音時でも水準が上がってきている事が伺われていましたが、それから20年経った現在は、一層レベルアップしています。
と同時に、「第5」の演奏では、ムラヴィンスキー時代のような
「音一つ一つを慈しむ」
演奏法ではなくなり、遅い楽章だろうが速い楽章だろうが、器用な人たちにありがちな横流れで輪郭のない発音になりやすい傾向が感じられます。
これは実は、時代性によるものなのではないかな、というのが私の仮定でした。
確認のため、今回は触れずに置こうと思っていたゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団の演奏も聴きました。結果としてテミルカーノフとかなり類似した傾向が、オーケストラの音の出し方にみられました。

音程感の変化も、非常に重要なポイントです。
ソ連時代のロシアのオーケストラは、「狭い・低い」音程感を貫いているのが特徴です。プロコフィエフが1943年にモスクワフィル(だったかな)を指揮した「ロミオとジュリエット」組曲の録音が残っていますが、音程の「低さ」・「狭さ」についてはこの傾向の例外ではありません。ただし、彼のフランスにいたという経歴、人柄とは違って(!)優雅な作風もあって、「流れ」という点では、これまで聴いてきたソ連の指揮者たちによるショスタコーヴィチ演奏に比べると柔らかく、どちらかというと近年のゲルギエフやテミルカーノフに近いように感じます。
プロコフィエフの自演を収録したものとおなじCDに、それからまた20年ほど遡る、グラズノフの「四季」自作自演が収録されています。こちらはロンドンのオーケストラを振っているもので、音程は幅広く、「明るいのが当然」といった演奏です。同様の事は入手しやすいラフマニノフの協奏曲自作自演(フィラデルフィアと共演)にも言えます。

こうしてチェックしてきてみると、私は大きく首をかしげざるを得なくなりました。
「今のロシアのオーケストラの方が、ソ連時代以前のロシアの音に戻っているのだろうか?」

「第5」ではなく、ショスタコーヴィチの「第6」のほうに関しては、私はいままでムラヴィンスキーとコンドラシンの指揮した演奏に耳慣れてきましたが、一方で
「この音楽は彼らの演奏ほど硬質に仕上げるのでは魅力が半分なのではないだろうか」
という疑問も持っていました。
テミルカーノフ指揮のライヴは、この疑問を見事に解決してくれました。幅が出来て明るくなった音程感のおかげで、和声が非常に豊かに、滑らかに響きを推移させるのです。

「同時代性」や、さらに兄弟関係と考えて良い「第7」・「第8」までを視野に入れると、「第5」には硬質な演奏が合っているはずだ、という思いは、なお変わりません。ましてや、「第6」だけが「豊か」でいいのか、と自問すると、
「いやあ、こちらもストーリーは第5と大きく違わんからな・・」
と、また考え込まざるを得ません。
「第5」も「第6」も、極端すぎる要約をすれば、
<鬱から躁へ>
の世界です。
しかし、それぞれの「鬱」・「躁」の性質が、どうも違うように思うのです。
どう違うか、は伝記的事実、社会的背景を考慮すれば明らかになるはずですが、そこまで深入りするとキリがありませんので、いまはただ、ショスタコーヴィチにとって
「第5は周辺の人々の墓標の上にあり、第6は個人の内面の浄化へ向けた葛藤を記録している」
と要約して、その場凌ぎとしておきます。

話がだいぶずれました。
指揮者が入る事のできる余地を考慮すれば、テミルカーノフだけでなく、ゲルギエフも、およそ彼らの先輩たちの正当な後継者であると思われます。ただし、いずれも「作曲者との同時代性」という呪縛から逃れている分、独自にスコアを読むことから出発しています。結果として、ゲルギエフは「ロマン的側面」を読み取り(キーロフで仕事をしている点が大きく作用しているのでしょう)、「横流れ」の音を出すようになった現在のオーケストラではそれが誇張される結果になっているものと推測されます。

テミルカーノフは、「第6」の演奏も併せて聴く限り、オーケストラに対して無理な注文をあまりしない、おそらくは優しめの人柄なのではないかと思います。こだわりを見せているのは一部のリズム、たとえば第1楽章の冒頭部、複付点ではない記譜の部分まで複付点で演奏する(何故そうしたのか、必然性も感じられず、非常に疑問ではあります)といった点くらいで、テンポの起伏がバルシャイより一層緩いかな、と感じさせるほどです。そのため、第1楽章は17分もかかるという記録を残しながら、別段変わった訴えかけもなく、
「なんでこんなに時間をかけるの?」
と首をかしげざるを得なかったりします。第2楽章は対照的にあまりにさらっと走り過ぎ、こちらは様々な録音を平均しての5分20秒〜30秒程度という記録を大幅に更新し、4分53秒で終わらせており、その分音も一層軽はずみになっているキライがあります。
その他、ムラヴィンスキーの演奏に刻印されている終楽章の「(移調で読んで)ソ・ラシドシラミ」の部分は、出版譜の「(移調で読んで)ソ・ラシドシドミ」になってしまっていて・・・これもツマラナイ。。。
それでもオーケストラ側はムラヴィンスキーの「呪縛」から完全に開放されているわけではなく、おそらく受け継がれているパート譜に書かれた事を守っているのでしょう、随所にムラヴィンスキー生前の奏法の名残を聴く事が出来、興味深く思いました。

長い上に支離滅裂だったかも知れません。
このCD。「第6」をも併せて聴きたい、というのであれば、お勧めします。「第6」に関しては、今のところ私はこのCDの演奏に大変満足しています。
あるいは、「第5」の演奏史・受容史を考えたい方にも絶好の史料なのではないか、と思います。

・・・単独で「第5」をお聴きになりたい場合には、ちょっと推薦したくない気はしますが。。。
ファンがいらしたらごめんなさい。

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2006年8月21日 (月)

Schostakovich第5CD(6):スヴェトラーノフ

この夏はロシア・東欧系の指揮者による演奏に限って取り上げる結果となりましたが、西側の指揮者でショスタコーヴィチと関係が深かった人たちについては冬にとって置こうと思います。・・・もっとも、「東側」・「西側」という言葉は政治的にはソ連崩壊後は死語となっていますから、20代以前の方には縁がないでしょうね。ショスタコーヴィチと西側の音楽家との関係には第1交響曲以後興味深いものがあり、「第5」だけ採り上げたのではそのあたりが浮き彫りに出来ないのが残念です。・・・そうした人々の顔触れのみあげて置きますと、ベルク、ワルター、クレンペラー、トスカニーニ、ブリテン、バーンスタイン、オーマンディ、カラヤン、クリュイタンス等々、淙々たるものです。

最近のロシアの指揮者としては、一時期ゲルギエフがショスタコーヴィチの交響曲録音で脚光を浴びました。が、彼の演奏は過剰にロマン的か、もしくは逆に乾いて聞こえるという受け手が多く、旬は過ぎたのかなあ、と思います。少なくとも当面は観賞の対象外としておきます。
ムラヴィンスキー没後レニングラードフィル(現サンクトペテルスブルクフィル)団員の「総意」でその指揮者となったテミルカーノフもショスタコーヴィチの録音を多く行っていますが、彼の就任と同時にムラヴィンスキー夫人アレクサンドラさんが同オーケストラを解雇された、という事件もあり、興味がつきない存在です。彼の最近の「第5」録音は別途採り上げる予定です。

交響曲初演を通じてショスタコーヴィチと接点を持った指揮者は、すでに採り上げたムラヴィンスキー、コンドラシン、バルシャイ(他に第11を初演したラーフリンもいますが、録音未発見です。かつ、彼は同曲のレニングラード初演を行ったムラヴィンスキーに比して重要性は低いかと思います)ですが、協奏曲や室内楽の上でもロストロポーヴィチ、オイストラフ、ベートーヴェン四重奏団、ピアノ五重奏曲の初演で共演し、ショスタコーヴィチに感銘を与え続けたボロディン四重奏団と、これまたソ連当時の高名な演奏家たちが彼と密接にかかわり続けました。同様の例で声楽家で代表的なのは、ロストロポーヴィチ夫人のヴィシネフスカヤですね。
交響曲に限らなければ、ロジェストヴェンスキーやスヴェトラーノフも、ショスタコーヴィチ生前に彼と関わった重要な指揮者です。打楽器奏者に愛好家の多いロジェストヴェンスキーの演奏をも聴かなければなりませんが、現在の私の環境下では少しあとになる見込みです。

前置きが長くなりました。
今回はスヴェトラーノフ1977年録音の演奏を採り上げます。

ショスタコーヴィチとの直接関係の点では、確認出来た限り、スヴェトラーノフは少なくとも2つ、大きな仕事をしています(ファーイ「ショスタコーヴィチ ある生涯」訳書)。
ひとつめはショスタコーヴィチの編曲によるムソルグスキー「ホヴァンシチナ」の1959年映画版での演奏。これはDVDで出たため現在でも見る事が出来ます(新品入手の可不可は未確認)。
ふたつめは1966年、ロストロポーヴィチをソリストとしての「チェロ協奏曲第2番」の初演。これはロストロポーヴィチとムラヴィンスキーのあいだのトラブルによりスヴェトラーノフにお鉢が回ってきたもので、「第13」でのコンドラシン抜擢と事情が似通っているあたり、伝記的には今後興味が持たれるエピソードの一つになるでしょう。

彼の生前は「かなり情熱的な指揮をし、オーケストラを盛り上げる人」というイメージで見ていましたが、私の浅薄な誤解だったかも知れません。今回あらためて「第5」の録音を耳にし、スヴェトラーノフという人は実際には「計算上手」な冷静な音楽家だ、という印象を強く受けました。「計算上手」はイヤミのつもりではありません。言葉が悪いのであれば、「テンポ設計が非常に巧みである」と言い換えなければなりません。
他の例でも明らかになった通り、実際にショスタコーヴィチと接した指揮者たちは、それぞれの出会い方、出会ったときの目でショスタコーヴィチを記憶し続け、演奏し続けていたのです。スヴェトラーノフも例外ではなかったようです。
彼のショスタコーヴィチとの出会いは、「映画の背景に流す音楽」・「協奏曲」という、間の見計らいの妥当性を厳しく問われる局面においてでした。したがって、ショスタコーヴィチの持つロマン的な側面にも目を配ろうと試みたムラヴィンスキーコンドラシンとはとくに対照的な客観的演奏を、スヴェトラーノフは「第5」上でも残しています。でありながら、絶対にそうした客観的計算を表面に出さないところが、この指揮者の「名人芸」です。

スヴェトラーノフのスコアの読み込み方は、これまで見てきた中ではテンシュテットに近い、
「あくまで音符と記号のみに即した読解」
です。しかも、テンシュテットはそこからスコアの指示以上のテンポ・表情の振幅を造型しようと試みていたかに思われるのに対し、スヴェトラーノフは、メトロノーム記号の指示する速度に関しても、事前の読みでは相当正直に作曲者(あるいは楽譜出版者)に従っていたかのようです。
冷徹すぎるかとも思えるそうした読みを徹底的に行った上で、彼は現場(ソヴィエト国立交響楽団)との調整を行ない、仕上げにかかっているのではないかと感じられました。
各ポイントの速度はメトロノーム記号の指示速度と大きく異ならないよう配慮している事が良く伺われ、かつ、音楽の流れによってメトロノーム記号速度では不適切だと考えられる箇所は、次に速度指示があるポイントが指示通りに近いスピードになるよう、演奏者とうまく協力し合いながら、なだらかな線でのアチェランド、あるいはリテヌートを成し遂げているのです。
端的な例は
・テンポの画一的な遵守=第2楽章
・終楽章前半のクライマックスへ向けての、無理のないアチェランド
(この部分、スコア記譜の速度まで上げるのは至難の業です)
他にも随所にあります。

