2016年9月19日 (月)

神様の贈り物

家内は、とても寂しがりな僕にとっては、神様の贈り物でした。

東京の外れに勤務になると同時に、アマチュアでオーケストラなる楽隊に入って、ヴァイオリンを弾き始めたのですが、家内は僕より先にそこの団員になっていて、ヴィオラを弾いていました。

僕は何せどうしようもない寂しがりなので、団内に気になる独身女性がいるとすぐ惚れてしまうような調子だったのですが、そのうち女房になるだろう彼女のことは、これっぽっちも気にかけたことがありませんでした。
東に小柄で瞳の綺麗な女性がいれば、きいて
「もう好きな人がいる」
と知って諦めました。
西から「研修で来てる」という若い時の栗原小巻似の美人さんがいれば、その帰郷を追いかけていくも(合意の上でしたので、念のため)周りに
「この土地に骨を埋めるんでなければ嫁にはさせん」
と責め立てられて逃げ、するようなありさまでした。
けれど、彼女はまったく目に入っていないも同然だったのでした。

楽隊では春と秋に合宿をやります。
彼女は車で合宿に来ていました。
近いというほど近いわけではなかったのですが、春の合宿の帰りに、
「よかったら、お住まいの近くまで送ってあげますよ」
と声をかけて乗せてくれたのが、彼女が目に入ったきっかけといえばきっかけでした。
ですけれど、他のおじさんも同乗していたし、僕は別の女の人に入れあげていたし、これで彼女が気になった、というのではありませんでした。

秋の合宿で、初めて二人で帰りました。
ありがたいとは思っていたものの、僕は異様にトイレが近いので、そんなのを知られたらみっともないなあ、と、複雑な気持ちでもありました。
案の定、乗って30分もしないうちに、我慢が出来なくなりました。困っていると
「あ」
と、彼女はすぐ先のパチンコ屋さんの駐車場に入って、
「ここで、大丈夫ですよ」
と言ってくれたのでした。
助かりました。
お礼に、と思って、途中で飯をおごることにしました。
蕎麦屋さんでした。
太っている僕は、遠慮して、ふつうのお蕎麦を頼みました。
彼女は丼物に蕎麦付きを選んで、ぺろりと平らげました。
「よく食う女だ」
と、呆れました。

冬の、クリスマスイヴにコンサートがありました。
打ち上げのパーティーで、僕はなぜか彼女の真後ろにいました。
最後にみんなで「きよしこの夜」を歌うことになりました。
前から、ひときわ透き通る女声が聞こえてきました。
彼女の声なのでした。

それから二次会へ、これもなぜか二人並んでいきました。
入った二階の狭い居酒屋さんで、先に来ていた現地の人に、
「あら、お二人、ご夫婦ですか?」
ときかれました。
「ちがうわよぉ。そうなっちゃえばいいのにねぇ」
と、身内の団員のおばさんが言いました。

僕は店を真っ先に出たのでしたが、階段を踏み外して数段分落ちて、潰れた蛙のように踊り場でぺったんこになりました。
なぜだか彼女一人が真後ろにいました。
ぺったんこな僕のところへ駆け寄ってきて、助け起こしてくれるのかと思ったら、そうではありませんでした。
僕の襟首をちょこんとつまんで、げらげら笑い出したのです。
さすがに腹が立って、おい、と手をつかんで、そのままぐんぐん歩きました。
とは言っても行き先は駅のホームで、翌日いっしょに出掛ける約束をさせたのでした。

翌日のデート先で、いきなり
「僕の子どもを産んでくれない?」
と言いました。
バカだとは思ったけれど、他の言葉が浮びませんでした。
返事は二週間保留されました。
中華屋さんで、二人で飯を食いました。彼女はあいかわらず大食いでした。

二週間後、承知の返事をもらって、そのまま二人で外に泊まりました。
それから、住まいの決まる三ヶ月後まで、夜はいつもいっしょにいました。
仕事が終わると待ち合わせるのですが、携帯電話なんて普及していない頃です、忙しかったのだろうけれどかなり遅れてくることもありました。そうすると、べそをかいて僕に謝ってくれるのでした。

