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2006年8月23日 (水)

Mozart:アルバのアスカーニョK.111

Mozart:アルバのアスカーニョK.111

昨日の「ショスタコ第5CD」の話同様、たった一つのことでだいぶ長い文になってしまいました。そのうえ、言葉の方は多分に不足しています。すみません。この作品につききちんとお知りになりたい方は、どうか、文中にあげた書籍などをご参照下さいますよう、あらかじめお願い申し上げます。
・・・病休がもうすぐ明けると思うと、ついいろいろ考えてしまいます。

「アルバのアスカーニョ」にたどりついて、はたと困ってしまった事があります。
この作品が、
・なんでハッセに以後のオペラ創作を断念させるほど成功したと言われているのか
・この作品の成功が、むしろ依頼主マリア=テレジアに嫌悪されたと見えるのはなぜか
が、音楽を読み聴きしても、文献を読んでも、理解できなかったのです。

ひとつめの問題は、この作品をサブとし、メインとして上演されたアドルフ・ハッセのオペラ「ルッジェーロ」が聴けなかった(音源がないし、楽譜もみつけられなかった)ためにしっくりいかないのです。
ふたつめには、この作品、諸伝記に「オーストリアの『女帝』マリア=テレジアの依頼を受けて書かれた」とあり、大成功したのであればモーツァルト父子は報酬だけでなく処遇も相応に報いられても良かったはずではないか、という疑問が晴れません。

疑問を先に綴ってしまっては突拍子もありませんので、ここで作品の成立から上演までについての事実を、分かる限り見ておきましょう。(一番大切に読んでいたはずの音楽之友社『モーツァルト』をどこかに置き忘れ、参照出来ません!ドジだなあ。。。)
オーストリアの皇子にしてミラーノ大公フェルディナントの婚儀のために祝典劇へ作曲することが正式に決まったのは、モーツァルト父子が第1回イタリア旅行からザルツブルクに帰った前後のことのようです。

依頼を受けた経緯については、
・オーストリア女帝マリーア・テレジアから(高橋英郎『モーツァルト366日』)

・おそらくミラノの推薦を受けたウィーンの宮廷から(堀内修『モーツァルト オペラのすべて』)

・ザルツブルクに帰郷した3月末に、ミラーノ大公フェルディナントの母マリーア・テレージアから祝典劇の作曲依頼を受けた(若松・町田『モーツァルト問』)

・ザルツブルクに帰郷したモーツァルトは、オーストリア女帝マリーア・テレージアより、オペラ作曲を依頼するという手紙を受け取るのであった(海老澤敏『モーツァルトの生涯』)

などとあります。新モーツァルト全集のこの作品のスコアの前書きでも(私の語学力で読み切れていないのかも知れませんが)、「マリア・テレジアから依頼された」程度にしか記述されていませんでした。
マリア=テレジアの名に触れていないのは『モーツァルト オペラのすべて』のみで、他はどう読んでもマリア=テレジアが「直接」モーツァルトに依頼したようにしか受け取れません。
まずは、こうした記述が、事後のマリア=テレジアの冷たい態度を誇大に感じさせる大きな要因になってしまっているものと思われます。

アインシュタイン(『モーツァルト その人間と作品』)は、この作品についてほんの短くしか触れていません。しかし、モーツァルトが注文を受けた経緯に関しては、
「女帝の依頼でフィルミアン伯爵が少年に注文したものである」
と、簡潔ながらより具体的に記しており、『アルバのアスカーニョ』の注文は「女帝(実際には皇太后)」が「直接」に成したものではないことが、これでやっと判明します。・・・些細なことのようですが、事実を把握したいとき、文献類というものはいかに注意深く読まなければならないか、私としては思い知らされた格好です。
日本人の本の中では唯一『モーツァルト オペラのすべて』が、本当の経緯は何かにつき考えて書かれていることになります。そこから一歩踏み出していないのは、この本が一般向けの新書であるためでしょうけれど、「ああ、惜しい!」と声を上げてしまいたい気持ちです。ついでに言えば、この本に参考文献表があれば、もっと有り難かった! 「おそらくミラノからの推薦で」は、的を得た視点だと思われるからです。この件に関して明確に触れた書籍には巡りあっていません(なにかでお読みになった方からの情報があれば有り難く存じます)。が、前年のヴォルフガングのオペラ・セリア『ポントの王ミトリダーテ』を、フェルディナント公が大変気に入ったという経緯もあったので、蓋然性はきわめて高いのです。

マリア=テレジアについてはまた後に置いておき、次に、ハッセとこの作品との関係を見ておかなければなりません。
その前に、『アルバのアスカーニョ』とはどんな作品か、内容と創作の経緯を把握しておきましょう。