テンポ遵守とはいっても、決してそれに拘泥しているわけではないので、非常にヒューマンな、のびのびした音の世界が拡がります。ただ、単純に聞いた印象ほどには、スヴェトラーノフは大げさなテンポ・表情の起伏は付けていません。それでいて結構面白い音楽に仕上がっているところ、この人の才能の奥深さを思い知らされずにはいられませんでした。
聴いていて抵抗があったのは第1楽章で、アクセントやクレッシェンドを「デフォルメ」したかったのか、トランペットはやたらと「後膨らまし」に吹かせていますし、コントラバスのピチカートも「第7」終楽章の一部でショスタコーヴィチが弦楽器のピチカートに指示している「ネックを叩くほど強く演奏」を援用したものか、弦をバチンバチンと指板に当てさせています。・・・これは彼の「お遊び」なんでしょうか? それとも、彼の使った楽譜上にそうするように書いてあったのでしょうか?・・・まあ、後者ではないでしょう。

バルシャイ盤の次に各声部の線がクリアに聞こえるのは、録音方法のせいかと思います。
ただし、他の演奏者では感じられなかった、作曲者の「グリッサンド指示」等の効果、第2ヴァイオリンやヴィオラの動きの強調などは、彼独自の「読み」の結果でしょう。

この演奏は、そういう特色から、弦内声部の奏者の方にお勧めします。




ムソルグスキー:歌劇「ホヴァーンシチナ」映画版


ムソルグスキー:歌劇「ホヴァーンシチナ」映画版


販売元:ニホンモニター・ドリームライフ

発売日:2003/03/26

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映像も出ているようです(私は見ていません。1976年の演奏)



ショスタコーヴィチ:交響曲第5番&第6番


ショスタコーヴィチ:交響曲第5番&第6番


販売元:ニホンモニター・ドリームライフ

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こちらは1992年、オーケストラがソ連国立ではなくロシア国立になってからのもの。未聴。



ショスタコーヴィチ:交響曲第5番


Music

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番


アーティスト:スヴェトラーノフ(エフゲニ)

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ショスタコーヴィチの伝記は音楽之友社からも良いのが出ましたが、定番はこれ。



ショスタコーヴィチ―ある生涯


Book

ショスタコーヴィチ―ある生涯


著者:ローレル・E. ファーイ

販売元:アルファベータ

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2006年8月20日 (日)

Mozart:「救われたベトゥーリア」K.118(74c)

1771年の作品(各項をクリック下さい)
交響曲宗教曲救われたベトゥーリア
アルバのアスカーニョ・シピオーネの夢(未)・その他(未)
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1770年、オペラ・セリア「ポントの王ミトリダーテ」の成功により、ヴォルフガングは次々と大規模な劇作品の注文を受ける事になります。翌1771年3月4日に、まずは2年後のミラノの謝肉祭用のオペラ「ルーチョ・シルラ」作曲を請け負い、その直後、帰路にさしかかったところで、パドヴァの街向けにオラトリオの注文を受けます。これはザルツブルクに帰った後、この年8月のパドヴァへの旅行までには完成されたようです。もう一つは、同年10月に一大センセーションを巻き起こす事になるセレナータ(祝典劇)、「アルバのアスカーニョ」ですが、これはザルツブルク帰着後にウィーン皇室からマリア=テレジアの名の元にもたらされた注文です。「アルバのアスカーニョ」については、別途記述します。

さて、71年8月に始まる第2回イタリア旅行へと持参されたオラトリオ「救われたベトゥーリア」ですが、せっかく完成されていながら上演記録が残っていません。記録がない理由は判明しておらず、今日ではおそらく上演されなかったのではないか、と考えられています。
旧約聖書外典(カトリックでは第2正典)「ユディト書」をもとに、メタスタージオが1734年に作成した台本に基づくこの作品は、約30人の作曲家によって曲が付けられており、その中にはサリエリとその師ガスマンも名を連ねています。

「救われたベトゥーリア」のあらすじは以下の通りです(講談社版「聖書」記載のユディト書を参照し、メタスタジオの筋に合わせ調整しました)。

ユダヤはサマリア地方の町ベトゥーリアは、折しもバビロン捕囚の実行者ネブカドネザル(いろいろな解説でアッシリアの王とされていますが、歴史的に正しくは、彼はバビロニアの王です)の配下ホロフェルネス率いる12万の歩兵、1万2千の騎兵からなる大軍に取り囲まれています。普段から対立していた隣の民族がその配下に回って水脈も断ってしまったため、ベトゥーリアは滅亡を待つばかりかに見えました。嘆く住民に、町の長オジア(テノール)は
「あと5日、神の救いのみしるしを待とう」
と短慮を制します。
一方、ホロフェルネスは、ベトゥーリアに住むユダヤ人について情報収集を重ねますが、アキオル(バス)という老人が
「彼らは神に守られている。攻めて勝てる相手ではない」
と忠告したのには腹を立て、アキオルをベトゥーリアへと追放します。
アキオルを受け入れたベトゥーリアは、彼からバビロニア軍の強大さを聞かされ、恐れおののきます。また、アキオルはオジアにユダヤ人の神を信ずるよう勧められますが、「唯一のその神のみを信じる」べきである、というユダヤ人の信仰姿勢に疑問を隠せず、信仰は拒否し続けます。
貴婦人のアミタール(ソプラノ)をはじめバビロニアを恐れおののくばかりのユダヤの民の前に、3年前夫を失ったユディト(アルト)が現れ、
「神のはかりごとに身を任せ、私がバビロニア軍の陣営に赴きます」
と言い放ち、下女一人を連れ、身をきらびやかに飾って、ベトゥーリアを出て行きます。
四日後、ユディトは戻ってきて、
「神のみ旨は果たされました」
と、町の一同を前に敵将ホロフェルネスの首を持参します。彼女はホロフェルネスに取り入り、四日目の夜、酒宴の後に彼と二人になるチャンスをものにし、ホロフェルネスが酔いつぶれたところを、その首を斬って脱走してきたのでした(これはラファエロカラバッジョをはじめ多くの画家にとり恰好の画材となりました。とくにカラバッジョの作品はユディトがホロフェルネスの首を取る瞬間を残忍に描いており、「こんな絵を描けるからには、カラバッジョは人を殺した事があるに違いない」と噂されたそうです)。
将のぶざまな死を知ったバビロニア軍は潰走し、今まで信仰を拒んでいたアキオルはユディトの業に気絶した後に唯一神信仰へと回心し、ベトゥーリアの町には再び平和が戻ります。

アキオルの回心はメタスタジオの創作であり、貴婦人アミタールも原典には登場しない人物ですが、オラトリオという性格上、ユディトが敵将の首をとる場面を直接書くわけには行かず、この2つの創意、およびベトゥーリアの町に帰ってきてからのユディトの口から「斬首」の一部始終を語らせるという間接的な描写手法により、メタスタジオは台本が「宗教劇」から離れたスペクタクルになる事を回避しています。
その分言葉が多く、冗長になっている嫌いもあり、メタスタジオの「救われたベトゥーリア」台本には当時でも賛否両論があったかとも思われ、メタスタジオ作品の素晴らしい作曲者と考えられていたハッセなどは、この台本には曲をつけていません。

ヴォルフガングは、台本の冗長さを回避すると同時に、作品を聴衆に分かりやすくするため、

・アリアのダ・カーポ部分は縮小し、
・とくに重要な脇役アミタールとアキオルには前半と後半で対照的なアリアをあたえ、
・後半のアリアはヘンデルを思わせる重厚な仕上げを施している(高橋英郎氏が「ヘンデルは最もモーツァルトに遠かった」といったことを書かれていましたが、私にはモーツァルトのこの工夫を考慮すると、到底賛成出来ない言葉です)。

・ユディトのレシタティーヴォはアコンパニャートとする
・族長オジアの祈りに民の祈りをラップさせた合唱曲を反復利用する
・大詰めのバビロニア軍の潰走はユダヤの長老の一人に短調の動的なアリアを与えて暗示
・最後の神への讃美と祈りの合唱は、ユディトのソロと交互に現れ、少しずつ変化する事で喜びの広がりを巧みに描写して見せる

といった工夫を凝らしています。
なお、最終の合唱部は3巡目まではレクイエム入祭唱のソプラノ独唱"Te decet hymnus Deus in Sion, et tibi redetur votum in Jeruzsalem"と同じ旋法、旋律線です。協会旋法の第七旋法(ミクソリディア)は「異国旋法」とか「巡礼調」と呼ばれているとの事で、モーツァルトがこの部分で意識的に用いていると指摘されています(ド・ニ「モーツァルトの宗教音楽」)。

まだまだバロックオペラの流儀を脱していない作品である上に、メタスタジオの混み入った意図が災いして、筋書きや言葉、役割分担があらかじめ理解出来ていないと、我々日本人にはどうしても馴染みにくい点もあります。
しかし、一度事態が飲み込めれば、このオラトリオ、言葉を超えて訴えかけてくる力を充分に備えている事が分かります。

調性構造については触れませんが、序曲(クラリネット、ティンパニを含まない二管編成)は「ドン=ジョバンニ」以外で唯一の短調であること、しかも、「ドン=ジョバンニ」とは違い、3楽章からなるイタリア風シンフォニアで、3楽章とも短調に終始する事は、この作品の際立った特徴のひとつでもありますので、この点付言しておきます。ただし、ここで短調を採ったのはベトゥーリアの町が窮状にあるという「風景」の表現を意図したものであり、2つのト短調交響曲や同じ調の弦楽五重奏曲、ピアノ協奏曲、二短調弦楽四重奏曲などに感じられる激しさまたは哀感等を求めるのは妥当ではありません。

CD単独盤(国内)はペーター・マーク指揮パドヴァ・ヴェネト室内管弦楽団の1991年録音のもの(DENON COCQ84144-5、2枚組 2,520円)があります。フィリップスの全集(輸入盤)では11巻目に収録されています。
スコアはNMAペーパーバック版第3巻に含まれます。

この作品の長所につき、もっとも熱心に語っているのはカルル・ド・ニ著「モーツァルトの宗教音楽」訳書70〜79頁です。ご一読頂ければ幸いです。


Book

モーツァルトの宗教音楽


著者:カルル ド・ニ

販売元:白水社

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2006年8月19日 (土)

ルヴィエ「オーケストラ」

オーケストラの成立や発展について書いた本は何冊かありますが、オーケストラとはどんな必要から生まれ、何故楽器を増やしていき、20世紀には「新作」が減る一方となったのかついての、納得のいく記述は決して多くはありません。
私が青森で仕入れ、帰りの新幹線で読みふけったルヴィエ「オーケストラ」(文庫クセジュ703翻訳は1990年、おそらく1977年または78年の著)は、成立史に触れるところは僅かすぎるほどですが、19〜20世紀のオーケストラ事情については最も簡便ながら最も要領を得た著作です。フランスまたはフランスに関係の深い作品が中心になっているのは著者の経歴上やむをえませんが、メシアンやクセナキスの考え方にも触れており、20世紀後半の(商業音楽ではない)楽器法、管弦楽法のアイディアを知るには恰好の書です。ご一読下さい。


Book

オーケストラ


著者:アラン・ルヴィエ

販売元:白水社

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2006年8月18日 (金)

秋の声

さっき、東北の帰省先から戻ってきました。
むこうも昼の気温は30度を超えていましたが、夜は心地よい涼しさでした。
関東に戻ってみると相変わらず蒸していて、辟易しました。出かける前はおとなしかったセミが、
「待ってました」とばかりに騒ぎ放題です。

