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2006年7月24日 (月)

「音楽における伝達と訛り」?

アンサンブル教!」はこちら
音程=音の彩り」はこちら
よろしければ何でもコメント下さい。

みょうな標題を付けましたが、フレーズとアーティキュレーションについていっぺんに考えてしまおう、と欲張った結果です。ただし、

フレーズ=文章の句読点にあたる段落
アーティキュレーション=フレーズの中の小要素(アクセント、スタカート、等々)

と、某辞典の定義を最小限に整理したかたちで把握しておくことを前提にします。言い換えれば

フレーズ=音楽における伝達の最小要素としての「文」
アーティキュレーション=文を語るときの「訛り」

というふうに決めきっておいて、それ以上深く触れません。

例によって音を聴いて下さい。


(KING RECORS世界宗教音楽ライブラリーKICC5715から)

聴き取れます?
ぐるりよーざ どーみの、いきせんさ、すんでらしーでら、きてや きゃんべぐるりーで、らだすて、さくらおーり
と言うんだそうです。
江戸期に禁じられたキリスト教を秘かに信じて歌い継がれてきたものですが、もとのラテン語が崩れてしまって文意不明になっています。学者さんでは出来ているのかも知れませんが、私にはこれをラテン語に復元する能力はありません。心の問題は別として、原意が不明になった歌は伝達力を失う一例となるかと思います(などと言いながら、私自身ラテン語の知識は薄く、仮に復元出来ても意味がわかりません・・・たよりないなあ)。
とはいえ、「ぐるりよーざ どーみの」等、崩れてはいない部分もあります。
Gloriosa Domino...で、「神の栄光が」云々という意味でしょう。
他にも、「らだすて」は"Laudamus te"で間違いないでしょうし、相応の理解力で読めば原文は案外復元出来るのかも知れません。

残念ながら、このオラショの原曲ではありませんが、Gloriosaで始まるグレゴリオ聖歌をお聴き下さい。


 PHLPIPS UCCP-7100所収
<歌詞>
Gloriosa dicta sunt de te, Maria:
(マリア様、御身の栄光が語られました)
quie fecit tibi magna qui potens set.
(御身になされた全能者の大いなるみわざゆえに)

そんなに難しくない歌詞ですので、言葉とフレーズの兼ね合いを吟味なさってみて下さい。
そうすると、この例で、歌では言語と旋律のフレーズの一致ぶりがご理解頂けると思います。
この点、後代のリートやシャンソンでも歌謡曲でも共通していることは、あらためて強調する必要はありませんね。

西欧音楽でポリフォニーが発達して行くにつれ、この「フレーズ」の基本は守りつつ、複声部で歌詞を微妙にズラしたり、語彙中のある音だけを引き伸ばしたりして、唐草模様のような音楽が生み出されるようになりました。時代はずっと飛びますが、その一つの典型として、J.S.バッハの作品から聴いて下さい。


 (K.Richter/Munchener Bach-Chor ARCHIV 439 380-2)
<歌詞>
(Aウムラオトはae、Oウムラオトはoe、Uウムラオトはyに置き換えます)
Ich hatte viel Bekymmernis in meinem Herzen;
aber deine Troestungen erquicken meine Seele.(詩篇94.19)

どういう細工をしているかについては述べませんので、ご自身の理解しやすい語彙を「めじるし」に、バッハの名匠ぶりを是非ゆっくりご堪能下さい。

ポリフォニーがフレーズを不明瞭にし、聴き手の理解を困難にする、という理由から、バッハの世代以後はホモフォニーが時代を席捲した、かのように、教科書的な音楽史では良く語られています。
二つの問題があります。
大バッハの上例は、本当にフレーズが分かりにくいですか?あるいは、「おいらドイツ語が分かんねえ」であっても、バッハが何を伝えたいか、なんとなく分かってくる気がしますか? どちらが真かは、今でも本来は大変難しいことなのではないかと思います。

もうひとつ、19世紀まで、いや、20世紀前半まで、モーツァルトはホモフォニーの代表者的評価を受けてきました。しかし、それは彼が「ジュピター」交響曲の最終楽章のような、ブルックナーも対位法の規範と仰いだフーガを作っている事実を目の前にしているはずの人たちが言っていた、という、じつに不思議な評価でもありました。
ホモフォニーは表現が単純だ、だから、自由に歌って良い、という発想が、20世紀中葉までの演奏では支配的だったように感じます。それは、モーツァルト本来の「難しさ」を理解していたと思われる人たちの演奏にも伺われます。
20年ほど前から、反動的に、わりあいドライに演奏する中にモーツァルトの書いたフレーズの意外な複雑さを浮き彫りにしようとする風潮が強まりました。
それぞれの代表的な演奏2例を、最後に聴いていただきましょう。
これは「時代」というものが生んだ、一つの音楽言語的な「訛り」・・・アーティキュレーション解釈の相違でもあります。