ひとつ気がかりだったのは、僕の勤め先がおんぼろなプレハブだったことです。
「こんなところで働いてるんだけど」
と、連れて行っておそるおそる見せました。
「ふうん」
と言ったきりで、彼女はニコニコ笑っていました。

親たちへの挨拶も、適当なものでした。
まず僕の実家へ連れて行ったら、なにを思ったのか、おふくろが剣玉を持ち出してきました。彼女は目をキラキラさせてそれを受け取って、剣玉三昧に陥りました。
彼女の実家では、僕が
「みんなで楽しくやりましょう!」
とか、わけの分からないひとことを言ったきりで、彼女のご両親もあっけにとられていました。
結納はありませんでした。

家内にとっては高齢出産の危険もあったので、できた子どもは結局二人でした。

結婚式をやるつもりはなかったのですが、家内のお母さんも、それでは、とたいへん心配なさったし、たしかにやらないのはよろしくないかも、と、渋谷のレストランを借り切って、席もおおざっぱに決めただけで、楽隊の仲間にいろいろ弾いてもらって、どんちゃん騒ぎでやりました。
家内の親族一行は、家内のお父さんのチャーターしたバスで、お披露目の後みんなでどこか温泉旅行に行ったようです。
娘が娘なら、父も父です。
まったくもって、良い家族に恵まれました。

お披露目のとき、娘が家内のおなかの中で6ヶ月でした。

いま、その娘は二十代になって、歌の勉強をしています。
母親の歌声を聞いていたからかどうかは、よく分かりません。

独り立ちの近づいた子供らも、なかなか独り立ちとはいきませんが、だんだん相手にならなくなってきたし。

僕にとって神様の贈り物だった家内は、先に神様のところへ帰ってしまったし。

なんとか誰かと過ごす時間をとりながら、と紛らわす機会は探すものの、亡妻にはいつも寄り添ってもらっていたことが思い出されて、今は、ぽつん、と一人置いていかれている気がしてなりません。

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2016年9月16日 (金)

ジローのこと

暗くなって仕事から帰ると、僕の乗っかるエレベーターに、いっしょに乗っかる猫がいました。
エレベーター待ちをしている僕を見つけると、近づいてくるのです。
片目のない猫でした。それが、僕の下に座り込んで、見える方の目で、鳴声もたてずに、じっと僕を見上げるのです。
「なんだ、今日もか。しかたないなあ。」
ってんで、いっしょにエレベーターに乗せます。
僕たち一家は、集合住宅の、エレベーターで昇った方がいい程度の高さのところに住んでいます。
そんなウチの前まで二人、ではなく、ひとりと一匹で歩きます。
着いてドアホンを鳴らすと、ただいま、ではなくて
「おーい」
と小学四年生の息子を呼びます。
出てきた息子を見るなり、猫は、鳴こうとして口を開きます。でも、声が出ませんでした。
息子が駆け寄って、猫の頭をなでます。猫は猫で、嬉しそうに息子にすりすりしています。
それを見届けたら、僕は中へ入ってドアを閉めるのでした。可哀想だけれど中には入れてやれませんでした。

息子は変わった子で通っていて、学校で人間の友達が出来ませんでした。
それでも、困った様子はまったくありませんでした。
学童保育に通っているころも、普通に歩けば、教室から学童保育室までは、3分もかからないはずでしたが、息子はいつも30分以上かかって到着するのでした。
そのあいだ、なにをしているのかというと、通路にあるパーゴラを見上げて、届きっこない高さの葉っぱに手を伸ばして取ろうと飛び上がったり、着地に失敗した自分の足取りがさも可笑しいというふうに、その場で一人でけらけら笑いながら踊り出したりしていたのでした。
担任の先生がいつもそれを面白く眺めていたらしくて、親として面談に伺ったときに
「やつは可愛いんですよ」
と先生に目を細められて、どう受け止めていいのか、困ってしまったものでした。