サトでは、夜になると、自分や家内の実家の前で、ぼーっと煙草を吸いながら、向かいの空き地の植え込みや草むらで鳴く虫の声に聞き入っていました。

私の実家は仙台で、こちらは昔から「ウマオイ」が多いのです。俗にスイッチョン、と呼ばれる奴です。声は、かなり大きいので、娘は
「うるさくて眠れない」
とおかんむりでした。

家内のほうは青森ですが、こちらではコオロギが
「ろろろろろろろろろろろろ・・・」
と盛んに、いい声で歌っていました。右からも左からも、前も後ろも問わず、頭の上からも、コオロギの声に包まれてしまったようでした。

正確には、この
「ろろろ・・・」
の声には、どうも母音が含まれていないようです。聞いていて、そんな発見をしました。
かといって、
「rrrrrrrrrrrrrrrr・・・」
というr音の連続でもない。
「正体やいかに」
と懸命に耳を傾けていると、車が1台通りすぎました。
それでコオロギが鳴き止んだわけではないのですが、車が通りすぎるまで、あれだけ自分をすっぽり包んでいてくれた心地よい響きが、まったく消え去ってしまったのには驚きました。
いくらにぎやかに聞こえても、数十匹、いえ、数百匹のコオロギの歌は、車1台の走行音にも及ばない大きさに過ぎないのでした。
音楽のディナミークでいうとメゾピアノくらいかと思いましたが、すると車1台は優にフォルテシモの騒音を放つことになるのでしょう。

自然の音は、人工音よりはるかにデリケートです。
しかもまだまだ、無限の神秘にすっぽり包まれているんだという気がします。

さて、関東の我家のほうには、これからどんな「秋の声」が訪れてくれるんでしょうか?
じっと耳をすまさなければいけません。
耳を澄ます甲斐のある環境が僅かでも残っているなら、それを大事にして行かなければなりません。

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2006年8月12日 (土)

「音」という漢字

聴覚の実験には楽音よりも言葉を取り扱ったものが圧倒的に多く、一般的にも「言葉」を通じての音認識の研究成果の方がより多く発表されています。
裏を返せば、「音楽」の音には、それだけ人間の合理主義がメスを入れにくい側面がある、ということなのでしょう。
学生時代、私はよく「ピッチ」を感じ取る実験の被験者をさせられ、うんざりしたものでしたが、私を実験台にした先輩からデータを拝見したところ、
「物理的に一定のピッチでも、高めのピッチを挟んで聴くと高目よりに、低く聴くと低めよりに感じられる」
結果が一般的だとのことでしたが、私の結果は往々にして逆になるので
「困ったもんだ」
と怒られたものでした。・・・怒られても、どうしようもありませんが。。。
まあ、どっちの結果が「人間らしい」のか、先輩は確かに前述のように教えてくれたのか、とにかく自分の結果は人とは逆だった、ということだけを鮮明に覚えていて、実は、後の記憶はおぼろなのです。

かように、「音高」の話は単純なものでも測り難い。

そもそも、英語のSoundも、語源的には「感じ取れるが見えないもの」をさしているのではないかと思います。そこに「意味」があることを前提としている。ただ、英語の場合は楽音にはToneを充てており、こちらには音声の起伏を含意しているようです。いずれにしても、「音」はやはり、伝達手段としての何かだ、と考えられている。
漢字の「音」も、「言」という字と起源を同じくしているそうです。
「言」と言う字の最下部の「口」は神に誓う祝詞を入れた器を示し、この祝詞に欺いたときには人は刑罰を受ける、という意味で、罰として入れ墨を刷る針を示すために、最上部の縦棒が付いているのだそうです。
「音」はいまでは上半分は「立」というかたちになっていますが、金文や篆書時代の字形を見ると、たしかに「言」という字と全く同じかたちです。下半分が「口」ではなく「日」あるいは「曰」の字形になっているのは、「口」という器の祝詞に神が感応することで、器が揺れて音をたてることをあらわしているとのこと。
「音」の科学がどうしても「言葉」優先になってしまうのも、仕方のない事なのか。。。

それでも、
「神の感応して鳴らす響きは、言葉にならない意味を持っている」
のです。「音楽」の音、というものは、やはり、それなりに「意味」を持っているはずです。
それが「言葉」ではないだけに辞典化出来ない事は、人間にとってはなはだ残念なのではないでしょうか?
かつまた、これは「心霊現象」などというものよりも手っ取り早く、誰でも持っている能力でもって、「意味」の集成を成し遂げえる、未開の、大きな可能性をはらむ分野なのでもあるのではないでしょうか?



常用字解


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常用字解


著者:白川 静

販売元:平凡社

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Schostakovich第5CD(5):バルシャイ

第14番の初演者バルシャイが私費を投じてWDR(旧ケルン放送交響楽団)と作り上げたショスタコーヴィチ交響曲全集は、早くに廉価化され、随分売れたと思われます。かつ、これで初めてショスタコーヴィチの交響曲の全貌に触れた人は、充分満足したのではないかと思います。
これが初めて聴いた全集ではない人にとっては、しかし、演奏が全般におとなしめだと感じられたかも知れません。これはバルシャイがモスクワでは室内楽オーケストラを率いており、ショスタコーヴィチの14番もそのオーケストラで行なった、ということも大きく関わっているのではないでしょうか?

この全集の「第5」演奏については、そうしたバルシャイの室内楽的な耳が浮き彫りになっています。
テンポの起伏も少なく、過剰な歌もありませんが、各パートの線が、他の指揮者では聴けないほどクッキリ浮かび上がっているのです。
ですから、実際の演奏に当たって各楽器の人、とくに打楽器の人には、入りのタイミングがスコアだけからは読みにくいとき、バルシャイの演奏が最も参考になるはずです。

ちなみに、初演の棒を取った第14に限っては、バルシャイよりもコンドラシンの方が客観的な演奏をしているのが、私にはなんだか愉快に思われます。それぞれ、初演した作品に対しては、どうも、思い入れが強いようです。
「生涯、初演した交響曲しか採り上げなかった」
ムラヴィンスキーの頑固さも、(彼の置かれた環境を度外視すれば)コンドラシンやバルシャイと、姿勢を共有していると言ってしまって差し支えないかと思います。

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2006年8月11日 (金)

Schostakovich第5CD(4):テンシュテット

最近、最も売れているショスタコーヴィチの第5交響曲の演奏は、テンシュテット/ミュンヘンフィルの「倉出し」録音のようです。放送用録音だったものをCD化した商品です。
この演奏、しかし、テンシュテットにはいささか気の毒な記録かも知れません。

聴く限り、テンシュテットはこの作品をずいぶん読み込んだと思われます。
第1楽章の序奏の遅さはこれまで採り上げた演奏の中では群を抜いていますが、テンポの緩急は基本的に、どうもムラヴィンスキーの演奏を参考にしたのではないかと思われます。ですが、それに偏ることなく、どちらかというとメトロノーム記号の速度指示に忠実に行こう、という姿勢が見え、序奏を例外として、結果的にテンポの遅いところはメトロノーム記号より二回り遅く、速いところはひとまわり速くなっています。
ただし、楽譜に忠実、というのではなく、描かれた「歌」に忠実であろうとしているため、この点ではムラヴィンスキーよりもむしろ、コンドラシンの系列に属しています。

何が気の毒か、というと、49歳のときのこの演奏、彼はオーケストラと一体になることが出来ずにいるのです。
ミュンヘンフィルとの共演は珍しいそうですし、なによりオーケストラ側が、後年のロンドンフィルと違い、テンシュテットの意図を理解し損ねているようです。そのため、まず第一に、起伏が甘くなっています。
第二には、特定のパート、とくにトランペットがどんどん先に行ってしまうと、もう制御が効かなくなっているのです。第1楽章、第2楽章、終楽章で、これは明確に耳に入ります。
他にもたとえば第3楽章で(スコア練習番号95番の前後1小節)まずハープが、次にセカンドヴァイオリンが音程を間違えているのはご愛嬌でしょうが、そこまで手直しするゆとりがなかったのではないか、と勘ぐることも可能です。・・・ショスタコーヴィチは十二音音楽にはおそらく心底から否定的でしたが、彼の転調は違った意味で無調的であり、こうした音取りのミスを招きやすいと言えます。しかし、これが指揮者に起因するミスだとは、どうも考えにくいのです。
こうしたあたりが、このCDでテンシュテットを始めて聴いた人には、テンシュテットの能力を疑わせてしまう要因となりかねません。
第三に・・・ある意味でこれが最も決定的ですけれど・・・テンシュテットがこの作品に読み取っているものは、マーラーに近い歌であって、それだけは音色感によくあらわれいているのですが、そのためショスタコーヴィチの曲にしてはちょっとロマン的すぎる、と捉えられてしまう恐れがあります。
「ドイツ圏のオーケストラだから、ロシアには無い柔らかさがある」
という評が付いていますけれど、私はこの評は的を得ていないと思います。(でも、この評を付けた批評家さんは最近では一番好きな人です!)音色作りにはあきらかにテンシュテットが一枚噛んでいます。でなければ、トランペットが何故これだけ無制御になるのか、説明がつきません。のちにロンドンフィルと成し遂げたマーラーの素晴らしい成果に良く耳を傾けていると、トランペットにはテンポの正しさよりも鋭角な色合いを優先することで妥協を図ったらしいと考えるのが、最も自然だからです。

それでも、おそらくはかなり短い準備期間でなされたこの演奏は一聴の価値があります。
なぜなら、この演奏の存在によって、テンシュテットの基本形がこの時期既に完成していることを、充分感得出来るからです。
ショスタコーヴィチの音楽の
「ロシア的な、とりわけソ連的な沈潜」
を聴くにはムラヴィンスキーが、
「自然の中の歌」
を聴くにはコンドラシンが、しかし、彼の音楽の根底にある流れを聴くにはこのテンシュテットの演奏が、最も適しているのではないでしょうか。

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2006年8月10日 (木)

切り貼り:定家筆、最古の写本発見

<定家筆、最古の写本発見 平安期の歌学書「俊頼髄脳」>

朝日新聞の8月10日Webから。

鎌倉時代初期を代表する歌人、藤原定家(1162〜1241)の流れをくむ冷泉家(京都市上京区)で、定家が写したとみられる平安時代後期の歌学書「俊頼髄脳(としよりずいのう)」が見つかった。「今昔物語集」の一部の出典になったといわれる俊頼髄脳の現存する写本は、江戸時代のものが最も古く、今回の発見で500年ほどさかのぼることになる。原本を見て写した可能性もあり、専門家は一級品の史料とみている。

 俊頼髄脳は平安後期の歌人、源俊頼(1055〜1129)が当時の関白、藤原忠実の命を受け、鳥羽天皇に嫁いだ忠実の娘に献上したとされる。和歌にまつわる故事や伝承を説話的に記しており、後世の歌人たちに大きな影響を与えた。

 今回見つかった写本は縦16.5センチ、横15.9センチで486ページ。「嘉禎3(1237)年」と記されており、定家自身が巻頭部分と由来などを記した奥書を書いたとみられる。残りは側近が写した可能性が高く、定家の筆跡で直した跡があった。本文の末尾には、「残りが多いけれど、草紙が足りないので書くのをやめる」と、これまでの写本にはない記述もある。

 冷泉家に伝わる史料研究を進めていた先々代の冷泉為臣氏がまとめた未公開の手記から、この写本の存在は以前から知られていた。為臣氏が戦死し、所在不明となっていたが、土蔵の中を整理していて発見された。

