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2006年6月15日 (木)

定家と千載和歌集(9)

西行は「二見浦百首」勧進の翌年、定家に「宮河歌合」の判を依頼します。『千載集』成立の1年前です。
しかし、定家がやっとの思いでその判を終えたのは『千載集』成立の1年後で、足掛け2年を費やしたことになります。
『千載集』を巡って父とやりとりしたこと、また「二見浦百首」を詠みあげたことは、定家にとってまたとない試験でもあり、及第点もおさめたものでしたが、この「宮河歌合」に判を加えるという作業は、彼にとって最もきつい課題だったのではないでしょうか。

三十六番から成るこの歌合を、試みに、私は定家とどれだけ同じ判定を下せるか・・・素人なのに大胆にも、しかもハンバーガーをかじりながら、たった三十分ほどで試みてみました。
すると、実は西行が、結構最初の方から意地悪な組み合わせで歌を呈示していることが読み取れるのです。
恥を忍んでおおやけに致しますと、二番目からして、こうです。

左:くる春は峯に霞を先だてて谷のかけひをつたふなりけり
右:わきて今日逢坂山のかすめるは立ちおくれたる春や越ゆらん

素人の私は、左のストレートな視覚的イメージに魅かれました。
「もちろん、左の勝ちだよな!」
・・・ところが、定家の判は「右勝」なのです。
歌にお詳しい方には当然なのかも知れませんが、私はしばし呆然と、ハンバーガーを加えっ放しにしたままとなりました。
定家の挙げた理由は、直訳でなく、その考えをよんだ上で述べますと、
「左の歌は良い歌にみせかけてあるけれど、歌としては右のほうが作為が露骨でなく、自然だ」
というものです。なるほど!
で、こうした例が次から次へと続くわけです。
最後は定家が「加判に二年もかかってしまった」ことを謙虚に詫びることばで終わっています。
それにしても、歌を判じるということの何たる難しさ、厳しさか、と、ハンバーガーの味も忘れるほど痛感させられました。
定家の加判が終わってやっと西行のもとに届けられたとき、すでに体の弱っていた西行は、わざわざ二度、頭をもたげて「宮河歌合」に読みふけり、おおいに満足したとのことです。
(「宮河歌合」は群書類従に入っています。古書店でないと無いでしょうが、古書検索データベースもありますし、CDに収録されたものもありますから、ご利用の上ぜひご一読下さい。)

『千載集』前後の大きな試験を乗り切り、ここから歌人、藤原定家が確立されていくわけですから、ほんの断片的な記事の一環とは言え、明月記に『千載集』総覧について記した文治四年四月二十二日の条は、見落としては成らない重みを持っていると思い、ここまで述べて参った次第です。

錯誤等は是非ご指摘いただき、不足点には情報をいただき、至らない点は私の素質不足ということでご容赦戴けましたら幸いです。

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