モーツァルト:交響曲第40番第1楽章呈示部
:1955年実況(年を間違っているかも・・・)

この2例は最も端的な例ですが(アーノンクールを選ばなかったのは、彼は上記2例の典型を体現しているわけではないからです)、ワルターとは対照的だと思われているトスカニーニやその右腕ラインスドルフも、大なり小なりワルターと同傾向の演奏をしていますので、ご興味があればご確認下さい。
世紀の境目前後からは上記2例の折衷的な演奏が多くなり、ある意味でつまらなくなりました。
「訛り」はお国ぶりと世代を強力にアピールするものです。
たとえばテレビの普及で言語が殆ど一律化してしまった今の日本は、果たして心豊かな風土でしょうか?
個人的には、次のような光景が私の目に焼き付いて離れません。
仙台弁バリバリだった祖父が亡くなる直前、面倒を見てくれた若い看護婦さんに
「ありがどない、ありがどない(有り難う、有り難う)」
と言って何度もお礼を言ったら、同じ仙台の人間であるその二十歳そこそこの看護婦さんが大笑いしてしまった。。。
話が逸れたようで恐縮ですが、私たちにとって、「意味の伝達」には必ず「訛り」が伴うのが自然なはずだ、ということだけは強調しておきたいと存じます。(たとえば埼玉県人[いまの私を含む]は、自分は訛っていない、と信じている向きが多いですが、それじゃあ、イケネエ! 埼玉訛りは、母音では開く口が狭めで、「さ」行のS音の発音がきつめで、「す」と「し」の区別がつきにくい!東京弁ではどっちも「し」に近いのに対し、埼玉弁は「す」に近い・・・違うケ?)
「訛り」を理解して初めて、私たちはその音声が示す意味と心を理解することができる、そんな気がしてなりません。
最初のオラショに戻って、そのあたりをご考察頂ければ大変嬉しく存じます。

屁理屈はこの3回までにしようと思っていましたが、昨日「長い休符」問題に悩むある管楽器奏者のお話を伺い、結構難しくて大事な問題だと思いますので、余力があればそこまで綴って夏休み、としたいと存じます。

お読み頂き有り難うございました。



グレゴリオ聖歌集


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アーティスト:ウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラ

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バッハは聴いていただいたモノと録音年が違いますが・・・


Music

バッハ:カンタータ第21番


アーティスト:ミュンヘン・バッハ合唱団,マティス(エディト),フィッシャー=ディースカウ(デートリッヒ),ヘフリガー(エルンスト),レイノルズ(アンナ),シュライアー(ペーター)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:1996/07/01

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モーツァルト:交響曲第25番&第40番


Music

モーツァルト:交響曲第25番&第40番


アーティスト:ワルター(ブルーノ)

販売元:ソニーミュージックエンタテインメント

発売日:2004/11/17

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ホグウッドの演奏も、これと同じ演奏かどうか分かりませんが。



モーツァルト:交響曲第40番&第41番


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モーツァルト:交響曲第40番&第41番


アーティスト:ホグウッド(クリストファー)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2003/06/25

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コメント

「音楽における伝達と訛り」
「アンサンブル教!」
「音程=音の彩り」

を読ませていただきました。

面白い!

音源があるから特によくわかります。
良質の教養番組を見ているようです。


kenさんのブログは最初に知ったときに、
さっとバックナンバーを速読させて
いただきましたが、できれば少しずつ時間を
見つけて系統的に読み進めてゆきたいと
思います。

素晴らしいブログに感謝!

投稿: ガメラ | 2006年12月 7日 (木) 21時44分

過分なお言葉に・・・ひたすら恐縮です。(汗)
とんでもないことばっかり綴っているかも知れませんから、今後ともテキトーに遊んでやっていただければ幸いです。

どうコメントにお応えしようかと思っているうちに時間ばっかり経ってしまいました。ほんとにゴメンナサイ。

投稿: ken | 2006年12月10日 (日) 00時08分

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