 俊頼髄脳は「無名抄俊頼」などとも呼ばれ、現在まで伝わる写本は、定家の奥書をもち、1本だけ存在する「定家本」(国立国会図書館蔵)と「顕昭本」の2系統に分かれる。今回見つかった写本は、「定家本」の源流と考えられる。

 〈冷泉家時雨亭文庫調査主任の赤瀬信吾・京都府立大教授の話〉 太く大胆な筆跡で、定家によるものに間違いない。書写年代がずばぬけて古く、研究史料として貴重。重要文化財級の価値は十分ある。
Osk200608090179


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Schostakovich第5CD(3):もうひとりの「初演者」

Mozartは1771年の作品を追っかけ中です。
宗教曲についてはこちらを、
この年の交響曲作品についてはこちらをご覧下さい。
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Schostakovich第5CD、ムラヴィンスキーこちらヤンソンスこちら
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「5番」ではありませんが、ショスタコーヴィチの交響曲の初演者には、ムラヴィンスキーの他に、あと二人の重要な初演者がいますネ。
ひとりは14番を初演したバルシャイですが、このとき初演時に独唱者として予定されていたロストロポーヴィチ夫人が、多忙で楽譜の覚えが良くなく、ショスタコーヴィチの意思ではずされました。それが原因かどうか、逆恨みされているのかどうか、以後、バルシャイはロストロポーヴィチとは犬猿の仲のようです。かつ、彼の初演した14番は作曲者が「交響曲」と名付けて良いかどうか迷った作品で、他の交響曲とはこの点一線を画しています。

もう一人、「4番」と「13番」の初演者であったのが、キリル・コンドラシンでした。
4番は諸般の事情からずっと眠っていた問題作だったものを発掘上演(もしくは改作上演?)したもので、13番はホロスコート問題を前面に打ち出したがために当局から睨まれ、かつ、当時夫人が不治の病に侵されていたムラヴィンスキーが指揮を拒否したためショスタコーヴィチと仲違いするもとともなった、これまた曰くつきの作品です。
コンドラシンが初演したこの2曲はマーラーの技法的影響下に書かれており、反面、ロマン的なマーラーとは異なって強烈な現実認識と自己意識から成り立っています。この2曲を身をもって体験したコンドラシンには、そうではなかったムラヴィンスキーとは、かなり異なったショスタコーヴィチ認識があったのでしょう。
同じ作曲者の「第8交響曲」を巡る解釈の相違が、そのままムラヴィンスキーとコンドラシンの認識相違を明瞭にしているといって良かろうと思います。
被献呈者ムラヴィンスキーの「第8」解釈が、端的に言えば静粛の内に篭められた激情であるのに対し、コンドラシンが残した日本でのライヴ録音は、蓄積された情感の破裂、とでも言うべきものです。

この解釈の相違は、二者の「第5」における解釈の相違と、全くの相似形を成しています。

私の手持ちはAulosレーベルの全集盤ですが、調べても残念ながら、コンドラシン指揮による「第5」単体のCDは見当たらず、今も全集盤(ヴェネツィアレーベル)でしか耳に出来ないのかも知れません(もし単体発売をご存知の方がいたら、どうぞご教示下さい)。
演奏時間についても、第1楽章はムラヴィンスキーより1分ほど短く、第2楽章は73年のものと比べれば逆に20秒ほど長く、まずは物理的なこの相違が状況を象徴的に物語っています。コンドラシンは、ムラヴィンスキーよりもテンポの起伏が激しく、かつアクセルのふかしが強烈なドライヴィングを見せているのです。演奏時間の似ている第3・第4楽章についても同様のことが言えますが、演奏時間に相違が生じないのは、後半楽章においてはコンドラシンは風景の美しい箇所ではアクセルを極度に緩め、たっぷりと脇見運転をするからです。

ムラヴィンスキーが初演者として接したショスタコーヴィチの交響曲は、5番の他には6,8,9,10,11,12番であり、これらは9番を唯一の例外として「静」の陰鬱な内面を描いた作品群だと言ってもいいかと思います。かつ、例外としての9番は、ムラヴィンスキーは録音を残していません。そうしたことに関連するのかどうか、ムラヴィンスキーによる「第5」演奏では、
「第1楽章、第3楽章はこんなに静けさに包まれた音楽だったのか!」
という感慨を抱かざるを得ません。
現実路線の第4,第13をあつかったコンドラシンは、そういう演奏はしていません。そうすることを拒んでいるかのようです。

「第5」コースの激しいドライヴィングの元祖、とも言えてしまうコンドラシンですが、しかし、運転テクニックは確かです。金管は鳴らしたいだけ鳴らさせているように聞こえますが、その実、限度はわきまえさせています。テンポの変化の緩急も「人間的に」自然で、制御を表面に出さないのが彼の腕の見せ所ですけれど、ムラヴィンスキーが執拗に追及していたリズムの正確さなどは、コンドラシンも確実に保っています。1968年3月27日録音ということになっていますが、当時の手兵モスクワフィルが、音から伺うところでは技術的にはレニングラードフィルより優秀だったという点も、コンドラシンの
「思いのまま運転」
に資しているのではないかと思います。

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2006年8月 9日 (水)

Schostakovich第5CD(2):ヤンソンス

ムラヴィンスキーの演奏(記事はこちら)に関連して採り上げたいのは、マリス・ヤンソンスです。
今年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートに登場して一躍その名を上げ、最近ショスタコーヴィチの交響曲全集もEMIから発売して意気軒高なところを見せているヤンソンスですが、ショスタコーヴィチの第5交響曲については単独盤もでています。
ウィーンフィルとの共演で、1997年のライヴ録音とのことですが、単独盤には演奏日付の記載がなく、全集は未聴ですから、私には詳細がわかりません。

このヤンソンス/ウィーン・フィルの演奏、最大の特徴は
「ムラヴィンスキーの解釈をほぼ忠実に踏襲している」
と思われることです。
数ケ所でテンポの緩め方が大きめであるほかは、ムラヴィンスキーの、とくに1984年の録音に、演奏スタイルが9割方似ています。これには驚きました。・・・たとえばコンドラシンの残した録音と比べると、むしろ違いが大きく際立つことから、ムラヴィンスキーの演奏を耳にしたことがなければ、ウィーン・フィル独特の音色とあいまって、この演奏が
「ロシアの系譜を受け継いでいる」
という印象は受け損なうことでしょう。音程や歌い方の特質も、あくまでウィーン・フィルのものですから。
ところが、息子の指揮するこの演奏、演奏時間を調べると、父、アルヴィド・ヤンソンスのものともはっきり違います。
リズム、バランスについてはムラヴィンスキーがレニングラードの面々に要求していたことを同じように守っていることが、じつにはっきり刻印されています。
併せて、ウイーン・フィルが、おそらくはバーンスタインとのマーラー経験を重ねた結果でしょうか、それ以前のチャイコフスキーの交響曲を中心としたロシアものに比べ、硬質な響きを聞かせているのも興味深い点です。こういうウィーン・フィルなら
「ムラヴィンスキーに指揮させたかったなあ・・・」
と思ってしまいます。
簡単ですが、この演奏についてはこれだけ述べれば事足ります。

なお、下に表示するこのCDは店舗やサイトによって価格が異なっていますのでご注意下さい。見た限りではアマゾンで見たこの価格が一番安いです。



ショスタコーヴィチ:交響曲第5番&室内交響曲


ショスタコーヴィチ:交響曲第5番&室内交響曲


アーティスト:ヤンソンス(マリス)

販売元:東芝EMI

発売日:2005/10/26

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Mozart:宗教音楽1771年

Mozart:宗教音楽1771年

この年の交響曲作品についてはこちらをご覧下さい。
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1771年、ミラノにおける「アルバのアスカーニョ」上演で大成功をおさめた同じ年に、モーツァルトが作曲した宗教音楽は、「救われたベトゥーリア」を除くと、オッフェルトリウムK.72・レジナチェリK.108・リタニアK.109の3曲です。3曲とも、第2回イタリア旅行へ出発する前の5月に、ザルツブルクで作曲されています。
K.115とK.116のミサ・ブレヴィスは偽作であることが判明しており、K.116は父レオポルドの作品であることが、おそらくは1984年から1989年の間に判明しています。K.115もレオポルドの作ではないかと考えられているそうです。この2作は残念ながら、いずれも耳に出来ず、楽譜も見ておりません。

今回採り上げた曲のうち、K.72は単独盤にも収録されていると思われますが、全集はフィリップスの輸入盤国内盤があります。
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K.72の、洗者聖ヨハネの祝日(6月24日)のためのオッフェルトリウム『女人より生まれし者のうちで』(NMAペーパーバック版スコア3-332)は、これまでのヴォルフガングの宗教音楽としては、『孤児院ミサ』共々もっとも有名な作品です。
「ヨハーネ、ヨハーネ、バプティスタ」
と歌う旋律を耳にすれば、
「ああ、きいたことがあるなあ」
とお思いになるはずです。
これは、旋律が、ザルツブルクの民謡「私のハンス、可愛いハンス」から採られていて、親しみやすいせいでしょう。ちなみにハンスはヨハネスの愛称で、ヴォルフガングがこの体が踊り出すような民謡を選択したのは
「聖母マリアが聖者ヨハネの母エリザベートを訪ねた時、エリザベートの胎内で子供がおどった」
というルカ福音書(第1章40節〜46節)の故事に基づくのだそうです(カルル・ド・ニ『モーツァルトの宗教音楽』訳書63頁)。
なお、Carus版のスコア"Werke zum Kirchenjahr"[ISMN M-007-08739-5]の序文でもド・ニの上記著書でも、のヴォルフガングがこの作品を
「ゼーオンのベネディクト会修道院の神父ヨハネスと遊び戯れながら」
作った、という故事を紹介していますが、いずれもこの故事は真実ではない、と結局は否定しています。
編成は2つのヴァイオリンと低音部(チェロ、バスとオルガン)で、ザルツブルク向けの作品であることが分かります。歌詞は次の通りです。誤訳があったらお許し下さい!

Inter natos mulierum(女人より生まれし者のうちで)
non surrexit major(かれより偉大なる者は無し)
Joanne Baptista,(そは洗者ヨハネなり)
qui viam Domino praeparavit(彼こそ主の道を整えたり)
in eremo.(荒野の内に。)

Ecce agnus Dei,(神の子羊を見よ)
qui tollit peccata mundi,(世の罪を除きたもう彼を、)
Alleluja.(ハレルヤ。)

歌詞の最初の2行は『マタイ福音書』第11章の11によるかと思われます。
次の二行は洗者ヨハネと結びつきの強い『イザヤ書』の有名な詩句(第40章3節)によります。『イザヤ書』は、旧約聖書中でもきわめて中東的な書で、古代の動乱の時代を反映して興味深いものがありますから、歴史のお好きなかたはお読みになってみて下さい。そうした書と結びついた言葉にこの曲のような明るい音楽を付けたことで、19世紀にはモーツァルトのザルツブルク時代の宗教曲は
「俗っぽい」
と、非難の的となります。
でも、この曲の清らかさのどこに、「俗っぽさ」があるというのでしょう!