台本自体は、劇としては他愛もないものです。主人公「アスカーニョ」はフェルディナント公を、その母で美の神「ウェヌス」はマリア・テレジアを、アスカーニョの妻となるニンフ「シルヴィア」はフェルディナント公に嫁ぐマリア・ベアトリーチェ(モデナ王エルコーレ三世の娘。ちなみに、エルコーレはヘルクレスのイタリア語読みで、作中の「シルヴィア」はヘルクレスの血脈を受けた女性ということになっています)を、それと分かるように喩えています。
筋立ては、劇を華やかにするため長く引き伸ばすのに台本作者パリーニが苦慮したと伝えられるほど、単純な少女マンガ風のもので、ヴェヌスの子息という身分を隠したアスカーニョがシルヴィアの心を射止めるまでの、少しばかりの紆余曲折を、牧歌劇仕立てで描いているに過ぎません。
ただし、アスカーニョは伝説上ローマの始祖ロムルスとレムスの父に当てられている人物です。この人物を主人公に据えることで、フェルディナント公の婚姻が新しい王土繁栄の礎となるよう、劇をもって嘉するという、じつにウマい狙いが、まことに露骨です。

ヴォルフガングの元に台本が届いたのは1772年8月29日。9月までにはレシタティーヴォの作曲が進んだようです。ただし、これまで経験してきた劇作品とは違い、「アスカーニョ」には合唱やバレエが大きく取り込まれていたりすることなどがヴォルフガングには大きな負荷となったもののようで、
「僕はたくさんは書けません。第一に何を書いたらよいか分からないし、第二に書いてばかりいて指が痛むのです・・・」(海老澤敏訳)と、家族への手紙でぼやいています。

作品の特色は、なんといっても、単純な民謡風の合唱による音楽の分かりやすさです。合唱の効果的利用は「救われたベトゥーリア」ですでに試みていたことではあります。が、前作では敬虔さに終始していたのと異なり、「アスカーニョ」での合唱は、劇の幕開けと大詰めでは華やかに、中間ではほぼおなじメロディーと管楽器を生かした素朴な響きのオーケストレーションで繰り返し歌われることにより、聴衆に親しみやすい雰囲気を生み出しています。

この、「管楽器を生かした」オーケストレーションが、すくなくとも音楽上でヴォルフガングがハッセより大きな当たりをとることになった(らしい)原因ではないか、と思われます。

ハッセの「ルッジェーロ」に関しては通り一遍の情報しか得られませんでしたが、
「バロックオペラの域を出ず、最新の流行に遠かった」
と言われているところから推定すると、おそらくは技巧的なアリアに重点を置き、合唱はあったとしてもわずかだったのでしょう。また、台本はメタスタジオのものでした。ヴォルフガングの「ベトゥーリア」もメタスタジオの台本で、冗長な印象があることは、先に述べた通りです。ハッセがどの程度メタスタジオの台本に従ったのか分かりませんが、旧スタイルの曲をつけたとなると、時の聴衆にとっては退屈な代物になったであろうことが想像されます。

さらに、オーケストレーションの問題ですが、これは1769年にハッセが作曲したカンタータのCDは入手しましたので、もう少し妥当性の高い推測が出来そうです。こちらのカンタータはオーボエと弦楽のオーケストラにソプラノ独唱、加えてグラスハーモニカが加わる、大変美しい作品です。「おそらく、グラスハーモニカを取り入れた歴史上最初の作品ではないか」という説が、CDのパンフに書かれていました。
オーケストレーション上、グラスハーモニカを活かすことはもちろん忘れていませんが、一方で判明するのは、オーボエが独立で活躍することはまったくない、という点です。したがって、カンタータのオーケストラの色彩は、グラスハーモニカだけが、セピア色の背景に淡いピンクで浮き出てくるというに過ぎません。
オペラ中でグラスハーモニカを使った、などということは、まずありえませんから、「ルッジェーロ」のオーケストレーションは、ハッセの慣れ親しんできたセピア色でしかなかったのでしょう。ヴォルフガングのクレヨンを駆使した天才児童画の色彩の豊富さには敗北せざるを得ないのも当然だったと考えて差し支えなさそうです。・・・実際、「ルッジェーロ」を最後に、ハッセはオペラの筆を絶つことを決心し、長く彼を贔屓してくれたマリア・テレジアにはいちはやくその決意を告げたものと思われます。

