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2006年7月19日 (水)

流行歌マニアの嚆矢:後白河法皇(2)

歴史を身近に感じるには入門書だけではたりないし、だからといって専門書を読んでも傍らに原典が無ければチンプンカンプンになるばかりだ、というのが、素人である私の実感です。そこまで調べても、こんどは歴史の当事者たる人々の(顔はともかく)考え方や表情が辛うじてちょっぴりみえる思いがする、くらいで関の山です。最も悔しいのは、仕草や出す声、音については全く見当がつかず、現在体験できる少ない経験からなんとか類推するしかないということです。
「和歌」にしても「今様」にしても、音楽として、いったいどのような節付けで謡われたものか、皆目見当がつきません。
幸いにして、復元されたものではあるといえ、これらに先行する「神楽歌」や「催馬楽」の謡われ方はCDで聴くことができるようになりました。とくに「神楽歌」は正式の儀式で用いられるものは今でも非公開であることが多いそうなので、CDというのは大変ありがたい存在です。
ただ、「神楽歌」にせよ「催馬楽」にせよ、「和歌」や「今様」の節との関係が分かっているわけではありません。結局は音楽面での今様・和歌に関しては「やっぱり分からない」としか言えないことになります。
「和歌」には膨大な「歌論集」が残されているものの、あくまで文学的な観点からの論ばかりですし、「今様」については後白河法皇の残した「口伝」には唱法についてホンの少ししかヒントが記されていません。

今様について、後白河筆の「梁塵秘抄口伝集」から判明するひとつは、発声についてです。
「声を破(わ)ること、三箇度なり。二度は法のごとくうたひかはして、声の出づるまでうたひ出だしたりき。あまり責めしかば、喉腫れて、湯水かよひしも術(ずち)なかりしかど、構へて(工夫シテ)うたひ出だしにき。」(小学館日本古典文学全集42、344頁)
すなわち、発声法は極度に張りつめた喉声で、上文は浪曲の修業話とかなり似ています。
また、歌い手は遊女や傀儡だった、ということですが、次のような例があり、
「としごろ伴僧(仏教音楽の導師に付けて歌う僧・・・ただし、ここでは後白河の共として歌う意味に解釈されている)にてありしかば、声(=声量)なけれど、責め歌(高イ音程デ歌ウ部分)などは悪しくも聞こえず。」(同上書361頁)
伴僧、というのが現代の注釈の解釈とは異なり、本当の仏教関係者だったとすれば、仏教音楽である声明だとか、あるいは一般の読経の節回しが今様にも入りこんでいたと考えてもいいのかな、などと思ってしまいます。これはちょっと危うい推定ですが。

残念ながら、後白河法皇は、今様の歌い方についてはこれ以上の記述をせず、最後は諦め顔にこう綴ります。
「おほかた、詩を作り、和歌を詠み、手を書く輩は、書きとめつれば、末の世までも朽つることなし。こゑわざの悲しきことは、我が身隠れぬるのち、とどまることのなきなり。」(同上書380頁)
今様の譜は僅かばかり現存しているそうですが、いまだに解読できないとか。


Music

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