なお、<洗者聖ヨハネの祝日>は北半球の夏至との関連が深く、この祝日の前夜に摘んだハーブ(とくに聖ヨハネの名前を負うセントジョンズワート)は薬効が高い、といった面白い話もあります(八木谷涼子『キリスト教歳時記』平凡社新書164〜168頁、2003)。
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「レジナ・チェリ(天の皇后)」K.108(NMAペーパーバック版スコア3-302、Carus版"Werke zu Marienfesten" ISMN M-007-08735-7)は、Allegro-Tempo moderato-Adagio un poco Andante-Allegroの4章から成り、編成もオーボエ(第2楽章ではフルートに持ち替え)、ホルン、トランペット各2本にティンパニ、弦はヴィオラも2部に別れる、という、この時代では規模の大きな作品です。あるフレート・アインシュタインがこの曲を「声楽部を持ったイタリア風シンフォニア」だ、と述べたのに対し、『モーツァルトの宗教音楽』の著者ド・ニは作品を軽んじるものとして憤っていますが(訳書62頁)、アインシュタインのほうは音楽の壮大さに魅かれ、幾分ロマン派的な発想をもって(翌年のK.127の「レジナ・チェリ」も含め)
「両作品は壮麗でコンチェルタントになっている」(アインシュタイン『モーツァルト その人間と作品』訳書443頁、白水社 新装復刊1997)
と口を滑らせてしまったに違いありません。
ヴィオラが2部になっていることで、ザルツブルク大聖堂向けの作品ではない、と論じられていますが、モーツァルトはヴィオラを2部に分けるのが好きで、これ以前にもそうした曲が幾つかあることを考え合わせると、当時のザルツブルクのオーケストラ編成について詳細な検討をしない限り簡単には断言出来ないのでは?との素人考えを持っています。・・・ただし、間違っているかも知れません。この件はもう、良く調べられているはずですから。
ホモフォニーながら単純にではない、対位法的な流れで作られた壮麗な合唱の取り扱いに、まだ15歳ながら巨匠の腕前が存分に発揮しているモーツァルトの、誇らしげな、それでいて素朴な笑顔を感じます。第2楽章のソプラノソロと合唱の交錯、終楽章のパートソロと四部合唱による「アレルヤ」の交代は、見事としか言いようがありません。
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リタニア『ロレトの連祷』K.109(NMAペーパーバック版スコア2-679)は、3本のトロンボーン(合唱の補強)とヴィオラ無しの弦を伴奏に持つ作品で、Kyrie(Allegro)-Sancta Maria(Andante)-Salus infirmorum(Adagio)-Regina angelorum(Vivace)-Agnus Dei(Andante)の5章から成りますが、各楽章はそれほど長くありません。オーケストレーションから言って間違いなくザルツブルク向けの作品で、かつ聖母マリアの昇天祭の月である5月に演奏するために作曲されたことが明らかです。
「ロレト」というのはラテン語のlauretumに当たるそうで、調べると「桂のある場所」という意味だそうですが、イタリアにそういう名前の町があるとのことです。アドリア海の沿岸にある、現在1万人ほどの人口の町で、「聖母マリアの家」が1294年に天使によって運ばれてきた、という奇跡で有名な聖地です。モーツァルト父子は、このロレトへ1770年に旅しています(海老澤敏『超越の響き』385頁、小学館1999)。この巡礼の直前に父レオポルドが馬車の事故で足に重傷を負っており、足の病に公験あらたかな、ロレトの聖地を訪れたようです。
「ロレトの連梼」というのは、聖母とかかわりが深いその詩句の名称です(K.195も『ロレトの連祷』)。ちなみに、レオポルド自身、『ロレトの連祷』を5作残しているそうです(前掲海老澤著書388頁)。リタニアは、同じ書の同じ箇所に「ギリシャ語のlite(願い)、litaneia(切なる願い)に由来する」との音楽之友社の辞典からの引用説明があります。とりわけ18世紀の南ドイツでもてはやされたジャンルだとのことです。

余談ですが、フランスには
「五月の結婚には、決していいことはない」
ということわざがあるそうで、これは五月が聖母マリアの月だから、というのが表向きの理由だそうですが、実はこの月に妊娠すると、興奮まっただ中のカーニヴァルの月(2月)に子供が生まれることになり、母胎に良くない、ということらしいです(鹿島茂『フランス歳時記』中公新書2002)。

脇道はともかく・・・
この作品、Agnus Deiの終結部が変ロ短調で文字通り謙虚な祈りのうちに美しく響くので、あるフレート・アインシュタインが絶賛しています。
Kyrie、Agnus Deiはミサ曲とは歌詞が異なりますから、お聴きになる場合にはご注意下さい。

参照した書籍のうち、モーツァルトに直接関わるのは下記三点です。


Book

モーツァルトの宗教音楽


著者:カルル ド・ニ

販売元:白水社

Amazon.co.jpで詳細を確認する



モーツァルト―その人間と作品


Book

モーツァルト―その人間と作品


著者:浅井 真男,アルフレート・アインシュタイン

販売元:白水社

Amazon.co.jpで詳細を確認する




超越の響き―モーツァルトの作品世界


Book

超越の響き―モーツァルトの作品世界


著者:海老沢 敏

販売元:小学館

Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年8月 8日 (火)

Schostakovich第5CD(1):ムラヴィンスキー

TMF団員の方に夏の間に参考として頂くのを主な目的として、ショスタコーヴィチ交響曲第5番の録音のうち、私が耳にしたものについて、「なるべく客観的に(!?)」レポートしてみます。
とはいえ、世に決定盤と言われるものは殆ど耳にしていません(スヴェトラーノフロジェストヴェンスキー等、未聴です・・・付記:後から聴きました。指揮者の名前をクリック!)。それらについてはショスタコーヴィチ大好きな方々がWebで詳細に報告して下さっていますので、より広くはそちらをご参考になさって下さい。とりあえずは入口として、ショスタコーヴィチの演奏に命を懸けていらっしゃる「オーケストラ・ダ・スビダーニャ」の頁にリンクを貼らせて頂いておきます。

本題です。
第1弾は、この曲の初演者であるムラヴィンスキーの演奏にスポットを当ててみます。

日本ムラヴィンスキー協会のディスコグラフィ(天羽健三氏、Frank Forman氏編、2000,2006)によると、第5の録音はムラヴィンスキーは12種残しており、ショスタコーヴィチの交響曲の録音数としては第2位の8番(6種)の倍となっています。これはムラヴィンスキーの嗜好からよりは当時のソ連の意向がはたらいての結果かも知れませんが、この点はあくまで推測でしかありません。最古の録音は初演の翌年(1938)(70年代あたりと違い、第1楽章前半などはずいぶんゆっくりです。メトロノーム記号の速度を守ったという感じ。しかし、ムラヴィンスキーらしさは既に出ています)、最新のものは指揮者逝去の4年前(1984)と、年代の幅の広さもこの指揮者の演奏を聴くときの留意点です。古いほうから三番目か四番目の録音を聴いた事がありますが、古い時期の録音方法では、たとえば弦が各トップ個人の音だけを大きく拾ったりしていますから、ムラヴィンスキーの演奏として最初に入手すべき候補ではない、と思います。
ベスト状態のものは1973年の東京でのライヴ盤だと言われていますが、最近の発売当初、私は財布を同じ来日時の他の曲と天秤にかけて購入し損ねてしまいました。しかし、同年収録のレニングラード(現サンクト・ペテルスブルク)での映像とセッション録音が残っており、その内容の濃さから類推して、73年東京ライヴ盤から入っていくのが最良だと考えられます。(8月30日追伸:ふるたこさんのページ(ムラヴィンスキー)掲示板を読ませて頂くと、82年の演奏が素晴らしい由。8番の録音を参考にすると、間違いないのかな、と推測されます。残念ながらタワーレコードとHMVのオンラインショップでは見つけられませんでした。)
最後の84年盤については、当初は解釈が変ってしまったような印象を受けましたが、注意深く聴くと紛うかたのないムラヴィンスキー流の演奏です。ただ、73年に比べると、個々人の技術は上がっていると思われるものの、アンサンブルに不均衡が感じられる箇所が多くあります(楽章の最初の出に神経の集中度が低い、管[とくにホルン]が走るかリズムが甘い、弦の細かい音符に乱れが多い、等)。こうした点は、73年のリハーサルを収録したCDが残っていますので、翻訳をスコアと共に参照しながら73年リハーサルでのムラヴィンスキーの要求に傾聴すると、同様の要求がなされていれば起こりえない現象であることが、どなたでも理解出来ると思います。84年には少なくともオーボエ・ホルン・トランペット・弦はコンサートマスターは、73年とはメンバーが入れ替わっていることが録音からはっきり分かります。

リハーサルについては別途採り上げることとし、CDではなく映像の、73年の演奏に注目しましょう。
(現在でも新品を売っているのは目にしましたが、「在庫限り」かもしれません。中古が出回っています。9月にリプレス発売されます。)
この映像、ところどころ、うまくいった箇所や楽章の変わり目でムラヴィンスキーの笑顔が見られます。「練習に厳しい人」という側面だけが浮き彫りにされがちですが、オケにとっていい親父さんだったことが伺われ、見ていて嬉しくなります。・・・その点、84年の演奏の背後には、何か暗いものを感じずにはいられません。何故でしょう?

大きな特徴にだけ触れます。(以下では言葉にしていますが、映像中ではもちろん身振りだけです。)なお、私の綴り方だと「いかにも抑えた演奏」という印象をお受けになると思いますが、そうではありません。起伏の激しさの中にも、リズムの正確さとニュアンスの正しさを保ちなさい、というのが彼の方針であったことは、リハーサルでの言葉からはっきりわかります。その中の一つ、第4楽章については、彼はこう言っています。

ちょっと・・・すべてが荒削りの境地(境界か?)を超えています、全体にあらっぽいです。

ムラヴィンスキーは、原則として各楽章とも、メトロノーム記号が八分音符のところは八分音符一つずつ、同じく四分音符であれば四分音符一つずつ、二分音符であれば二分音符ずつを振っています。つまり、メトロノーム記号で「単位」とされている音符を1拍として指揮しています(メトロノーム記号の「速度で」指揮している、ということではありません。この速度には問題が有るらしく、ダスビダーニャさんの「曲目解説」をご参照下さることをお勧めします)。ですから、たとえば第2楽章では一つ振りになることは全くありません。
ただし、「ここはオーケストラに任せるヨ」という箇所では拍の振りを和らげ、「一つ振り」に近い振り方になることはあります。木管のソロに関しては奏者任せにする度合いが高いようです。また、弦の細かくて速い箇所は、細かく突っ込むのではなく、逆に大きめの拍で振り、奏者に落ち着きを求めているかのようです(第4楽章の練習番号107番[弦の激しい箇所]では、その前後が4つ振りであるのに、4小節間だけ2つ振りにしています)。
また、金管に対しては、入りをはっきり合図しますが、ディナミークについてはワンランク落とさせるような、押さえ気味の振りを見せています。先程の第4楽章でのリハーサル中の言葉に関係するかと思われます(リハーサルの方を後で聴きましたので、先入観では映像は見ていないつもりです。)

各楽章の顕著な特徴を若干ずつあげますと(スコア参照。私はまだ全音の版しか所有していません)、

*第1楽章:練習番号27番のPoco sostenutoでは前からのテンポを変えない。同31番は2小節間のみ2つ振り。同36番2小節前からは顕著なリテヌートで、36番には大きく一つ区切ってはいる。

*第2楽章:練習番号60番のフルートにはritさせない。同61番2小節目の弦の八分音符はベタ弾き。66番からはピアノ(弱く)だが、大きく振り、はっきり演奏させている。70番のトランペットはフォルテシモだが、ワンフォルテ程度の指示。

*第3楽章:練習番号90番の前は、いったん切り上げる。96番のハープ、チェレスタに明確な指示を出している。最後3小節は音の入り直しを指示する以外は拍を振らない。

*第4楽章:練習番号98番5つ前からテンポを上げる(アチェランドは全音版スコア上は3小節前から)。104番トロンボーンに明確な指示は出すが、強度は指示せず。117番7小節目ホルン、はっきりだが弱く、という指示。120番低音弦のエスプレッシヴォは強め、大きい幅で指示。121番から4つ振り。122番の裏拍から2つ振り。128番からは1拍1つの振りに戻る。131番のトランペットは抑制させている。

・・・といったところでしょうか。あげていくときりがありませんので。

なお、この映像は、様々な徴証から、リハーサル日と同じ1973年5月3日に行われたセッション録音と同一演奏であると思われますが、ディスコグラフィでは分かりませんでした。非礼ながらディスコグラフィの編纂をなさった天羽さんにメールを入れ、ご質問している最中です。タイミング関係等、細かい点は省略しますが、管楽器がトラブルを起こしている箇所が双方の演奏で同じであることが決定的ではないかと考えています。ご確認可能なかた、情報をいただければ幸いに存じます。

2006年9月15日、天羽さんよりご回答をいただきました(クリック下さい)。

このような背景から、リハーサル盤も併せてお聴き頂ければ嬉しいのですが、9枚組で高価ですから、無理にとまではお勧めできませんネ。。。残念!



