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2006年7月30日 (日)

ブラスバンドの練習を聴いて

東京ムジークフロー今年の定期演奏会の音こちら
モーツァルトの追っかけをやっていますが、第1回イタリア旅行の際の作品まで追っかけ終わりました。ご笑覧頂ければ幸いです。

昨日、中学校でブラスバンドの公開練習があり、娘もメンバーですので聴きに行きました。
ブラスバンドに疎い私は、練習の最初に講師の先生がコラールを吹かせているのに感心しました。バッハの「神は我がやぐら」でしたが、あとで家内に聞くと「教本に載っている」のだそうです。載っていようがいまいが、コラールから練習に入るのは大変良いことです。音程感も、音の出し方も、年初より改善されているのがはっきり分かりました。
終わった後で、その講師の方に「これをピアノ(弱音)できれいに吹けるようにするといいですね」と言ったら、「いまは音を出させることから、ですので」ということで、それは尤もだな、という感じではありました。
しかし、管楽器でも弦楽器でも、演奏する体を上手に養うには、弱音をきれいに持続させる訓練は早期にやることが合理的なのではないかと、私は過去の経験から思っています。弱音を「ラクに」出せることがいかに意義深いかを知ったのは、私は相当年嵩が行ってからでしたので、「ああ、そうなのか」と思ったときには非常に悔しく感じたものです。
「こういうのが自然で良いフォームというもんだ」
などと、かたちを先行させることは、演奏上は逆効果、すなわちむしろ「不自然な」フォーム、「不自然な」響きを作る原因にもなりかねません。
その点、もう少し教育者の方の認識が深まるべきではないか、と感じるのですが、いかがなものでしょうか?・・・私の考え方はズレていますでしょうかネ?

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2006年7月29日 (土)

モーツァルト第1回イタリア旅行(1)声楽曲による売り込み

東京ムジークフロー今年の定期演奏会の音こちら
アンサンブル教!」はこちら
音程=音の彩り」はこちら
「音楽における伝達と訛り」?こちら

モーツァルト第1回イタリア旅行

(1)声楽曲による売り込み
ARIAS K.77,K.88, K.Anh.2(lost) ミラノにて
ARIAS K.82, K.83 ローマにて

レオポルドとヴォルフガング は1769年12月13日にイタリアへ向けて出発しました。
ヴォルフガングが母や姉に宛てた手紙は、この旅行以降残されることになります。
母宛の最初の手紙は(1769年12月14日)こんな調子です。
(父の手紙に追伸として綴られたもの)
「いとしい母さんへ
 僕は楽しくてたまりません。というのもこの旅は愉快なんです。馬車は気持ちいいし、それに僕らの御者さんは素敵な仲間で、道さえよければガンガン吹っ飛ばしてくれますから。」

14 歳のヴォルフガングは気楽なものでしたが、父親のほうは用意周到でした。

1770年3月12日、ミラノ大公の発案によるコンサートが市内で行われ、そこでヴォルフガングのイタリア語歌詞による声楽作品3つが上演されました。
英語もろくにわからない私には妬ましい限りですが、ヴォルフガングはイタリア語の会話も読み書きも充分に出来ましたから、ヴォルフガングがイタリアオペラを充分書ける才能を持っていることを、レオポルドが大公にアピールする狙いがあったのではないかと思われます。

これらの作品は以下の通りと考えられています。
"Fra cento affini " K.88, Aria for soprano, Text by P.Metastasio "Artaserse"I,2(C dur)
"Misero Me"_"Misero pargoletto" K.77. Recitativo and aria for soprano,Text By P.Metastasio "Demofoonte" III,4 and 5
and "Misero tu non sei" K.Anh2(73A)---散佚

K.88とK.77は同じような性質の作品です。この2曲の伴奏はシンコペーションのリズムを執拗に繰返す 点で15年後のニ短調ピアノ協奏曲K.466を彷彿とさせますし、そのため大変いきいきとした印象を与えてくれます。これには大公も魅了されたことでしょう。レオポルドの作品は図に当たったわけです。

他の2つのアリアは夏にローマで演じられました。
"Se ardire e speranza" K.82, Aria for soplano, Text by Metastasio "Demofoonte" I,13
"Se tutti i mali miei" K.83, Aria for soprano,Text by Metastasio "Demofoonte" II,6

こちらはミラノでの作品とは雰囲気が違い、どちらかというとヘンデルに近い感じがします。これはこれで14歳のこの少年がイタリアオペラの伝統にも充分通暁している点を印象づけたことでしょう。

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モーツァルト第1回イタリア旅行(2)交響曲

1770年にはヴォルフガングは少なくとも5つの交響曲をイタリアで書いています。

K.81(Nr.44): D Dur 2Ob,2Hr, Str. April 25 Rome

K.97(Nr.47): D Dur 2Ob,2Hr, 2Trp,Tim, Str. April ? Rome

K.95(Nr.45): D Dur 2Ob/Fl,2Trp,Str. April ? Rome

K.84(Nr.11): D Dur 2Ob,2Hr, Str. July? Bologna

K.74(Nr.10): G Dur 2Ob,2Hr, Str. (Italy)

これらの交響曲のスコアは「新モーツァルト全集」ペーパーバック版Vol.11, Serie IV Orchesterwerke Werkgruppe 11: Sinfonien Band 2に掲載されています。

もうひとつこの頃の作とされる、K.Anh.216(Anh.C 11.03 B dur)については、ヴォルフガングの真作であるという明白な証拠はありません。(西川尚生「モーツァルト」によると、上記のうちではK.81、K.84、K.95にも真正な楽譜資料は無いそうです。)
(この曲のスコアは"MOZART Die Sinfonien II" Baerenreiter Urtext 2005 ISMN M-006-20466-3に含まれており、演奏例は以下のCDに含まれています(いずれも輸入盤、ピノックは国内盤あり)。
* CD19 of "MOZART The Symphonies", Hogwood/The Academy of Ancient Music, EDITIONS DE L'OISEAU-LYRE 452 496-2)
* CD 3 of "MOTZART The Symphonies", Pinnock/The English Concert, ARCHV 471 666-2)

面白いのは、ローマとボローニャで書かれた4曲がすべてニ長調であることです。そのせいか、これら4曲はヴォルフガングが過去に書いたどの交響曲よりも輝かしく響きます。
とくにK.97とK.95は2 本のトランペットを含んでおり、メヌエット楽章もあります。ヴォルフガングは9月22日付けの姉への手紙に、イタリアの人たちにドイツ風のメヌエットを知らせてやりたい、と綴っています。これは交響曲に関して述べたことではありませんが、最近の研究者によると[交響曲のメヌエット楽章は後から書き足されたものではない」と言われていますから、交響曲のメヌエット楽章に対しても同じ思いで臨んだのではなかろうかと思います。
K.81, K.84 , K.74 とK.Anh.216は 3楽章からなる"イタリア風" シンフォニアです。
K.74はオペラの受注を見越してその"序曲"用に書かれたような印象を受けます。K.74の第2楽章は、第1楽章と切れ目無く演奏されるようになっているからです。
他のイタリア風シンフォニアについては書かれた目的は私には想像出来ません。

単にイタリアオペラ受注に向けた宣伝を狙っての、一連の交響曲作曲だったかも知れませんが、後年の我々には、これらの交響曲に至って思春期を迎えたらしいヴォルフガングの心の揺れと成長を感じ取れるように思います。

K.81
1.Allegro,106bars[not repeat ,4/4]
2.Andante,35 +36[repeat each section, 2/4, without Hrs.]G Dur
3.Allegro molto, 76 + 46[repeat each section, 3/8]

K.97
1.Allegro,94bars[not repeat ,4/4]
2.Andante,14 +22[repeat each section, 2/4, strings only]G Dur
3.MENUETTO[24bars] & Trio[16bars,strings only]
4.Presto,173bars[not repeat ,3/8]

K.95
1.Allegro,90bars[not repeat ,4/4]
2.Andante,24 +32[repeat each section, 3/4, 2Fl &strings]G Dur
3.MENUETTO[22bars] & Trio[24bars, 2Ob&strings]
4.Allegro, 59 + 61[repeat each section,2/4]

K.84(第11番)
1.Allegro,135bars[not repeat ,4/4]
2.Andante,79bars [not repeat, 3/8]A Dur
3.Allegro, 92 + 96[repeat each section,2/4]

K.74(第10番)
1.Allegro,117bars[not repeat ,4/4]direct to 2nd mov.
2.Andante,199bars [not repeat, 3/8]C Dur
3.Allegro, 16 + 96[repeat 1st section,2/4] ---The score made mistake?

K.Anh.216
1.Allegro,160bars[not repeat ,3/4]
2.Andante,31 +39[repeat each section, 2/4]Es Dur
3.MENUETTO[16bars] & Trio[24bars, strings only]
4.Allegro, 56 + 94[repeat each section,2/4]



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モーツァルト:交響曲全集


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モーツァルト第1回イタリア旅行(3)「ミトリダーテ」

レオポルドの売り込みが功を奏し、ヴォルフガングはミラノ大公の劇場からクリスマスシーズン用のオペラ・セリアの注文を受けます。契約は3月26日に結ばれました。
6月27日には台本を受け取ります。"Mitridate, re di Ponto"というその台本には3年前にガスパリーニという人物が曲を付け、成功を収めていました。
ヴォルフガングは9月27日に、まずレシタティーヴォから作曲を始めましたが、作業は必ずしもはかどりませんでした。レオポルドは書簡で息子の作曲に対し様々な妨害が、とくにガスパリーニと仲が良かったミトリダーテ役歌手からの嫌がらせあったことを述べています。この歌手は3年前のガスパリーニの作品でもミトリダーテ役を歌っていたのでした。
妨害があった、というのは半ばは本当だったでしょう。しかし、半ばはレオポルドの思い込みもあったのではないか、というのが私の素人考えです。翌1771年、ヴォルフガングとその父の表敬訪問を受けたJ.A.ハッセが友人宛に書き送っています。
「若いモーツァルトは彼の年齢からすれば確かに一つの奇跡です。(中略)しかし、父親が息子をあまりに神聖視しすぎるの(が心配)です。」

ヴォルフガング はアリアなどをいくつか書き換えていますが、それは「妨害をしてきた」と言われるミトリダーテ役の歌手のための曲ばかりではありません。「彼女は ヴォルフガングのアリアを大変気に入ってくれました」とレオポルドが報じている、当のプリマドンナ用のアリアも書き換えています。ところが、これらの書き換えのおかげで、ヴォルフガングの"Mitridate, re di Ponto"は今日でも通用する魅力を備える結果となっているのが、書き換え前後のアリアを見比べると良く分かるのです。
オペラ・セリアには「アリアを歌ったら歌手は退場する」など厄介な約束事がたくさんあって、ヘンデルも対処に苦慮していた程ですが(ディーン「ヘンデル オペラ・セリアの世界」春秋社2005 特に第1〜2章参照)、そうした点を考慮すると、ヴォルフガングはむしろ歌手たちや書の他の人たちに、どうやったら劇的効果が高まるかについて、入念なアドヴァイスを受けたのではないか、とさえ想像したくなります。

[物語]
Fernace(フェルナーチェ、Alto) は父Mitridate(ミトリダーテ、Tenor)の婚約者であるAspasia(アスパシア、Soprano,prima donna) を愛してしまいますが、彼女はFernaceの弟であるSifare(シファレ、Castrato, Primo huomo)と秘かに相思相愛となっています。その上、Fernaceは父の仇敵であるローマを支持しているのです。
MitridateはFernaceの婚約者Ismene(イズメーネSoprano)を連れて戦場から戻ってきますが、執政官Arbate(アルバーテ、Soprano)からFernaceがAspasiaに求婚し、その上ローマを支持している、と聞かされます。Mitridateは怒ってFernaceを捕縛しますが、Fernaceは悔し紛れにAspasiaがSifareを愛している、とバラします。真相を確かめたMitridate はAspasia に毒を仰ぐよう命じますが、その時、戦場が劣勢に建たされたとの報告を受け、戦いに戻っていきます。間一髪でSifareはAspasiaを救います。
Fernaceはローマ軍の士官Marzio(マルツィオ、Tenor)に救出されますが、Marzioの何気ない言葉から祖国の本当の危機を悟り、ローマ支持をやめることを決心します。
Mitridateはローマの兵によって殺されます。残された人々は団結を誓い合い、幕となります。

物語は史実とは異なっています。歴史上では、ポントゥス国王ミトリダーテスは息子の裏切りをキッカケに死に至るのではなく、ローマに追いつめられて勢力を失ったことに誇りを傷つけられて自死しています。その遺体をローマに届けさせたのがフェルナーチェのモデルとなった人物であるようです。ポントゥス王国はその後カエサル時代にミトリダーテスの子息が決起し、滅ぼされるに至りますが、決起した子息がシファレのモデルになった人物かどうかまでの確認は私にはまだとれていません。

ディスコグラフィーは以下の通りです(輸入盤)。

CD:Disc 3-5 of "Complete Mozart Edition 13, Early Italian Operas", Philips 464 890-2
Hager/Mozarteum-Orchester Salzburg 1977
録音がちょっと前のものであるせいか、「ミトリダーテ」という作品への演奏者たちの思い入れか理解か、とにかく何かが不足している感じがし、臨場感に欠けます。

DVD:"MITRIDATE RE DI PONTO", unitel(Deutsch Grammophon) 00440 073 4127
Harnoncourt, Staged by Ponnele 1987...Some arias are omitted.
アーノンクールのモーツァルト演奏は、私は音が汚い気がして好きになれない部分が多いのですが、「ミトリダーテ」はこのDVDの演奏くらい粗っぽいほうが劇的要素が際立って分かりやすいかも知れません。歌手は知らない人ばかりでしたが、みな素晴らしく、とくにミトリダーテ役のゲスタ・ヴィンベル(と読むのでしょうか)が第8番のカヴァータを歌い始めたときには我家の誰もが
「え、誰?」
と画面に注目したほど素晴らしい高音のpで、驚きました。

