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2006年7月12日 (水)

アンサンブル教!


「狂」ではなくて、「教」で間違いございません。ハイ。

まずは下のリンクの演奏(著作権に配慮し2分程度の部分までの抜粋です)を、出来れば順番に御聞き比べ下さい。「好き嫌い」を度外視し、音の揃い具合を確認して下さいますよう、あらかじめお願い致します。

ハフナー交響曲第1楽章サンプル(各約2分)
1. (1959)
2. (1984)
3. (1982)
4. (1970)

どうでしょうか? 3だけ、いわゆるピリオド楽器での演奏でピッチが低く、かつチェンバロが入っているのですが、そのことも併せて度外視下さい。
(実はホグウッドにも第1版・第2版の演奏と称する2つの録音があって、演奏もなかなか面白いのですが、面白さを比べる目的ではないので省きました・・・これは、いらん蛇足でした。)

さて、本題です。

私がまだ二十代後半で、店に数十万単位のツケを残しながら飲みまくっていた頃(菊地先生がよくご存知です。。。)、行きつけは7人も入れば満員のバーでした。そこのママは私と同じ年齢でしたが、口癖は
「アタシね、目がアタマの後ろにも付いてるの」
でした。どうせ同じ年頃のヤツが言うことだから、と、
「はいはい、そうですかいな」
私は生返事ばかりで、マジメに受け止めたことがありませんでした。
それが偶然、彼女の頭の後ろには本当に目が付いていることを知ってしまったのです。

看板も消して、お客は私ひとりになった晩、グデングデンになったハゲオヤジが
「入れろ」
と無理やりドアをこじ開け、入り口にいちばん近い席に陣取りました。
「じゃあ、1杯だけね、お客さん」
しかたなく水割りを出したママに、このオヤジ、悪態をつき始めました。
「なんだ、愛想もなきゃママもどブスでしょうもない店だな」
そんな具合で、しばらく我慢しているうちに、飲み終わったオヤジ、
「もう一杯」
「お約束が違いますから」
「なんでえ、バカヤロウ、店ぶっ壊すぞ!」
それから、もうことばに出来ないような悪態のつきっ放し。
1席隔てたところに待機していた私は、さすがにカッときて、右のこぶしを振り上げようとしました。
瞬間、こっちは見えないはずのママが、振り返りもせずに手を伸ばして、私のゲンコツをしっかと押さえ込んだのです。
「お約束はお約束ですので。まあ、つまらない店に来ちゃって運が悪かったということで」
彼女はうまいことハゲオヤジをあしらって見事に追い出すと、私に一言。
「手は、絶対出しちゃダメ」
「でも、見えてたわけないじゃん。こっちからはあんたのアタマの後ろしか見えなかったよ」
「だから、いつも言ってるじゃない。アタシ、目がアタマの後ろにも付いてる、って」
・・・そして後ろ髪をかき上げると、なんとそこには・・・

なんて、そんなホラーな話では無いんです。そこに本当に目玉があったわけではない。でも、彼女にはアタマの後ろで起っていることが、確かに見えていた、というわけです。

話は変りますが、鎌倉時代の初め、承久の乱があった頃、明恵という名高いお上人がいました。
ある日、瞑想(座禅のようなものですね)している最中、上人が急に、弟子に向かって言ったそうです。
「いま、表の水桶で虫が溺れているから、助けてあげてきなさい」
瞑想している道場からは、表の水桶なんて見えません。
「まさか、そんなことが」
と、弟子の一人が、それでも仕方なく行って見ると、たしかに水桶で虫が溺れていたそうです。
明恵上人は気分がいいと急にふうわり宙に浮いたりすることもあったそうで、それに驚いた周りの人のことを逆にビックリしてご覧になり、
「こんなこと、我が身を知れば誰にでも出来ますのに」
と怪訝そうにおっしゃった、などということもあったと、当時の伝記に書いてあります。

キリストになったイエスにも、福音書に「水の上を渡った」話があり、それを見て驚いた弟子たちを「こんなことは誰でも出来るのだ」と叱った話がありますね。

面白いことに、明恵にしてもイエスにしても、この場面で「神を信じよ」・「仏を崇めよ」などとは一言も言っていないのです。共通する主張は次のとおりです。
「(我が身を信じれば)誰でも出来る」
つまりは、
「自分の感覚を信頼しなさい、そのためには、自分の思い込みを一切捨てなさい」
そうすれば生身の人間でも万能なのだ、というところに要諦があると思われます。
これが、生身以下の人間、人間以下の生き物であるらしい私には大変難しく、ふりかえれば子供時分からのいろんな思い込みから脱出しきれないために、なにもできないどころか、「ウツ」なんぞになってしまったりしているのです。