エフゲニー・ムラヴィンスキー


DVD

エフゲニー・ムラヴィンスキー


販売元:ニホンモニター・ドリームライフ

発売日:2003/08/20

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下は84年の演奏です。



ショスタコーヴィチ:交響曲第5


Music

ショスタコーヴィチ:交響曲第5


アーティスト:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

販売元:ビクターエンタテインメント

発売日:1997/03/21

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2006年8月 6日 (日)

Mozart:1771年のシンフォニー

Mozart:1771年のシンフォニー
付)CDの「モーツァルト交響曲全集」について

1771年の作品(各項をクリック下さい)
交響曲宗教曲救われたベトゥーリア
アルバのアスカーニョ・シピオーネの夢(未)・その他(未)
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舞台作品が3つもある1771年を当たり始め、日本語文献も当初よりは読み進み、
「うーん、ワシの語学力ではやっぱり外国語は誤読ばかりじゃ!」
との認識を深める今日この頃。・・・過去分の誤りはいずれ(遠い先に?)修正します。すみません。
また、「味わう、聴く」各曲の特色を添え、楽譜情報やディスコグラフィのリンクを加えるのが筋かと考え、構成も若干変えてみます。

(長めの記事ですみません。K.114[第14番]は是非聴いてみて下さい!)
CDは初期作品はほとんど<全集>で聴く事になります。記事後半をご残照下さい。

第2回イタリア旅行のこの年に作られたと判明、または推測されている交響曲(シンフォニー)は次の6作品です。ほぼニ長調一色だった前年と違い、調性もヘ長調、ト長調、ハ長調、ニ長調の4種となり、中には短調楽章も含まれ、早くも成熟期の作品に繋がる表現が見られるなど、深みを増しているのに興味を惹かれます(各作品の<特色>残照)。

スコアは全て"Mozart : Die Sinfonien II" Baerenreiter Urtext ISMN M-006-20446-3、またはNMAペーパーバック版スコア第11巻247頁以下の"Serie IV Orchesterwerke SINFONIEN BAND2"に含まれています。

各作品への<特色>以外の注記は上記スコアの前書きによります。校訂上の音符、アーティキュレーションの変更等については、聴いた演奏との間に特別な違いが存在しない限り注記しません。
なお、ファゴットは明記されていない限りバスパートを吹くか否かは任意となっています(前年以前と同じ)。

in F K.75(2Ob,2Hr,Str):Salzburg,早春〜42番
*自筆稿は散佚。楽譜は旧全集(AMA)に準拠。
1.Allegro(3/4,136bars)展開部の成熟していないソナタ形式
2.MENUETTO(3/4,26bars) & Trio(in B, 16bars, Str.)
3.Andantino(in B, 2/4, 60bars,2Ob,Str)二部形式
4.Allegro(3/8, 103bars)ロンド形式
<特色>
まだバロックないし前古典期の名残を残す作風ですが、交錯を伴う声部の連繋(第1楽章の1st・2ndヴァイオリンおよび2ndヴァイオリン・ヴィオラ)、またそれとは対照的にヴァイオリンのユニゾン(第1楽章、第2楽章、第4楽章)やオクターヴ(第3楽章)の響きの面白さを逍遥する楽しさに目覚めた作品です。第2楽章がメヌエット、第3楽章が緩徐楽章、というのもユニークです。第1楽章は冒頭の動機を呈示部の結尾で反転利用したり、と、作曲術にも進歩を示しています。メヌエットは、彼の半音階好きの初期的兆候を見せていますが、ほんの瞬間的な利用にとどめています。終楽章のロンドをピアノ(弱音)で終わらせているのは、彼の茶目っ気でしょうか?

in G K.110[75b](2Fl,2Ob,2Fg,2Hr,Str):Salzburg,6月〜12番
*自筆稿の署名部分はLeopoldの筆
1.Allegro(3/4,157bars, 2Ob,2Hr,Str)ソナタ形式
2.Andante(in C, 2/2, 52bars,2Fl,2Fg,Str)
3.MENUETTO(3/4,40bars, 2Ob,2Hr,Str) & Trio(in B, 20bars, Str.)
4.Allegro(2/4, 103bars,, 2Ob,2Hr,Str)
<特色>
ユニゾン利用などにつきK.75の応用編で、前作の古風さが吹っ切れ、第1楽章冒頭から楽想が幅広くさわやかになっています。晩年の交響曲第39番の、力強く若々しい前身作品だとの印象を受けます。第2楽章はカノン的な作法を取り入れ、弱拍でわざと2度をぶつけたりしており、ここがきれいに響くかどうかが演奏者にとっては音程感覚の善し悪しの試金石となります(ピノック盤でははっきりぶつかっていますが、ホグウッド盤では音程感を変えてあることにより衝突が回避されており、ラインスドルフ、ベーム、テイト盤では2度の上の音を弱めに演奏させることで回避しています)。第3楽章のトリオはモーツァルトの半音階趣味をより前面に出しており、原則ホ短調なのですが、一種不思議な雰囲気を持っています。弦楽四重奏曲「ハイドンセット」中の『不協和音』の祖型と見なしても良いかと思います。

in D K.120[111a](2Fl,2Ob,2Hr,2Trp,Tim,,Str):Milano,8月末
最初の2楽章は「アルバのアスカーニョ」K.111の序曲。
交響曲稿。もともと独立稿として存在したプレストはアンドレの推定により第3楽章に位置づけられた(編成、調性から考えても自然である)。
1.Allegro assai(4/4,134bars)
2.Andante grazioso(in G, 3/8, 42bars, without Trp. & Tim)
3.Presto(3/8, 110bars)アインシュタインの推定では1771年秋の作
<特色>
オペラ(セレナータ、祝典劇)『アルバのアスカーニョ』は最初の2楽章のあとバレエ(合唱)に突入していくのが本来のかたちですが、バレエの無い上演でも可能なように第3楽章を用意しておいたもの、と考えられています。この年の6作の中で唯一の完全な「イタリア風シンフォニア」です。祝典劇にふさわしい華やかな第1楽章、「嫌いな楽器」であるはずのフルートが美しい第2楽章は、グルック風な響きがする点、71年の作品中では異色な存在かも知れません。

in C K.96[111b](2Ob,2Hr,2Trp,Tim,,Str):Milano,11月〜46番
*自筆稿散佚。楽譜は旧全集(AMA)に準拠。
*72年10月〜73年3月作(ルチオ・シッラとの情感の類似から。ヴィゼワ・サンフォア)との説あり。
1.Allegro(4/4, 69bars)
*32-33小節目のホルン、新全集は旧全集の表記に原典との相違を推定し、修正案を併記。
2.Andante(in c moll, 6/8,43bars,without Trp. & Tim)
3.MENUETTO(3/4,28bars) & Trio(24bars,without Trp. & Tim)
4.Molto allegro(2/4, 120bars)
<特色>
これも祝典的な、響きの華やかなシンフォニーです。第1楽章の、音階上昇の装飾を伴うトニカ三和音の上昇音型はモーツァルトが好んで用いるようになるモチーフの一つで、早くも翌年にはディヴェルティメントと呼ばれている3曲の弦楽四重奏(または弦楽合奏曲)の3曲目、ヘ長調K.138に再び現れます。このシンフォニーの第1楽章は、三和音と音階を組み合わせて基本骨格を構成しており、モーツァルトは決して「インスピレーション」だけではない、しっかりした構成観を持って作曲に臨んでいたことの好例の一つです。
この作品で最も興味深いのは、第2楽章、ハ短調のシチリアーナです。強拍をピアノ(弱音)、弱拍をフォルテ、と重心を逆転させることにより、何か重たいものを心に抱えている印象を生み出していますが、その重荷はまだ成人のものにはなっていません。そのため、大人のほうが演奏には困難を覚えるかも知れません。現に、ピノック盤以外はこの楽章の求める「再生」は成し遂げていません。ピノック盤でも「辛うじて出来た」という程度です。

in F K.112(2Ob,2Hr,Str):Milano,11月〜13番
*自筆稿の署名部分はLeopoldの筆
1.Allegro(3/4, 124bars)
2.Andante(in B, 2/4, 64bars, Str.)
3.MENUETTO(3/4,16bars) & Trio(16bars, Str.)
*Leopoldの筆
*後日の作ではなく、他楽章と同時に作曲されたものをLeopoldが筆写したか、またはLeopoldの作品であるかのいずれかと思われる。
4.Molto allegro(3/8, 123bars)
<特色>
K.96とは逆に、下降する3和音で曲が開始する仕掛けになっています。K.96が72年後半の作ではなく、71年11月創作で間違いないのであれば、連続して作ったかも知れず、モーツァルトの実験魂を示している可能性があります。ただ、第2楽章が他の作品とは異なったウィーン風のイメージを持っている(もしくは、ハイドン兄の緩徐楽章に似ている)点が私には気にかかります。こちらのほうが創作時期は71年11月で間違いが無いだけに、この時期何が彼の脳裡にあったのか、謎に感じるのです。その他はあまり際立ったところがない、71年の作品中では最も平穏無事なシンフォニーではあります。

in A K.114(2Fl,2Ob, 2Hr, Str):Salzburg,12月30日〜14番
*自筆稿の標題部分は自筆、署名部分はLeopoldの筆
1.Allegro moderato(2/2,139bars : 2Fl, 2Hr,Str)
2.Andante(in D, 3/4,62bars :2Ob,Str)
3..MENUETTO(3/4,16bars : 2Fl, 2Hr,Str) & Trio(a moll, 24bars, Str.)
*作曲者自身が非採用とした異稿あり。
4.Molto allegro(2/4, 174bars)
<特色>
71年最後のこの作品は不思議な存在です。第1楽章、第2楽章とも、2つのヴァイオリンパートだけで開始されますし、第4楽章も和音の強打とヴァイオリンの二重奏が交錯する開始部を持っています。また、イ長調故の音域設定の関係でしょうか、通常は第2楽章でオーボエから持ち替えられるフルートが、逆に第1,3,4楽章で活躍するのも異様です。ただし、これにより音域が高目に偏心しているため、響きは清らかなものとなっています。第2楽章はフルートからオーボエに持ち替えられます。この緩徐楽章は、拍子(3/4)といい音の流れ方といい、『レクイエム』のレコルダーレを彷彿とさせます。第4楽章のロンド74小節目には、K.96に続き、彼が愛用することになる「ソーファミレド」の音型が登場します。これはクリスチャン・バッハに由来する動機だそうですが、モーツァルトは翌72年、この動機を使った印象深い作品「ディヴェルティメントニ長調K.136」第1楽章を作ります。
彼の精神に何が起きていたかは、ザルツブルクに戻ったあとなので、書簡などから伺う、という手段がありません。ただ、2つのことが注意を引きます。ミラノを発つ少し前、11月30日の書簡に、
「ミラノの大聖堂前で4人が絞首刑になったのを見た」
という報告があり(彼はこのとき初めて絞首刑の現場を見たわけではありませんが)、ザルツブルクに帰着した翌日の12月16日、ザルツブルク大司教でモーツァルト父子の保護者であったシュラッテンバッハが死去しています。
K.114に、別段死の影がさしているわけではありませんし、あくまで私の主観なのですが、この作品にはヴォルフガングの何らかの精神的転機を感じ取らずにはいられません。