[音楽]
"Mitridate, re di Ponto" K87(74a) の構成は以下の通りです(レシタティーヴォを除く):
Ouverture(Italian style---has 3 sections) D Dur
[Atto Primo]
1.Aria(Aspasia) C Dur (*)
2.Aria(Sifare) B Dur
3.Aria(Arbate) G Dur
4.Aria(Aspasia) g moll
5.Aria(Sifare) A Dur
6.Aria(Fernace) F Dur
7.Marcia D Dur
8.Cavata(Mitridate) G Dur
9.Aria(Ismene) B Dur(*)
10.Aria(Mitridate) D Dur
[Atto Secondo]
11.Aria(Fernace) G Dur
12.Aria(Mitridate) B Dur
13.Aria(Sifale) D Dur with WCorno solo"(*)
14.Aria(Aspasia) F Dur (*)
15.Aria(Ismene) A Dur
16.Aria(Fernace) D Dur
17.Aria(Mitridate) C Dur
18.Duetto(Aspasia,Sifare) A Dur(*)
[Atto Terzo]
19.Aria(Ismene) G Dur
20.Aria(Mitridate) F Dur(*)
21.Recitativo accompagnato e Cavatina(Aspasia) Es Dur
22.Aria(Sifare) c moll
23.Aria(Marzio) G Dur
24.Aria(Fernace) Es Dur
25.Coro(Aspasia Sifare,Ismene,Arbate, Fernace) D Dur

* No.1,9,13,14,18,20 のヴォルフガング改作前の原稿は今でも残っています。
かつ、1991年に、イタリアのある研究家がNo.20はヴォルフガングのではなく、ガスパリーニの作品であることを発見しています。これは音楽を聴いていただけでは分かりません。それというのもNo.20はヴォルフガングの"交響曲第25番ト短調K.183"に通ずる特徴を多分に有するからで、この事実はガスパリーニが決して凡庸な作曲家ではなかったことを示してもいます。
改作前の異稿については "Complete Mozart Edition 12,Arias ,Vocal Ensembles, Canons, Lieder, Notturni", Philips 464 880-2のCD6で聴くことが出来ます。



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著者:ウィントン ディーン

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モーツァルト第1回イタリア旅行(4)Mozart:1770年の他の作品

(1)宗教曲: K.85, K.86
(2)舞曲 : K.123(73g), K122, K.104(61e), K.94
(3)弦楽四重奏曲(第1番)K.80
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(1)宗教曲 : K.85, K.86

"Miserere for Alt,Tenor,Bass and Organ"K.85をお聴きになると、ビックリなさるかも知れません。
「これって本当にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作品なんでございますの??」
「もちろんでございます!」
「まるでルネサンス期にタイムスリップしたようでございますわ!」
「その通りでございます!」

ヴォルフガング がシスティナ礼拝堂で門外不出だったアレグリの "Miserere"を聴き、あとで記憶だけでそのスコアを書き上げてしまった、というのは有名な逸話です。
ヴォルフガングの"Miserere K.85"は8月 ...このエピソードの4 ヶ月後に作曲されています。
この厳格な作品は7つの部分からなっています :Miserere-Tibi soli-Ecce enim-Auditi-Cor mundum-Redde mihi laetiam-Libera me
アレグリの"Miserere",と比較してみると、the sections ヴォルフガングが選んだ部分は一つ飛ばしずつになっています。このことは、K.86の件も考え合わせると、ヴォルフガングは、聴き取ったアレグリの"Miserere"につきマルティーニ師に正否の伺いを立てたのではなかろうか、と推測させます。それに対しマルティーニ師が親切にも様々な示唆をし、その他に対位法の豊富な知識を伝授したことを省みて、 ヴォルフガング はアレグリと同じ素材で自分の力を注げる限りの部分を選択し、復習をしたのではないかと、私にはそう感じられるのです。
K.86はボローニャのアカデミア・フィラルモニカ入会試験でのヴォルフガングの答案です。これについてはマルティーニの模範解答も併せて今日に残されています。

CD:"Complete Mozart Edition 11, Litanies,Vespers,Oratorios,Cantatas,Masonic Music", Philips 464 870-2
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(2)舞曲

このころのヴォルフガングの手紙から、当時イタリアの人々にメヌエット舞踊が流行していたことが分かります。
ヴォルフガングもイタリアの人々のためにいくつかの舞曲を作曲しています。音楽は交響曲などに比べればいかにも気楽、という感じで、面白いと思うかどうかは楽譜を読む人、あるいは演奏を聞く人次第でしょう。

Contredance in B K.123(73G)-2Ob,2Hr,2Vn,Vc e Basso
Menuett in Es K.122(73t)
6 Menuette K.104(61e)-2Hr,2Trp,2Vn,Vc e Basso
* K.104 はSalzburg で1771年か1772年に書かれたものかも知れません。

K.94は大譜表で残されていますが、音域から言ってオーケストラ用のスケッチかと思われます。

CD:"Complete Mozart Edition 2, Serenades,Dances,Marches", Philips 464 780-2
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(3)弦楽四重奏曲第1番K.80

このヴォルフガング初の弦楽四重奏曲は3月15日に作曲されています。この日の彼の宿泊先がミラノ近郊のローディという町だったことから、「ローディ四重奏曲」との愛称を持ちます。(ただし、作曲地については異説もあります。)
第1楽章は美しいAdagio(3/4,67bars).
第2楽章はAllegro(4/4,84bars).
第3楽章はMINUETTO(not MEUET or MENUETTO) and Trio.
フィナーレはRONDEAU, Allegro(2/2,99bars)
すべての楽章がト長調で、響きも交響曲的です。なかなかいい曲ですヨ。

CD:"Mozart Early string quartets" CUARTETO CASALS HMI987060.62

付記:この時期に単独で弦楽四重奏が書かれていること、全楽章が同じ調であることの意味については、海老澤敏「超越の響き(モーツァルトの作品世界)」231頁以降をお読み下さい。彼の前期の弦楽四重奏創作に関する適切な考察は、非常に興味深く、新鮮です。



超越の響き―モーツァルトの作品世界


超越の響き―モーツァルトの作品世界


著者:海老沢 敏

販売元:小学館

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2006年7月27日 (木)

初花火

東京ムジークフロー今年の定期演奏会の音こちら(昨日掲載)
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遠くから「ドーン、ドーン」と連続で音が聞こえるので、ベランダに出てみたら、真南で大輪の花火が次々にあがっていました。遠いので光がすっかり届くわけではありませんが、それでも20分くらい魅入ってしまいました。
うちは都心から20キロほど北東にありますが、音から勘で距離を測ると、15、6キロ先です。検索したら、「千住の花火」でした。荒川の広い河川敷なので、おおきいやつがあげられるんでしょう。
とにかく、今年初めて目にした花火大会でした。
ベランダから目線を真っすぐ向けると、千住はその線から10度くらい東よりです。反対側の西10度は高島平です。こちら方面では8月5日に「いたばし花火大会」、いわゆる「戸田の花火」があります。最寄り駅はJR埼京線の浮間舟渡駅か戸田公園駅ですから、高島平からはちょっと離れます。
が、高島平、というと、江戸末期に高島秋帆という人が日本初の鉄砲の大演習を行なったのがその名の由来になっていて、火薬に縁の深い場所です。
そんなことをふと思い出し、
「ドーン、ドーンが爆撃や砲弾の音でなくて本当に良かったなあ」
・・・などと、戦中の人間でもないのに、子供の顔を見ながらふと思いました。
子供らは、今、「コント55号」のDVDに夢中です。この中に「戦後20年!」と連呼する場面があり、ふと自分の子供時代を思い出してしまったせいもあるのですが・・・
戦争と平和を考えるのには、トルストイのそういう名前の小説よりは、いまは「ローマ人の物語」が面白くて、文庫で第8巻まで読み終わったところです。
平和でいるには何が大切か・・・そもそも何で平和が大切なのか・・・そんなことは念頭に置かずとも読めますけれど、読むほどに深く考えさせられます。最初からでもいいですけれど、下記の2冊から、というのも一興ですヨ。



ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上)新潮文庫


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著者:塩野 七生

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ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下)新潮文庫


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著者:塩野 七生

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2006年7月26日 (水)

ウシガエルが鳴かない!

久々の、完璧な晴天です。
息子が夏休みに入り、2人で過ごしたのは実質3日でしたが、ゲームだ、自転車だ、あ、新しい漫画本だ!とさんざん付き合わされて、昼飯代は3倍かかるし・・・何で3倍なんだ?・・・ペースは狂うし、フトコロは寂しいし、で、くたびれ果てました。今日は朝気が付いたら10時でした。飯食ったらまた11時まで寝てしまい、あわてて食器洗いと洗濯を終えました。・・・真面目にお仕事している皆さん、すみません。
関東の梅雨はいつ明けるんでしょう? 他の地方は大きな被害でしたし。
暑さだけは例年通りなのに、不思議なのは、いつもこの時期大変うるさいはずのウシガエルが、ほとんど鳴かないことです。先週までは元気いっぱいだったアマガエルも、昨日聴いてたら「もう<元気>は疲れた。。。」とでも言わんばかりにか細くなっていました。
そういえば、毎年夜中までうるさいアブラゼミも、ほんのひと声ふた声聞いたきりです。
「なにかが、ヘン!」

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2006年7月24日 (月)

「音楽における伝達と訛り」?

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よろしければ何でもコメント下さい。

みょうな標題を付けましたが、フレーズとアーティキュレーションについていっぺんに考えてしまおう、と欲張った結果です。ただし、

フレーズ=文章の句読点にあたる段落
アーティキュレーション=フレーズの中の小要素(アクセント、スタカート、等々)

と、某辞典の定義を最小限に整理したかたちで把握しておくことを前提にします。言い換えれば

フレーズ=音楽における伝達の最小要素としての「文」
アーティキュレーション=文を語るときの「訛り」

というふうに決めきっておいて、それ以上深く触れません。

例によって音を聴いて下さい。


(KING RECORS世界宗教音楽ライブラリーKICC5715から)

聴き取れます?
ぐるりよーざ どーみの、いきせんさ、すんでらしーでら、きてや きゃんべぐるりーで、らだすて、さくらおーり
と言うんだそうです。
江戸期に禁じられたキリスト教を秘かに信じて歌い継がれてきたものですが、もとのラテン語が崩れてしまって文意不明になっています。学者さんでは出来ているのかも知れませんが、私にはこれをラテン語に復元する能力はありません。心の問題は別として、原意が不明になった歌は伝達力を失う一例となるかと思います(などと言いながら、私自身ラテン語の知識は薄く、仮に復元出来ても意味がわかりません・・・たよりないなあ)。
とはいえ、「ぐるりよーざ どーみの」等、崩れてはいない部分もあります。
Gloriosa Domino...で、「神の栄光が」云々という意味でしょう。
他にも、「らだすて」は"Laudamus te"で間違いないでしょうし、相応の理解力で読めば原文は案外復元出来るのかも知れません。

残念ながら、このオラショの原曲ではありませんが、Gloriosaで始まるグレゴリオ聖歌をお聴き下さい。


 PHLPIPS UCCP-7100所収
<歌詞>
Gloriosa dicta sunt de te, Maria:
(マリア様、御身の栄光が語られました)
quie fecit tibi magna qui potens set.
(御身になされた全能者の大いなるみわざゆえに)

そんなに難しくない歌詞ですので、言葉とフレーズの兼ね合いを吟味なさってみて下さい。
そうすると、この例で、歌では言語と旋律のフレーズの一致ぶりがご理解頂けると思います。
この点、後代のリートやシャンソンでも歌謡曲でも共通していることは、あらためて強調する必要はありませんね。

西欧音楽でポリフォニーが発達して行くにつれ、この「フレーズ」の基本は守りつつ、複声部で歌詞を微妙にズラしたり、語彙中のある音だけを引き伸ばしたりして、唐草模様のような音楽が生み出されるようになりました。時代はずっと飛びますが、その一つの典型として、J.S.バッハの作品から聴いて下さい。


 (K.Richter/Munchener Bach-Chor ARCHIV 439 380-2)
<歌詞>
(Aウムラオトはae、Oウムラオトはoe、Uウムラオトはyに置き換えます)
Ich hatte viel Bekymmernis in meinem Herzen;
aber deine Troestungen erquicken meine Seele.(詩篇94.19)

どういう細工をしているかについては述べませんので、ご自身の理解しやすい語彙を「めじるし」に、バッハの名匠ぶりを是非ゆっくりご堪能下さい。

ポリフォニーがフレーズを不明瞭にし、聴き手の理解を困難にする、という理由から、バッハの世代以後はホモフォニーが時代を席捲した、かのように、教科書的な音楽史では良く語られています。
二つの問題があります。
大バッハの上例は、本当にフレーズが分かりにくいですか?あるいは、「おいらドイツ語が分かんねえ」であっても、バッハが何を伝えたいか、なんとなく分かってくる気がしますか? どちらが真かは、今でも本来は大変難しいことなのではないかと思います。

もうひとつ、19世紀まで、いや、20世紀前半まで、モーツァルトはホモフォニーの代表者的評価を受けてきました。しかし、それは彼が「ジュピター」交響曲の最終楽章のような、ブルックナーも対位法の規範と仰いだフーガを作っている事実を目の前にしているはずの人たちが言っていた、という、じつに不思議な評価でもありました。
ホモフォニーは表現が単純だ、だから、自由に歌って良い、という発想が、20世紀中葉までの演奏では支配的だったように感じます。それは、モーツァルト本来の「難しさ」を理解していたと思われる人たちの演奏にも伺われます。
20年ほど前から、反動的に、わりあいドライに演奏する中にモーツァルトの書いたフレーズの意外な複雑さを浮き彫りにしようとする風潮が強まりました。
それぞれの代表的な演奏2例を、最後に聴いていただきましょう。
これは「時代」というものが生んだ、一つの音楽言語的な「訛り」・・・アーティキュレーション解釈の相違でもあります。

モーツァルト:交響曲第40番第1楽章呈示部
:1955年実況(年を間違っているかも・・・)

