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2006年6月15日 (木)

定家と千載和歌集(5)

次に、撰入歌からみた、定家の『千載集』の中での位置についてです。

『千載集』は1,288首を収録しています。判明しない「読み人知らず」を除いて399名の作者(数え間違いをしていなければ!)の歌が採られていますから、単純計算ですと作者一人平均3首程度、となるのですが、そうは単純にいきません。
5首以上採用された作者だけで、まず56名、歌の数にして638首あります。14%の作者の歌だけで全歌集の50%を占めているのです。残り343名(86%)の平均採用歌数は1.9首/人。

5首以上の作者についてさらに詳細にデータを取ってみますと、
・5首以上10首未満が36名(9%)で261首(20%)。
・10首以上20首未満12名(3%)で157首(12%)。
・20首以上採用されたのは8名(2%)で220首(17%)。

先に、20首以上採用された作者の面々をリストアップしてみましょう。
同時に、俊成との関係を概観しておきます。
源 俊頼(52首):俊成が最も重視した歌論の展開者(「俊頼随脳」)
藤原俊成(36首):本人!
藤原基俊(26首):俊成の師。
崇徳院 (23首):若い俊成を取り立て、「久安百首」の部立てを任せた
俊恵法師(22首):師、基俊の子息(鴨長明の師)
和泉式部(21首):後年の『古来風体抄』にも13首引いており、とくに失恋、娘の死などを巡って無常観を暗喩的に歌った見事な作が多く、「天台止観」を歌論の前面に据えた俊成は彼女を尊重していたか?
藤原清輔(20首):ライバル六条家の主
道因法師(20首):ライバル六条家側の主要歌人

この中に俊成を代表とする「御子左派」側の人物が全くいないことには驚きます。ライバルである六条家側の歌人は二人も入っているのですから・・・これも例によって俊成の謙虚さと見るべきか戦略と見るべきか、微妙なところです。
俊頼の52首という例外的な多さも目につきますが、これをもって俊成は自分の和歌観を正面に打ち出そうと意図したのではないかと推定しておきます。
さらに目につくのは、崇徳院御製が23首取り入れられていることです。
セミナーでは、他の作者の分布、採用された歌の内容、前年に後白河法皇が行なっている大規模な「戦争での敗者に対する供養」などから、<『千載集』は鎮魂の歌集>説が唱えられています。また、崇徳院の怨念については当時その恐ろしさが世間に強く意識されており、後白河法皇の供養の第一の目的がその鎮魂にあったことは間違いないのでしょう。
ですが俊成は、そうでなくても崇徳院の歌への造詣の深さに終生心服していたようですし、また若いときに受けた恩義をも忘れずにいたでしょう。
世論につけ込んで、おのれの大恩人の歌を多量に取り込み、「供養」というよりは「称揚」しようと意図したのかもしれません。

この歌人たちと、10首〜19首採られた歌人で、作者数の5%、歌数で30%です。

さて、定家は、というと、5首〜9首採られた9%の作者のなかに入っています。撰入歌は8首です。

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