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CDによる「モーツァルト交響曲全集」について:

モーツァルト初期の交響曲はアーノンクール盤を除き全集でないと聴けない場合がほとんどです。
認識している限りでは、特別に廉価のもの2つを除いて個人指揮者の手による全集は6つありますが、マリナーによる全集はLP時代に聴いて、後期作品、とくに39番の管と弦のピッチの違いが激しいのに辟易し、CD化されてから購入していません。以上6つの特徴を感じたままに掲載しておきます。
以下のうち、1770年以前の作品はピノック盤の軽妙さが抜群かと思います。1771年以降の作品になってくると、ベーム盤は、重めの演奏ではありますが、管・弦のバランス、楽譜への忠実度(一部旧全集によるようです)につき、全集としてはこれまでのところ最も順当な響きが聴けるのではないかと思います。

ラインスドルフ盤〜旧全集に準拠し、かつ41番までに限って納めたもので、偽作の2番、3番を聴きたければ今はこれしかありません。音はいかにも1950年代、という、ヴィブラートかけっ放しの弦に平たいオーボエ、いかにも金属といったホルンではありますが、全般にキビキビしたテンポで、現在も聴き甲斐があります。今回ご紹介の6曲中、含まれるのは12番、13番、14番の3曲のみです。

ベーム盤〜いま聴くと、「ベルリンフィルで全集を入れた当時から、こんなにテンポが遅かったっけ?」と感じるほどですし、ロマン派的解釈が根強く残っています。が、オーケストラのバランスがよく、スコアから想像する響きのバランスを最も良く再現してくれます。ただし、音質は重めですから、「軽やかなモーツァルト」がお好きな方はホグウッド盤かピノック盤を選択することになるでしょう。今回ご紹介の6曲中、K.120(『アルバのアスカーニョ』序曲の交響曲版)は収録されていません。

ホグウッド盤〜現在でも斬新ですが、演奏は意外におとなしく、管楽器がもう少し聞こえてもいいように感じます。「オーデンセ」なども収録し、「パリ」や40番は2種類の稿を聴けるなど、幅広くモーツァルトを味わうには最適の全集です。テンポ設定はベーム盤よりも快速ですが、時代を顧みてそうなのか、現代だから心地よく感じるのか・・・は、18世紀末の録音なんて存在しないのでわかりませんネ。今回ご紹介の6曲は全て収録しています。

ピノック盤〜オーケストラとのコミュニケーションが以前より深まっていることを感じさせる、好演ぞろいの全集です。「ジュピター」までの全曲にチェンバロを加えて演奏しています。これがモーツァルト当時の響きに最も近いのかな、と想像しながら楽しく聴けます。テンポ設定はホグウッド盤と似ており、管・弦のバランスはベームに近く、音色は最も明るい感じです。今回ご紹介の6曲中、K.120(『アルバのアスカーニョ』序曲の交響曲版)は収録されていません。

テイト盤〜初期作品に関して言えば柔らかい演奏で、逆にそれがともすれば作品の輪郭をボカしてしまう欠点があるように思います。ベーム盤では硬い、古楽系はいやだ、という場合の選択肢は、このテイト盤になるかと思います。アンサンブルは丁寧ですが、バランス、テンポに対する考え方が若干一貫性を欠きます。この点で上記4全集には及びません。今回ご紹介の6曲は全て収録しています。

マリナー盤〜フィリップスのモーツァルト全集の1として発行されています。映画『アマデウス』ではなかなかの好演を聴かせてくれたマリナー/アカデミーですが、交響曲全集だけでなく、「レクイエム(バイヤー版)」のCDも、マリナーらしく硬質で、かといってベームのような沈着さが感じられません。縦の線の揃いはほぼ申し分ないのですが、おそらくはそちらを尊重しすぎるあまり音程に安定を欠き、スタジオ録音にも関わらず(いや、スタジオ録音であることによって、でしょう)、響きの広がりが調整され切っていない演奏が多々あります。ライヴなら申し分ない演奏もあるのですが・・・モーツァルト以外の作品でもそうした傾向が強いのは何故なのかなあ、というのがこのコンビへの正直な印象です。収録内容は確認していませんが、五十数曲なので、おそらく全て収録されていると思います。

他2つの廉価版全集のうち1種はまだ販売しています。口コミでの評判は高かったのですが、演奏についての方針が明確ではないようで横流れの音という感が否めず、「曲の概要を知る」目的以外には適さない(つまり、アンサンブルの見本にもしにくい)と思います・・・スコアから想像する響きに比べると、どの作品も単調で柔弱に聞こえます。「まあ、それでもいいや」と思えば、一番手軽に手に入る全集です。K.120(『アルバのアスカーニョ』序曲の交響曲版)は収録されていません。

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2006年8月 5日 (土)

シュワルツコップ逝去

昨日、旧盆の話題を綴りましたら、そのあと知りました。
名ソプラノ、エリザベート・シュワルツコップさん、3日に90歳で逝去の由。
日本で最速でニュースにリンクを貼っていたブログこちらタワーレコードでのディスコグラフィこちら日本盤こちら
素敵なモーツァルト歌いでもあった彼女。記念年に亡くなったのも何かの縁でしょうか?

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2006年8月 4日 (金)

猛暑、涼風。

今日8月4日、うちのあたりでは気温が36度近くまで上がりましたが、いかがでしたか?
私は子供に連れ回されて熱中症気味の肥満体です!
それでも、冷房は使わず、3台の扇風機をフル稼働させて過ごしました。気象情報では風向が北なので、全部北側を向けて回します。すると、うまい具合に外の風が室内に吸い込まれるので、ちょっとだけ過ごしやすくなるのです。
風がうまく入ると、キッチンの前にかけてある江戸風鈴が時々コン、コンと鳴ります。
江戸風鈴は、ご存知ですか?毎年この時期になるとニュースなどで採り上げられますが、このガラスの風鈴、すごく熱い思いをして作るんですよね。しかも、製法を守っていらっしゃる家は一軒。
鉄の風鈴なら文字通り「リン」と鳴りますが、ガラスで軽量なせいでしょうか、少し硬い「コン」という音です。
2年前だったか、本家ではなく弟さんの方の工房に行ったことがあったなあ、と、ふと思い出しました。盆の里帰り前に、娘が、
「祖母の名前入りにしてプレゼントしたい」
というので、直接工房を訪ねて描いてもらうことにしたのです。
ガタイの良いご主人はいかにも職人というゴツい顔つきですが、頼むと気さくに引き受けて下さり、
「ほいよ」
水色と桃色二色の短冊図柄の上に祖母の名前(ちなみに単純な名前ながら旧仮名遣いで、息子の私も奇麗に書けません)を、涼しげな水のように、さらりと流し込んでくれました。
ほぼ、あと一週間で旧盆ですね。

(江戸風鈴の頁にリンクを貼って有ります・・・たぶん、橙色になっています。そちらを覗いて見て下さい!)

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ムラヴィンスキーによるショスタコーヴィチ交響曲集

ムラヴィンスキーによるショスタコーヴィチ交響曲集を、3日かけて聴きました。5・6・7・8・10・11・12・15と、7番・15番以外は彼が初演に携わったものばかりです。ただし、彼が初演者であった第9は含まれません(録音が無い?らしい)。
第5のみが1980年代(84年)の録音(単体発売も有り)。ムラヴィンスキー逝去の3年前です。お好きな方は褒めちぎっているようですが、聴くと、オーケストラに対して以前のような統率がとれておらず、解釈も大きく変動しており、ちょっと不思議な感じです。(第5はこの夏聴く人が多いと思いますので、逐次、私の聴いた演奏の状況をなるべく客観的にお伝えします。)それ以外は彼らしい、緻密ながら幅の広い演奏で、とくに15番の演奏が持つ深さを感じると「どうして彼は第1や第9の録音を残してくれなかったのか」と非常に残念になります。第1はやむを得ないとしても・・・

なお、「ショスタコーヴィチと仲間たち」と同じヴェネツィア盤で、解説はロシア語!字もスゴク小さい! 読めネエ。。。

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2006年8月 2日 (水)

「長い休符」の過ごし方(1)

「長い休符」の過ごし方、というお題で、屁理屈は夏休みにしますネ
日記や「10行話」は適宜綴りますので、お付き合い頂ければ幸いです。

・・・綴っているうち、「これはヴァイオリン弾きでは適任ではない話題だな」と思い始めました。「屁理屈」以下の雑談にしかなっていません。あらかじめお詫び申し上げます。そのくせ、6節ほどの長文で・・・重ねて「面目ございません」。

オーケストラで一番可愛そうなのは、他の楽器が演奏している間、長〜い休符で待たなければならない面々です。プロならお給料も出るでしょうが、アマチュアはそれも無し。
「休符の間は他のメンバーの音楽を『高みの見物』すればいいんだ。それが出来ないとは、音楽に対する意識が甘い!」
というキツイお達しもあったりします。
現に、フルトヴェングラーについて最も客観的な思い出話が出来たのはティンパニ奏者で、そういう意味での「オトク」さ具合はviolin奏者からはうらやましい限りだったり、はします。
とはいっても、アマチュアはとくに、
「参加していて音出せず」
は涙と悔しさ無しには語れぬセリフではあります。

そもそも編成上含まれない、という場合は、論外ですから触れません。歴史を考えると面白いのですけれど、かなり脇道にそれるし、それっ放しになりたい欲求を抑えられませんから。

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「長い休符」の過ごし方(2)

19世紀後半以降にならないとオーケストラに定着しないトロンボーン、チューバが、まずは可愛そうです。やっと使ってもらえる、となっても、たとえばチューバはドヴォルザークの「新世界」では第2楽章のコラールで吹いておしまい・・・それも、楽譜出版の際、バストロンボーンにすべきところを校訂ミスでチューバになった、という経緯もあるそうですから、なおさら悲しい。
トロンボーンは、ベートーヴェンの「第九」にしても、ブラームスの交響曲にしても、終楽章でやっと演奏に参加出来たりする。
打楽器は「新世界」の終楽章の「たった一発」シンバル、チャイコフスキー「悲愴」終楽章の「たった一発」銅鑼、など、休符の長さと演奏参加の短さでは金管楽器以上だったりしますが、こちらはメンバーはいくつもの打楽器を持ち回りでやるので、いくらかはいいかも知れない。休符が長いのにも慣れている人が多い。・・・それでも大変ですけれどね。あれだけ出番を待たされて、しかも正確に出てくる、というのは凄い能力で、本気で尊敬させられるのが打楽器奏者の面々です。
そうかと思うと「ひと吹き」トランペットというのもありまして、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲では、音楽が高潮の最高点に達したところで、ほんの数小節、愛の動機を高らかに鳴らし、それでおしまい。
オーケストラにとっての特種楽器であるコントラファゴットやバスクラリネットなども、こうした例は枚挙する暇もないほどです。あ、「悲愴」でのバスクラはオリジナルはファゴットですからね、オリジナルで行こう、ってなったら吹かせてもらえないのよネ・・・まあ、あんまり話を広げるのは止しましょう。