この2例は最も端的な例ですが(アーノンクールを選ばなかったのは、彼は上記2例の典型を体現しているわけではないからです)、ワルターとは対照的だと思われているトスカニーニやその右腕ラインスドルフも、大なり小なりワルターと同傾向の演奏をしていますので、ご興味があればご確認下さい。
世紀の境目前後からは上記2例の折衷的な演奏が多くなり、ある意味でつまらなくなりました。
「訛り」はお国ぶりと世代を強力にアピールするものです。
たとえばテレビの普及で言語が殆ど一律化してしまった今の日本は、果たして心豊かな風土でしょうか?
個人的には、次のような光景が私の目に焼き付いて離れません。
仙台弁バリバリだった祖父が亡くなる直前、面倒を見てくれた若い看護婦さんに
「ありがどない、ありがどない(有り難う、有り難う)」
と言って何度もお礼を言ったら、同じ仙台の人間であるその二十歳そこそこの看護婦さんが大笑いしてしまった。。。
話が逸れたようで恐縮ですが、私たちにとって、「意味の伝達」には必ず「訛り」が伴うのが自然なはずだ、ということだけは強調しておきたいと存じます。(たとえば埼玉県人[いまの私を含む]は、自分は訛っていない、と信じている向きが多いですが、それじゃあ、イケネエ! 埼玉訛りは、母音では開く口が狭めで、「さ」行のS音の発音がきつめで、「す」と「し」の区別がつきにくい!東京弁ではどっちも「し」に近いのに対し、埼玉弁は「す」に近い・・・違うケ?)
「訛り」を理解して初めて、私たちはその音声が示す意味と心を理解することができる、そんな気がしてなりません。
最初のオラショに戻って、そのあたりをご考察頂ければ大変嬉しく存じます。

屁理屈はこの3回までにしようと思っていましたが、昨日「長い休符」問題に悩むある管楽器奏者のお話を伺い、結構難しくて大事な問題だと思いますので、余力があればそこまで綴って夏休み、としたいと存じます。

お読み頂き有り難うございました。



グレゴリオ聖歌集


Music

グレゴリオ聖歌集


アーティスト:ウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラ

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2005/06/22

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バッハは聴いていただいたモノと録音年が違いますが・・・


Music

バッハ:カンタータ第21番


アーティスト:ミュンヘン・バッハ合唱団,マティス(エディト),フィッシャー=ディースカウ(デートリッヒ),ヘフリガー(エルンスト),レイノルズ(アンナ),シュライアー(ペーター)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:1996/07/01

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モーツァルト:交響曲第25番&第40番


Music

モーツァルト:交響曲第25番&第40番


アーティスト:ワルター(ブルーノ)

販売元:ソニーミュージックエンタテインメント

発売日:2004/11/17

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ホグウッドの演奏も、これと同じ演奏かどうか分かりませんが。



モーツァルト:交響曲第40番&第41番


Music

モーツァルト:交響曲第40番&第41番


アーティスト:ホグウッド(クリストファー)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2003/06/25

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2006年7月21日 (金)

ゲームばっかりの我が息子

アンサンブル教!」はこちら
音程=音の彩り」はこちら
よろしければ何でもコメント下さい。

今日から子供は夏休み。
家内は終日出勤。娘は部活。息子とは・・・仕方がないので一日中付合い。
雨。午前はパソコンでゲーム。昼飯はガスト。午後は、PS2でゲーム。
ゲーム三昧? いえいえ、やってられない!疲れ倍増です・・・働いてもいないのに、そんなこと言ったらアカンか。でも、さすがに、リタイア。
「もう休ませてくれ!」
「じゃあ、30分休憩させてやる!」
「・・・」
仕事より辛い!? 首のあたりがこるし、目は痛いくらいに乾くし。
種類がカーレースか決闘ですから、戦闘的な持続音ばっかり。
「これがたまらない」
という中毒症状をもたらすんでしょうね。
こんなのばっかりが好きな息子がケンカや戦争好きの性格にならないのは、逆に怖いことなのかなあ。
学校では「口下手で、内気で、そのくせやることが吉本興業で」
らしいので、はやいとこどこかの寄席に弟子に出すべきか。。。
と、つい心配になってしまう今日この頃です。
人の心配をよそに、彼はいま煎餅を食いながら「トムとジェリー」のヴィデオを見ています。
・・・というわけで、束の間の休憩の憂さばらしでした。

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2006年7月20日 (木)

バックグラウンドミュージック

"アンサンブル教"を読むにはこちら.
"音程=音の彩り"を読むにはこちら.
7月1日の「さまよえるオランダ人」の音を付けましたので、それを考慮し再読頂ければ幸いです。

「イタリア旅行前のモーツァルト」こちら
『明月記』関係こちらで。まだ2つの項目しかありませんが。。。(そのくせ13節もある!)

「午前中は眠らない」作戦、2週間前はパソコンをいじっていて何とか成功しましたが、先週は全敗。何とか手はないか、と、今週は火曜から今日まで「喫茶店(駅前のド・トール)で読書」作戦。昨日までは完勝でしたが、今日は20分程度は居眠りしてしまいました。それでも完敗ではない!
問題は、明日から子供らが夏休み! まず目先の課題は、今日は家内が「終業式」後の宴会、しかも夜。ガキどもの昼飯と晩飯をどうするか・・・料理のからきしダメな私は苦悶するしかありません。
それにしても、ド・トールに3日通い詰めて、背景に流れる有線の音楽には辟易しました。数年前はモーツァルトの交響曲第1番なんかを流していたりだったんで苦になりませんでしたが、今は和製ポップスの、レゲエ系、というやつなんでしょうか。これでお客がみんな、よく新聞や雑誌を読んでいられるなあ、と感じました。(私の耳はiPodのイヤホンで塞いでいました。)
一方、心なしか、吉野家や松屋までとは行きませんが、お客の回転が速くなった気もする。・・・ということは、デシベルの大きいバックグラウンドミュージックは、お店の回転を速めるための策略なんだろうか? だとしたら非難ばかりも出来ないんでしょうかね。今の日本、あいかわらず「利潤」が最優先。経済の話はどうしてもヨーロッパ型の「財産形成」方向にはむいていきません。

「ゆったりと過ごす」、それも充分覚醒したアタマで素敵な思索をしながら、というのは、やっぱり奴隷制を敷いていた古代ギリシャとか、古代ローマでも財産家だった連中とか、そんなご身分でないと実現出来ないんでしょうか。彼らは自然な音だけに包まれていたはずですし・・・
いや・・・せめてお店の「有線放送」のデシベル度を下げてくれさえすれば、人工の音の元でも、ある程度は我々にも「ゆったり過ごす」時間が、せめて5分はできるんじゃなかろうか。。。
などと、今日もムダなことばかり思っている「うつ」の私でした。
手ごたえは、それでも「あともうちょっと。頑張らずに頑張れば!」

つまらん話でスミマセン。「日記」ですからご容赦を。

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2006年7月19日 (水)

流行歌マニアの嚆矢:後白河法皇(1)

<定家関係記事>
千載和歌集:123456789
後白河法皇:1234
松浦宮物語:1234
六百番歌合:123
仁和寺宮五十首:123
(空白期):123
正治二年後鳥羽院初度百首:123
千五百番歌合:


「イタリア旅行前のモーツァルト」こちら
前回の『明月記』関係こちらで。


『明月記』関係、やっとこさ二回目を綴ります。

『明月記』を読むと、定家の野次馬根性ぶりには目を見張ります。
「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」
などという文句は本音ではなかった、と評価する人がいるのも当然です。
・・・まあ、えてして人間の本性などそんなもので、とくに定家だけが非難される筋合のことではありません。かくいう自分だって、どんなもんだか。

建久三年三月、「後白河法皇薨去」前後の明月記の記事がにわかに活発化するのも、三十一歳になってなお、いや、晩年まで衰えることの無かった、彼の世事への関心の強さを象徴しているかのようです。とはいえ、彼の世事への関心は専ら京の中の出来事に限られているようなきはしますけれど。でなければ家計と自分への処遇への愚痴ばかり。もっとも、それが面白いのですよね。

但し、このあたりの明月記の記事と周辺の事情については堀田善衛「定家明月記私抄」に要領良くまとめられていますから、記事そのものにはさほど注目するつもりはありません。このあたりの日々、明月記に記されているのは、院(法皇)はいつごろ亡くなったとか、葬儀の次第はどうで誰がそれに当たったとか、葬儀に当たっての設備の色合いだとか、外面的なことばかりです。
その薨去の日、定家の主家筋である九条兼実が、日記『玉葉』に法皇の人柄を評して
「タダ恨ムベクハ延喜天暦ノ古風ヲ忘ル」
と、暗主として生前の法皇を酷評していた程ではないにせよ、皮肉を一言加えるのを忘れずにいるのとは全く異なり、定家は法皇の人となりにはまったく関心が無かったようです。

一方、堀田氏は「定家明月記私抄」のこの条で後白河の今様狂い(他に色狂いや絵巻狂いの話もありますが、それは別として)に言及し、文末に
「この今様・郢曲等の流行歌は、当然自然にやがて和歌の中へも浸透していく。」
と述べていらっしゃる点、郢曲の方は全く分かりませんが、どうしても関心をそそられます。
その点をほんの少し追及しておきたいと思います。

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流行歌マニアの嚆矢:後白河法皇(2)

歴史を身近に感じるには入門書だけではたりないし、だからといって専門書を読んでも傍らに原典が無ければチンプンカンプンになるばかりだ、というのが、素人である私の実感です。そこまで調べても、こんどは歴史の当事者たる人々の(顔はともかく)考え方や表情が辛うじてちょっぴりみえる思いがする、くらいで関の山です。最も悔しいのは、仕草や出す声、音については全く見当がつかず、現在体験できる少ない経験からなんとか類推するしかないということです。
「和歌」にしても「今様」にしても、音楽として、いったいどのような節付けで謡われたものか、皆目見当がつきません。
幸いにして、復元されたものではあるといえ、これらに先行する「神楽歌」や「催馬楽」の謡われ方はCDで聴くことができるようになりました。とくに「神楽歌」は正式の儀式で用いられるものは今でも非公開であることが多いそうなので、CDというのは大変ありがたい存在です。
ただ、「神楽歌」にせよ「催馬楽」にせよ、「和歌」や「今様」の節との関係が分かっているわけではありません。結局は音楽面での今様・和歌に関しては「やっぱり分からない」としか言えないことになります。
「和歌」には膨大な「歌論集」が残されているものの、あくまで文学的な観点からの論ばかりですし、「今様」については後白河法皇の残した「口伝」には唱法についてホンの少ししかヒントが記されていません。

今様について、後白河筆の「梁塵秘抄口伝集」から判明するひとつは、発声についてです。
「声を破(わ)ること、三箇度なり。二度は法のごとくうたひかはして、声の出づるまでうたひ出だしたりき。あまり責めしかば、喉腫れて、湯水かよひしも術(ずち)なかりしかど、構へて(工夫シテ)うたひ出だしにき。」(小学館日本古典文学全集42、344頁)
すなわち、発声法は極度に張りつめた喉声で、上文は浪曲の修業話とかなり似ています。
また、歌い手は遊女や傀儡だった、ということですが、次のような例があり、
「としごろ伴僧(仏教音楽の導師に付けて歌う僧・・・ただし、ここでは後白河の共として歌う意味に解釈されている)にてありしかば、声(=声量)なけれど、責め歌(高イ音程デ歌ウ部分)などは悪しくも聞こえず。」(同上書361頁)
伴僧、というのが現代の注釈の解釈とは異なり、本当の仏教関係者だったとすれば、仏教音楽である声明だとか、あるいは一般の読経の節回しが今様にも入りこんでいたと考えてもいいのかな、などと思ってしまいます。これはちょっと危うい推定ですが。

残念ながら、後白河法皇は、今様の歌い方についてはこれ以上の記述をせず、最後は諦め顔にこう綴ります。
「おほかた、詩を作り、和歌を詠み、手を書く輩は、書きとめつれば、末の世までも朽つることなし。こゑわざの悲しきことは、我が身隠れぬるのち、とどまることのなきなり。」(同上書380頁)
今様の譜は僅かばかり現存しているそうですが、いまだに解読できないとか。


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大和朝廷の秘歌


アーティスト:雅楽

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流行歌マニアの嚆矢:後白河法皇(3)

ここで頼りに出来るのは、西郷信綱著『梁塵秘抄』(ちくま学芸文庫サ16)くらいです。
梁塵秘抄に関する読み物、解説書は優れたものがありますが、おおかたは文学鑑賞や歴史考証の材料として今様をとらえているだけで、歌謡としての追及は「不可能」視されています。
そうした中、古事記の研究で深い造詣を示した西郷氏は、梁塵秘抄の「歌謡」としての特質にも鋭い目を注いでいて異色であり、しかもそれが文庫で読めるのは大層嬉しいことです。

「喉声の歌」だから、謡曲なんかと似ていたのかな、と期待しつつ読みすすむと、そういうことはいっさい書いてありません。母親が老いの手すさびで「謡い」を習っていますが、「喉を壊した」という話はこれまで一切なく、その点でも私の推測は的外れかも知れません。
また、平曲(琵琶法師が平家物語をうたったもの)に片鱗が残っていないかどうかも、全く分かりません。
私自身は、いちおう「平曲か謡曲、あるいは幸若あたりに今様の名残がある」
と信じています。。。ただし、主観に過ぎません。

西郷氏の記述は、今様の歌い手に催馬楽の名人が多かったことを指摘しています。
現在聴くことのできる催馬楽は、発声法の上で神楽歌と異なるところは全くありません(平曲の唱法は催馬楽などと似ているといえば似ているかも知れませんが、私にはいまのところ断言できません)。ただ、西郷氏は記紀歌謡・神楽歌、催馬楽、今様の違いについて、概ね次のようにまとめています。
・記紀歌謡はことばの意味が音楽よりも前面に出ており、その結果、歌詞の繰り返しが殆どない。
・神楽歌は基本的に記紀歌謡を継承しているが、現在残っているものには雅楽の影響が残っている場合がある。(基本は笛と和琴のみで伴奏されたのですが、雅楽の影響を受けた印に、録音では篳篥も伴奏に加わっています。)
・催馬楽は歌詞を観察すると「音楽に合せて繰り返しを行う歌詞が多く含まれている」ことから、雅楽(註:日本にはいってきた雅楽は、唐では燕楽と言われていたものです[<アジア音楽史>といった類いの書籍で確認できます])の流入に影響を受けた歌謡だと、ほぼ断言できる。従って、言葉は音楽に従う結果となり、記紀歌謡とは有り方が逆転した。伴奏も雅楽の楽器である。
・今様は、梁塵秘抄他に残っている詞章から伺う限り、囃子詞は挟まれていても、歌詞が繰返されることはない。伴奏も太鼓のみであることが普通だった。従って、ことばを主とし、歌い方もあるていど自由度が高かったと推測される。(前掲文庫収録の「梁塵秘抄における言葉と音楽」を参照。文庫151頁以降。なお、まとめに誤りがあれば私の責任ですので、ご指摘下さい。)