人間の友達が出来ないので、近所の野良猫と仲良しになったのでしょうか。

ウチの前で猫をなで始めた息子は、そのまましばらく中に入ってきません。
「ジロー、今日も長居だね」
と、中で姉娘と家内が笑っています。
僕が晩ご飯を食べ終わっても、まだ戻りません。
表を覗いて
「さ、そろそろだな」
と声を掛けると、ようやく
「ジロー、またね」
と、息子がお別れのあいさつをします。
すると、ジローはくるっと向こうを向いて、すたすた帰っていくのでした。
ジロー、というのが、息子のつけた猫の名前でした。どう見てもメス猫だったのですが、ジローとつけてしまったのだから、しかたありません。

ジローは僕たち家族の顔はみんな覚えていたようでした。
働いていた家内も何度か、帰ってきたとき、エレベーターの前でジローの待ち伏せにあいました。
「あれまあ」
ってんで、家内もジローをいっしょにエレベーターに乗せたのでした。

そうやってジローがウチへ息子を訪ねてきたのが、どれだけの間のことだったか、残念ながら覚えていません。
とても長かったようにも思うし、ほんのわずかなあいだだったような気もします。

冬が来て、ウチでは家内が急死しました。
仕事先で倒れて救急車で運ばれて、いったん帰宅したものの、翌朝早くに息絶えていたのでした。
心臓の脇の血管が破裂してしまったので、あっという間でした。

親族や手伝いの人がたくさんウチに集まってくれていたので、もう起きることなく眠っている家内の、生前寝ていた布団をクリーニングに出すことにして、僕と子どもたちは布団をかついで出掛けたのです。
帰ってみたら、
「いないあいだに猫が来て入ろうとするから、追い払ったのよ」
と言われました。
最初、何のことだか分かりませんでした。が、
「あっ、ジローだ!」
と思い当たって、慌ててまた子供らと三人、表へ飛び出てジローを探しました。
でも、見当たりませんでした。

その日以降それっきり、僕はジローを見つけることが出来ませんでした。
ジローを見た僕の記憶が、この出来事でふっつり切れてしまっているのです。

もしかしたら、少なくとも息子はジローに会えていたのかも知れません。
でも、息子の記憶も、僕と同じところで途絶えています。

ジローはどこに行ってしまったのかなあ、と、いまでもときどき思います。

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2016年9月10日 (土)

しばらく放置していました

しばらく放置していました。

もともと鬱からのリハビリのつもりでブログを始め、すぐ家内の突然の死にあったことにも拍車をかけられ、マニアックな内容ばかりになってしまっていたのでした。

幸い鬱からも脱出して数年を経ました。
まだ義務教育過程だった子供らも、おかげさまで成人しました。

ブログも本来お役目終了ではあります。

まあ、せっかく場所があるので、これからは不定期に、気の置けない思い出話なんかを、のんきにでたらめに綴ろうかなと思います。

ときどき覗いてやって下さい。

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2015年2月28日 (土)

【やじうま古文02】『無名抄』散歩2

Chomeiden

長明さんは19歳か20歳の頃お父さんを亡くしています。庶民の感覚だと、昔の人ならそんな遅くはなかったのでは、と思うのですけれど、長明さんは下鴨神 社の高級神官さん(禰宜)の家の生まれ育ちで有力な親族もいましたから、まだ生活力もついていないうちに大切な庇護者のお父さんが死んでしまったのは、 やっぱり早すぎたのですね。
けれども長明さんはお父さんがまだ生きている間に、お父さんが主催した歌会を目の当たりにしたり、琵琶の腕を磨いたりして、和歌と音楽でそこそこやっていけるようには育ててもらえていたらしく、鎌倉時代史の第一人者である五味文彦さんは
「(長明の父の)長継は兄の早世により禰宜の職が転がり込んだことから、次の禰宜は我が子(=長明)ではなく、(早世した)兄の子季平を考えていたのかもしれない。そのため長明には和歌や管絃を学ぶ環境を整えたのだろう。」
と仰り、そうだったからこそお父さんの長継さんは
「若い長明の才を買い、色々と勉学の手配をしたのであろう。」
と推測なさっています(『鴨長明伝』p.49 山川出版社 2013年)。