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「長い休符」の過ごし方(3)

金管楽器を常態的にとりいれ、特種楽器を適宜配備する、というオーケストレーションは、ベルリオーズに始まります。それまでオーケストレーションで最大の革新を行ったのはベートーヴェンです。その革新も定着しないうちに発表された「幻想交響曲」は、いま聴いても、とても古典派末期〜ロマン派初期の作品とは信じられない斬新さを持っています。
「幻想」で活躍するのは金管や特種楽器だけではなく、舞台裏に配置されるコルアングレ(=>ご指摘があり、オーボエの間違いでした!すみません。有り難うございます)だったりします。舞台裏、という事情があって、このコルアングレ、ではなくて舞台裏のオーボエは、舞台上のオーボエの他パートと兼任、という訳にはいきません。それで、N響の茂木大輔さんは「続・オーケストラは素敵だ」で、「幻想」の舞台裏オーボエは出番まで舞台裏に電気ゴタツを置いて、ミカンを食って待つ、みたいな素晴らしい発案をなさっていたりします(記憶違いだったらごめんなさい)。しかも、このオーボエ、遠雷と共に響く牧童の笛を描写した素晴らしい演出で、「幻想」の聞き所の一つですから、ミカン食って出の直前に喉に詰めてしまったりしたら大変ですから、お茶も欠かせない、という次第のようです。
弦楽器で長い休符、というのではなかなか思い出せませんが、皆無ではありません。管楽器に比べればたいしたものではありませんが、チャイコフスキー第4の3楽章の中間部ではすこし長く「休める」のでホッとさえします。
全章お休み、の有名な例は、やはりチャイコフスキーの「くるみ割り人形」小序曲のチェロとバス。それから、フォーレ「レクイエム」の最初の2曲での、ヴァイオリン。後者を初めて弾いた時、前の晩にしこたま呑んで、本番の最中、眠ってしまったことがあります。3曲目(サンクトゥス)に入ったところで危うく気がつき、ふと隣の人を見たら、その人も寝ていた、ということがありました。・・・本番前の日の飲酒はホドホドにしましょう!

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「長い休符」の過ごし方(4)

さて、話は「新世界」のチューバに戻ります。
このチューバパート、本来はバストロンボーンだったところが、校訂の行き違いでチューバになってしまった、のは(2)で述べた通りです。
では、どうしてそのような手違いが起こってしまったのか。
ちょっと自筆譜ファクシミリをご覧下さい。(クリックすると拡大します。)
Dvorak92_2

うちのスキャナの能力上、画像が不鮮明で恐縮ですが、ちょうど中央辺りの段がトロンボーンとチューバパートです。
その左端に薄く"3 Trombone"(複数形のsなし)と鉛筆書きしてあるのがお分かり頂けるでしょうか?
それとは別に、今度は五線の間に、やや濃い鉛筆書きで"Bass X Thba"とあります。
この鉛筆書きについて、画像に入れられなかった2つの重要な部分があります。
ひとつは3葉前の第1楽章のホルンの追加で、チューバと書いた同じ濃さの鉛筆書きで行われています。これは、「新世界」のアメリカ初演に際して、音を補強するために修正されたもののようです。すると、修正した鉛筆書きの濃さから、"Bass X Thba"の記入も同じ時に記入されたものだと考えられます。ものの本によると、事実、ドヴォルザークは当初、ヨーロッパの、太い音がするバストロンボーンを想定してオーケストレーションしたとのことです。ところが、アメリカではバストロが思ったような深い音色で吹いてくれない。苦肉の策でチューバにした、とか。
もうひとつ重要なのは、この頁の前、やはり第1楽章の最終部分です。ここは現在、八分音符1個ずつの小節が3つで終わることになっていますね。タン、タン|*タッタ|タン*|タン*|タン*|という感じです。これが、初めのインク書きではタン、タン|*タッタ|タン*|で終わっています。おしまいの2小節は薄い鉛筆書きで付け足されているのです。こちらの濃さは第2楽章冒頭左端の"3 Trombone"と似た濃さです。これからまず分かるのは、"Bass X Thba"と"3 Trombone"の記入は別のときにされているのは間違いない、という点です。
さて、むずかしいのは、では"3 Trombone"が後に書かれたのか、先に書かれたのか、という問題ですが、そこは研究者ではないので何とも言えません。自筆譜全体を一瞥した限りでは、"Bass X Thba"と記入したのと同程度の濃さ、太さの鉛筆書きは数ケ所見受けられ、大体が音の表現に関する指示であるため、初演に向けての練習過程で記入されたものかと考えて良さそうです。ところが、第1楽章最後の2小節と"3 Trombone"の記入をしたのと同じと思われる細い鉛筆書きは、他の箇所では私には発見出来ずじまいでした。
2つの可能性があります。ひとつは、「初演練習にかかる前に譜を見直し、書き足しておいた」。もうひとつは、「校訂稿を引き受け者であるブラームスに送る際に書き入れた」。しかし、校訂用の書き入れは画像の頁でもわかるように、青鉛筆でなされています(インク部分と見比べて、ドヴォルザークの自筆に間違いは無いと思われます)。したがって、「校訂用」の可能性が薄いとなると、「当初の見直し」で書き入れられた可能性が大きく残ることになります。つまり、「ドヴォルザークの意思ははじめは3本のトロンボーンだった」というわけです。
・・・ついついムダな長話になりましたが、いちおう、「ドヴォルザークの意思は3本のトロンボーンだった」ことを(ちょっと頼りないですが)裏付けするためでした。ごめんなさい。

この事実から何が言えるか? そう、ドヴォルザークは第2楽章冒頭のコラールの響きを非常に大切に考えていた。しかし、現実の楽隊が、彼の頭の中のイメージとは違う響きしか出してくれない。そこで、彼はあくまで自分のイメージを貫くため、バストロンボーンをチューバに変えて演奏に臨んだ、ということです。

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「長い休符」の過ごし方(5)

トロンボーンについては、この楽器が生まれて以来、必ずアンサンブル楽器として使われており、用途は軍楽以外は専ら教会音楽だった、という事情が絡んできます。聴いた限りでは、デュファイのミサ曲以後、合唱のアルト以下の声部の補強に使われている例が多く(もっと前もあるのかも知れません)、モーツァルトのミサ曲、レクイエムでも同じことが踏襲されています。モーツァルトは1789年に「メサイア」の編曲も行っており、その際、ヘンデルは行なっていなかった合唱の補強を、やはりトロンボーンに受け持たせています。
したがって、トロンボーンには神聖なイメージが付き物であり、「幻想交響曲」のような思い切った使い方、あるいは先行するベートーヴェンの「田園」の嵐の雰囲気を出すための使用、は、19世紀でもまだ相当特別視されていたものと思われます。
ノリントンが最近ブラームスの交響曲全集をDVDで出しましたが、それに収録されたインタヴューで、第1交響曲の終楽章のトロンボーンによるコラールがいかに重要であるかを語っています。このコラールがあることによって、ブラームスは彼自身の「苦悩」を乗り越えた表明をする、という趣旨だったかと受け止めております。
ここまで見てくると、チューバやトロンボーンという楽器が、作曲者の明確な意思で、非常に重要なポイントで用いられてきたのだということが伺えます。

トランペットは、そういう意味では、作曲者に取り入れてもらった頻度こそ高いものの、いちばん辛い過程を辿っているかも知れません。
モーツァルトの「メサイア」編曲を聴くと、現代の我々には木管楽器やトロンボーンによる補強があまりに多すぎる気がするはずですが、もう一つ気づくのは、
「あれれ、トランペットがオリジナルほど活躍しない・・・」
ハレルヤコーラスからでも、トランペットのあの輝かしい高音が無くなっています。モーツァルトが編曲した当時、イギリスではまだオリジナルが演奏し続けられてたということですから、モーツァルト編曲版にはウラがありそうです。
この当時、ドイツ圏ではとくにトランペットとホルンの技術がバロック期に比べてかなり衰退していた、というのが、「ウラ」の正体だと言われています。かつ、トランペットは原則としてティンパニと一緒に使われるか、ティンパニを入れられない部分ではティンパニのかわりを務める役を担う、というのが専らになってしまった。
ですから、極端にいえば、古典期のトランペットは「打楽器」として考えなければならない、と相成るわけです。・・・それでも、私はベートーヴェンの第4交響曲第2楽章のトランペットが大好きですけれど・・・私が弁解しなくちゃならない気分になる必要はないか!

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「長い休符」の過ごし方(6)

打楽器によってもたらされる色彩感の素晴らしさについては、言うまでもありません。したがって、打楽器について特別な話題は綴りませんでしたが、ご容赦下さい。

ピアノ曲や弦楽四重奏曲・弦楽合奏曲は、モノクロの世界です。モノクロ映像にスポットで強烈な赤を加えるTVコマーシャルが、時に強烈なインパクトを与えますが、これは音楽の上ではまず協奏曲の世界で実現されました。次第にシンフォニア重視になってくるに至り、オーボエ・ホルンに始まって徐々に、オーケストラに管楽器・ティンパニが増強されてきた、という過程が、一方では「強い色彩はなるべく限って、印象的に用いる」という作曲家側の抑制による、管・打楽器使用の頻度抑制につながってきたのではないでしょうか? それが故に、長い休止が多いとは言え、管楽器、打楽器は弦楽器奏者から見れば「曲のヘソ」「音楽の肝」を担当する割合は休符の長さに反比例して高く、実はうらやましい限りだ、ということは、管・打楽器の方には是非承知をしておいていただきたい点ではあります。

ローマの古典に
「(世俗の欲に囚われる人は)山羊や羊ならどれだけ持っているか言えるのに、友人を何人持っているかは言えない」
という格言めいた文があります(キケロ「友情について」)。山羊や羊は、いま、音譜の数だと思って下さい。
「友人」とは、音楽の中でもっとも大切にすべき精神、とでもなるのでしょうか。
それを担っているのだ、という自負は、とくに金管・打楽器の方は常に御持ちだとは存じますが、その分、長い休符の間にどうやって自分の出番が用意されて行くかに人一倍理解を深め、弾くことだけで忙しい弦楽器連中に良いアドヴァイスを頂けるほど見識を深めていただければ、これに勝る喜びは無いと存じます。

・・・たいした結論でなくて本当にすみません!
こんなところで。

夏が終わるまで、また考察に値するものを見つけておきたいと思います。

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2006年8月 1日 (火)

ショスタコーヴィチ自作自演!

出てました!しかも3月発売だった由。店頭で見たのは初めてだったんだけどなあ。
Dmitri Shostakovich & Friends
4枚組。音質も、決して悪くない。最初の2枚は初演者ベートーヴェン四重奏団による第1〜第4弦楽四重奏曲。3,4枚目ではショスタコーヴィチ自身のピアノ演奏(素晴らしい!)による2曲の協奏曲を、第7交響曲の初演者サモスード、作曲者と縁の深かったガウクの指揮で収録。第10交響曲連弾版の相手は弟子にしてライヴァルのヴァインベルク。ピアノの調律がいまいちなのが涙を誘います!4枚目の最後は初演者ドルジーニンとミュチャンによるヴィオラソナタの美しい演奏(これまで聴いた中で最上の演奏です)。ショスタコーヴィチの内面に触れられる貴重なCD。・・・もう一種類見つけたのですが、ネットでは発見出来ずにいます。もう売れちゃったかな・・・

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