・・・ということで、仏教音楽(説教節など)の影響を受けたとされる平曲や謡曲との接点については、西郷氏には言及がなく、私にも知りうる他の資料や見識はありません。
ただ、今様の歌い手に名人が多かったとされる「催馬楽」は、現代人がクラシックピアノを習うような感覚で、古典教養として貴族社会に深く浸透していたものであり、九条兼実の日記「玉葉」にも、その長子良通が師匠に付いて催馬楽を習っている記事が何度も出てきます。今様の担い手は令外の民である傀儡・遊女集団であったとはいえ、遊女も催馬楽を歌っていたという記録もあるそうで、今様の歌い方は催馬楽を簡略化し「現代風(もちろん平安時代での)」にアレンジしたものだった、というあたりが実態だったのかも知れません。
もう一点、西郷氏の論文から孫引きしますと、
「今様は長たらしく歌うものではなかった。体源抄にも、『忠季云ク、今様近来其程延タリ(歌が長ったらしくなった)。今様ハ四句ナリ、而一句各一息ナリ。・・・今様ノノビヌルハアサマシキモノナリ』と見える。」(164頁)

ちなみに、この論中で西郷氏が例示している催馬楽と今様を一つずつあげると、
・(催馬楽)「我が門に」
我が門に(我が門に)表裳の裾ぬれ 下裳の裾ぬれ 
朝菜摘み 夕菜摘み(朝菜摘み)
朝菜摘み 夕菜摘み 我が名を知らまく欲しからば 御園生の(御園生の)
(御園生の 御園生の) 菖蒲の郡の 大領の 
まな娘といへ おと娘といへ

・(今様)
そよや 小柳によな 下がり藤の花やな 咲き匂ゑけれ ゑりな
睦れ戯れ や うち靡きよな 青柳のや や
いとぞめでたきや なにな そよな

催馬楽の()内は無くても歌詞の意味に違いは生じませんが、歌う際に省くことは出来ません。
今様の方は「そよや」や「ゑりな」「や」「そよな」などははやし言葉で、歌のリズムを整える以上の役割はなく、歌詞に意味を加えるものでも無いことは聴き手にも明確です。



梁塵秘抄


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梁塵秘抄


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流行歌マニアの嚆矢:後白河法皇(4)

さて、後白河法皇は「梁塵秘抄」における「今様の収集家」ではあっても、作者ではありません。法皇の興味は、レパートリー確認と拡大のための歌詞集の編纂にあったかと思われます。
其の傍ら、前回触れた通り、法皇は定家の父、藤原俊成に「千載和歌集」の編纂を命じています。
この「千載和歌集」には、後白河法皇自身の歌も七首掲載されています。

78:池水にみぎはのさくら散りしきて波の花こそさかりなりけれ
360:もみぢ葉に月のひかりをさしそへてこれや赤地のにしきなるらん
606:幾千代とかぎらざりける呉竹や君がよはひのたぐひなるらん
717:恋ひわぶるけふの涙にくらぶればきのふの袖は濡れし数かは
797:万世を契りそめつるしるしにはかつがつけふの暮ぞ久しき
798:今朝問はぬつらさに物は思ひ知れ我もさこそは恨みかねしか
866:思ひきや年のつもるは忘られて恋に命の絶えんものとは

どうでしょう、和歌としては平凡で平板に過ぎるかも知れず、よい詠み手であったとは到底思えない出来でもあるかと思います。
一方、死後に孫の後鳥羽上皇が編んだ新古今和歌集には、四首が載ります。

146:をしめども散りはてぬれば桜花いまは梢をながむばかりぞ
579:まばらなる柴の庵にたびねして時雨にぬるるさ夜衣かな
1581:露の命消えなましかばかくばかりふる白雪をながめましやは
1726:浜千鳥ふみおく跡のつもりなばかひある浦にあはざらめやは

最後の歌は、千載集に何とか載せて頂きたい、と申し出てきた、あまり優秀ではない歌い手に対する慰めとしてのものであり、その前の「白雪」の歌は、臨終近くに詠んだもののようです。
それにしても、こちらの四首は千載和歌集の七首に比べると、素直な気持ちから詠まれている点ではかわらずとも、歌の情趣は遙かに深いものばかりだ、というのは、素人の詠み手の浅はかな印象でしょうか?
だとしても、二つの歌集で取り上げられた後白河法皇の歌ぶりの相違は、各々の歌集を監修した人物の撰歌眼の違いを非常に明確にしていることは疑えないと思います。
「新古今」の監修者、後鳥羽上皇は、西行や慈円と並び、「千載集」の撰者である俊成をも、其の素直な歌ぶりで敬慕していました。俊成自身、おそらく式子内親王に乞われて著した『古来風体抄』の中で、
「必ずしも錦縫物のごとくならねども、歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にもあはれにも聞ゆる事のあるなるべし」
と、詠歌に当たっては妙に凝ったりする必要はない事を説いています。
しかしながら、俊成は当時の歌人に大きな影響をもたらしていた『俊頼髄脳』の著者、源俊頼を大変尊敬していました。この俊頼は、歌の姿かたちは決して凡俗のものではあってはならないことを盛んに訴えているようですし、彼のライヴァル達も、この点では一致していました。歌人たちの主張は、すなわち、和歌の中には俗語を用いてはならない、ということでした。『梁塵秘抄』に集められた今様の、何とこの規則に反していることでしょう! そうしたアウトサイダー的、非正統的な歌が、政界の頂点にいた後白河法皇にとって最大の生き甲斐だったことは、何という皮肉でしょう。俊成が選んだ後白河の和歌が平板なものばかりになってしまったのは、俊成の歌に対する考え方からすれば他に選択の仕様がなかったため、であったとしか思えません。
一方の後鳥羽は、俊成のように「歌の家を守らなければならない」といった意識を持つ必要もなく、したがって既成の和歌観に囚われる義務もなく、新古今の編纂は歌所を設けて複数の人間の目を通しながら行ったこともあり、祖父の和歌の中にも・・・言い過ぎではありますが・・・西行や慈円同様に「素直で深い」歌があることを見逃すことがなかったのかも知れません。

さて、定家は歌の言葉に関しては父、俊成よりも過激になっていきます。数編著した歌論集のうち、『近代秀歌』では
「詞は古きを慕ひ、心は新しきを求め、及ばぬ高き姿をねがひて」
行くべきだ、という、じつに峻烈な言葉を吐いています。
これは日本史上最大のホモ・ルーデンスであった後鳥羽と様々な葛藤を生んでいくことになる筈ですが、そのことはまだずっと先に見ていくことになるでしょう。

この次は、定家の本源的な歌風を育てるのに最も資したと思われる、九条良経との(歌の面での)交情を見ていければいいなあ、と思っております。

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2006年7月18日 (火)

イタリア行きを前に

"アンサンブル教"を読むにはこちら.
"音程=音の彩り"を読むにはこちらをクリック下さい。

「モーツァルト366日」(白水社2002 ISBN4-560-03848-1")の中のかわいらしいエッセイで、で高橋英郎氏はヴォルフガングが自分の天然痘を熱心に治してくれたお医者に、御礼として歌を一曲作曲した、という話を載せています。その作品、有節歌曲の "歓喜に寄す" K.53(シラーの、ではなくてウズという人の手になる歌詞です)は、残念ながらこの逸話通りの経緯で作られたのではなさそうです。ヴォルフガングが天然痘にかかり、治ったのは1767年末、オリュミッツでのことです。しかるに、
K.53 は1768年11月にウィーンで書かれているのです。
オリジナル譜は歌と低音部だけが書かれており、NMAのスコアでは適切な和音を補っています。

ともあれ、モーツァルト一家は1769年1月5日、ザルツブルクの我が家に帰り着きます。
この年の12月13日、すなわち彼と父がイタリアへ出発する日までのヴォルフガングの動向は、それほど明確ではありません。家族全員ずっと我が家にいて、お互い手紙をやり取りする必要がなかったからです。
この時期の彼の作品は
1) 軽い音楽 (K.65a[61b], K.63,K.99[63a],K.62 &K.100)
2)リツェンツァ1曲 (K.70[61c]).
3) 宗教音楽 (K.65, K.66, K141[66b])
といったところです。K.55-61とK.64 は偽作。K.54 はずっと後の1788年の作。 K.66c-e(シンフォニー) は失われてしまいました。
----------------------------------------------------------------
1) 軽い音楽(K.61b, K.63,K.99[63a],K.62 &K.100[62a])

K.65a[61b] : 7 つのメヌエット(for two viollins, Violoncello and Bass [Cello & Bass play same parts])すべて短い作品です。それぞれの小節数は次の通りです: No.1-16&16, No.2-20&16, No.3-20&16, No.4-20&24, No5-16&16, No.6-24&24, No.7-20&16.

K.63(in G), K.99[63a](in B), K.62 &K.100[62a](in D) はNMAのスコア(Serie IV Orchesterwerke Werkgruppe12 Band1) では"3 Cassations(3つのカッサシオン)"としてまとめられています。
K.63 とK.99の編成は同じです。: 2Ob,2Hr, 2Vn,Vla, Vc & Basso。
かつ、この2作品の楽章の構成も大変良く似ています(7楽章構成).
K.63: Marche-Allegro-Andante-Menuetto-Adagio-Menuetto-Allegro assai
K.99:Marche-Allegro molto-Andante-Menuet(not "Menuetto")-Andante-Menuet-[Allegro-Andante-Allegro-Andante-Marche]
この2作品は1769年8月の6日と8日、大学の論理学及び医学の修了者の卒業音楽 (Finalmusiken) として演奏されたものと思われています。
K.62(行進曲)には2 つのトランペットとティンパニが加わっています。この行進曲はヴォルフガングの最初のオペラセリアである「ポントの王ミトリダーテ」で、ミトリダーテが戦地から戻って来た場面に再利用されることになるでしょう。
K.62をK.100の"Serenade(セレナーデ)"の1つの楽章として数えると、K.100 は 9 楽章構成となります:March(K.62)-Allegro-Andante-Menuetto-Allegro-Menuetto-Andante-Menuetto-Allegro.
このような次第で、K.100の方はまた別の、大きめの行事で使われたのではないかと思われます。

これまでの一連のシンフォニーに比べると、これらのカッサシオンのもつ響きは幾分気楽です。

----------------------------------------------------------------
2)リツェンツァ(K.70[61c]) :
"A Berenice e Vologeso spoi-Sol nascente in questo giorno" for soprano

このリツェンツァは、歌詞から見て K.36と同じ目的で作られていることが伺われ、1666-7年にはもう作られていたとも考えられており、それ以上特別に付け加えるべき話はありませんが、典型的な"Da capo"アリアの内にd''''という非常な高音が用いられている点は求めている技術の高さの点で留意すべきかもしれません。

----------------------------------------------------------------
3) 宗教音楽3つ(K.65, K.66, K141[66b])

ミサ・ブレヴィスニ短調 K.65:1月14日作曲
"ドミニクス・ミサ"ハ長調 K.66:10月15日初演
"テ・デウム" K.141[66b] :イタリアへ出発の数日前に作曲?

これら3 つの宗教音楽が1769年中の最重要作品でしょう。(20世紀前半までの研究者たちの否定的な評価とは違い、モーツァルト自身は自己の宗教音楽の「優秀さ」に絶対の自信を持っていました。私は学生時代、機会があって彼のザルツブルク時代のミサを3曲伴奏していますが、大変感銘深い音楽ばかりでした。)

"ドミニクス・ミサ" K.66は、モーツァルト一家の大家さんの四男でヴォルフガングがたいそう慕っていたCajetan Hagenauer(Pater Dominics)の為に作られたものです。この5年前、Cajetanが修行のために修道院に入った、という話を手紙で読み聞かされた時、ヴォルフガングは泣きじゃくってしまったということです。これでもうCajetanには会えない、と思い込んだからです。それで、父が「そんなことはないんだよ」と説得しなければならないほどでした。
1765 年にCajetanは"ドミニクス師"と呼ばれるようになります。
1769年、ドミニクス師はザルツブルクのベネディクト会の新司祭となり、ミサを執り行うこととなりました。 K.66は10月15日に行なわれた、このドミニクス師による始めてのミサで演奏されたのです。
K.66は輝かしい音楽で満たされていますが、ヴォルフガングはテキストの意味に厳しく従うことを忘れてはいません。13歳の作曲家の意図は、とりわけ「グローリア」及び「クレド」がそれぞれ7つの部分に分たれ、各部の言葉にふさわしく、じつに注意深い音楽付けをがなされていることから理解出来ます。各章の終結部も、ヴォルフガングはかつてないほど毅然とした仕上げを施しているのが感じられます。さらに、「グローリア」と「クレド」各々の最終部のフーガ、また「クレド」中の"Crucifix" 部はとりわけ心に深く刻まれる造りとなっています。
このミサのオーケストレーションは次の通り:2Ob,2Hr,4Trmp(2Clarino & 2 Tromba), 2Vn,Vla,Baasi & Organo and 3 Trmb.ad libium.

"Te Deum" K.141[66b]がイタリア行き直前になって何故作曲されたか、経緯は明らかではないそうです。それでもこの曲は性急なお粗末さはもたず、コンパクトながらしっかりした構成をもっています。"Te Deum"は4部からなり、あたかもシンフォニーのようです。楽器編成は:2Clarino & 2 Tromba,Timpani, 2Vn,Baasi & Organo.
Timpani のパートは、オリジナルが発見されていないため、NMAのスコアでは小さい音符で記されています。私のもっている、モーツァルトの宗教音楽を集成したCDでは、"Te Deum"はティンパニなしで演奏されています。一方、クーベリックのDVD(「ハ短調大ミサ」とともに収録)ではティンパニを入れて演奏しています。

K.65を最後にもって来たのは、この曲の一貫して厳しさを保った作風に驚嘆したからです。
この「厳しさ」は上演されるはずだった2月5日が「罪の償いをする儀式」を行なうべき日だったからだ、と言われてきました。しかし、この説は現在では否定されています。2月5日のミサは「荘厳ミサ」で、「ブレヴィス」すなわち略式ミサが行われたわけではないからです。
このK.65の"Agnus Dei" の主題が、彼の「レクイエム」中の"Agnus Dei" のそれに非常に似ていることだけ、とりあえずはご注目頂きたい、と強く希望します。
残念ながら、K.65は日本では探した限り単体のCDでは入手出来ないようです。全集で聴くしかありません。しかし、モーツァルトの音楽が好きな方の間で、このK.65はもっと有名になって然るベきだ、と私は信じて疑いません。

ちなみに、下記は私のもっているCDとは違います(私のは没後200年の際に出たものです)。



モーツァルト大全集 第21巻:ミサ曲全集(全18曲)


Music

モーツァルト大全集 第21巻:ミサ曲全集(全18曲)


アーティスト:オムニバス(クラシック)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2006/02/22

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クーベリックのDVDは「テ・デウム」・「ハ短調ミサ」ともいい演奏です。



モーツァルト:ハ短調ミサ/テ・デウム


DVD

モーツァルト:ハ短調ミサ/テ・デウム


販売元:ビデオメーカー

発売日:2006/01/25

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2006年7月17日 (月)

音程=音の彩り

「アンサンブル教!」こちらをクリック下さい。

この前は文がクドくて分かりにくかったかもしれません。
今回は、「聴いてもよく分からん!」かもしれません。文も相変わらずクドいな!

