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2006年5月11日 (木)

「イタリア風」シンフォニア 5

伝記的な事実を簡単に確認しますと、ハイドンの1759年から1765年は彼がエステルハージ家に仕えるようになり、副楽長の地位にいた時期に相当します。楽長に昇進してから、と思われる最後の2作が、それぞれ「アレルヤ」と「ラメンタツィオーネ」という、聖歌の旋律を用いた作品である点には興味を惹かれます。この2作は、教会の儀式に先立って演奏されるべき曲として書かれたのではないでしょうか? そのために、既に楽長になり、4楽章構成のシンフォニアをつくるのが当たり前になっていたハイドンへ特別な作品を作るよう要請(もしくは下命)があったのではないか、と想像したくなります。
一方、モーツァルトのほうは、1770年まではロンドン・ハーグ・ローマ・ミラノ等に旅行している最中の作品に、3楽章のシンフォニアが集中しているように見受けます。1773年、80年の作品はザルツブルクで書かれていますが、80年の34番は、すでに後期交響曲の風格を備えていて、それ以前の3楽章作品とは重厚感が違います。それでも構成はあくまでイタリア風序曲です。
注目すべきは「プラハ」で、これは有名なAdagioの序奏を持ちます。4楽章形式であれば、「リンツ」が既にアダージョの序奏を持っていますが、「プラハ」の序奏は、3楽章の「交響曲」も、もはやイタリア風シンフォニアの定型を脱したことを高らかに宣言していると見なしてよいのではないかと思います。
「プラハ」型イタリア風シンフォニアとみてよい作品群に、カール・シュターミッツ(マンハイム楽派の中心人物だったヨハン・シュターミッツの息子)のシンフォニア群があります。この人のシンフォニアの全体像は分かりませんが、第1楽章に遅い序奏を持ち、その主部が「急」、第2楽章が「緩」、第3楽章が「急」である作品が、間違いなくいくつか存在しています。それらは1770年代の後半から80年代にかけて作られていますから、モーツァルトも耳にしていたかも知れません。
羅列に終わりましたが、1770年代から1780年代ごろまで「イタリア風シンフォニア」は過渡期の交響曲の重要なゆりかごだったことが、とりあえずはここに揚げた限りの有名作曲家達の事例からだけでも充分伺えるのではないかと思います。
これに関連してまだまだ好奇心をそそるようなトピックもいくつかあります。中でも、ハイドンが結構早い時期に「イタリア風シンフォニア」を卒業(?)しているのは何故なのか、は、ちょっと探ってみたいところです。とはいえ今のところそのための地図を持ち合わせませんので、他日を期すことにしましょう。

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