ここはいっそ、「アンサンブル教」でも打ち立てられるように、教祖となるべく修業を始めるか、と思ってこの項を綴り始めた次第です(ウソでーす。)

もういちど、1から4までのサンプルを聴いてみて下さい。
3以外は、いわゆる近代オーケストラ、すなわち最低でもヴァイオリンが20人、ヴィオラが8人、チェロとコントラバスを合せて9人はいるだろう、という編成での演奏です。
「であれば1や2が何となく不揃いなのはあたりまえだな」
とお思いになりませんか?
3の演奏はヴァイオリン14人、ヴィオラとチェロが各4人、コントラバス2人と少人数です。ヴァイオリンが6人程度減ったのは小さいけれど、あとは半分以下です。
「まあ、少人数だからこれくらい揃うのは当たり前さね」

で、4の演奏です。これは1,2と同程度の「近代オーケストラ」の演奏です。
・・・この演奏の粒のそろい具合に出会ったとき、私は仰天しました。文字通り、天を仰いでしまったんです。
「なんで!? どうしてこんなに揃ってるの!?」
ヴァイオリンが跳弓で弾くだけなら粒が目立ちますから、管も合せやすく、そうした「合せやすさ」にうまく便乗してアンサンブルしている例は1〜3のどれからも聴き取ることが出来ます。
4が驚異的なのは、スラーのかかった音まで粒が際立っている、という点です。しかも、低音に至るまでクリアに揃っている。
こんなことが本当に可能なのか!? 編集したんじゃないの?
試しに、スウィトナー/ドレスデンシュターツカペレの組み合わせになるモーツァルトの交響曲の録音(残念ながら28番以降しかありません)を全部聴いてみました。ちょっと気が抜けぎみのものもあるにはありますが、まずほとんど全部が「ハフナー」と同じアンサンブル精度を実現している。なんぼ名ディレクターでも全部の録音をここまで編集は出来ないでしょう。
事実、スウィトナーがベルリンに移って、そちらのシュターツカペレと録音したモーツァルトは、アンサンブル精度が落ちてしまっているのです。

「出会い」ということも、あったのかもしれません。
「お互いを信じ合える出会い」です。

ひるがえって、私たちのアンサンブルはどうでしょうか?
先の定期での、クリスチャン・バッハの第1楽章での演奏を聴いて比べてみて下さい。
(ボリュームを上げて聴いて下さい。。。あとでボリュームを本に戻すのを忘れずにネ!)

1〜3の演奏と自分たちの演奏を合わせて、
「何が、どこが、演奏を4と違うものにしているのか」
是非、しばしお考えの上、コメントをお寄せ頂ければ幸いです。
(ですので、私なりの「回答案」は敢て綴らないでおきまーす!)

内輪の方には随分ブログを読んでいただいているようですが、コメントが2つしかないのが寂しい・・・「援交のおススメ」みたいなトラックバックはしょっちゅう付いているんですけれど。。。しょせん、私は電話ボックス。

いつも長くてすみません。
次の機会には「音程」ということについて考えたいと思います。管・弦別々に材料は用意してありますが・・・分かりにくくなるかなあ。。。

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コメント

音型の捉え方に違和を感じます。アクセントの違いといってしまっていいかと思います。揃いのみだれは、多くはそこに由来すると、個人的には感じます。強弱の対比で進行する部分や、管楽器の短い旋律の受け渡しで進行するピアノの部分で、テンポを構成するパートに自律的な動きが感じられない。結果、頭から末尾までを貫流する疾走感に欠ける。
手短かですが、このくらいで。
蛇足をもう一本。好み、書いてもいいですかっ。
書きます。1ですね。

投稿: 臼井 功 | 2006年7月13日 (木) 00時39分

臼井さん、有り難うございます! 「音楽の作り上げ方」について、最後は総合的に考えるべきですね。まずは材料確認からですね!

投稿: ken | 2006年7月13日 (木) 07時36分

アンサンブル教!の内容はいろいろ広がる要素に満ちていて、私は大事にしたいと思います。
明恵上人については、河合隼雄氏の『明恵 夢を生きる』(著作集に入ってます)や白州正子氏の『明恵上人』(講談社学芸文庫)など手に入りやすく読みやすいものがあるので、未読の方は是非。
今回は別名にてお邪魔しました。

投稿: oki usu | 2006年7月15日 (土) 09時37分

oki usuさん、ありがとうございます! ちなみに、『明恵 夢を生きる』は講談社アルファ文庫でも出ています。税込897円。白洲さんの方は講談社文芸文庫で880円です。 私からもお薦めします!

投稿: ken | 2006年7月15日 (土) 23時03分

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