ただ、ハッセの決意が
「大衆に受けなかった」
ことでなされたものだ、と受け止めてしまうと、注文を受けた経緯と同様、ヴォルフガングの「アスカーニョ」の成功を過大視することになるので、注意しなければなりません。
ハッセの「ルッジェーロ」は「アスカーニョ」に駆逐されたわけではなく、ミラーノの婚儀祝賀の期間中は上演され続けています。上演を打ちきらなければならないほどの失敗だった、とすればありえないことです。
以後、「ルッジェーロ」はたしかに再演されることはありませんでしたが、これは「大成功した」と言われる「アスカーニョ」についても全く同様です。
「アスカーニョ」の大成功、は、どうも、レオポルドの書簡中の言葉を過大に受け止めた伝記作者たちの幻想ではないか、と考えたくなります。問題の10月19日付のレオポルドの手紙にある言葉は次のようなものです。
「このセレナータ(「アスカーニョ」のこと)はビックリするほど人気があったので・・・(中略)・・・要するにです! お気の毒だが、ヴォルフガングのセレナータがハッセのオペラをまったく打ち負かしてしまったので、私はそれをどう説明したらよいか分からないほどです。」(海老澤敏訳)
この手紙のほか、「アスカーニョ」がハッセを「打ち負かした」という客観的な証拠は見当たりません。繰り返しになりますが、祝賀期間中はハッセの作品も「アスカーニョ」同様に演じ続けられ、「アスカーニョ」のほうも、ハッセのオペラ同様に後世から忘れ去られたのです。

ここに至って、最初の2つの疑問を顧みましょう。
「ハッセは本当に失敗からオペラの筆を絶ったのか?」
表面的な事象からは、どうもそうとは言い切れないようです。仮に本当にハッセの作品のほうが受けが悪かったとしても、上演は続いた。。。ハッセがオペラ創作をやめた理由は、あくまでハッセの内面に求めなければならないようです。それを明らかにする材料が、どこかにあれば良いのですが。ミラーノでの競演以前からハッセがヴォルフガングの才能を高く評価していたことは、前年の友人宛の書簡からもあきらかですし、そのことには以前触れました(K.87「ミトリダーテ」)。と同時に、もともとミラーノ用のオペラを依頼される以前から、彼はオペラ創作をやめる決心を固めていたと言われています。ミラーノの件は、ご贔屓にしてくれるマリア・テレジアのたっての頼みを断れなかったからだ、とのことなのです。
妙な例えですが、相撲で横綱が引退するときは、有望な後進に敗れるのがキッカケになることがよくあります。とはいえ、横綱はそこで俄に引退を決意するわけではありません。その前から、心のどこかで自分の限界を悟り、引き際を考え続けているのです。・・・ハッセの引退も似たようなもので、ヴォルフガングとの競演や、その際の大衆の目が新鮮な若者に向くのを確かに見届け、それまで心に秘めていた決意を実行したというだけのことだったのではないでしょうか?

もうひとつ、「アスカーニョ」成功後の、マリア・テレジアの不快表明の問題については、どうでしょうか?
彼女はミラーノでの様子を耳にして「ハッセが可哀想です」と表明したそうですし、なおかつヴォルフガングを気に入って抱えようとした息子フェルディナントに対して次のように書き送ったのも有名です。
「あなたはザルツブルク出身の若い人を使いたいと私に頼んでこられました。私はあなたが作曲以下のような役立たずを何故必要となさるのか分かりませんし、信じられません。勿論それでもあなたがそれで満足なのでしたら否やは申しません。しかし私が言っているのはあなたが役立たずのことで苦情を言わなければということであって、そういう人達があなたに仕えているかのような肩書きのことまでは含めません。そういう人達がまるで乞食のように世界中をほっつき回るとしたらそれは職務を陵辱するものです。それに乞食には大家族がつきものです。」(1771年12月12日付。ドイッチュ・アイブル編、井本訳「ドキュメンタリー モーツァルトの生涯」)
ハッセの件と、この否定的な書簡を並列で見ることが果たして正しいかどうかが、問いに答える一つのポイントになるはずです。
並列で見ることから、「マリア・テレジアはハッセへの同情と、夫皇帝の死後の財政緊縮を絡めてモーツァルトを侮辱的に扱った」とされるのが一般的です。
しかし、手紙の文面をよく見ると、マリア・テレジアはモーツァルト父子についてきちんと情報把握していたことが分かります。
「そういう人達がまるで乞食のように世界中をほっつき回るとしたらそれは職務を陵辱するものです。」
というくだりに注目すべきです。
注文の経緯自体がまず、アインシュタインの証しているように、彼女の直接行なったものではないことを考え合わせると、彼女はもともとモーツァルト父子に好感を持っていなかったのではないか、と考えることも許されるでしょう。そのうえでレオポルドの先に引いた書簡のような言葉が風の噂で伝わっていたとしたら、なおさら嫌悪は助長されるというものです。
レオポルドという人格に、また、ザルツブルクに居着かないで息子の天才を売り歩くこの父の「職務陵辱」に、彼女は皇室の徳を守るべき者として、のちにコロレドがヴォルフガングに抱く思い同様、望ましくない家臣の姿を見ていたというのが本当のところなのではないでしょうか?

「アルバのアスカーニョ」のスコアはNMAペーパーバック版では第4冊目、1085頁からです。
CDの単独盤は見つけていません。全集盤では輸入盤第13巻に含まれています。

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