すこしのあいだ、音楽の要素ごとに見て行く試みをしたいと思いますが、まずは「音程」を採り上げてみます。音の例をつけますので、併せてじっくりお聴き頂き、是非、何でもコメントして下さい。(なお、「音の3要素」、いわゆる高さ・強さ・音色、では考えません。)

「音程」は「音高(ピッチ)」ではありませんので、あらかじめご理解下さい。このふたつを混同している方が、不思議なことに結構いらっしゃいます。ただし、「音程」と「ピッチ」の違いを知っている、という方も、そんな混同を安易に「アホか」と言わないで下さい。これにはやむを得ない背景があるからだ、と思われるからです。

まず、モーツァルトの曲から、弦楽はK157の演奏のこの2例をお聴き下さい。

管楽器もモーツァルトですみませんが、グランパルティータの変奏曲楽章の最終部です。

いずれにも旧は旧で、新は新で共通する特徴がありますが、以下の文の最後の方にそのポイントを綴ります。
それをお読みになったら再度お聴き頂ければ幸いです(また長文ですが・・・)。
ただ、弦、管、それぞれ「最近の演奏の方が彩りが鮮やかな感じがする」という印象はお受けになりませんか? これは断じて録音の質のせいではありません。音程の取り方に起因するのです。

「程」という字には「モノとモノのへだたり」の意味もありますね。「音程」の「程」は、音と音のへだたりを表しているということですよね。西洋音楽の体系から見れば、したがって、「音程」という言葉には必然的に「和声」の概念が付随します。一方、それ以外の地域の「音程」観に「和声」の考え方が伴うことは稀です(あるのを知らないので「ありません」と言いたいところですが、私が知らないだけかもしれませんので、断言まではしません)。
そうは言っても、前にも綴りました通り、音程観というのは人の数だけあります。これが極端すぎる言い方だとしたら、少なくとも、地域の数、民族の数だけはあります。
こんな例を思い浮かべて下さい。
ロシアの合唱団がイタリア民謡を歌い、イタリアの合唱団がロシア民謡を歌う。和音はつけず、斉唱で歌う。
・・・それぞれ、どんな歌が聴けるでしょう?
・・・それは、各々が自国の民謡を歌った時とどのように違うでしょう?
残念ながら、これにぴったりの録音例は探し得ていません。が、容易に想像がつくのは、たとえ斉唱であっても、ロシア人の歌うイタリア民謡は湿っぽくなって、地中海にふさわしい陽光を感じさせない。イタリア人の歌うロシア民謡は明るくなってしまい、ロシアの冬の重さにも負けない底力が失われる。そういう結果になる気がします。これは、この二つの民族の「音程観」の違いがもたらす結果です。

「和声」の体系創造までには、西欧も実は大変な時間をかけています。いまのグレゴリオ聖歌が定着したのが9世紀頃で、聖歌の旋律に別の音を(オーソドックスな意味で)被せるようになったのは13世紀頃ですから、それだけで4百年です。詳細は省いて、それが今の「ドミソ」「ファラド」「ソシレ」といった和音の概念に結晶するまで、さらに2、3百年かかっています。ですので、「音程観」=「和声観」というのは、もともと西欧にも無かった、近世以降の特別な発想だということは、理解しておかなければなりません。

「音程」にいろいろな種類があるんだ、というのは、民族音楽を聴き比べればわりと理解しやすいのです。オムニバス的なCDもありますので、お聴きになってみて下さい。
ですが、民族音楽に走りますと焦点が定まりませんので、やはり西欧音楽の例で行きたいと思います。

私は純日本的音程観で育ちましたので、東北での学生時代、オーケストラではかなりキツく音程を矯正されました。ところが、東京というところへ来て驚いたのは、
「音程なんて何とかなる。和音さえうまく鳴ればいいんだ」
という言葉を、結構たくさんの人に聞かされたことでした。
ですが、「和声ありき」の「音程」というものは、実はそもそも存在しないのです。まずは、それを知って頂きたいと思い、この話題に触れてみようと考えた次第です。
西欧音楽であっても、まずは「音程」が良いから「和声」もきれいに響くのです。ここを誤解すると、自分が憧れる演奏を心の規範にしていたとしても、規範の「音程観」を理解していないばっかりに、いつまでたっても狙った通りの「彩り」で演奏をすることが出来ないことになります。
17世紀以降に鍵盤楽器が隆盛しだし、それに伴って様々な調律法の試行錯誤が繰り返されることになったのも、「和声」と「音程」という、意外に「美しさ」の両立しにくい理屈に対し、西欧人がいかに格闘を挑まなければならなかったかを現わしているのだと、私は思っております。

物の本によると、「和声」以前の遥か昔から、西欧には、ご存知のように紀元前6世紀頃には「ピュタゴラスの音程理論」が存在しました。これは「純正律」と呼ばれる自然な倍音関係(自然倍数比)から導かれる音階を元に、ちょっとだけ調整を加えた音程間隔を定めたものです。これには3度が不協和になるという欠点があります。
やはり純正律がいい、という見方は2世紀に確立しますが、今度は「ドミソ」「ファラド」「ソシレ」がどれも唸らずにきれいに響く反面、五度自体は狭くなってしまうため、せっかくの協和音も、和音で鳴らせばどこか調子っぱずれになります(あとでサンプルをつける「グレゴリオ聖歌」のウィーンの歌唱の方を聴いて下さい)。
それでも「和声」が確立するまでは旋律が美しければ良かったのでしょう、純正律は長い間西欧音楽を支配したものと思われます。
「和声」支配が前面に出始める15世紀以降になって、「音程理論」は様々に火花を散らし合うことになります。
アーノンクールは「私は中全音律に耳が馴染んでいる」と述べていますが、この「中全音律」にも、私の手持ちの本に載っているだけで4種類はあり、しかもそれがさらに多様に混ぜ合わされて使用されたそうですから、「中全音律」というひとつの名前で現わされる音程理論は、最低でも4の階乗分(24)、実際にはまた細かい調整理論がありましたから、数百の種類があったかもしれません。
「中全音律」でポイントとなった「音程」は、とくにどの部分だったのでしょうか?
12音を100刻みで配分した「平均率」と比較しながら見てみましょう。
ハ長調を前提にします。下のドが0とすると、レが200、ミが400、ファは500、ソは700、ラは900、シは1100、ドは1200です。すなわち、半音ごとの差が100となります。
平均率では、ミとファ、シとドの差は、それぞれ100です。
手元で分かる限りでいちばん古い中全音律ではこれがそれぞれ、117、117と広がります。
16世紀の例では121、122となります。
さらに18世紀には、108、108で調整されます(バッハと親交のあったジルバーマンによるもの)。
こうするには他の音程も細かく調整されているのですが、ファとミ、シとドは導音の関係にありますので、そこにだけ着目しました。傾向としては、一旦広がったのが、また距離を縮めて来ているのが見て取れます。
18世紀末にはこれがだいたい112、112というところで落ち着きます。

で、最初に上げたモーツァルトの演奏の新旧対比ですが、もうお気づきでしょう?
導音と主音の関係の広さが違うのが、最も目立つ違いですね。3度についての「広い狭い」にも同じような特徴が見られます。
調律は専ら鍵盤楽器などの話だ、ということだったのでしょうか、少なくとも20世紀中葉の音程観では、導音は主音になるべく寄り添い、長三度は可能なだけ狭くとり、そのことによって緊迫感を生む、という風潮があったのではないかと推測されます。私が学生オケ時代は、実際にそういう要求が常になされました。ジルバーマン的だった、ということでしょうか。ということは、バッハ的音程観に近かった、とも言えるのでしょうかね?
最近は、導音と主音の関係が中全音率的に広がり、それに対する批判も当初はずいぶんあったと記憶しております(平均率になってしまった!という表現でした。上記の導音と主音の幅を見ると、「いえ、その逆です」ということが明確に言えます)。導きだされる和音の響きがそれだけ異なるからです。
もともと、世代的な差というだけでなく、導音と主音、三度の幅に対する音程観の違いというのは演奏者の出身地域によって結構差があったもので、イタリア弦楽四重奏団という名カルテットは上のカザルス四重奏団と実に似た音程観の団体でした。したがって、単純に世代差と言い切ることも出来ないのですが、室内楽に限らず、たとえばワーグナーの音楽の色彩までが明るくなる傾向にはあります。1950年代のバイロイトのライヴがたくさん出始めていますから、これをたとえばレヴァイン/メトの音楽の「彩り」と比べて見るのも面白いと思います。

どういう音程観を持って行くべきか、に正解はありませんが、ある団体が「まともな」音楽をやろうと思ったら、その団体内で音程観を統一しておかないと、結局はその演奏から生まれる「彩り」はくすんだものになってしまうでしょう。私たちはどういう音程観で進むべきか?
それを、次のグレゴリオ聖歌2例(同じ曲です)とその有名な引用をお聴きになりながら、また少し頭をひねってみて下さるようでしたら、これに勝る喜びはありません。




(最後の曲が尻切れとんぼですみません。)

(7月20日付記)以上を踏まえ、先日のTMFの「さまよえるオランダ人」序曲の演奏を聴いてみて下さい。和音がハマらない箇所では誰かの音程が浮いているのが明確に特定出来るはずです。

次は何で考えて行きましょうか・・・フレーズ、でしょうかね。

*下記は、アフリカ、ブルガリア、トルコ、南・東南アジアに東アジアを網羅した民族音楽のオムニバスで、この手のアルバムの中では最もお奨めです。それぞれ、より詳しく知りたければ別にその国ごとなどのCDも出ていますので、いいガイドにもなります。ホーミーや「スーホの白い馬」も収録!



〈COLEZO!〉ワールド・ミュージック ベスト


Music

〈COLEZO!〉ワールド・ミュージック ベスト


アーティスト:民族音楽,リケンベ,コラ,ウード,ブルガリア国立女声合唱団

販売元:ビクターエンタテインメント

発売日:2005/03/09

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2006年7月14日 (金)

住宅街の夏の昼

「アンサンブル教!」こちらをクリック下さい。
読み返すと、ちと中身がクドいし言いたいことが分からない・・・

恥ずかしながら今日はほぼ一日中ダウン。
毎日出勤も辛かったと思うのですが、長い休みも辛いです。
かといって、ちょっと頑張ってみると、まだこんな具合です。
久々にヴァイオリンを手に取る計画でしたが、ダメでした。

昨日で給食が終わった息子との約束でマクドナルドへ行っただけ。
夕べもでしたが、今日も暑かったですね。
でかい入道雲が威張っていました。
「夏だぜいっ!」
住宅街の中を歩いていて、ふと思ったのは
「昼間って、こんなに静かなんだ」
暑さのせいもあるでしょう。鳥も鳴きません。
明け方は薬のせいで必ずいちど、早く目が醒めます。日が昇る少し前は、梢で雀や椋鳥がピチパチウギャアと騒ぎ合っていたり、烏もえさ場を探して合図しあっているのか、盛んに声をかわしたりしています。あまり鳴き声を聞くことのないセグロセキレイなんかも、フィ、と一声聞かせてくれたりします。
それが、ぴったり鳴きやんでいる。
さすがに、公園に子供の影も無い。
ふと、勤務先の昼の音を思い出してみていました。
朝夕の張りつめた足音の群れとは違い、昼はしゃべり合う声も混じって、ノイズには違いないけれど、耳あたりが柔らかい。・・・そこから遠のいて、もうすぐ二ヶ月です。

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2006年7月13日 (木)

すばらしい「奏法」本

「アンサンブル教!」こちらをご覧下さい。
コメントを心からお待ち申し上げております。。。

先日、「電車でお出かけ」訓練をかねて外出したおり、ある楽器店で"プリムローズの「ヴィオラ奏法」"という本を発見しました。
残念ながら、現在は読むべき本が溜まっており、かつ症状から来るのか、読書スピードが半分以下に落ちていまして、購入を断念しました。
今日、昼食時に立ち寄った近所の書店で、再びこの本に巡り合い・・・またも購入は断念。でも、無くなる前には絶対手にしたいと心に期しております。
プリムローズはご存知の通りヴィオラを独奏楽器の位置にまで高めた偉大な人ですが、この本は「弦楽器の奏法」にとどまらない、「演奏の本質」への言及が、長年トスカニーニの下にいたりした貴重な体験から数多く成されています。管楽器プレイヤーの方にも是非お勧めしたいと存じます。



プリムローズの「ヴィオラ奏法」


Book

プリムローズの「ヴィオラ奏法」


著者:筒井 はるみ,デヴィッド ドールトン

販売元:音楽之友社

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2006年7月12日 (水)

アンサンブル教!


