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2006年6月21日 (水)

「見直す」ということ(3)

最近、おそらくはじめて、「近衛秀麿」の伝記が講談社から出ました(1,900円)。
ご興味のある方はお読み頂ければと思いますが、この中には彼が様々な曲を有名な「近衛版」で演奏した(近衛さん若かりし日はヨーロッパでは指揮者がスコアを改変するのは常識でしたが、メンゲルベルクのケースほどクローズアップされるケースは多くありません。実際には生前「楽譜に厳格」と評判だったトスカニーニでさえ改変を行っていたことは、現在ではだいぶ広く知られるようになりました)エピソードも、勿論出てきます。また、思いの外欧米での評価が高かった事実も述べられています。
その他、山田耕筰との確執、斎藤秀雄式を絶対に認めなかったことなども、近衛氏の生前を知る人には当たり前のエピソードでしたが、活字で述べられたのは初めてではないかと思います。
この伝記を手にして(・・・まだ買っていません・・・置き場の問題で!)、私には感慨深いものがありました。
「こういう本が出るということは、日本も「近衛流」だの「斎藤流」だのという「流儀的」な発想が薄れてきた証拠なのかも知れないなあ・・・」
二十年前頃は、それこそ近衛式と斎藤式とどっちが優れているか、なんていう話題で、アマチュアである私たちまでが喧々諤々と言い争ったものです。私の身近には斎藤秀雄さんにお世話になった系統の人は全くいませんでしたから、無条件に「近衛流」で育てられたといっていいかも知れません。
ですが、もともと近衛さんとも斉藤さんとも別口だった朝比奈隆氏もいらしたわけですし、山田一雄さんなんか(学生オケに来て下さって、お茶をごちそうになりましたけれど)至ってマイペースでしたし、「流儀」だなんて話自体、実は「音楽」にとって根本的な話には全く関わりがなかったのではないか、というのが、いまの私の思いです。ここをくどくど言い始めると始末が付かなくなるので、ここはこれだけにします。
先日は岩城宏之氏が亡くなり(岩城さんに接したことのある方が、彼を「兄貴」と呼んで親しんでいたのを、忘れられません)、小澤征爾氏も七十代です。日本の「若手」指揮者達には有望株が混在し、誰が突出している、というふうにも未だなっていません。・・・指揮者中心の時代も終焉を迎えるのかも知れない。演奏の世界でも、1980年代から急速に脚光を浴び始めた「古楽」方式が瞬く間に敷延してき、内容も改善されてきたように思いますし、日本にも素晴らしい奏者達が大勢いますけれど、これはこれで今後どうなるのか見当もつかない。なにせ、「いわゆる古楽」の嚆矢であるアーノンクール氏自身が、「古楽、などというものは無い」みたいなことを言っていますから。



近衛秀麿―日本のオーケストラをつくった男


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著者:大野 芳

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