「コリント人への第1の手紙」から。
共に育てなければならない誰かがいる途上で伴侶を亡くす、というのは、じわじわきいてくるものだなぁ、というのが、この春以降の自分の本当の思いだったかも知れない。
昨日は、年末の休みを返上して家内の葬儀を手伝ってくれた会社の同期とばったり顔を合わせたとき
「何年になったかなぁ」
と訊かれたので、
「五年だよ」
と答えた。
「そうか~早いなぁ」
・・・過ぎてみれば、早かったのである。
伴侶と死別することは、誰にとっても大変な悲しみだ。自分についてはそれは家内だったのだけれど、そしてここでもさんざんわめいたことがあるけれど、とにかく埋葬が片付いてさらに1年くらいは、
「おいらは子供がいなかったら死んでただろう」
状態だった。調べたら家内の死ぬ7年前だったそうだが、密かに尊敬していた江藤淳氏が奥さんを亡くしたあと自殺してしまったことも常々気の毒に思っていたのに、まさか自分が同じ思いをするとは想像したこともなかった。
もめた埋葬が片付いて、それまで身辺を良くも悪くもにぎやかにしていた人達も、あるいは病気をなさったり、あるいは転居をなさったり、あるいはは
なから家内としか繋がりを感じていなかったりして、ぱたりぱたりとおとづれもなくなったりして、城山三郎さんが綴っていらした『そうか、もう君はいないのか』が本屋に並んでいるのを、ぽつんとした気持ちで立ち読みしては、買おうかどうかためらってばかりいたものだった。
その本屋も、いまは無くなってしまった。
そんな、ぽつりとした気分でいられたうちは、かたっぽうでは子供らを「どうするか」・・・子供らが「どうなるか」ではなく・・・に必死だったりし て、そのためにも自分の気持ちから抜け落ちてしまったものをなんとか補おうということにも同じように血眼になれたし、それがいま稔っている面もあって、も しかしたらまだ「ゆとり」もあったからこそ生まれた方向性があったのかも知れない。
この春以降は、どうも勝手が違った。
最近までずっと、それは娘の卒業式の当日に、故郷方面で、天災と人災の入り交じった巨大すぎる災害が起きたショックが尾を引いたのだろう、そこから脱出すればまた変わるのだろう、と信じていた。が、秋がきてみると、風向きが怪しくなった。
子供が育つ途上でのことだったからだろう、僕は江藤さんや城山さんとは別の課題を抱えたのだけれど、それにはちゃんと気付いていなかったらしい。
いまはまだ、学校や習い事の費用も負担してやったり、あれがないこれがないと言われれば慌てて調達に走ったり、と、やっぱり子供は子供、で、これは過去4年とあまり変わっていない。
この事態のもとで、子供たちがだんだんに僕から自立して行くこと、が、目ざす課題だと思い込んでいた。子供を自立させる、という、「親目線」からの課題だけが、解決させるべきものだと思い込んでいた。
どうも、それは違うような気がしてきている。
まだ像がぼんやりとしか立ちあらわれてこないのだけれど、こんなことなのだろうか?
「子供の自立」は単純に一方向に決まっているものではない。
自立、の前には、とくに親との接点がどうであるか、なることが大きく関わってくる・・・それはただ「子供自身が目標を持って針路を決める」という単純なベクトル1つで考えることは出来ないものである気がして仕方がない。
僕自身がまた、単純に「子供たちの親」であることから何らかの変化を遂げなければならないらしい。
それは当たり前のことながら、子供たちを置き去りにすることではないはずである。
では、何をどうするのか、とは、考え始めると、とてつもなく大きな問題がありそうで、ちょっと怖くなってくる。
やっと一個の人間になって行く子供たちに、僕もまた一個の人間としてしっかり対峙して、しかも理不尽ではないよう充分意を尽くして「付き合い」をしていけるようでないと、ここから先は奴らの大切な将来に傷を付けるような愚を犯さないとも限らないのだろう。これに思い当たって、真面目な話で、背筋が震えた。
この局面に来て、生きて子供らと対峙するのが自分ひとりであるというのは、かなり、痛い。今になって気付いたから余計なのであって、これこそが、「伴侶を失ってじわじわ効いて来たこと」の、どうやら正体であるらしい。
それでも、漠然と感じ始めているこのことに、新しい年には、少しでも僕自身の方向付けが出来るようにしたい。
気付くことの遅さ、自分の鈍かったことを反省し、よい新年に繋げて行きたい。
気が早いけれど、週末からはもうバタバタしてしまうので、これで今年の心の締めくくりに・・・出来るんだったら有り難い。
自分はキリスト教徒ではないのだけれど、新約聖書のパウロの言葉が、自ずと染み入ってくる。独身時代に辛い時、掲げるのとは別の訳(やく)で、当時は暗誦までしていた。それが、いまではもうすっかり忘れている。
たとい私が人間と天使の言葉を話しても、愛がなければ(鐘のように)鳴る青銅と響き渡
る銅鑼に等しい。たとい私が預言のたまものを持ち、すべての奥義とすべての知識に通じ、山を動かすほど満ちた信仰を持っていても、愛がなければ無に等し
い。たとい私がすべての財を施し、この体を焼かれるために与えても、愛がなければなんの益にもならない。愛は寛容で、愛は慈悲に富む。愛は妬まず、誇ら
ず、たかぶらない。非礼をせず、自分の利を求めず、憤らず、悪を気にせず、不正を喜ばず、真理を喜び、すべてをゆるし、すべてを信じ、すべてを耐え忍ぶ。
愛はいつまでも絶えることはない。だが預言ならば廃れ、異語ならば止み、知識ならば滅びる。私たちの知識は不完全であり、私たちの預言も不完全である。完全なものが来るとき不完全なものは滅びる。私が子供のころは子供らしく話し、子供らしく考え、子供らしく理屈をこねたが、大人になってからは子供らしさを捨てた。いま私たちは(古代の銅鏡のように像のはっきり映らない)鏡を見るようにぼんやりと見ている。だが来るべき時には(自らが出来る限り、神と)顔と
顔を合わせて見るだろう。いま私は不完全に(だけ)知っている。だが来るべき時には私が(神に)知られている通りに知るだろう。今あるものは信仰と希望と愛の三つである。そのうちでもっとも偉大なものは、愛である。
(「コリント人への第1の手紙」第13章・・・フェデリコ・バルバロ訳。語彙・言い回しを自分なりに改変)
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