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2006年6月25日 (日)

評価するとは(CD等・他演・自演・作品)2

最初に、市販の録音録画の類いについて考えてみましょうか。
職業の内容・拘束時間帯、料金の程度などの理由で、私たちはしんばしば、行きたい音楽会に行くことが出来ません。
そんな我々の間でも様々な曲に対する知識を莫大に所有出来るようになった大きな理由は、30センチ盤LPの普及に始まった「録音」の廉価化、その入手の容易化でした。それがなおCDという、大きさはより小さく、収録時間はより長く、途中で盤を裏返したり交換したりする必要性が少ない媒体の開発で加速され、さらにはあまり普及しなかったLDとは違い、CD並みの大きさでオペラ1篇をすっかり映像収録出来るDVDまでが誕生、現在では家庭にいながらにして名歌手の繰り広げる華麗な舞台を(たとえブラウン管やディスプレイの枠内でではあっても)存分に堪能することが出来るのです。
それに伴って、世間には「CD名盤XX選」とか「ダメCDを斬る!」とかいう類いの本もゾロゾロと現れ、店頭で試聴できない私たちは、そうした書籍を頼りに自分が「気に入る」かも知れないCD・DVDの目処を立てることになります。自然、書籍の著者でも見識がありそうな、マスコミ上で箔のついた人物ほどもてはやされるようになり、彼はそのうちいっぱしの音楽家になる(あるいはなったと思い込む)訳です。・・・読者も著者もそれでご納得、とは、まあ、素晴らしくお目出度いことですネ。
CDもDVDも商品である限り、「箔のついた評論家」に高い得点を付けてもらう必要がありますから、評価本の類いが数多く出版され、数多くの読者を獲得し、その結果目的のCDの売り上げが飛躍的に上昇することは、メーカーにとって歓迎すべきことです。ですから、メーカーは評価本の存在を否定する訳には行きません。読者もまた、こんな曲が聴きたいんだけれど、と手近なCDを探したいとき、人に尋ねて調べるよりは本をめくってメーカーや品番まで分かってしまった方が手っ取り早く、こちらも評価本の恩恵を被らないわけには行きません。
評価本のそうした「本来の」役割を見失わない限りは、別にそれらに対して非難すべき点は何もありません。
しかし、一方で、「評価本」に頼ることは「評価本の著者」の価値観に頼ることでもあり、へたをすれば「その評論家の信者にならなければならない」ということで、信者にまでなるようでは音楽も古代ギリシャのバッコス信仰みたいな宗教の世界に戻るしか無くなり、その結果「神に捧げる生贄」を血眼で探しまわる必要から逃れられなくもなります。
これは、先の項のプラハのメイドさんが持っていた「音楽」に対する純真さとずいぶん異なってはいないでしょうか?
さらには、「録音」というものが各々持っている意味合いも「評価本」の中では往々にして省みられていないことも、私には非常に気がかりです。
録画、録音とも、少なくともそれがなされた目的には幾つかの種類があり、評価をしたいのであれば、まずはその種類を見極めることから始めなければならない筈です。
思いつく限り、目的別を分類してみますと、少なくとも
・純粋に歴史的な記録として(いわゆる通常のライヴ)
・記念行事等の記録として(式典ライヴ)
・演奏、演技のサンプル(資料)として
・商品企画として〜修正部分は切り貼り
くらいはあると思います。
評論では、これらはだいたい最初に軽く触れられているくらいで、最初の2つは通常過大評価気味な誇大宣伝付きで評価され、資料的なもの(間違って「歴史を再現した録音」などと言われていることもあります)は専門用語の解説付きで、結局あんまり意味の分からない評価がつき、「商品企画」には「切り貼り」がなされている、などという事実は全く言及もされず、あたかも通しで演奏したものとして取り扱われ、実際は作業に数日かかっている点は述べられていません。
もちろん、「商品企画」として作られたものは「商品としての出来/不出来」は問われてしかるべきですが、それは手法としては映画評論と同じであるべきです(やってるのは「レコ芸」誌だけじゃないかな)。CD等への評論は、この点に対する方法論が全く確立されていないとは言えないでしょうか?

そもそも、私たちがCD・DVDを手にするのは、
・ライヴに接することが出来ないから
・一度聴いた曲が忘れられないから
・(もし演奏者なら)演奏の資料にしたいから
・(もし研究者で、手元で演奏再現が難しいなら)資料に使いたいから
等々、様々なニーズからです。
そのニーズ毎に、ニーズを絞って、「主観的な聴き手として」ではなく、評論家と名乗るからには「客観的な評価者として」評論を提供する姿勢を持つべきではないでしょうか? そういう評論家の方は音楽を分野とする方に、現在本当にいらっしゃるでしょうか? ミシュランよろしく、かつ客観的項目未整理のまま「星3つ」とかいう評価本には、そろそろお目にかかりたくないと考えておりますが、いかがでしょうか?

と、綴ってきましたが、この話が、実は、聴き手・奏者としての自分たちに返ってくるのです。
ギリシャ悲劇のオイディプスならずとも、
「それを聞くのが、やはり何よりも恐ろしい。だがそれでもどうしても聞かぬわけにはいかない」
のであります。

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