きわめて若いうちにお父さんを亡くしたことで長明さんは世間から「みなしご」と言われたようで、のちに後鳥羽院の和歌所で同僚となった源家長にも 「この長明みなし子になりて」と書き残されています(『源家長日記』三七ウ)。それでも『無名抄』の文面にはこうした境遇からくる鬱屈はほとんど感じられ ません。素直な人だったのでしょう、長明さんはおそらくお父さんの親友だった歌人の勝命や、若いときからの琵琶の先生の中原有安から受けたアドヴァイスを 『無名抄』でまっすぐに書き留めています。

中でも琵琶の有安先生は歌人生活の実態にも詳しく、その助言は長明さんの生き方に大きな影響を与えたようです。

あなかしこ、あなかしこ、歌詠みな立て給ひそ。歌はよく心すべき道なり。我がごとく、あるべきほど 定まりぬる者は、いかなる振舞をすれども、それによりて、身のはふるることはなし。そこなどは、重代の家に生まれて、早くみなし子になれり。人こそ用ゐず とも、心ばかりは思ふ所ありて、身を立てんと骨張るべきなり。(中略)そこたちのやうなる人は、いと人にも知られずして、さし出づる所には『誰(たれ)そ』など問はるるやうにて、心にくく思はれたるがよきなり。(以下略)」(13)
決 して決して、歌人だと表立てにしないように。歌はよく注意しなくてはならない道だ。私たちのように、身の振り方が決まってしまった者は、どんなふるまいを しても、それで身の落ちぶれることはない。でもあなたなどは重代の家に生まれて、早く孤児になってしまった。他人こそ用いてくれなくても、心だけは思いを しっかり持って、身を立てようと頑張るべきです。(中略)あなたたちのような人は、よく人にも知られないで、出席したところでは「あなただあれ?」などと 訊かれるようでいて、もっと知りたいと思われるのが良いのだ。(角川文庫の久保田淳訳をもとにしました。)

こんな訓戒を大事にしていたからでしょう、三十代のとき勅撰の『千載和歌集』に歌一首が採用され、長明さんはほんとうにまっすぐに喜んで、有安先生にその心の態度を誉められます。
(一 首くらい採られてみて、長明くんは)別になんてことないさ、みたいに言うのかと思っていたら、本心から喜んでいるんだねえ、歌の道で必ず報いられる(神様 が守って下さる)人だよ、と、先生はすっかり感心した様子で、このときさらに長明さんに大切なことを言ってきかせます。

道を貴ぶには、まづ心をうるはしく使ふにあるなり。今の世の人は、皆しかあらず。身のほども知らず。心高く驕り、かまびすしき憤りを結びて、事に触れて誤り多かり。今、思ひ合はせられよ」(12)
道を貴ぶには、まず精神を清らかにはたらかせるのが大切だ。今の世の人は、みんなそうしていない。身の程も知らず、プライドが高く驕慢で、ぴいちくぱあちく憤懣ばっかり口にして、なににつけても誤りが多い。いまこれを考えあわせておきなさい。

先生のこの言葉をまた大切に感じ、後人のために書き留めておかなければならない、と、長明さんはきっと強く思ったのでしょうね。書き留めた末尾に
「古き人の言へること、必ずゆゑあり。」(12)
と付け加えています。

「(数字)」は、角川文庫版(久保田淳 訳注)での章段のナンバー。底本の章段分けに沿っている由

角川文庫『無名抄』
http://www.amazon.co.jp/dp/4044001111

『無名抄』の電子テキスト(やた管ブログ)
~角川文庫版の底本と同じ「梅沢本」をテキストファイルに落としてあります。
http://blog.livedoor.jp/yatanavi/archives/53157957.html

e国宝
http://www.emuseum.jp/detail/100410?d_lang=ja&s_lang=ja&word=&class=2&title=&c_e=&region=&era=&cptype=&owner=&pos=177&num=4&mode=detail&century=

ここのブログに12段の話がとりあげられています。
http://invitrocafe.blog.fc2.com/blog-entry-187.html

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2015年2月20日 (金)

