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2006年5月17日 (水)

メヌエット問題!:7 バッハ兄弟の改革

この節で、一応話は打ち切ります。
別に大バッハの子供たちだけがシンフォニアへのメヌエットに貢献したわけではないでしょうけれど、長男フリーデマン、次男エマヌエル、末子クリスチャンの作例は、メヌエットがこの先交響曲へと取り込まれていく過程に関連して興味深いものとなっています。
まず、長男フリーデマンのケース。
ヘ長調のシンフォニア「不協和音」(1755-58?)は、4楽章形式ながら、終楽章にメヌエットを置いています。このメヌエットは「メヌエット1」と「メヌエット2」から成っており、まだバロックの伝統に則ってはいますが、作曲年代を考慮すると、試み自体は非常に斬新だといえます。
また、父の作品だと信じられてきた「序曲(管弦楽組曲)」はフリーデマンの作であるとほぼ確定していますが、これは5楽章中の第4番目にメヌエットを置いています。
次に、エマヌエルの例。
ベルリンシンフォニーといわれているものだけに注目しますと(他はCDやパート譜をどこかにしまい込み過ぎて出てきませんでした。。。)、すべて3楽章構成の作品群ですが、Wq175として整理されているシンフォニー(シンフォニア、とはなっていません)では、終楽章にメヌエットを置いています。これも1755年出版です。
クリスチャンは、今回TMFで2番目のシンフォニーを演奏する作品18では、6作品(全て3楽章構成)中の第5番で、終楽章にメヌエットを置いています。作品9(3作品)の第2番でも同様です。以上は作曲時期は兄達よりは遅いのですけれど、この人はまた数多くのサンフォニー・コンセルタンテ(協奏交響曲)を残しています。楽譜は国内ではめっかんないし、買っても高いし、CDも手にしきれないので、4作だけを聴きましたが、面白いのは、うち3曲が終楽章をメヌエットとしている点です。
バッハ兄弟達の作例でのメヌエットの位置を、【5】であげたバロックの作例でのメヌエットの位置と比べてみて下さい。マッテソン、コンティとは明確に違いますし、テレマンや父バッハに比べると、子供たちのほうは積極的に、メヌエットを終曲に持って来ていることが分かります。この終曲は、シンフォニーがコンサートの冒頭で演奏される場合にはコンサートにふさわしい会場の雰囲気作りへの導入として、コンサートの最後に演奏される場合にはそれこそ先に言ったように「パチンコ屋の蛍の光」同様、お客様に楽しく帰って頂くムード作りに、それぞれ効果を上げたのではないでしょうか? パチンコ屋と違うのは、メヌエットはあくまで「宮廷音楽」なので、おそらくは聴き手にハイソな満足感を与えたんだろうな、というあたりでしょうか。
ここまでで、メヌエットは、シンフォニア〜交響曲に取り込まれる過程で、決して流行からではなく、もっぱら雰囲気の調整の役割を担うものとして、踊りとは切り離されてきた経緯が見えてきているのではなかろうかと思います。(エマヌエル・バッハは、クラヴィア作品は除き、比較的大きな室内楽向けには12曲程しかメヌエットを残していないことも、付記しておきます。)

以上、気負って始めたくせに、推論・仮説の域を脱することが出来ませんでした。
ココまで調べたことをふまえて、今後検証すべき仮説をまとめておくと、
1)交響曲のメヌエットは最初から踊られなかった!
2)交響曲にメヌエットが取り入れられたのは、
聴衆の高級指向という需要に応える目的からだった!
3)メヌエットがフィナーレまたはその直前に置かれたのは、
いったんムードを落ち着かせるためだった???

というところで。
お粗末さまでした。

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