「狂」ではなくて、「教」で間違いございません。ハイ。

まずは下のリンクの演奏(著作権に配慮し2分程度の部分までの抜粋です)を、出来れば順番に御聞き比べ下さい。「好き嫌い」を度外視し、音の揃い具合を確認して下さいますよう、あらかじめお願い致します。

ハフナー交響曲第1楽章サンプル(各約2分)
1. (1959)
2. (1984)
3. (1982)
4. (1970)

どうでしょうか? 3だけ、いわゆるピリオド楽器での演奏でピッチが低く、かつチェンバロが入っているのですが、そのことも併せて度外視下さい。
(実はホグウッドにも第1版・第2版の演奏と称する2つの録音があって、演奏もなかなか面白いのですが、面白さを比べる目的ではないので省きました・・・これは、いらん蛇足でした。)

さて、本題です。

私がまだ二十代後半で、店に数十万単位のツケを残しながら飲みまくっていた頃(菊地先生がよくご存知です。。。)、行きつけは7人も入れば満員のバーでした。そこのママは私と同じ年齢でしたが、口癖は
「アタシね、目がアタマの後ろにも付いてるの」
でした。どうせ同じ年頃のヤツが言うことだから、と、
「はいはい、そうですかいな」
私は生返事ばかりで、マジメに受け止めたことがありませんでした。
それが偶然、彼女の頭の後ろには本当に目が付いていることを知ってしまったのです。

看板も消して、お客は私ひとりになった晩、グデングデンになったハゲオヤジが
「入れろ」
と無理やりドアをこじ開け、入り口にいちばん近い席に陣取りました。
「じゃあ、1杯だけね、お客さん」
しかたなく水割りを出したママに、このオヤジ、悪態をつき始めました。
「なんだ、愛想もなきゃママもどブスでしょうもない店だな」
そんな具合で、しばらく我慢しているうちに、飲み終わったオヤジ、
「もう一杯」
「お約束が違いますから」
「なんでえ、バカヤロウ、店ぶっ壊すぞ!」
それから、もうことばに出来ないような悪態のつきっ放し。
1席隔てたところに待機していた私は、さすがにカッときて、右のこぶしを振り上げようとしました。
瞬間、こっちは見えないはずのママが、振り返りもせずに手を伸ばして、私のゲンコツをしっかと押さえ込んだのです。
「お約束はお約束ですので。まあ、つまらない店に来ちゃって運が悪かったということで」
彼女はうまいことハゲオヤジをあしらって見事に追い出すと、私に一言。
「手は、絶対出しちゃダメ」
「でも、見えてたわけないじゃん。こっちからはあんたのアタマの後ろしか見えなかったよ」
「だから、いつも言ってるじゃない。アタシ、目がアタマの後ろにも付いてる、って」
・・・そして後ろ髪をかき上げると、なんとそこには・・・

なんて、そんなホラーな話では無いんです。そこに本当に目玉があったわけではない。でも、彼女にはアタマの後ろで起っていることが、確かに見えていた、というわけです。

話は変りますが、鎌倉時代の初め、承久の乱があった頃、明恵という名高いお上人がいました。
ある日、瞑想(座禅のようなものですね)している最中、上人が急に、弟子に向かって言ったそうです。
「いま、表の水桶で虫が溺れているから、助けてあげてきなさい」
瞑想している道場からは、表の水桶なんて見えません。
「まさか、そんなことが」
と、弟子の一人が、それでも仕方なく行って見ると、たしかに水桶で虫が溺れていたそうです。
明恵上人は気分がいいと急にふうわり宙に浮いたりすることもあったそうで、それに驚いた周りの人のことを逆にビックリしてご覧になり、
「こんなこと、我が身を知れば誰にでも出来ますのに」
と怪訝そうにおっしゃった、などということもあったと、当時の伝記に書いてあります。

キリストになったイエスにも、福音書に「水の上を渡った」話があり、それを見て驚いた弟子たちを「こんなことは誰でも出来るのだ」と叱った話がありますね。

面白いことに、明恵にしてもイエスにしても、この場面で「神を信じよ」・「仏を崇めよ」などとは一言も言っていないのです。共通する主張は次のとおりです。
「(我が身を信じれば)誰でも出来る」
つまりは、
「自分の感覚を信頼しなさい、そのためには、自分の思い込みを一切捨てなさい」
そうすれば生身の人間でも万能なのだ、というところに要諦があると思われます。
これが、生身以下の人間、人間以下の生き物であるらしい私には大変難しく、ふりかえれば子供時分からのいろんな思い込みから脱出しきれないために、なにもできないどころか、「ウツ」なんぞになってしまったりしているのです。

ここはいっそ、「アンサンブル教」でも打ち立てられるように、教祖となるべく修業を始めるか、と思ってこの項を綴り始めた次第です(ウソでーす。)

もういちど、1から4までのサンプルを聴いてみて下さい。
3以外は、いわゆる近代オーケストラ、すなわち最低でもヴァイオリンが20人、ヴィオラが8人、チェロとコントラバスを合せて9人はいるだろう、という編成での演奏です。
「であれば1や2が何となく不揃いなのはあたりまえだな」
とお思いになりませんか?
3の演奏はヴァイオリン14人、ヴィオラとチェロが各4人、コントラバス2人と少人数です。ヴァイオリンが6人程度減ったのは小さいけれど、あとは半分以下です。
「まあ、少人数だからこれくらい揃うのは当たり前さね」

で、4の演奏です。これは1,2と同程度の「近代オーケストラ」の演奏です。
・・・この演奏の粒のそろい具合に出会ったとき、私は仰天しました。文字通り、天を仰いでしまったんです。
「なんで!? どうしてこんなに揃ってるの!?」
ヴァイオリンが跳弓で弾くだけなら粒が目立ちますから、管も合せやすく、そうした「合せやすさ」にうまく便乗してアンサンブルしている例は1〜3のどれからも聴き取ることが出来ます。
4が驚異的なのは、スラーのかかった音まで粒が際立っている、という点です。しかも、低音に至るまでクリアに揃っている。
こんなことが本当に可能なのか!? 編集したんじゃないの?
試しに、スウィトナー/ドレスデンシュターツカペレの組み合わせになるモーツァルトの交響曲の録音(残念ながら28番以降しかありません)を全部聴いてみました。ちょっと気が抜けぎみのものもあるにはありますが、まずほとんど全部が「ハフナー」と同じアンサンブル精度を実現している。なんぼ名ディレクターでも全部の録音をここまで編集は出来ないでしょう。
事実、スウィトナーがベルリンに移って、そちらのシュターツカペレと録音したモーツァルトは、アンサンブル精度が落ちてしまっているのです。

「出会い」ということも、あったのかもしれません。
「お互いを信じ合える出会い」です。

ひるがえって、私たちのアンサンブルはどうでしょうか?
先の定期での、クリスチャン・バッハの第1楽章での演奏を聴いて比べてみて下さい。
(ボリュームを上げて聴いて下さい。。。あとでボリュームを本に戻すのを忘れずにネ!)

1〜3の演奏と自分たちの演奏を合わせて、
「何が、どこが、演奏を4と違うものにしているのか」
是非、しばしお考えの上、コメントをお寄せ頂ければ幸いです。
(ですので、私なりの「回答案」は敢て綴らないでおきまーす!)

内輪の方には随分ブログを読んでいただいているようですが、コメントが2つしかないのが寂しい・・・「援交のおススメ」みたいなトラックバックはしょっちゅう付いているんですけれど。。。しょせん、私は電話ボックス。

いつも長くてすみません。
次の機会には「音程」ということについて考えたいと思います。管・弦別々に材料は用意してありますが・・・分かりにくくなるかなあ。。。

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モーツァルト一家ウィーンへ(1)

"ショスタコーヴィチ5初見ポイント"を見るには, ここをクリックして下さい .
"第43回TMF定期演奏会反省"を見るには, ここを クリックして下さい.

K.51 "La finta semplice"(「みてくれの馬鹿娘」)

モーツァルト一家は1767年9月10 日、ふたたびザルツブルクを離れ、 ウィーンに向かいます.
様々な事情でウィーン へはすんなり到着できませんでしたが、それについては伝記類をお読み下さい.
それに加え, 今回の旅では, ウィーンの皇室も人々もモーツァルト一家への関心どころではありませんでした(天然痘の流行も多いに影響してのことでした)。
窮余の策として、父レオポルドはヴォルフガングにオペラ・ブッファを作曲させる計画を立てました .
入手したリブレット は "La finta semplice"というタイトルでしたが、これは4年前にヴェネツィアでS.Prilloという人物が作曲・上演し、失敗に終わったものでした(rA.Einsteinの"Mozart, his life and works"で触れられています).
おそらくこうした理由からか、ヴォルフガングはなんとかうまく作曲をし遂げたものの, "La finta semplice"はユーモアに溢れた作品とは言い難いように、私には思えます。もちろん、これは作曲者の責任ではありません。 彼も父も、このリブレットが過去の失敗作のものだということは全く知らなかったのですから. これはもしかしたら、ヴォルフガングのオペラを最初から上演などしたくなかった興行主の策略だったのかも知れません!(海老澤敏「モーツァルトの生涯」によると、興行主は当時経営難だったようです。)

ヴォルフガング はK.45の交響曲(1768年1月作曲)をこのオペラの序曲に転用しました. またアリア No.7 は 「第一戒律の責務」K.35のキリストの霊のアリア( No.7)を短縮したものです."La finta semplice"の作曲は1768年7月に終わりました.
結局なぜウィーンでこのオペラが上演されなかったかについては伝記類でお読み下さい. すみませんが、ここではそれについて言及しません。
"La finta semplice"は翌年ザルツブルクで初演されることとなります.

オペラのストーリーは、そう混み入ったものではありません。.
二人の兵,フラカッソ(F,tenor) とその下士官, シモーネ(S,basso) は女嫌いのドン・カッサンドロ(C,basso) と、その馬鹿な弟のポリドーロ(P,tenor)が営む宿に滞在しています.カッサンドロにはジャチンタ(G,soprano)という妹が居り、ニネッタ(N.soprano)という家政婦も雇っています. フラカッソとジャチンタ, シモーネとニネッタのそれぞれが相思相愛 . けれどもカッサンドロの厳しい監視下にあります. そこで, フラカッソは妹のロジーナ(R,soprano) を呼び寄せます。ロジーナは賢い女性で、カッサンドロの宿に着くや否や, 「お馬鹿さん」になりきり, カッサンドロの用心をほぐしてしまいます. その上ポリドーロがロジーナをひと目見ただけで惚れ込んでしまいます. ロジーナはカッサンドロとポリドーロを手玉にとりますが、最後はカッサンドロの心のこもったプロポーズを受け入れます. ポリドーロ以外, すべてのカップルがハッピーエンドを迎えます.

リブレット最大の欠点はロジーナのキャラクターが際立たないことでしょう. また、物語は観客にインパクトを与えられるような目まぐるしい場面転換のセンスを欠いています。

オペラの構成は下記の通り (レシタティーヴォを除く) :

シンフォニア(序曲)
[Act1]
1.Coro(N,G,F,S) D dur(Allegro[3/4],87bars)

2.アリア(S) C dur(Tempo ordinato[4/4:14bars],Allegro[2/4:16bars],Tempo primo[4/4:19bars],Allegro[2/4:16bars],Tempo primo[4/4:12bars]...Total:77bars)

3.アリア(G) F dur (Allegro grazioso[3/4:60bars],Allegro[2/4:31bars],Tempo primo[3/4:34bars],Allegro[2/4:32bars]...Total:157bars)

4.アリア(C) D dur(Allegro non molto[6/8:80bars])

5.アリア(F) G dur(Allegro moderato[2/4:161bars])

6.アリア(R) A dur(Andante[2/4:87bars])

7.アリア(P) B dur(Allegro[2/2:126bars])

8.アリア(C) F dur(Moderato e maestoso[2/2:125bars])

9.アリア(R) Es dur(Andante un poco adagio[2/2:52bars], Allegro grazioso[3/4:31bars], Andante un poco adagio[2/2:47bars], Allegro grazioso[3/4:35bars]...Total:165bars)

10.アリア(N) Tempo di Menuetto(B dur[3/4:62bars])

11.Finale(R,N,G,F,P,S,C)
D dur (Un poco adagio[2/2:2bars,R] , Allegro[2/4:61bars,R,F,P,N],)
G dur(Allegro[3/8:56bars,C,P,R,N,F],Andante[2/4:9bars],Allegro[2/4:71bars])
G dur(Simone appears.Molto allegro[3/8:150bars])...Total:349bars

[Act 2]
12.アリア(N) G dur (Allegretto[2/4:72bars])

13.アリア(S) D dur (Allegro[3/8:174bars])

14.アリア(G) A dur (Allegro comodo[2/4:26bars],[6/8:24bars],[2/4:16bars],[6/8:31bars]...Total:97bars.

15.アリア(R) E dur(Andante[4/4:62bars])

16.アリア(C) C dur (Allegro[4/4:62bars])

17.アリア(P) G dur (Adagio[2/2:16bars],Allegretto[3/8:30bars],Moderato[2/4:19bars],Adagio[2/2:10bars],Allegretto[3/8:30bars],Moderato[2/4:20bars]...Total:125bars)

18.アリア(R) F dur(Allegro grazioso[6/8:44bars],Allegretto[2/4:46bars],Tempo primo[6/8:41bars],Allegretto[2/4:47bars]...Total:178bars
19.Duetto(F,C) Allegro [4/4:87bars]
20.アリア(F) B dur (Grazioso[2/4:92bars.from bar 69,Allegro])
21.Finale:G dur,413bars.(すみません、詳細を省きます)

[Act 3]
22.アリア(S) C dur(Un poco Adagio[2/4:66bars])

23.アリア(N) C dur(Tempo di Menuetto[3/4:124bars])

24.アリア(G) c moll(Allegro[4/4:91bars])

25.アリア(F) D dur (Andante maestoso[2/2:132bars],Tempo di Menuetto[3/4:39bars],Tempo primo[2/2:64bars]...Total:235bars)

26.Finale : G dur ,441bars(すみません、詳細を省きます)


音楽上の問題は:
(1) No.7(ポリドーロのアリア)前後のレシタティーヴォが長過ぎる。アリアの前に150小節. アリアの後に134 小節もある. しかも、レシタティーヴォになっている場面は、実は喜劇の大きなポイントである、ロジーナがポリドーロとカッサンドロの前に現れてお馬鹿さんに成り切る部分。それがレシタティーヴォで延々と扱われたのでは、お客は飽きるでしょう. 世慣れた作曲家ならリブレット作家に変更をさせることも出来たのでしょうが、 ヴォルフガングは当時の状況下と年齢から、そこまで出来ないでしまったのでしょう。
(2) 作曲者がパイジェッロとかロッシーニ(まだ生まれていないか・・・)だったら, アリア No.8(カッサンドロ) はもっと面白く仕上げたのではないかと思います("blo,blo.blo..."). ヴォルフガングの付けた節はいささか単調です.

