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2006年6月 4日 (日)

ブルックナーの第3(8)

<比較から判明すること2>
データだけでは判明しないこと:
たとえば第1稿第1楽章Mでは弦楽器がアルコ、かつ1拍中に八分音符2つずつだったのに対し、第2稿・第3稿の該当箇所はピチカートで1拍が八分音符1個となっている、など、書法にもさまざまな変更が加えられています。列挙するいとまがありませんので、そうした具体的な変更についてはスコアを参照していただくしかありません。また、この箇所は、第1稿と第2稿第3稿では雰囲気も異なっています。第1稿では意思の表示が素直に成されているのに対し、第2稿・第3稿では幾分「抜き足差し足」的な、起伏のあるニュアンス付けを行っているのです。

「各稿各部の長さの比」からではなく、小節数の違いからコメントしておかなければならない、重要なポイントもあります。
「全休符」の件です。

【表1】第1楽章の、第2稿と第3稿の最終セクションの小節数が1しか違わないのにお気づきでしょうか? 第2稿では最後に「全休符」だけの1小節を加えています。第3稿より1小節多いのは、そのためです。第2楽章でも、第2稿の最後の小節は全パート「全休符」です。
ちなみに、第1稿では第1・第2楽章の最終小節は全休符になっていませんが、第4楽章の最終小節は全休符です(第2稿も同様です)。すべての稿で楽章(セクション)の最終小節が全休符となっているのは第3楽章のスケルツォ、同じくトリオだけです。
もう1つだけ、特徴的な休符の例を上げますと、第1稿の第1楽章Aの、フォルテシモの下降音型のあとは二部休符、次の小節の最初も二部休符で、続きは二分音符で導入されます。これは第2稿以降になると四分休符二つで、最初の四分休符にフェルマータがついている、という記譜になります。(御手元のスコアが第3稿でしたら、第1楽章記号Aのところをご覧下さい。)何故こうした変更が施されたのかは分かりません。
以上のような休符のあり方から見ると、ブルックナーはどうやら「全休符」や「長い休符」の間に保たれている残響、さらには残響も消えてしまった後の厳しい沈黙を、かなり重視していたのではないか、と・・・あ、また主観的解釈ですが。。。
他にも各部の構造の違いに着目すべき点が数多くありますが、拾い出しているときりがないし、時間のゆとりもありませんので、掲載は断念します。

ご好意で録画を拝見した、ブロムシュテット/N響による第1稿の演奏は、私はなかなかの名演だったと感じました。この映像、終楽章が終わったところで、最初、聴衆は拍手していいのかどうか分からなかったようです。パラパラ、と、2,3の拍手は聞こえましたが、まわりは手を叩きません。ブロムシュテットさんが客席の方を向いて、
「これでおわりヨ。」
という感じで手を軽く揚げて微笑んで、ようやく歓呼の声が上がりました。
・・・いっそのこと、最初に拍手しちゃった連中も、ブロムシュテットさんがこっちを向くまで待っていたらよかったのに、というのが、私の正直な感想でした。

ヨッフム最後の来日の時も、録画でしか見られなかったのですが、ブルックナーの第7だったかなあ・・・曲が終わった途端、残響も消えないうちに、もうやんやの拍手。それを背中で聞いていたヨッフムが、オーケストラの連中に向かってペロッと舌を出して見せた表情が、私はいまだに忘れられません。・・・響きを聴く、という態度は、日本人には備わっていないのでしょうか?
ちょいっとばかし悲しいナ。。。

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