【やじうま古文01】『無名抄』散歩1

Mumyosyo1

最古写本の第1ページ(鎌倉時代 14世紀)「e国宝」から

和歌のことはわかりません(洒落じゃなく)が、鴨長明が和歌の詠み方をめぐって書いたこの本が、好きです。

鴨長明と言えば、私らシロウトには何といっても『方丈記』で、かつ、平家物語の舞台となった時期の京都の大きな天災人災を生々しく描いた『方丈記』 前半部、長明さんの挫折だらけ(と見えがち)な履歴、それらをめぐってなされているいろんな解説文から、暗くて偏屈な性格の、人生の落伍者みたいなイメージ を抱きがちです。
でもこの『無名抄(むみょうしょう)』を読んでいると、長明さんは自分を静かに静かに見つめようと努めながら、外の世界にも柔らかな視線を注いでいた人なのではないか、と思えてきます。

和歌の作りかたについてとはいえ、人の批判を受けることに謙虚で、歌人デヴューの頃に先達から受けた注意(5や13)、先生に受けた指導(41、 47や50など)、歌合せで誉められた自作歌が名人定家に受けた批評(74)をみんな長明さん納得、といった風情で淡々と記しています。けれど自慢もさり げなくしていて(11、35、40など)、決して卑屈ではありません。自慢にしても、楽しく誇らしい経験を縷々と述べたしめくくりに、自分の歌が新古今集 に十首入集したことがとても嬉しかった、と言ってすぐ「あはれ無益のことどもかな(こんなのならべたてたってなんてこたないさ)」(11)と肩をすぼめて みせるあたり、うぬぼれない人だなあ、と微笑ましく感じさせてくれます。

まわりで歌を詠んでいた人たちに対する目のあたたかさも、いくつかの章段に垣間みることが出来ますが、そのなかのひとつに、こんなものがあります。

「長守語りていはく、「述懐の歌どもあまた詠み侍りし中に、ざれごと歌に、
  火おこさぬ夏の炭櫃(すびつ)の心地して人もすさめずすさまじの身や
と詠めるを、十二になる女子の、これを聞きて、『冬の炭櫃こそ火の無きは今少しすさまじけれ。など、さは詠み給はぬぞ』と申し侍りしに、難ぜられて述ぶる方なく」など語りしこそ、をかしかりしか。」
(53)

長明さんの兄弟(兄か弟かは不明)鴨長守さんが長明さんに「自分の不遇をたくさん歌に詠んだんだけどさ、ジョークで ”火をおこさない夏の炭櫃みた いな気持ちだよ どんな人も相手にしてくれない、つまんないやつなんだよおいらは” なんて詠んだらさ、十二歳の女の子がこれを聞いててさ、『寒いさなか の冬の炭櫃だったらもうちょっとしょうもない感じが出るのにさあ、なんでこんなふうに夏の炭櫃だなんて詠んだのよ』って言いやがってさ、こんな文句つけられちゃって、ボク絶句しちゃったのよ」と話して聞かせてくれたので、長明さん、可笑しくてたまらなかったんだそうです。

他にも、長明さんの先生のお父さんだった源俊頼さんの和歌を、俊頼さんが出仕していたおおやけの席で傀儡たちが神歌ということで歌ったので、俊頼さんが「おれも名人の域に達したと言うことか」と誇らしげにしていた、と、そんな噂を聞いて、他の人がうらやましくなって琵琶法師を買収して自分の歌をあちこちで 歌ってもらったり、敦頼という歌好きのおじさんがまたこれをうらやんだのはいいけれど、金品もとらせずに琵琶法師たちに「おれの歌を歌え、歌え」と無理強 いして世間の失笑をかった、などという話もあって(28)、『無名抄』は生真面目な中にも意外にほのぼの暖かかったりするのです。

「(数字)」は、角川文庫版(久保田淳 訳注)での章段のナンバー。底本の章段分けに沿っている由

角川文庫『無名抄』
http://www.amazon.co.jp/dp/4044001111

『無名抄』の電子テキスト(やた管ブログ)
〜角川文庫版の底本と同じ「梅沢本」をテキストファイルに落としてあります。
http://blog.livedoor.jp/yatanavi/archives/53157957.html

e国宝
http://www.emuseum.jp/detail/100410?d_lang=ja&s_lang=ja&word=&class=2&title=&c_e=&region=&era=&cptype=&owner=&pos=177&num=4&mode=detail&century=