これらの諸問題にも関わらず, ヴォルフガングは出来うる最大限の努力をしたと言って良いでしょう.
どの幕のフィナーレもたいへん活き活きしていて彩り豊かです. アリアの作曲にもキャラクター作りへの神経が行き届いて、かつ"ダ・カーポアリア"になることを避けています. どの曲のメロディも親しみ深いものです. 場面によってテンポも自在に変化させています(ヴォルフガングはK.35 とK.38を通じて既にこのテクニックを身につけていました). これらのことだけでも、驚くべき価値は充分にあります。 "La finta semplice"の作曲者は、このときたった12歳だったのですから!

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モーツァルト一家ウィーンへ(2)

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K.50 "Bastien und Bastienne(バスティアントバスティエンヌ)"

この有名なヴォルフガング初のジングシュピールについては、出来るだけ簡単に済ませましょう.
「バスティアンとバスティエンヌ」がルソーの「村の占師」のパロディだということはよく知られた事実です.しかし、海老澤敏教授によると, レオポルドが「わが子息の全作品リスト」に"Operetta Bastien und Bastienne, ドイツ語テキストによる, 最近ヴォルフガングがウィーンで音楽を付けた "と記している以外に、この曲に関するはっきりした資料は存在しないとのことです.
最初のモーツァルト伝を書いたニッセンは, "Bastien und Bastienne"は当時催眠術で有名だったメスメル博士の注文を受けて作曲されたのだ、と言っていますが、それが事実かどうかは今日なお疑われています。

"Bastien und Bastienne"は「インテルメッツォ(幕間劇)」の系列に属するものであって、オペラ・ブッファ系ではありません. "オペラ・ブッファ"は歴史的には正統オペラから分岐したものです(たとえばまだセリアとブッファが分化する以前の作、モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」第1幕第2場の兵士のやり取りや、第2幕第8場をご参照下さい。ここにはコミカルな要素が取り入れられています。最近気鋭の日本の音楽学者さんで、最近までいいなあ、と思っていた方が、ある著書で「オペラ・ブッファの起こりはインテルメッツォだ」とお書きになっていて、私は瞬時にその方への敬意を失ってしまいました!). "Bastien und Bastienne"は、従って、内容・質ともに"La finta semplice"より気楽なものになっています.
前項を再度ご覧頂ければあり難いのですが、"La finta semplice" は"Basten und Bastienne"に比べ、かなり厳密に設計されています. 調整の推移を観察してみましょう. Act1では, 前半部では調は平行的に変化し、後半では下属調へ向かっての動きとなります.少しずつ場面の枠を広げるのですが、芝居はまだ本格的には開始していないんですよ、という設計です。第2幕は属調的推移で終幕へ向けての期待が高まるよう配慮されています. Act3では, 最初の3曲はC を主音とした長調・短調に静的に留まって緊張を高め, 突如幸せに満ちたニ長調に転じ, ついにはト長調 (ニ長調の下属調) に落ち着かせて、お客様には安心してお帰り頂く、という具合です。

"Bastien und Bastienne"のほうは、こんな具合です:
(Bn=Bastien[tenor], Be=Bastienne[soprano], C=Colas[bass])

Intrada[G]-1.アリア(Be[C])-2.アリア(Be[F])-3.very short intermezzo[D]
-4.アリア(C[D])-5.アリア(Be[G])-6.アリア(Be[B])-7.Duetto(Be,C[F])
-8.アリア(Bn[C])-9.アリア(Bn[G])-10.アリア(C[c])-11.アリア(Bn[A])
-12.アリア(Be[F])-13.アリア(Bn,Be[Es])-14.Recitativo(Bn,Be[B])
-15.Duetto(Bn,Be[B])-16.Terzetto(Bn,Be,C[D-G])

ヴォルフガング はあらかじめト長調を中心に据え, 場面に合った関連調性へと気軽に移行できるよう仕掛ける腹積もりで臨んだようです.

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モーツァルト一家ウィーンへ(3)

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すばらしい宗教音楽(K.47,K.49,K117 amd K139)

"La finta semplice" ウィーン上演には失敗しましたが, モーツァルト一家は Waisenhauskirche(孤児院教会)の付属聖堂の献堂式に招かれます.,ここでヴォルフガングは自作を幾つか披露し、臨席した皇帝の称賛を受けました(Dr.Deutsch & Dr.Eibl "Mozart. Documente seines Lebens Dec.10 1768参照。邦訳あり).

このときはヴォルフガング自身が指揮に当たったようです...トランペット協奏曲, 奉献唱と荘厳ミサ曲がそれらの作品です.
トランペット協奏曲は紛失しましたが, 他の2作は、いまでは「ほぼ確実に K.117とK.139ではないか」と信じられています.(ヴォルフガングの自筆譜の用紙から判断されたことです.しかし K.139自筆譜と同じ用紙は1768 年から翌1769年まで使われているため,ほんとうに「確実」とは断言できません. )

オッフェルトリウム"Benedictus sit Deus" K.117 は「交響曲的」な作品です.
第1部は "合唱", Allegro[4/4], C dur.
第2部はソプラノのアリア, Andante[2/4], F dur.
最終部は再び,"合唱", Allegro[4/4], C dur.
調の連携具合が1766年以前のヴォルフガングのイタリア風シンフォニア(Tonica-Subdominanto-Tonica)と同じなのです.
それでも音楽の雰囲気はどの先行作品よりも輝かしいものです. これはトランペットとティンパニの使い方の習熟、弦楽器の機動性の高まりによるものです.加えて, 最終部はシンフォニー類のように軽々しくはなく、荘厳な雰囲気を保っています.
注目すべきは、第1部の10-13, 18-19,31-38 , 40-42 小節目でヴォルフガングがカノンの技法を使っていることです.

Missa in c moll "Waisenhausensmesse(孤児院ミサ)" は彼の最初の荘厳ミサ曲であり、かつ彼の最も有名な宗教曲の一つです.曲の構成は"ナポリ風様式"によるそうですが,私は "ナポリ風様式"ってどんなものなのか知りません...勉強します・・・すみません。
このミサ曲は高い意識下で作曲されたものだと感じます.
キリエ冒頭の厳しい和音は、ことばにならない衝撃を私たち聴衆にもたらします。
このキリエ冒頭の動機は、続く「グローリア」では輝かしい光に変じます。同じ感動には「サンクトゥス」で再び出会うことになるでしょう。
対位法の使用についても意欲的です: "Cum Sancto Spiritu"のフーガ, "Et vitam venturi"での二重フーガ,t"Et resurrexit","Et unam sanctam","Hosanna in excelsis (at the last part of "Sanctus")でのカノン的処理,等々豊富です.
オーケストレーションもまた、よく工夫されています.
もっとも印象的なのは"Crucifixus"の部分です. ミュートを付けたトランペットが葬送的な雰囲気を醸しだし, 独奏altoトロンボーンは全人類の嘆きの代表者となります.
テキストの内容に即したテンポの変化のさせ方にも、よく耳を傾けてみましょう.

これらの演奏以前に, ヴォルフガングは別の宗教曲を2作仕上げています.
まずはK.47.作曲された経緯は不明です.
"Veni Sancte Spiritus" k.47は2部からなっています. 前半部はAllegro(3/4,95 bars),後半部は Presto("Alleluja"[2/4,103 bars])です. このハ長調の作品は、モーツァルトの音楽が好きな方の間では比較的よく知られた作品です。

ヴォルフガングのもうひとつのの宗教曲は"Missa Brebis"K.49です. こちらは K.117 などの4 日前に演奏されました.
K.139よりはずっと小規模ですが, 創作に当たっての精神的態度はK.139に全く劣りません.視点を変えると,K.49のほうが K.139よりすぐれた作品ではないかとさえ思えてきます. 音楽を圧縮しなければ成らなかった分, 必然的に質が高まった,とも言えるのではなかろうか,と.
例えば, "Kyrie"はひそやかに始まります(Adagio-Andante). "Forte"の指示は「強く」というよりは, 「心を込めて」と捉えるべきかも知れず,私の聴いたケーゲル指揮の録音では現実にそう解釈しています.
K.139同様, テキスト内容に応じたテンポ変化もなされていますが, 言葉の不要な繰り返しは慎重に避けられています.
なお、初演時には"Et in Spilitum Sanctum"のバス独唱を少女が歌ったそうです。彼女は美しい声の持ち主でしたが、その声というのが、大変に低かったのだということです。

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モーツァルト一家ウィーンへ(4)

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Symphonies  K.76,K.43,K.45,K.Anh.214,K.48

これらの交響曲はウィーンの人々の趣味に合わせて4 楽章構成となりました。

U.Konlad博士の "Mozalt-Werkverzeichnis", によれば各曲の制作時期は次のとおり:

K.76(42a) F dur : 1767年 秋 (ウィーン?)
K.43 F Dur : 1767年10月〜12月 (オルミュッツ と ウィーン)
K.45 D Dur : 1768年1月16日(ウィーン)
K.Anh.214(45b) B Dur : 1768年のあいだ(ウィーン?)
K.48 D Dur : 1768年12月13日(ウィーン)

ウィーンの人々がなぜ4楽章形式の交響曲を好んだのかは分かりません. ドイツの伝統的な組曲がイタリア風シンフォニアと合体した結果4楽章になったのをドイツ人が誇りにしていたからだ、という推測もあります. ドイツ、と広く構えてしまうには、4楽章制交響曲の初期作曲家はMonn, Wagenseil, Vanhall,といった人々で,大半がオーストリア圏の人物です.
一方で, モーツァルトもオーストリア人ですが,彼は何故 1767年の終りまで4楽章制交響曲を作らなかったのでしょう? その答えはおそらく, 彼はザルツブルク生まれだったからでしょうか.ザルツブルクはローマと密接に関わっていましたし,イタリア文化にも深く感化されていたと思われますから.

当時のコンサートで交響曲がどのように演奏されたのかも,しっかりとは分かっていません.一般論では,まずコンサートのオープニングに交響曲の第3楽章までが演奏され, 演奏会の最後になってのこったフィナーレだけが演奏された、というのです. けれども海老澤敏教授は著書 "Klaengre der Transzendenz "の中で「交響曲がコンサートの始めに全曲演奏され、コンサートの終りで再び同じ交響曲のフィナーレが演奏された、という可能性も否定しきれない」と、ある学生さんからの質問を引き合いにして述べています。

ともあれ、ヴォルフガングはこれらの交響曲で管楽器の取り扱いに進歩を見せています.

K.76第1楽章の17-18小節ではオーボエが自立して動きます. 57-58小節になるとホルンも仲間に加わります. 次の楽章ではファゴットだけが"オレたちもだ!" と自己主張します(18-19,30,47-48小節).此交響曲のメヌエットがフォークダンス用の曲のように響くのも面白い特徴です.(海老澤氏著「超越の響き」の作品表には非掲載となっており、西川氏著「モーツァルト(音楽之友社)の作品表では<疑作>となっていますが、2005年のコンラートのリストではとくにそうした扱いはされていません。)

K.43第2楽章は"Appllo et Hyacinthus"K.38でMeliaとその父Oebalosが歌う二重唱を編曲したものです . フルート2本を加えることで、ふうわりとした雰囲気作りを見事に成功させています.

K.45 は第3楽章のメヌエットをのぞき, "La finta semplice"K.51の序曲に転用されますが,交響曲オリジナルでは使っていたトランペットとティンパニを2ほんのフルートに取り換えてしまっています。・・・でも、大勢に影響なし、というのがトランペットとティンパニにとっては切ないかも知れません。

K.Anh.214 (トランペットを使っていない)は、落ち着いて聴けるかわり、際立った特徴のほとんどない作品ですが, 二本のオーボエがあたかもトランペットのように輝かしく響くのが効果的です。この曲を演奏する方は充分ご留意下さい。
(7月15日追記)大事なこと?が抜けていました。
この交響曲の第1楽章には、K.16に引き続き、ジュピター終楽章の例の「ドレファミ」のテーマがチェロ・バスに出てきます。これがヴァイオリンの奏でる第2主題の対旋律としておおらかに歌われるところに、ヴォルフガングのセンスアップ振りを強く感じます。

K.48はこれら5作品の中でもっとも輝かしい交響曲です.楽想は大人が練ったものに匹敵するか,それ以上かも知れません.

K.76(42a) : 2Ob,2Fg,2Hr,Strings
1. Allegro maestoso
2. Andante
3. Menuetto and Trio
4. Allegro

K.43 : 2Ob/Fl,2Fg,2Hr,Strings
1. Allegro
2. Andante
3. Menuetto and Trio
4. Allegro


K.45 : 2Ob,2Hr,2Trp,Pk,Strings
1. Molto allegro
2. Andante
3. Menuetto and Trio
4. Molto allegro

K.Anh.214(45b) : 2Ob,2Fg,2Hr,Strings
1. Allegro
2. Andante
3. Menuetto and Trio
4. Allegro

K.48 : 2Ob,2Hr,2Trp,Pk,Strings
1. Allegro
2. Andante
3. Menuetto and Trio
4. Molto allegro

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ウィーン 1767-68 での他の作品については簡単にコメントします。

K.44 : 偽作(Antiphon"Cibavit eos" by Stadelmayr)
K46d & 46e : Sonatas for violin and Violoncello (Sptember 1768,ウィーン)
K.47b : "Grosses Ofertorium",失われたか K.117と同一作品
K.52 : 偽作("Daphne, deine Rosenwangen", a song arranged from K.50 by L.Mozart)

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2006年7月10日 (月)

モーツァルト伝いくつか

最近は家で「お父さんはモーツァルトばっかり!」と笑いものの私。が、新刊ではいい本に巡り会えません。「癒し」と「CD選」ばっかりか、と思っていたら、先日モーツァルト「スパイ」説を唱える本が出て仰天!中身は・・・芭蕉忍者説よりずっと「こじつけ」だなあ。
伝記は音楽之友社の「作曲家・人と作品:モーツァルト」以外にまともな新刊が無い。復刊された高橋・冨永訳「スタンダール著:モーツァルト」(東京創元社)は歴史的に面白いですが、日本人の優れた著作「モーツァルトの生涯(海老澤敏著、白水社)が絶版のままなのは遺憾です。3分冊の新書版もアマゾンでやっと古本で見付けました。苦労します。「日本の古本屋」サイトでは1冊本が見つかります。1984年の本ですが、鮮度は抜群。ただし相場は5千円以上。聴くだけでなく、知る"Mozart Year"にするためにも、お読みになってみて頂ければ幸いです。



モーツァルト[新装版]


モーツァルト[新装版]


著者:スタンダール

販売元:東京創元社

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モーツァルト


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モーツァルト


著者:西川 尚生

販売元:音楽之友社

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2006年7月 7日 (金)