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2015年2月15日 (日)

【古典ひとこと00】『江戸端唄集』〜なぜ古典に触れるのか

Edohauta

サラリーマンの私には、時事や流行の一端を知っていることはたまに必要ですが、世の中で「古典」と呼ばれるものに何の縁がなくても生活に支障はありませ ん。「古典」は大好きですけれど、専門知識もありませんから、いろいろお詳しいかたと違い、満足なことは何も分かりません。誤解もいっぱいしています。
では、なぜこんな、当座の用などない「古典」が好きで夢中になるのか。
「古典」には人間の得て来たこと・失ったものを書きとめ描きとめてあって、その重さに惹き付けられるからかも知れません。
ひとりひとりの人間は死ねば意識も消え、世間の記憶からもあっというまに消え失せます。生きているあいだでさえ、自分の成功も失敗も明日には忘れてしまっています。そんなですから、どうしても目先の「いま」に溺れます。
「いま」を泳ぐとき、「いま」にしか視線が向いていないと浮輪の在処が分かりません。けれども浮輪をまだ見えない未来に求めることも出来ません。どうしたらよいのか。
占術や未来科学に目を向けるかたもいるのでしょう。
で も私にとっては、昔の人が描いたままに自身も忘れてしまっていただろう事柄や記述のなかに人間らしい苦悶やそれを繰り返さないための知恵や、どうにもなら なかった諦めを読みとる方がずっと魅力に感じられます。自分より前の人たちはどうやって浮輪を見出して浮かび、あるいは見出せずに沈んでいったか。その喜 びや悲哀や後悔をかえりみるほか、自分の運を確かに占う手だてもなさそうに感じるのです。
人の一世代を二十五年程度と考えますと百年で四世代。祖 父母が生きていれば百歳超なので、これくらいの幅が適当なようです。すると、千年前の「古典」に触れても実はせいぜい四十世代前をかえりみられるに過ぎな い。こんなわずかな世代の営みの中で、人間という生き物は、いかに多くのことを忘れてきたことか。
その忘れて来たことがまた繰り返されているのか、再び思い出されずにいるのか、ある日突然また記憶に呼び起こされるのか。
みずからの愚かさを思い知るのに、これを見つめるくらい厚みがあって、日々のおのれの小ささを笑いとばすために頼れる行動指針もない、と、このごろしみじみ思うのです。

そんなことで、今年はちょっと、いくつかに色分けして「古典」の手短な散歩をしてみたいと考えているのですが、こんな企ては日本なら江戸時代の終わり頃の「棚のだるまさん」という端唄に

あまり しんきくささに たなのだるまさんを ちょいとおろし
はちまきさせたり 転がしてもみたり

(『江戸端唄集』岩波文庫30-283-1)

とあるようなことをいまさらやるのに過ぎないのでしょうね。
どうなりますことやら。

岩波書店『江戸端唄集』紹介ページでは、この本に収められた端唄から10例ほどを実際に歌ったものが聴けます(ことばに違うところがあるのも面白いです)。どうぞ覗いてみてくださいね。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/3028310/top.html

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2014年12月20日 (土)

無料です【12月23日】東京ムジークフロー演奏会(大田区民プラザ)

とってもぎりぎりではありますが、所属するアマチュアオーケストラの演奏会のご案内です。
入場無料ですのでお気軽にお越し頂けましたら幸いです。

日時:2014年12月23日(火:祝日)

開場:13:30 開演:14:00
入場無料(全席自由席)
場所:大田区民プラザ
・東急多摩川線下丸子駅下車約1分  (蒲田から3駅)
・東急池上線千鳥町駅下車徒歩約7分 (同上)

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http://www5f.biglobe.ne.jp/~orc/tmf/concert.html

【指揮】菊地 俊一
【曲目】
  ・ベルリオーズ:ローマの謝肉祭
  ・ミヨー:プロヴァンス組曲
  ・メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」

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