オペラは難しい!(付:リハビリ進行状況)

演奏会反省こちらをクリック下さい。
その関連記事へのリンクは、「反省」冒頭に貼ってあります。

モーツァルトの「ラ・フィンタ・センプリーチェ」K51を読み解きたくて、ドイツ語訳付のヴォーカルスコアと数日対峙したのですが、薬で寝ちゃうし、起きて読んでも筋がしっかりつかめないし、H氏著「モーツァルト オペラのすべて」は見掛け倒しで役に立たないし。アインシュタインもこの作品には深入りしていない。
まあ、では、と、リハビリも兼ねて、文献漁りに池袋まで電車で行ってみました。
良書に巡り合いました。海老澤敏著「超越の響き:モーツァルトの作品世界」。高価なので(7,140円)以前躊躇していたのですが・・・もっと早く読めば良かった、と後悔しきりです。
オペラを読み解くには、まず台本がわからなければダメだし、台本の成立過程も知っておくべきだし、初演当時の社会的背景も知らないといけない。でも、ロッシーニに至ってすら、それがなかなかわからない。12歳当時のモーツァルトを巡って、となると至難の業です。まして、イタリア語があんまり分かっていない私には台本と音楽がどうユーモラスにかけ合っているのか、勘以上には分からない。「ラ・フィンタ・センプリーチェ」は音楽は充分美しいのですが、今あらためて考えても、海老澤先生が仰るほどには際立ったユーモアが感じられない。これからその解明です。・・・でも、また眠っちゃうでしょう。

ここ1週間の「うつ」リハビリ状況。
目標1)午前中を眠らずに過ごし、ついでになにか事務的作業が出来ること・・・4/5実現。
目標2)薬の具合で朝早くに目覚め過ぎることによるボンヤリ感を払拭する・・・2/5達成?
目標3)午後、薬で眠ってしまう時間を減らす・・・2/5ってところか。。。
目標4)電車で外出し、寝過ごさないで行き帰りできる・・・今日初めて実行。まだ危険!行きは乗り継ぎ駅でも目的駅でも寝過ごしそうになった。前の駅ではいったん目が覚めたのだが、これが曲者。
と、こんなところ。目標2以下を来週どこまで実現率を上げられるでしょうか? 乞う、ご期待・・・などというわけではございませんが。ハイ。

海老澤氏の本は日本の「モーツァルト作品論」では最もいい本だと思っております。



超越の響き―モーツァルトの作品世界


Book

超越の響き―モーツァルトの作品世界


著者:海老沢 敏

販売元:小学館

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堀内氏の本は手軽ですが・・・主観の強い記述、参照資料の不明記と不足が、いま不満になってきています。



モーツァルトオペラのすべて


Book

モーツァルトオペラのすべて


著者:堀内 修

販売元:平凡社

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2006年7月 5日 (水)

定期演奏会反省

演奏会へのご来場御礼はこちらを、
昨日の日記(「息遣いと緊張」について)はこちらをクリック下さい。

昨日、ご好意で一足先に定期演奏会の録音を聴くことが出来ました。
(TMF-Soundsamplesへのアップは7月末までお待ち下さい。)

長文になることをご容赦下さい。

「いいところ」からいきましょうネ!
・前よりレベルが(少し?)上がった、と言って下さったお客様がいた。
・家族の話では、「金管、よかったね。とくにブルックナーのトランペットで高い音を吹いていた人、誰? 良く通っていた」
私の、録音を聴いての最初の感想・・・うん、クリスチャン・バッハの第2楽章とブルックナーの第1・第2楽章は歴史的録音になるゾ!

・・・で、5,6回、冷静に戻って聞き直した結果。キツいなあ・・・でも綴ります。

<さまよえるオランダ人>
序曲は毎回ですが、散漫になりますね。まだ「自分」ないしは「音楽」を掴んでいないうちに演奏が始まっています。今回も例外ではありません。「迫力不足だった」という感想がお客様からあったのは、「集中」が欠けていることを見抜かれているとしか言えません。音量の問題ではないことはご認識下さい。数ケ所、管1本になるところで音程が浮くのも曲の勢いを落としています。要は「集中」の焦点がズレたりボケたりしているわけです。
それでも、最初に静かになる部分の木管の連繋プレイは、山蔭女史がかつてない冷静さを保ったゆえか、久保さんがうまく引き取ったゆえか、なかなかいいと思いました。
大きな課題として、これから出す「音程」の狙い方に、パートを問わず問題があります。
弦は、普段の練習で「この音はココかな」と弓でチョンチョンと探るクセがありますね。まずこれをやめましょう。難しいと思うハイポジション・半音階的音程も、「左手だけでポジションで測って準備する。弓を使って音を確かめることは絶対にしない」習慣を付けなければいけません。普段の欠点は今回はヴァイオリンについては冒頭部に顕著に聴かれます。
管はマウスピース・リードの構造によってそれぞれの難易があるとは思いますが、「この音程を狙うときにはこの口とこの息」という認識が不足している方はいませんか?その点が心配です。「息」に頼る人はディナミークがピアノに近づくほど音の当たる確率が下がります。それなら、まず確実に「この音」に当たる息の強さで、狙った音を確実に出すイメージトレーニングから始めるべきではないでしょうか? アンブシュア依存型は逆に、ディナミークの可変域が狭いと思われます。なかなか大変ではありますが、ディナミークに変化を付けてもアンブシュアが崩れない計算が出来る見通しを立てておくべきでしょう。以前の繰り返しになりますが、ディナミークの決定は息の量あるいは速度といった限定された要因で決まるものではありません。ご一考下さい。金管・木管同士でどうバランスをとるか、という配慮にも欠けるところが多かったと感じております。

<クリスチャン・バッハ>
正直に告白しますと、普段の練習を聴きながら、「音程感のない方」を中心に(完全にそうは出来なかった点に私自身の反省があります)外れていただきました。ご自身で気づいて下さることを切に祈っております。(音程感は本来は人の数だけ存在します。しかし、アンサンブルの際には自己のではなく、全体の音程感覚に寄り合えなければいけません。私なんか、よく「おまえのは演歌の音程だ」とケチがついたもんです。。。でも、こういうことはなかなかはっきり言ってもらいにくいものです。ましてや、「演歌」の音程感さえも確立されていないとしたら・・・申し訳ありませんが、その段階の方も結構いらっしゃいます。)
音程の面では、おかげさまでいくらか整理はつきました。
問題はアンサンブルで、とくに弦。第3楽章の冒頭は、録音で確認したところ、実はファゴットがいち早く対応しておりました。おかげで自分も即座に追随できたのだな、と思い知りました。
第1・第3楽章の規範になるような演奏は他でもなかなか聴けません。名指揮者・名管弦楽団の録音でも、それがいかに「スコアに沿って考えた」演奏でも、見本にならないものはなりません。規範とすべき曲ならあります。モーツァルトの「ハフナー」交響曲や、「ルスランとリュドミラ」序曲です。前者はオトマール・スウィトナー指揮ドレスデンシュターツカペレの、後者はカルル・アンチェル指揮チェコフィルの録音に出会った衝撃を、私個人はいまだに忘れることが出来ません。後者は最近販売されておらず、前者は単体では希少盤で、セットもので安いのを見つけたので、近々にお聞かせできると思います。何十人ものオーケストラが、管・弦・打を問わず1本の糸、いえ、縄、いや、なんなんだろう・・・見事なばかりに各自の音の粒子を1点に集めることに成功している例は、昨日今日と確認しましたが、やはり過去に記憶した2つの演奏に勝るものはありませんでした。
彼らはもちろん「耳」も使っているのですが、ホールに乱反射する音に惑わされないために、もう一つ重要なことを行っています。「目」を使うのです。
・まず、同一セクション内の「中心人物」を決めてあります。(管の方、決めていましたか?この曲では大丈夫でしたが、他の2曲では曖昧でした。)
・「中心人物」の微細な動きも見逃さず、自分の動きをそれとピッタリ合せます。(弦の方、そういう観察と考慮のゆとりをお持ちですか? 極端なことを言えば、パートトップが指を動かすそのスピードとタイミング通りに、自分の指を合わせて動かす、なんてことから始めてみると良く分かります。)
・「中心人物」は、指揮を見て合せればいいのではありません。指揮からアンサンブルのキーポイントを「読み取って」、アンサンブルで合わせるべき「相手」を定めなければなりません。クリスチャン・バッハの第2楽章が有る意味で成功事例だったとするならば、それは「相手」がオーボエソロだということが明確だったからです。他の楽章が失敗しているのは、まず「中心人物」に目を働かせる機微が把握できていなかったという重要な課題があることを、この際どうぞ肝に銘じて下さい。

<ブルックナー>
個人的に悔いが残るのは、
「ああ、難しい音程、微小な動きのところは人任せにすべきではなかったなあ」
という点です。前者は今回は充分練習し尽くしませんでしたし、後者はことばにしての注意喚起が足りませんでした。そういう箇所がボロボロだったり不明瞭だったりした責めは、ひとえに私にあったのではないかと思います。
ホルン・金管陣はコケそうになるとうまくコントロールして自然に復帰している点、今回はあらためて脱帽です。録音を御聴きになる際は、どなたもそこに耳を傾けていただきたいと思います。この「精神」が重要です。
コラール的な主題の、木管同士の音程感の揃え方にも集中力が出来ていました。
これで「微細な」表現にも思いが致せるようになると・・・それが分かりやすいはずのブルックナーだったからなおさらそう思うのですが・・・より素晴らしい演奏になったのではないかと思います。

ケチばっかりつけましたが、自分にも向けてですので、ご容赦下さいネ。
まあ、しかし、大健闘でした。
さらにより良く、が楽しみです。

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2006年7月 4日 (火)

「息遣い」と緊張

演奏会ご来場御礼が次節にありますので、何とぞお目通し下さいませ。

「うつ」だから、というのではなく、昨日は手持ちのモーツァルト:レクイエムのDVD2種(ベーム/ウィーン響、ヤノヴィッツ[S]、ルートウィヒ[A]、シュライアー[T]、ベリー[B]。1971 Unitel 00440 073 4081およびデイヴィス/ドレスデン国立歌劇場管、ゼルヴィック[S]、フィンク[A]、ダヴィスリム[T]、マイルズ[B]。2004 ニホンモニター[ドリームライフ]DLVC 1165)。見ていても薬の関係で眠っては気づき、という具合ではありますが、いちおうどこかはちゃんと見ているようでして、印象は残ります。
30年以上を隔てて歌唱法が変わっているなあ、という感慨は有るものの、いずれをとっても感動させられるのは、

第1にソリスト達の適切な「息遣い」。
<この楽句を歌いきるまではブレスはしない>方針が明らかに貫かれており、かつ、それが
<どれだけ長い楽句でもブレス前に息切れしてしまわないよう充分計算>がしてあり、さらには
<計算などおクビにも出さず、朗々と謳い上げ>ます。
オペラでは注意しないと見逃すことが多いのですが、さすが宗教曲は基本の塊で、はっきり分かります。
(チャイコフスキー第4交響曲第2楽章のオーボエソロが、有名オーケストラでも大抵楽句よりは息の長さを誇る演奏ばかりなのに比べ、声楽は何と明確に楽句の大切さを私たちに教えてくれることでしょう!)

第2には、合唱団・オーケストラ・その上会場までが、敬虔な緊張感に包まれていること。
(ベーム盤は録画用プロジェクトで会場云々はありませんが、それでも前2点はデイヴィス盤と違いがありません)。

ベーム盤の編集(全曲の緊張が終わらないうちに次曲が始まる)、デイヴィス盤が数日にわたっての繋ぎのライヴだという点、不満はありますが、それでも上記2点を視覚的に確認できる点では貴重です。
クーベリック盤の『破綻頂』じゃない、『ハ短調大ミサ』の録画も参考になります。

録画で常々伺いにくいのは、「アンサンブルは何をポイントに揃えているか」なのですが、今回のTMFの中では(すみませんが)とくにセカンドヴァイオリンにこのあたりの勉強をして欲しいなあ、という思いを新たにしました。何かいい材料を探してみます。

・・・それよりなにより、早くまともに社会復帰したいナ。まだとくに、午前中にはボヤっとしたかんじで、夜は夜で急に短気になって、女房に「まあまあ」とやられるまで子供と喧嘩。なんでこうなっちゃうのかなあ。

・・・埼玉南部、また夕立が来そうです。昨日は20分程でウチの前のテニスコートが、多分50センチほど水没しました。雨が止んで下校する男子中学生は、道にあふれる水を蹴上げたりかけあったりして大はしゃぎでした。やつらみんな、家で母ちゃんに怒られたろうな。。。それくらいの家庭がいいんだけどな。
とにかく、お出かけの方はお気を付けて。

モーツァルト:ハ短調ミサ/テ・デウム

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2006年7月 2日 (日)

演奏会ご来場御礼

昨7月1日は、あいにくの天候にも関わらず、ご多忙の中東京ムジークフローの第43回定期演奏会にお越しいただき、本当に有り難うございました。
僭越ながら、団員一同に成り代わりまして、取り急ぎ御礼申し上げます。
私どもは団の名称の由来の通り、「音楽の喜び」を求めて集まっている仲間たちです。収入の道は各人各様。年数を重ねても全く上達しない私を含め、名人級から初心者まで、楽器の腕は問わず、「オーケストラ音楽に喜びを見いだしたい」心だけを大事に、活動を続けております。
そのような成り立ちから、アンサンブルの出来はまだまだお客様のご満足を頂けるにはほど遠いところにあるかと存じます。草創期からご指導の菊地先生にはその点日々厳しくお話しいただいておりますが、それを前向きに吸収していっているかどうかは、ひとえに我々一人一人の理解度と実現力にかかっております。
そのあたり、お聴きになって
「これはもう少し」
という点等ございましたら、ご遠慮なくご指摘・ご叱咤下さいませ。
昨日の例で言えば「<さまよえるオランダ人>はもっと髪の毛が逆立つように!」とか、「クリスチャン・バッハは揃えるのが大変なの?」とか・・・ブルックナーは前回挑戦時(第4番)には最後は壊滅状態に陥りましたから、とくに管楽器陣の冷静沈着だった曲への対応へはお褒めを頂ければ・・・などと手前勝手を申してはいけませんね!
お聴き下さる皆様ともなお一層「音楽の喜び」を共有して参れますよう、今後ともご支援ご鞭撻のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。

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